弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年1月23日

タイガーフォース

アメリカ

著者:マイケル・サラ、出版社:WAVE出版
 ベトナム戦争のさなかに起きたアメリカ軍によるベトナム住民の虐殺事件を40年たってアメリカのオハイオ州の地方紙「トレド・ブレード」が掘りおこしました。この本は、その過程を明らかにしています。
 それにしても今ごろ、なんで、という思いが、ふと、してしまいました。でも、ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵士というのは、ちょうど私と同じ団塊世代が中心なのです。ということは、アメリカ社会を動かしてきた世代だということでもあります。その彼らが今どうしているのか、かつてベトナムで何をしていたのかは、やはり忘れることのできない出来事なのでしょう。
 タイガー・フォースは、1965年11月、デービッド、ハックワース陸軍少佐が「ゲリラの非ゲリラ化」を目的に創設した小隊だった。リコネサンス(偵察)とコマンド(奇襲)の機能をあわせもつことから「リコンド」と呼ばれた。
 タイガーに入隊を許されたのは、わずか45人。タイガーは、グリーンベレーでもあり、戦闘部隊でもあった。2人ないし3人の小単位にわかれてジャングル深く忍びこむ。「やりたいことは何でもやれ」、このように命令されていた。
 索敵行動に加えて、タイガーたちは、しばしば無理な作戦行動を命令された。1966年2月、中央高地の田んぼと山に覆われた場所でタイガーが重装備のベトナム解放民族戦線の軍隊に包囲されたとき、隊長のジェームズ・ガードナー中尉は敢然と3つの掩蔽壕を攻撃した。ガードナー隊長は戦死したが、彼の行動で小隊は脱出することができた。1966年6月、ラオス国境付近の戦闘で11人のタイガー兵士が殺された。
 アメリカ兵はベトナム人を嫌っていた。南ベトナムに足を踏み入れたときから、ベトナム原住民は下等であると言いきかされた。やつらは人間じゃない。将校でさえ、ベトナム人をサル、チビ、つり目などと呼んでいた。新兵訓練キャンプでも、サルという言葉がつかわれた。銃剣術の教練のときには、新兵たちは「サル!」と叫びながら、的を突き刺した。ベトナム戦争を扱ったアメリカ映画『フルメタル・ジャケット』『ハンバーガーヒル』『プラトーン』『7月4日に生まれて』などで、その状況が生々しく再現されています。
 兵士の教育プラグラムでは、敵は人間ではないと思わせる。敵から人間的価値をはぎとってしまえば、殺しやすくなる。
 1967年の半年で5000人近いアメリカ兵が殺されていた。その半分は5月以降の死者だった。1966年の1年間の死者総数に近い数字だ。
 不気味な場所だ。闇、ジャングル、前線中隊から隔絶された。道らしい道はない。太いツタが木々にからみついて光を遮断し、熱を密封している。遠くで咆哮するゾウ、近くで悲鳴をあげる野生の猿が、ひっきりなしに沈黙を破る。ミドリ毒ヘビにかまれると、はげしく痙攣しながら、たちどころに死ぬ。黒いジャングル・ヒルは長さ3センチで、木から落ちてきて肉に吸いつく。吸われたところは、痛いミミズばれが残る。
 新兵たちが朝、隊に入り、夕方には死ぬ。衛生兵は、タイガー兵士がいきなり無防備のベトナム人を撃ち殺すのを目撃した。それは、彼ら自身が非難していた行為だった。ドミノが倒れはじめた。ひとりまたひとり、兵士がこわれていった。多くは恐怖と脅しに屈した。一夜にして起きたことではない。徐々に腐食していった。兵士たちがこわれるなんて、誰も予測していなかった。だが、現実にそれは起きた。
 個々の兵は、死の淵に立たされたとき、倫理と自己破壊の境をこえる危険性を内包している。兵は僚友が殺されるのを見たり、死の恐怖に直面したりすると、指揮官に命を預けられるかどうかを考える。もし指揮官が民間人を殺せば、兵はそれにならおうとするだろう。自分の行動を正当化しようとする。この指揮官は、自分を活かしてくれているのだから、正しいことをしているに違いない。そこで兵は、一気に殺戮に加わっていく。
 アメリカ陸軍がベトナム中央高地の地上戦で敗れつつあることは今や公然の秘密だった。1967年2月以来、陸軍と空軍が何百回もの出撃で何千発の爆弾を落としても、戦況にはまったく影響がなかった。
 兵士は覚せい剤やマリファナがなければ一日をやり過ごすことができなくなっていた。体重は減り、眠れない。スピードと銃撃で神経がすり減っていた。たとえば、ある兵士は昔は医学部に行くことを夢見ていたのに、今は何の夢ももてない。
 カーニーは、ひとつの部隊が完全に崩壊していくのを見ていた。6月には、同志意識と善意の感覚があった。あのころのタイガーは蛮勇の兵士だったが、殺人者ではなかった。隊には大勢いい奴がいた。自己規律が働いていた。しかし、ここ1、2ヶ月のあいだに、小隊は暗黒の力に征服されてしまった。その力を、どう表現したらいいだろう。人間が集団で暴虐と殺戮におちていくのを見るのは、耐えられない。誰もそんなものを目撃したくない。カーニーの場合、罪悪感は圧倒的だった。殺戮を身ながら、止めることができなかった。もし止めようとしたら、自分の命が危なかっただろう。
 こわかったのは、誰も攻撃を止める者がいなかったこと。しかも、指揮官たちが、現実にそれを奨励していた。
 タイガーは凶暴モードに突入したまま、外部から遮断された。この状態におちいると、兵士は戦闘の局外者は理解できない生理学的変化をもろに引き受ける。中脳が情報を処理する前脳にとってかわる。生存本能が支配する。その結果、兵士は理性の働きより、反射神経に頼る。戦闘においてはいいことである。兵士が生き残りモードに入っているからだ。そして、殺す。これこそ兵士のあるべき姿なのだ。
 タイガーという特別部隊が日常的に罪を犯していたにもかかわらず、それを罰する司令官は一人もいなかった。
 タイガー・フォースの元隊員たちは等しく問題をかかえていた。神経が破壊されていた。PTSDをわずらっていた。そして、ベトナム帰還兵の6人に1人がPTSDにかかっていることが分かった。戦争体験の後遺症に悩まされていた。戦争の記憶を心の奥深く押しこんできたが、心理的症候群、記憶の再現、悪夢、うつ症状が、毎日のように思いおこさせた。苦痛を忘れるため、麻薬やアルコールに逃げこむ者も少なくない。彼らは戦争体験を話したがらない。
 しかし、彼らの心は、戦場での行動を、そのつどスナップ写真におさめていた。射殺した者や頭の皮をはいだ者の映像は、コンピューター・プログラムのように脳内に蓄積され、忘れたころに戻ってくる。かつての兵士たちは、一家団欒のさなかに、突然、血まみれのスナップ写真を、目の前に突きつけられるのだ。
 なーるほど、そういうことだったんですね。これって、なんとなく分かる気がします。
 1968年3月13日に起きたミライ事件は一日で504人ものベトナム人を虐殺した。しかし、タイガーフォースは7ヶ月間ものあいだ罪のない普通のベトナムの農民たち、女性や子どもたちをも虐殺しつづけていた。
 タイガーフォースは11日間に49人を殺したと報告した。しかし、同時に発見した武器はゼロとも報告している。これは、明らかにおかしい。報告を受けた司令部が奇妙な事実に気がつかないはずはない。
 タイガーフォースが無差別に殺したベトナム民間人は数百人にのぼる。タイガーフォースの45人編成の小隊に7ヶ月間に在籍したのは120人。そのうち10人が戦死した。
 今もベトナム戦争の後遺症がアメリカ社会に沈潜していることを思い知らされる本です。日本もイラクへ軽々しく出兵すると同じ事態を迎えることになります。
 それにしても防衛省トップだった守屋元次官の汚職はおぞましい限りです。あんな連中が、日本の安全を守るとウソぶいているのですよね。表で言ってることは勇ましくても、その本音は自己の私腹を肥やすことと名誉心でしかないのが、昔から軍人の体質であり習性なのです。
(2007年9月刊。1900円+税)

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