弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年9月13日

ビキニ事件の表と裏

社会

著者:大石又七、出版社:かもがわ出版
 1954年3月1日、アメリカは中部太平洋のビキニ環礁で、広島型原爆の1000倍といわれる15メガトンの巨大な水爆実験を行った。
 環礁に、高さ50メートルのやぐらを組んで水爆を置き、午前6時45分に点火した。爆発と同時に直径4〜5キロメートルの巨大な火の玉があがり、珊瑚礁の小島を蒸発させた。それらの粉じんは、強力な放射能を含み、キノコ雲となって3万4000メートルの高さにまで上昇した。あとには、深さ60メートル、直径2000メートルの大穴があいた。その海域でマグロ漁をしていた第五福竜丸は、乗組員23人全員が被爆した。
 被爆した船は第五福竜丸だけではない。政府が把握しただけでも856隻。およそ  1000隻に及ぶ。
 そのとき、サアーと夕焼け色が空いっぱいに流れた。左舷の水平線から一段と濃い閃光が放たれた。
 12、3分が過ぎたころ、空は明るくなり、西の水平線上に入道雲を5つ6つ重ねたような巨大なキノコ雲が空を突いていた。
 2時間ほど過ぎたころ、白いものが空からぱらぱらと降りはじめた。ちょうどみぞれが降ってきたという感じだった。
 やがて風を伴い、雨も少しまじってたくさん吹きつけてきた。目や鼻、耳、口など、そして下着の内側に入り、チクチクと刺さるような感じで、イライラした。
 みんな目を真っ赤にして、こすりながら作業した。水中眼鏡をかける者もいた。鉢巻きをした者は頭の上に白く積もらせ、デッキの上には足跡がついた。唇につくものをなめてみると、溶けないので、砂をなめているようにジャリジャリして固い。熱くもないし、匂いも味も何だろう。
 知らないとは恐ろしい。強力な放射能のかたまりをなめたり、かんだりしていた。
 近くの危険区域で何かが行われた。アメリカ軍の大事なものかもしれない。それをオレたちは見てしまった。秘密のことなら、当然、アメリカ軍の軍艦や飛行機、潜水艦も近くにいるはず。見つかったら大変なことになる。見えたら、すぐに焼津に無線をうつ。見えるまでは打たない。うっかり打てば、自分たちがここにいることをアメリカ軍に知らせてしまう。見つかったら間違いなくアメリカ軍に連行される。へたすると沈められてしまう。
 第5福竜丸は、なんとか逃げ切り、3月14日、焼津港に帰り着いた。翌々日、3月16日、読売新聞がスクープで報道した。
 日本の医師団は、灰にふくまれている放射能がどんな性質のものか、治療に役立てるため教えてほしいとアメリカに求めた。しかし、アメリカは軍事上の機密だといって、何も答えなかった。そこで日本の科学者たちは、灰を独自に分析した。その結果、アメリカの最高軍事機密である水爆の構造まで解明した。
 水爆の構造とは、中心に原爆を起爆剤として置き、点火して核分裂を起こす。そこで 7000万度以上の超高熱をつくり、その外側にある重水素リチウムに核融合を起こさせる。これが水素爆弾だ。そして、水爆ブラボーは、そのまた外側を大量の天然ウランで包んでいた。そこに高いエネルギーの中性子がぶつかり、ウラン238が核分裂を起こすとともに、膨大な量の死の灰、ウラン237がつくり出された。これが汚い放射能だ。
 だから、アメリカは何も教えなかった。日本の科学者が解明したことによって、結果的には世界中が知ることになり、良かったと言える。
 この被爆事件について、アメリカ政府と日本政府が極秘のうちに手打ちしていた関係書類が最近公開された。200万ドル(7億2000万円)で決着が図られた。日本政府はその見積もりでも25億円に達していた被害総額を知りながら、その4分の1程度で早期に幕引きし、「アメリカの責任を今後一切問わない」とした。ひどーい、許せませんよね。
 ところが、大石さんらに対して、日本国民の一部から怒りの目が向けられました。騒ぎを起こしたうえに見舞金をもらって、まだ生きている・・・。
 なんという妬(ねた)み心でしょう。最近のイラクにおける日本人人質に対する自己責任を口実とする非難の大合唱を思い出させます。心の狭い人が日本人に少なくないって、本当に残念ですよね。
 大石さんは、今も、元気に被爆体験を語る活動を続けておられます。今後とも、お元気にご活躍されることを心から祈念します。
(2007年7月刊。1500円+税)

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