弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年5月24日

大人が絵本に涙する時

社会

著者:柳田邦男、出版社:平凡社
 生きる意味というものは、何かいいだろうと受け身で待っていたのでは見つからない。たとえ絶望的な状況下にあっても、自分は最後までこう生きたと人生の物語の最終章を自分で書いてはじめて、それが人生から期待されたことへの答となるものであり、人生の意味になるのだ。
 うーん、なかなかいい言葉です。かみしめたいものです。
 最近は家族が病気で入院していても、子どもを見舞いに連れていかない家が多い。だが、子どもには、もっともっと生老病死に日常的に接するようにすべきだと思う。
 この世に生まれた乳児は、羊水の中の安心感からすぐに抜け出せるわけではない。母親に抱きしめられることを、いわば羊水に替わるものとして求める。心の発達のためには、そういう愛着関係が少なくとも三歳児までは必要だ。心の分娩には3年かかる。
 絵本は絵と言葉が共鳴しあうことによって、奥行きのある立体的な世界を創り出すメディアである。絵は言葉の単なる説明役でもなければ、添え物でもない。言葉もまた、絵が語り切れないところを補うものでもない。
 絵本とは、簡潔に洗練された言葉と象徴的な絵と音読する肉声とが一体となって物語りの時空を生み出す独特の表現ジャンルである。
 子どもは幼いように見えても、喜びや楽しさや悲しさや辛さや無念といったさまざまな感情が芽生えている。そうした感情がきめ細かく育つのを「感情の分化」という。「感情の分化」は、母親をはじめとする家族との接触のなかで芽生え、発達していく。母親や父親がたくさんの絵本や読み物を感情をこめて読みきかせすると、物語の展開にそっていろいろな感情が動き、「感情の分化」がきめ細やかさを増していく。
 これに対し、親が子どもを放置し、テレビに子育てをまかせるような日常になると、子どもの「感情の分化」はほとんど起こらないで、怒りの感情や抑圧感ばかりが強くなり、他者の気持ちを汲みとったり思いやったりする心がほとんど育たなくなる。
 実は、絵本や読み物による豊かな感情の形成という営みは、子どもだけでなく、大人にも必要なのだ。大人こそ絵本を読もう。絵本は子どもだけのものではない。生涯を通じて心の友となるだけの豊かな内容が語られている。心が渇ききっているとき、絵本は心の潤いを取り戻してくれるオアシスとなり、生きるうえで本当に大事なものは何かをあらためて気づかせてくれる。
 大人も、座右に好きな絵本を置いて、ときどき絵を味わう。そんな心のゆとりを持ちたいものだ。少年時代、少女時代に持っていた豊かな想像力、雲を見ていろいろな動物を想像するファンタジーの能力、そういうものをなくした大人って何と干からびた日常であることか。
 私が司法試験の受験生だったころ、同じ受験生仲間で、セツラー仲間でもあった友人が「息抜きに絵本を読んでみたら」と言ってすすめてくれたことがありました。今でもその本のタイトルを覚えています。『天使で大地は一杯だ』という本です。読むと、なるほど頭の中に爽やかな風が吹き渡っていく気がしました。一杯のコーヒーよりはるかに確かな清涼剤となりました。この友人とは、今、東京で活躍している牛久保秀樹弁護士です。
 子どもが生まれてから、たくさんの絵本を買って次々に読み聞かせをしてやりました。読んでるほうも楽しいのです。斉藤隆介の「八郎」とか「花咲き山」などは、絵も文章もいいですね。かこ・さとしの絵本は「カラスのパン屋さん」などいいものがたくさんあります。絵本は3人の子どもたちに次々に読んでやりましたのでボロボロになったのもありますが、みんな捨てがたいので残してあります。そのうち孫ができたらよんでやろうと思うのですが、いつのことやら、というのが我が家の状況です。残念ですが、こればかりは、どうしようもありません。
 私も一度だけ絵本に挑戦しました。弁護士会の職員で絵の描ける人がいたので、私が文章をかいて、彼女に絵を描いてもらいました。出版社に持ちこみましたが、残念ながら入賞はできませんでした。でも、せっかくなので出版してみたのです。ちっとも売れませんでしたが、いい記念になりました。

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