弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年5月15日

吉本興業の正体

社会

著者:増田晶文、出版社:草思社
 吉本は、これから世に出ようという芸人に対して差別しないし、贔屓(ひいき)もしない。放任の姿勢を貫き、努めて平等に扱う。だが、そこに輝くものを見つけたときから、事情が異なってくる。
 芸人は際立った個性を持つうえ、感情の塊のような商品だ。毒を吐き、社会的規範から逸脱してしまうことさえある。こんな扱いにくい商品は他にあるまい。
 吉本は芸人に対して、ときに強面ぶりを発揮し、あるいはネコ撫で声で懐柔しながら、結局は己が掌の中で彼らをマネージメントしてきた。しかも、吉本は一人の才能、一組の人気を最大限に発揮させながらも、決してそれだけに依存しない。
 主力商品の寿命が尽きた日に会社も終焉を迎えるという愚を吉本は絶対に踏まなかった。芸人は商品であり、商品はあくまでも取り替え可能でなければいけない。それを裏で支えているのが、広大で柵の低い放牧地なのだ。
 吉本の強みは層の厚みにある。どの芸人も人気者がコケるのを待っている。そいつがコケたら、すぐに自分の出番があることを自覚している。実際、そのとおりになる。
 吉本興業は2006年3月期に、過去最高の462億円を達成した。
 吉本には過去数回のピークがある。戦前、すでに吉本は東京を制圧し、日本一の吉本を一度実現していた。お笑いの世界への本格復帰は昭和30年代半ばからのこと。うめだ、なんば、京都に三つの花月劇場を構え、勃興したばかりのテレビと蜜月関係を結び、ラジオの深夜放送を聴く若者たちにアピールすることで躍進の糸口をつかんだ。
 吉本は若手を大胆に起用した。仁鶴、やすきよ、三枝、月亭可朝らは吉本の四天王といわれた。戦後30年以上かけて、吉本は上方お笑い界のトップ・プロダクションの座に返り咲いた。1980年に巻きおこったマンザイブームによって、吉本はまた頂点を経験した。このマンザイブームにより、吉本はまた頂点を経験した。このマンザイブームは短命に終わったが、さんま、紳介、ダウンタウンらを先兵として東京制圧を狙った。1990年代にその地盤づくりが完了し、2000年に念願の全国区化を果たした。
 大阪のオモロイ子と、東京のおかしな子では、レベルが違う。大阪の子は親元から通ったり、大学を落ちたから芸人にでもなろか、という手合いがけっこういる。その点、こと危機感という側面だけでいうと、東京の生徒たちは必死だ。故郷を出て一人住まいをして、なんとしてもお笑いの世界でビッグになってやろうという野心をもった生徒が多い。
 大阪は芸人、とくに漫才師の宝庫だ。しかし、戦後からずっと、大阪で生まれた笑いは大阪でしか消費されていない。ところが、吉本は、大阪弁を笑いの標準語に仕立てた。日本の言語史上、これほどまで大阪弁が市民権を得た時代はない。
 1982年、吉本は芸人の養成学校をNSC(吉本総合芸能学院)を開設した。ピーク時には2000人が応募。今でも500〜800人が願書を出す。入学金は10万円で、月謝2万5000円。1年分の学費は合計40万円。面接で、よほど不適当とみなされない限り、ほぼ全員が合格する。
 現実は厳しい。卒業生のなかからプロとしてやっていけるのは、一期あたり4〜5組程度。お笑いの世界でトップクラスになるのは、東大に入ってエリート官僚になるよりも、よほど難しい。ただ、吉本にとって、NSCができたことで、大量の芸人予備軍を手にすることができた。全員がスターになれるわけもないが、いずれにせよ分母が大きい方が、売れっ子を含む確率は高くなる。
 しかし、吉本のすごいところは、タレントの層の厚さより、むしろマネージャーのパワー。彼らは、局におまかせ、仕事下さい、なんて絶対に言わない。どうやって売り出すか、どんな企画がいいか、この番組をステップに次はどう展開するか。本来ならテレビ局側の領域にどんどん足を踏みこんでくる。
 マネージメントという名目の人身売買、社会的良識など通じないアウトローの芸人どもにムチを入れる猛獣づかい。要するに、テキヤ稼業の巨大化したものが吉本興業である。 そんな吉本が一部上場企業になり、経団連にまで入っている。まあ、日本の経済界の本質は、良くも悪くもそこにあるというべきなんでしょうね。
 20年以上も前、大阪に出張したとき、ひまつぶしにナンバ花月劇場に一度だけ入ったことがあります。若い男女で満員、私にはとてもついていけない乱暴なギャグで爆笑の連続でした。早々に退散してしまいました。私はテレビと無縁の生活をずっとしていますので、歌の世界と同じく、お笑いの世界にもトントふれることがないのですが、活字を通して知る芸能界のすさまじさには声も出ません。
 福岡のお濠端で若者二人が芸の練習をしている場面をたまに見かけることがあります。どの世界でも、トップにのしあがるのは大変なんだと、この本を読みながら、お濠端の若者の真剣な稽古姿を思い出しました。

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