弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年4月12日

「闇の奥」の奥

世界(アフリカ)

著者:藤永 茂、出版社:三交社
 ベトナム戦争を描いた有名な映画に「地獄の黙示録」があります。ヘリコプターがワグナーの「ワルキューレ」の音楽を最大ボリュームで響かせながら地上のベトナム人をおもしろ半分に虐殺していくシーンは有名です。
 この映画「地獄の黙示録」(フランシス・コッポラ監督)のシナリオは、ジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」をもとにしている。この「闇の奥」は中央アフリカのコンゴ河周辺を舞台としている。そこでも、ベトナム戦争と同じように現地住民の大虐殺があったのです。初めて知りました。
 1900年ころ、中央アフリカのコンゴ河流域の広大な地域がベルギー国王レオポルト2世の私有地になっていた。そこで先住民の腕が大量に切断された。レオポルド2世は 1885年からの20年間に、コンゴ人を数百万人規模で大量虐殺した。
 1880年当時、コンゴ内陸部には2000万人から3000万人という大量の黒人先住民が住んでいた。そこを人口希薄の土地と想像するのは誤りである。
 このコンゴ地域には天然ゴムがとれた。1888年にコンゴで産出された原料ゴムは 80トン。それが1901年には6000トンにまで増大した。
 コンゴでのゴム採取の強制労働のため、レオポルド2世は公安軍をつくった。1895年には兵員総数6000人のうち、4000人がコンゴ現地で徴集された。1905年には、白人指揮官360人の下、1万6000人の黒人兵士から成っていた。
 公安軍の白人将校たちは、単に射撃の腕試しの標的として黒人の老若男女を射殺してはばからなかった。 強制労働のあまりの苛酷さに耐え切れず、作業を捨てて黒人たちが密林の奥に逃げ込むのを防ぐのが公安軍の任務だった。銃弾は貴重なものだったから、白人支配者たちは小銃弾の出納を厳しく取り締まるために、つかった証拠として、消費された弾の数に見合う死者の右手首の提出を黒人隊員に求めた。銃弾一発につき切断した手首一つというわけである。えーっ、そんなー・・・。
 2人のイギリス人宣教師にはさまれた3人の先住民の男たちが写っている写真があります。男たちは、右手首をいくつか手に持っています。ぞっとします。
 レオポルド2世はコンゴ自由国という名前の私有地をもち、公安軍という名前の私設暴力団を有してコンゴの現住黒人を想像を絶する苛酷さの奴隷労働に狩りたてていった。その結果、コンゴの先住民社会は疲弊し、荒廃し、その人口は激減した。1885年から20年のあいだに人口は3000万人か2000万人いたのが800万人にまで減少してしまった。
 ところが、レオポルド2世はアフリカに私財を投入して未開の先住民の福祉の向上に力を尽くす慈悲深い君主としてヨーロッパとアメリカで賞賛され、尊敬されていた。
 なんということでしょう。まさに偽善です。
 レオポルド2世は奴隷制度反対運動の先頭に立つ高貴な君主として広く知られていた。
 アフリカ大陸にひしめく黒人たちは、人間ではあるが、決して自分たちと同類の人間ではないとヨーロッパの白人は考えていた。黒人が人間として意味のある歴史と生活を有する人間集団であると考える白人は少なかった。
 しかし、個々の白人の病的な邪悪さや凶暴さが問題ではなかった。問題は、現地徴用の奴隷制度というレオポルド2世が編み出したシステムにあった。うむむ、そういうことなんでしょうか。
 1960年6月、コンゴ共和国は独立し、35歳の元郵便局員であるパトリス・ルムンバが初代首相に選ばれた。しかし、ルムンバ首相がソ連から軍事援助を受け入れたので、アメリカのCIAはルムンバ首相を抹殺することにした。コンゴ国軍参謀長のモブツを買収し、クーデターを起こさせ、ルムンバを拉致して銃殺した。このルムンバの処刑にはモブツの部下とともに、ベルギー軍兵士たちが立会していた。
 2006年7月、ルムンバを首相に選出した1960年から46年ぶりにコンゴで第2回の総選挙が行われた。いやはや、アフリカに民主主義が定着するのは大変のようです。しかし、それはヨーロッパ「文明」国が妨害してきた結果でもあるわけですね。
 アフリカの政治が混沌とした原因にヨーロッパとアメリカの責任があることを強烈に告発した本でもあります。

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