弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年3月12日

きよのさんと歩く江戸六百里

江戸時代

著者:金森敦子、出版社:バジリコ
 山形の鶴岡に住む女性(きよの)が江戸・伊勢・奈良・京都見物の旅に出かけました。文化14年(1817年)のことです。31歳のきよのさんは、夫と2人の子どもを自宅に残し、同伴者の男性と荷物持ちの下僕と三人の旅です。
 夫も、その前に25歳のとき、長野・名古屋・伊勢・京都・四国・江戸・日光の124日間の旅をしています。だからでしょうか、妻の旅行には同行しませんでした。
 きよのさんは鶴岡の裕福な商家の家付き娘でしたから、この旅行に思う存分にお金をつかうことができました。普通は一日一朱というのが旅費の目安です。一両あれば16日間の旅が出来るという時代でした。
 江戸も後期になると、多くの女性が関所手形も持たずに旅立つのが普通になっていた。きよのさんは、108日間の旅の記録を残しました。それを解説つきで再現したのが、この本です。本当に昔から日本の女性って強かったんですよね。それがよく分かる旅の本です。
 江戸時代、宿場の飯盛女が売春することを禁じるお触れが何度も出されている。禁止しても守られなかったからこそ、何度も繰り返し禁令が出された。宿場の繁栄を飯盛女が担っているという現実があった。
 きよのさんたちには、彼女らは自分の身を売ることで家族を養っているのであって、賤しいことをしているという意識は少なかった。売春をやっきになって取り締まろうとしたのは為政者である。
 きよのが江戸で一番楽しみにしていたのは歌舞伎の見物だった。当時の芝居は明け方から日没まで上演していた。だから芝居茶屋を通して飲食し、用便もしていた。きよのさんたちは、5人で一両二朱もかけている。
 江戸では鶴岡藩の上屋敷の元締役所を訪れ、数々の御馳走を受けている。これは、きよのさんの商家が藩に多額の献金をしていたから。
 きよのさんは吉原に出かけて、遊女を見物している。また、江戸の呉服屋で、一七反もの買い物をし、さらに日本橋で本を一冊も購入した。俳諧と狂歌の本だ。
 きよのさんは現金をもち歩いたのではなく、前もって送金していた。
 江ノ島では210文もかけて、お昼に魚料理を食べた。
 伊勢参宮では、御師宅で豪華な食事の接待を受けた。一人一人に見事な鯛や伊勢海老が出て、お酒も飲み放題。伊勢見物には専用の案内人がついた。奈良でも京都でも、きよのさんは旅籠屋の主人に頼んで案内人(ガイド)つきで見物した。
 きよのさんは南禅寺門前の茶屋で名物の豆腐を食べ、お酒を飲んだ。これは私も経験しました。
 江戸時代といっても、封建制度の中で忍従を強いられた女性ばかりではなかった。
 きよのさんはいたるところでお酒を飲み、五重塔のてっぺんまで勇ましく登っていった。誰もきよのさんを非難することはなかった。きよのさんが江戸の吉原を見物し、大坂新町で遊女をあげても奇異とは思われなかった。
 いやあ、実に自由奔放な旅行です。現代人にきよのさんを真似できる人がどれだけいるでしょうか・・・。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー