弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年12月 7日

悪魔のささやき

著者:加賀乙彦、出版社:集英社新書
 ハンディな新書ですけれど、中味はギッシリ詰まっていて、興味津々、ともかく面白く、知的刺激に充ち満ちている本です。
 たとえば、今の日本社会は刑務所化しているという指摘がなされています。
 マンションも学校もオフィスビルも、鉄とコンクリートの塊でつくられ、整然として人間管理が行き届いている。好きなものを食べ、気に入った服を選んで着ているようで、実は食料品も衣類も、画一的な大量生産品。刑務所というのは一般社会と無縁なところだという思いこみを捨て、身のまわりを眺めてみると、けっこう似ているところが多い。
 囚人は刑務所に閉じこめられっぱなし。それに対して、私たちの生活は、果たしてのびのびと生活を楽しんでいると言えるだろうか。
 社会が刑務所化すると、刑務所で起こるのと同じような問題が発生する。その一つが、心理学でいう爆発反応。ほんの些細な刺激で完全キレ、予想外の行動をとる。
 社会の刑務所化によってひきおこされるもう一つの問題が、関心の狭隘(きょうあい)化。刑期が10年から無期にわたる長期囚は、興味をもつ対象の幅が極端に狭い。話題のほとんど、いや、すべてが、ごはんの内容、看守の動向、囚人仲間の悪口というような刑務所内の日常生活に関することに限られる。外の世界で起こっていることについては、政変も戦争も娯楽も文化も、まったく関心がない。日々の単調な生活、狭い時空に自己の精神をぴったり合わせてしまっている。
 これをプリニゼーションと呼ぶ。そのような状態に陥っている本人は、そのことに気がつかない。新聞や週刊誌を読み、テレビをなめるように見ているはずなのに、かえって他人のことに無関心になっている。興味は一過性のものにすぎない。
 いつもいらいらして、心に余裕がない。自分のことだけで一杯いっぱいで、他人の都合や気持ちには極端に狭量。刑務所化する社会で暮らすストレスから、自分を抑制する力が弱まり、ちょっとしたことでキレやすくなっているのは子どもだけではない。
 うーん、なるほど、言われてみればそうですよね。
 自殺のかわりに人を殺す。人を殺し死刑になることで自分を破滅させようとする。そんな犯罪者は決して少なくない。破滅したいのなら自分一人で命を絶てばいいけど、それは寂しいし、怖い。自分自身をふくめた人間全体に対する不信感や憎しみ、自分の不遇を周囲の人や社会のせいだと考える被害者意識があるため、他人を巻きこんでしまう。
 なーるほど、そうなんですか・・・。
 日本の知識人は、学識は豊富で知性が高くても、本当の意味で自分の思想をもっていない人が多い。いやあ、そうなんですよね。これは、自戒をこめた私のつぶやきです。
 人の心には残虐性や殺人への願望が隠れている。低きに流れる怠惰さや依存心も、たっぷりと持ちあわせている。性悪説や性善説といった単純な二元論では人間は割り切れない。悪魔や天使のささやきのようなものによって、内なる悪しきものや善きものが呼び覚まされやすく、その表れ方も激しい。
 人間は誰もが弱く、罪深く、心の奥底に悪しきものを棲まわせている。今のような混沌とした時代においては、無自覚に暮らしていると、内なる悪魔に突き動かされ、悪をなしてしまう危険性が高くなる。
 うむむ、なるほど、なるほど、たしかにそうだよなー・・・。そんな納得の指摘が満載の本でした。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー