弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年12月 1日

補給戦

著者:マーチン・ファン・クレフェルト、出版社:中公文庫
 兵站(へいたん)の大切さは、古今東西かわらない真実です。腹が減ってはいくさは出来ないのですから。ところが、これまた、このシンプルな真理を無視してきた独裁者が昔も今もいます。もっとも、兵站が確保されても、大義名分がまったくなければ、今のアメリカのようにイラクで泥沼に陥って、もがけばもがくほどアメリカ兵が損耗していく苦境にたたされることになってしまいます。
 18世紀はじめ、スペイン継承戦争のとき、イギリス軍は、ヨーロッパ大陸で次のように進軍したそうです。
 軍隊は毎日昼ころに野営地に到着し、煮立ったスープ鍋をもった従軍商人によって迎えられる。その地の百姓も待ち構えており、行軍の費用を自分で支払うことのできる兵士に対して、喜んで商品を売却する。兵士はたらふく食べると、勘定を済まし、それから午睡に入る。うーん、なんというのんびりした戦場の光景でしょう・・・。
 当時の君主は補給隊を常設するより、請負人をつかったほうが安上がりだと考えていた。というのも、戦争が終われば解雇できるからだ。
 ナポレオンも補給を重要だと考えていた。ナポレオンは軍団に対して、4日分のパンと4日分のビスケットの携行を命じていた。ビスケットは予備品であり、緊急時にのみ手をつけるものとされていた。ナポレオンは補給に無関心どころか、作戦指揮に響くほど補給に注意を払った。
 ナポレオンがロシアにもっていったのは、24日分の食糧だった。このうち20日分は輜重大隊によって運ばれ、4日分は兵の背中によって運ばれた。1812年にナポレオンの本隊は600マイルを進撃し、途中でスモレンスクとボロージノという二つの大戦闘をたたかったが、モスクワに入城したとき、なお兵員の3分の1が残されていった。ナポレオンのロシア侵入は十分な準備なしに開始されたのではなかった。ところが、補給部隊が四囲の環境から崩壊してしまったのだ。
 ヒットラーのソ連侵攻のとき、補給物資の大部分は1200台の馬車によって運ばれていた。ドイツ軍は、自動車を手に入れることが困難だったので、民間から徴発した。すると、自動車の種類が多くなり、予備部品が不足して動かなくなっていった。
 ドイツのロシア侵攻軍が2000種類ものタイプの車輌をつかっていたため、予備部品が100万以上も必要となった。ロシアの鉄道はドイツの軌道と同じでないため、鉄道は利用できなかった。ロシア軍のガソリンはオクタン価が低く、ドイツ軍の車輌がつかうときには、特別につくられた施設でベンゾールを添加しなければいけなかった。
 ドイツ軍は、ロシア領内深く侵入する時点で補給困難に直面していた。秋のぬかるみの中で、ヒットラー軍は崩壊した。世界でもっとも近代的な軍隊が、その攻撃の成功にもかかわらず、今や重火器の支援を受けず農業用荷車しかもっていない歩兵の小部隊に頼っていた。ドイツ軍のモスクワ占領失敗は、冬将軍の到来に原因があるという意味は修正する必要がある。ヒットラーは兵站に何の関心も持っていなかった。これでは進撃できるはずもありません。戦争の裏面を知ることができる本です。

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