弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年11月20日

思想としての全共闘世代

著者:小阪修平、出版社:ちくま新書
 私は全共闘世代と呼ばれることに反発を感じます。いつも、全共闘と対峙する側で行動していたからです。といっても、司法試験に受かって司法修習生となり、弁護士になってからは、もと全共闘の活動家だった人と親しくなり、今もつきあっている人が大勢います。だから、今でも全共闘自体を積極的に評価する気にはなれませんが、そのメンバーだった人まで否定する気はありません。
 著者は、私とほとんど同じ団塊世代です。同じ東大駒場寮に生活していたようです。
 この本を紹介しようと思ったのは、実は、次のような文章にぶつかったからです。
 当時の学生運動家の活動の一つにセツルメントというサークルがあった。いまでいうボランティア活動なのだが、貧しい家庭の子弟の勉強をみたりする活動だった。その底には、おおげさにいうと贖罪意識さえあったのだと思う。自分が社会的エリートの道を進んできたことが貧しい人々を踏み台にしてきたかもしれないことへの贖罪感であり、それを生み出したのは戦後民主主義の平等主義であった。
 なぜ、この本にセツルメントのことが突如として登場してくるのか、前後の脈絡からはよく分かりません。でも、「当時の学生運動家の活動の一つ」としてセツルメントがあげられると、私にはかなりの異和感があります。といっても、それが間違っていると断定するわけでもありません。たしかに、セツルメント活動をしているうちに「目覚め」て学生運動の活動家に育っていった人はたくさんいます。セツルメントは、いわば学生運動の活動家を輩出する貯水池のような大きな役割を果たしていました。
 「貧しい家庭の子弟の勉強をみたりする活動だった」というのも、物足りません。これはセツルメント活動の一つの分野でしかありません。私自身は青年労働者と交流する青年部に属していました。法律相談部は戦前からの伝統を誇っていましたし、保健部や栄養部など専門分野と結びついた活動もありました。そして、「自分が社会的エリートの道を進んできた」ことからくる贖罪意識があったと言われると、ええーっ、そんなー・・・と、いう感じです。大学が大衆化していて、一つのセツルメント・サークルだけで100人を軽くこえ、川崎セツルメントや氷川下セツルメントは、それぞれ150人ほどのセツラーをかかえていました。学生セツラーは10以上の大学から来ていました。全国セツルメント連合大会は、年2回、1000人も全国から集まるほどの大衆的なサークルでした。むしろ、学生が根無し草のようで、現実に地についていない、将来どう生きていったらよいか不安だという多くの学生の心をつかんで地域で活動していたのです。そして、セツルメントがボランティア活動だと言われてもピンとこないところがあります。地域のなかでの自己発見の活動でもあったからです。著者の指摘は、セツルメント活動の外にいた人には、そう見えていたんだな、と思いました。
 著者は全共闘世代が体制を批判していたのに、卒業したあと積極的な企業戦士になっていったからくりの秘密を次のように分析しています。
 これまで自分が批判していた現実を肯定するために、自分が「現実的」であることをことさらに正当化せざるをえなかったケースも多かったはずだ。なまじ学生運動の経験があるだけに、声は大きいし、政治的な駆け引きもできる。陰謀をたくらむこともできる。場合によっては、労組つぶしも、お手のものである。
 この分析は、かなりあたっているのではないかと私も思います。
 著者は予備校で教えてきました。子どもたちが変わっていると言います。
 90年代の半ばころから、生徒たちの印象は明らかに変わった。そとづらは「よい子」が増えた。自分が思いついた、ものすごく狭い範囲の「分かり」にとらわれている印象が強い。必要以上に深入りせず、他人と距離をもつ、という態度が目立ってきた。
 うむむ、これでは結婚しない若者が増えても不思議ではありませんよね。結婚って、男女の泥臭い、裸のつきあいをするわけですからね。
 花伝社から1968年の東大闘争とセツルメントを描いた「清冽の炎」第2巻が発刊されました。なかなか売れそうもない本ですが、ぜひみなさん買って読んでやってください。著者が大量の在庫をかかえて泣いています。

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