弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年8月25日

梅原猛の授業,仏教

著者:梅原 猛,出版社:朝日新聞社
 稲作が始まったのは1万4000年前。小麦農業の発生より2000年も古い。これは,まだ教科書にのっていない。(間違いないのでしょうか・・・)
 世界の四大文明のうち,一番古いのがメソポタミア文明で、5000年前に始まったと言われている。次にエジプト文明、インダス文明,それから1000年遅れて黄河文明。
 ところが,実は,6000年前の中国・湖南省の城頭山で都市文明がおきていた。
 日本人は山には木があると思っている。しかし,山に木があるところは世界では少ない。ユーラシア大陸の真ん中に行ったら,山にはまったく木がない。中国でも,北のほうは山に一本の木もない。米をつくる南のほうには木がある。
 仏教のなかには,人間の自然支配ではなく,人間と生きとし生けるものとの共存という思想が含まれている。それが東の文明の,東の宗教の強みだ。
 紀元前5世紀前後に,その後の人類の精神世界を指導した聖者がほとんど全部生まれた。ギリシャ哲学をはじめたソクラテス。イエス・キリストの思想の先駆をなすと言われる第二イザヤ。インドの釈迦。中国の孔子。
 西洋の聖者であるソクラテスもイエス・キリストも殺された。しかし,東洋の聖者はそうではない。釈迦は涅槃で静かに死につく。孔子も畳の上で死んだ。
 西洋には,どこかに怒りの思想がある。聖者を殺した人間に復讐しようとする怒りの思想がある。東洋のほうはもっと安らか。あきらめの思想,悲しみの思想がある。
 釈迦は天国のことを説かない。人生とはこういうものだと言って静かに死んだ。釈迦の思想は一言でいうと,四諦,四つのあきらめ。苦諦とは,人生は苦であると悟ること。集諦(じったい)とは,苦の原因は愛欲であると悟ること。滅諦(めったい)とは,愛欲を滅ぼすことを悟ること。愛欲をなくしてしまうのは難しい。しかし,コントロールすることはできる。道諦(どうたい)とは,愛欲を滅ぼす方法を悟ること。戒・定・慧。規則を守る。集中力を養う。知恵を磨いて,人生を生きる。
 自己がよく調整されるとき,つまり自己管理をきちんとしたら,人は得がたいよりどころを得る。仏教というのは,カビ臭いものではなく,自己調節,自己管理の教えである。なーるほど,そうなんですよね。自己管理がよくできて,私は司法試験に合格することができました。その代償も払いましたが・・・。
 日本に入った仏教は,ほとんど大乗仏教。釈迦が死んで500年たって龍樹があらわれ,新しい仏教を始めた。そして,それまでの仏教を小乗,自分たちのを大乗と呼んだ。タイやベトナム,スリランカの仏教は小乗仏教。こちらが昔のままの仏教で,戒律も厳しい。たとえば妻帯を認めない。日本も戦前は,浄土真宗以外の坊さんは妻帯しなかった。ところが,戦後みな浄土真宗にならって坊さんも嫁さんをもつようになった。
 龍樹は,海の果ての龍宮に行ったら経典がたくさんあったとして,世に出したのが般若経という経典。あとの大乗仏教の人々も龍樹にならって,どこかで見つけたといって,新しい経典を次々につくっていった。華厳経,法華教などがそう。インドという国の人は,途方もない永遠の世界に生きているので,そういうことが可能だった。ひゃあー,そうだったんですか・・・。
 大乗仏教の特徴は,自利利他。悩んでいる民衆のなかへ入って人を救う。これが利他。これを強調する。人を悲しませないために,どうしても嘘を言わなくてはいけない。人を喜ばすために嘘をつくことは,ときに許されるけれど,人を欺すために嘘をいうのは許されない。
 仏教の教える四つの大切な道徳は,精進,こつこつ努力をする。禅定,集中力を養う,正語,正直であれ。忍辱(にんにく),辱めに耐えろ。
 一生,煩悩との闘いがある。あまり煩悩を断ってしまうと,今度はエネルギーがなくなってくる。煩悩を超えなくてはいけないが,むしろ煩悩をいい意味で利用するのが大切。これを四弘誓願(しぐせいがん)という。
 衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
 煩悩無数誓願断(ぼんのうむしゅせいがんだん)
 法門無尽誓願学(ほうもんむじんせいがんがく)
 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
 なかなか読みあげやすい文句ですよね、これって。
 福沢諭吉の考えには,まずいところがある。脱亜入欧には,日本の亜細亜侵略理論になっている。
 親鸞は90歳まで長生きした。しかし,生きているうちは,ほとんど無名だった。京都の片隅の自分の弟の寺で,ひっそり死んだ。ところが,女系のひ孫に覚如が出て,その子孫の蓮如によって,教団の組織が飛躍的に発展した。そうだったんですかー・・・。
 靖国神社は,本当の神道を歪めている。日本古来の神道では,えらい人を神に祀ることはありえない。神に祀るのは,世の中を恨んで死んだ人。高い位につきながら殺されたりして世の中を恨んでいる人が怨霊になって世の中にたたりをするので,その魂を鎮めるために祀られているもの。
 明治以降,神道がおかしくなって、天皇そのものを崇拝するようになった。そして国のために死んだ人だけを靖国に祀る。戦争を始めた戦犯の東条英機まで祀る。これは日本の神道と違う。中国や韓国の,被害を受けた人を祀るのが日本の神道の精神なのに,靖国は違う。小泉純一郎はそのことをよく分かっていない。
 なーるほど,仏教について大変勉強になりました。

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