弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年8月10日

ポンパドゥール侯爵夫人

著者:ナンシー・ミットフォード、出版社:東京書籍
 フランス国王ルイ15世の愛妾としてフランスの宮廷に20年間君臨しつづけた世にも名高い侯爵夫人の伝記です。
 太陽王・ルイ14世は1715年に亡くなるまで実に72年間もフランスに君臨しました。しかし、この本によると、その長命は国のためにはならなかったと決めつけられています。ルイ15世はその孫になります。
 ポンパドゥール夫人が死んだとき、遺産目録を作成するのに、弁護士2人が1年以上かかったといいます。家具から彫像、宝石そして馬車からドレスまで、3000点以上あり、品数が1ダース以下というのはほとんどありませんでした。本も3500冊以上、詩集、小説、歴史と伝記ものが各700冊以上ありました。
 ポンパドゥール夫人はパリ警察報告書を読んで、それを国王に面白く話して聞かせていました。この報告書は、今日の大衆紙と同じで、ゴシップ満載でした。また、郵便物を検閲のため抜きとったものも読み、冗談の種としていました。
 ポンパドゥール夫人は善良で愛想がよかったのですが、リシュリュー?などの敵意をもつ人々が、当時も、その後もたくさんいました。貴族からすると、彼女はパリのブルジョワ階級を体現する人物だったのです。貴族が遊んでいるうちに貧乏になっていくのと反比例して、ブルジョワ階級はますます裕福になり、権力をもつようになっていったことから、貴族はブルジョワ階級を憎み、その階級に属するポンパドゥール夫人を憎んだのです。
 また、民衆にとっては別の意味からも不人気でした。フランスでは、国王の愛妾は伝統的に人気がありません。成り行き次第で、国王のかわりに非難の標的にされることがありました。国王の不人気な行動はすべて愛妾のせいにして、なおも民衆は自分たちの君主を愛しようとしたのです。
 これは日本でも同じです。君側の奸を斬る必要があるというのは、戦前の日本でも右翼の常套語でした。実は天皇自身の意思にもとづく行為であったのに、その側近が悪いのだ、天皇は悪い側近にのせられているだけ。だから、悪い側近を取り除けば、誤りのない賢王の政治が実現できる。そんな論理です。
 ポンパドゥール夫人は、国王のおかげで地位が上昇していき、侯爵夫人から公爵夫人となり、ついに王妃つき女官に任命されました。これはフランス国内最高の身分の女性だけに与えられる地位でした。
 ところで、国王ルイ15世は、ベルサイユ市内に娼婦を囲っていました。労働者階級出身の若い娘たちです。借りていた建物は「鹿の苑」と呼ばれていました。この少女たち自身は、通ってくる男性が国王だとは思っていなかったといいます。金持ちのポーランド人で、王妃の親類だと聞かされていたのです。それほどルイ15世は健康でもありました。いえいえ、なんと幼いころは、ひ弱で、育ちあがるかどうか危ぶまれていたのです・・・。ルイ15世が壮年期の30年間に射止めた雄鹿は、1年で210頭にものぼります。
 わが亡きあとに洪水はきたれ。この言葉はポンパドゥール夫人のものです。平民出身でありながら、美貌と才気で国王ルイ15世の寵愛を得て貴族になって20年間、42歳で亡くなるまで権力をほしいままにした女性の一生を少し知ることができました。

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