弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年6月14日

「大学のエスノグラフィティ」

著者:船曳建夫、出版社;有斐閣
 いまの大学生には五月病というのはないそうです。そのかわり小児病が広がっています。大学に入ってすぐにオリクラ(オリエンテーションクラス合宿)があり、講義が始まるまえからシケ長(試験対策の長)が決まり、彼(女)を中心にして講義毎にシケタイ(試験対策委員)を決め、シケプリ(試験対策プリント)を用意する慣行が確立しています。講義はたくさんありますから、クラス員のほとんどが何かのシケタイになります。シケタイになると、その講義には必ず出席して、シケプリをつくらなければなりません。
 もちろん、私の学生のころにはそんなシステムはありませんでした。そもそも、2年生の6月まで授業があったあとは翌年3月まで授業がありませんでした。それまでだって私はサークル(セツルメント)活動に忙しくて、語学の授業以外はまともに大学の授業には出ていなかったのです。ゼミなるものにも一度として出たことがありません。だから、大学教授というのははるか彼方に仰ぎ見て、マイクを通して声を聞く存在でしかありませんでした。肉声で身近に教授の声を聞いて議論するなんて、考えたこともありませんでした。そのかわりセツルメント活動にうちこんでいましたから、そこで大学の何たるかは精一杯学んだと思っています。といっても、今となっては、もう少し真面目に勉強しておけばよかったかなという後悔もチョッピリしています。その反省が今の読書意欲のバネにもなっているのです。
 船曳ゼミに入るのはなかなか難しそうです。応募者が50人くらいもいて、試験をしたあと面接をして12人ほどに絞るのです。ここで手抜きをすると、あとでひどい目にあうという反省の弁を著者は語っています。ストーカーがうまれたりするのです。
 船曳ゼミでは、学生にレポートを用意させて自分で朗読させるという方法もとられています。人前で堂々とスピーチするという訓練にもなるというのです。なるほど、と思いました。読みあわせというのは非能率的なようで、案外な効果があるというのは私も実感します。読みとばせないことから、しっかりと脳が働き、思考もまとまってきます。夏目漱石の小説は朗読するのに適した文章だということです。私も一度チャレンジしたいと思います。
 東大教授の一日がこまごまと紹介されています。学生の身の上相談、進路相談、成績証明書づくりなど、実にさまざまな雑務が押し寄せてくることが手にとるようによく分かります。東大教授の生態とふくめて、教授であることの意義が淡々とありのまま、何のてらいもなく語られますので、読み手の頭にすっと入ってきます。本当に素直な文章です。
 著者は私と入学年が同じです。著者は東大闘争(東大紛争とは、私も当事者の一人ですから呼びたくありません)のときは何をしていたのか、まさかノンポリではないだろうけど・・・。そう思って読んでいくうちに、著者は全共闘の活動家だったことが分かりました。当時、教授会にも乱入したことがあるようです。大学の知識人である教師を「お前はー」と罵倒したことがあると書かれています。
 私は著者とは反対側で活動していました(もちろん、いわゆるぺーぺーの一兵卒です)。この本は全体的に何の違和感もなく共感したり、なるほどと感心したり読みすすめていったのですが、ただ一点だけは、そうかなー、といささか異和感がありました。すなわち、大学教授なるものは社会を導く警告者であるというのはまったくの幻想にすぎないという著者の認識です。実際、なるほどそうかもしれません。しかし、やはり大学の外にいる私には、ぜひ社会に対して声をあげて警告する役割を大学教授とりわけ東大教授には果たしてほしいと切に願います。自分の現場ではないところにでも名前を貸す種類の抗議声明発表のプロは効力を失い、自己満足でしかないと著者は言っていますが、私は言い過ぎではないかと思います。まだ、それだけの効果は東大教授の肩書きにはあります。大学と専門分野の狭い枠にとどまってほしくはありません。日弁連という「抗議声明発表のプロ」にいる身として、この点は強調しておきたいと思います。
 東大教授の肩書きにあこがれる人が多い現実があります。それは勲章がほしくなるのと同じことでしょう。私も年齢をとりましたから、そのように思う人の気持ちがよく分かるようになりました。それでも、20歳のころに議論していたことをどこかでなんとか忘れないようにしたい。そういう思いも強くあります。それが、私に1968年の駒場の状況を再現する小説をライフワークとして長年にわたってとりくませる原動力(エネルギー)にもなっています。

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