弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年3月 1日

新井白石と裁判

著者:山口 繁、出版社:西神田編集室
 日本人は、歴史的にみると、まったく訴訟好きな民族だ。これは、ジョン・オーエン・ヘイリー教授の言葉ですが、私も、まったく同感です。むしろ、権利意識が強くなったはずの現代日本人の方が訴訟を避けようとしています。江戸時代には、とんでもなく裁判が多かったのです。なにかと言うと裁判に持ち出すのは町人だけでなく、百姓も大勢いました。徳川六代将軍家宣は自ら漢字かな混じりの文章で判決を起案したそうです。
 それはともかく、江戸時代には、現在想像するよりはるかに多数の訴訟が係属していた。享保3年に江戸の公事(くじ)数は3万5751件、そのうち金公事(かねくじ、金銭貸借関係の訴訟)が3万3037件だった。江戸町奉行所には、そのほかに訴訟が4万7731件あった。翌享保4年には公事数が2万6070件、うち金公事2万4304件、このほか訴訟も3万4051件あった。
 あまりにも増えすぎたため、新井白石は、立会日の3分の1を金公事の集中審理に充て、その余を本公事の審理に充てるようにした。ちなみに、公事(くじ)は、相手方の存在する事件、訴訟は相手方のいない願の提出あるいは、相手方が応訴する前を言った。
 『世事見聞録』という江戸時代に書かれた本があります。1816年に出版されたものです。これを読むと、江戸時代についての認識がガラッと変わると思います。図書館で借りられますので、ぜひ読んでみてください。
 富士山のふもとで入会権をめぐって70年のあいだに8回の裁判があったことが紹介されています。村同士の争いです。私も司法修習生のとき一度だけ行ったことがありますが、「逆さ富士」などで有名な忍草村が相手方となっています。
 著者の山口繁氏は、もちろん元最高裁長官です。福岡高裁長官をしておられたとき、私も言葉をかわしたことがあります。日本の裁判は、江戸時代から変わっていない面もあることを知ることができる本です。

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