弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年8月 1日

ナポレオン自伝

著者:アンドレ・マルロー、出版社:朝日新聞社
 軍学とは、まずあらゆる可能性を十分に計算し、ついで正確に、ほとんど数学的に、偶然を考慮に入れることにある。偶然は、したがって凡庸な精神の持ち主にとっては常に謎にとどまる。
 兵力の劣る軍を率いての戦争術は、攻撃地点あるいは攻撃されている地点に、つねに敵よりも大きな戦力を投入することにある。しかし、この術は書物によっても、また慣れによっても会得されるものではない。戦争の才能を急速につくりあげるのは、行動上の機転である。
 フリードリヒ大王も言っているように、戦火のあるところ自由な国家はない。私は権力を愛する。しかし、私が権力を愛するのは、芸術家としてである。私は、音楽家がそのヴァイオリンを愛するように、権力を愛する。
 想像力こそが世界を統治する。想像力によってしか、人間は統治しえない。
 戦争にあっては、あらゆる機会を利用せねばならない。というのは、運命というのは女性だからである。今日それを取り逃がしたら、もう明日ふたたび出会えることを期待してはならない。
 軍人、私は、それ以外の何者でもない。なぜなら、それは私にとって天職だからである。それは私の人生であり、習慣である。これまで、いたるところで私の命令を下してきた。私は、そのように生まれついていたのだ。
 私は富者がいることは望ましいことだとさえ思っている。というのは、それは貧者の生活を保障する唯一の手段だからだ。
 宗教なしに、国家にいかにして秩序を保てることができようか。社会は富の不平等をともなわずには存在しえない。そして、富の不平等は宗教なしには保っていかれない。
 友情などは、単なる言葉にすぎない。私はただのひとりも愛してはいない。私には真の友人がいないということを、私はよく知っている。私の愛人、それは権力だ。私は、その征服に非常に骨折ってきたので、みすみすそれが奪われるのも許せないし、ひとがみだりにそれを欲しがるのさえ耐えられない。
 私の今日あるをつくったのは、それは意志であり、性格であり、精励であり、そして大胆さである。
 ボナパルト家がいつの時代に始まるのかとの問いを発する人への答えは実に簡単である。それはブリュメール18日に始まる。治世の最初の年になかなかの善人だとみられる君主は、2年目には馬鹿にされる。主たる者が人民に抱かしめる愛は、畏敬の念と強い評価の混ざった、男性的な愛でなければならない。国王が善い王だと言われるとき、その治世は失敗している。
 この本はナポレオンの書いた莫大な量の手紙、布告、文書からアンドレ・マルローが選び抜き、ナポレオンが晩年に自らの人生を語ったかのように編集したものです。したがって、今から当時をふり返ったというものではなく、すべて現在進行形のものですから、生き生きとした臨場感があります。ナポレオンその人を知るうえで、彼の肉声を実感できるという意味で貴重なものだと思います。

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