弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年4月 1日

明治前期の法と裁判

著者:林屋礼二ほか、出版社:信山社
 今から130年前の明治8年(1875年)の民事訴訟の新受件数は32万件を越していました。これは、その110年後の昭和60年(1985年)の同じ新受件数とほとんど同じです。明治はじめの人口は3,555万人ですから、今の3分の1でしかありません。ですから、当時の32万件という裁判の件数がいかに多いか分かります。
 さらに、今の調停にあたる勧解という制度があり、その利用件数の方もとてつもなく多かったのです。明治10年に65万8千件、明治16年には109万件に達しています。信じがたいほどの利用件数です。
 ところが、その後、急速に裁判も勧解も申立件数が減ってしまいます。これについて、従来は、貼用印紙税の導入など政府の提訴(濫訴)抑制政策によるものという学説が有力でした。私もそうではないかと思ってきました。ところが、本書は、新しい裁判制度が始まったことを知った庶民が、それによって解決されることを期待し、従来から抱えていた紛争を裁判所に持ち出したから増えたのであって、それが一段落したら提訴件数が減っていくのは当然な流れだと説明しています。なるほど、それにも一理あるように思います。
 まあ、それにしても「日本人は昔から裁判が嫌いだった」なんていうのは、まったく根拠のない俗説であること自体は明らかです。
 また、この本では明治10年ころの東京地裁における離婚訴訟の実情も紹介しています。妻からの離婚訴訟が認められたのは明治6年のことです。日本最初の離婚判決は明治9年にあったようですが、明治10年10月19日の離婚判決が残っています。
 明治10年から明治31年7月までの離婚判決145件のうち、妻からの訴訟が93件(妻の勝訴が、うち67件)、夫からの訴訟は16件、夫による妻の取戻訴訟が18件、妻からの離婚拒否訴訟が10件などとなっています。妻からの申立の方が多いのです。
 妻には「己むを得さるの事故」があるときには離婚を認められたのですが、離婚理由は、妻の衣類の無断質入、夫の不貞行為、虐待、破綻主義の順になっています。やっぱり昔から日本の女性は強かったのです。

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