弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年4月 1日

歴史を読み解く

著者:服部英雄、出版社:青史出版
 蒙古襲来のとき(文永の役、1274年11月26日)、モンゴル・高麗連合軍4万は、赤坂山占領を目標としていました。赤坂山とは、のちに福岡城が築かれたところ、つまり今の裁判所を含んだ一帯のことです。守る日本側が奮戦して、モンゴル軍のナンバー2の重要人物が日本の流れ矢にあたって舟に運ばれるなど、モンゴル軍は初戦に敗れて、海上に逃げ戻った。そこへ、夜半の嵐(台風ではない)が吹いた。モンゴル軍は、季節風のことを考えると、これでは時間切れと判断して自主的に撤退した。こう考えるべきだとされています。なるほどと思わせる説得力のある説です。
 福岡城には天守閣はなかったという事実も立証されています。といっても、天守台はあったのです。ただ、それは五層の天守閣というものではなく、二層の矢倉というべきものでした。
 ところで、天守閣というのは、落城時に、城主の切腹までの時間を稼ぐ役割がある建物だというのです。初めて知りました。時間を稼ぐために、天守閣への一つしかない入口は必ず迷路になっていて、外部から容易には入れない構造になっていたそうです。
 うーん、なるほど、歴史にはまだまだ知らないことがたくさんあるようです・・・。

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