弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年3月 8日

満州航空の全貌

日本史(戦前)


著者  前間 孝則 、 出版  草思社

 満州国の知られざる裏面史が明らかにされています。
15年戦争の幕開けとなった満州事変が起きたのは1931年(昭和6年)。奉天郊外の柳条湖での満鉄線の爆破事件に端を発する。
 1932年3月、日本のかいらい国家である「満州国」の建国が宣言された。そして、同じ年の9月、満州航空が誕生した。関東軍の揚力な後押しを受けて雄設された満州航空は、関東軍と一体となって大陸進出そして大陸支配の先兵として活躍した。満州全域に定期航空路網をつくりあげた満州航空は、途中から分離した満州飛行機製造をふくめると最盛期には8000人もの従業員を擁していた。
 満州航空は、国策の民間航空会社だったが、その現実は、群雄割拠する軍閥が各地域を支配しており、反日・抗日勢力のリアクションを受け、緊張を強いられながら運行する日々だった。
 関東軍は満州事変の時点において航空機を一機も保有していなかった。もちろん、航空輸送部隊も持っていなかった。
 満州航空の裏の顔は、軍命にもとづく「軍臨便」だった。満州航空は、「関東軍の二軍」「覆面部隊」などと呼ばれていた。軍人の移動や視察、負傷兵や武器・弾薬の輸送、危険のともなう偵察や邦人救出などを行っていた。
 満州航空の設立にあたっての出資金(資本金)350万円は、満鉄が150万円、満州国政府が100万円、住友が100万円出資した。このとき、三井・三菱は出資していないが、それは関東軍に対して不信感を抱いていたから。
 満州国はアヘン専売による利益を重要な財源としていた。アヘン中毒者は日本占領下で急速に増大していった。日本はアヘン専売利益の拡大を狙った。このアヘンを満州航空は運んでいた。アヘン2000トン、1000億円にもなる。
日本の関東軍そして満州国はまさしく死の商人として存続していたわけです。おぞましいことです。決して戦前を美化してはいけません。
 ところで、この本には杉野元兵長が生きていて、満州にひっそり生活していたと書かれています。日露戦争のとき「軍神」広瀬中佐が亡くなる直前、「杉野はいずこ」と叫んで探しまわった、あの杉野兵長です。実は生きていたのですが、名誉の戦死をしたことになっていたので、生きて故郷に帰ったとき、「おまえはもう日本にはおれない」と言われ、満州に渡って生活していたという話です。本当だとしたら、むごいことですね。
 いろいろ満州国の実態が分かる本でした。
(2013年5月刊。2600円+税)

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