弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2011年5月 1日
胎児の世界
著者 三木 成夫、 出版 中公新書
1983年に初版が出ている古典的な名著だというので読んでみました。
人間が生まれる前、母体でどんな生活をしているのか、その形や顔、そして機能はどうなっているのかを教えてくれる本です。
胎児は3ヶ月になると、一人前に舌なめずりをし、舌つづみを打ちはじめる。
胎児は羊水に漬かっているが、この羊水を思いきり飲み込む。来る日も来る日も、これを飲み続ける。こうして羊水は、胎児の食道から胃袋までくまなくひたし、腸の全長に及ぶ。さらに、肺の袋にまで液体は流れ込む。羊水呼吸は、半年にわたって、出産の日まで続く。出産のとき、この羊水は最初に勢いよく吸い込まれた空気に押されて、たちまち両肺の周辺部に散らばり、一種の無菌性肺真の状態となる。これは一ヶ月で血中に吸収される。
ニワトリの卵は21日で孵化する。ところが、温めはじめた4日目、正確には4日から5日にかけて、それは一つの危機を迎える。同じように、胎児の発生は決して一様ではない。途中、山あり、谷あり、ときには危険な時期もある。
40日を迎えた胎児の顔はもはやヒトと呼んでも差し支えない顔をしている。真正面を向いた二つの目玉と、大きな鼻づらがある。
60日目の胎児になると、巨大な大脳半球が目立つ。
人間が人間となっていく過程を明らかにしていく、この本を読むと、その神々しいまでの神秘さに沈黙せざるをえません。こうやって、この世に生まれてきたんだね、生きてて、良かったね、っていう感じです。
(2007年10月刊。700円+税)
2011年4月17日
胃の病気とピロリ菌
著者 浅香 正博 、 出版 中公新書
日本は、先進国のなかでは異例に胃がん発生の多い国である。日本における胃がんの発生件数は男女とも、今も増え続けている。そのなかで、胃がんの発生件数は男性が5万人から7万人へと急激に増えている。2020年ころには、男性の胃がん患者は10万人に達するだろう。日本における胃がんの生存率は著しく改善したが、発生件数は以前とあまり変わっていない。ピロリ菌陰性の人は、ほとんど胃がんを発生しない。
胃における消化作用の主役は、塩酸ではなく、プペシンと呼ばれる消化酵素だ。胃を摘出して自分の胃液に漬けると、他の食物と同じように、見事に消化される。
もはや、胃の病気のほとんどは、ピロリ菌なしには記載できない。ピロリ菌は新しい細菌ではなく、何十万年も前からヒトの胃に住み着き、病気を起こしてきた。ところが、胃の中は塩酸が充満し、細菌が住み着けないという「常識」に支配されてきた。
ピロリ菌は、極端に酸素の少ない環境を好むので、普通の食べ物から感染することは、まずありえない。ピロリ菌がヒトにもっとも感染しやすい時期は、乳幼児期と言われている。そして、ピロリ菌は、いったん感染すると、通常一生の間、ヒトの胃の中に留まっている。
ピロリ菌に感染すると、白血球やリンパ球などが胃粘膜に誘導され、その細胞から活性酸素やサイトカインなど種々の細胞障害物質が放出されて、細胞障害を引き起こす。現在、一種類のみでピロリ菌を完全に除箇できる薬剤は存在しない。中途半端な服薬は除菌を失敗に導くのみでなく、耐性菌の出現頻症を上昇させる。
ピロリ菌は、東アジアのものがもっとも毒性が多い。
日本では、団塊の世代やそれ以前の世代のピロリ菌の感染率は80%を超えている。そのため、食塩のとりすぎが胃がんの発生を促進する可能性がもっとも大きい。
胃のなかに胃を入れると溶けてしまう。それほど強力な塩酸を放出しているのに、胃は健全である。その秘密は胃内部の表面粘膜にある。そんな胃のなかに細菌(ピロリ菌)が棲みついて、人間に悪さをしているのです・・・・。
(2010年10月刊。740円+税)
2011年4月 2日
認知症と長寿社会
著者 信濃毎日新聞取材班、 出版 講談社現代新書
世界で類のない速さで、日本の高齢化は進んでいる。65歳以上の高齢者は2872万人、人口の22.8%。この10年間で750万人、6.1ポイントも増えた。私たち団塊世代もやがて、その仲間に入ります。そのなかで静かに増えているのが認知症。200万人の患者がいる。いずれ、日本人の3人に1人は高齢者で、その9人に1人が認知症だという。
最近、政変というか革命の起きたエジプトでは25歳以下の人が全人口の過半数を占めるということです。恐らく、人々は長生きできないということなのでしょうね。なぜ、なのでしょうか・・・・?
養護老人ホームが「特養化」している。2000年に介護保険制度が導入されて、様相が一変した。特養への入所が、行政の介入する「措置」から、施設と個人の「契約」が基本となったので、入所希望が急増した。特養は満杯になって、移れなくなった。
厚生省(当時)は1999年、省令で、介護施設での身体拘束は「緊急やむを得ぬ場合」を除いて、原則禁止とした。ところが精神保健福祉法は、精神病床での必要な場合の拘束や隔離を認めている。法的にも拘束の認められた精神病床は、今、症状の激しい認知症患者の受け皿になりつつある。
アメリカでは、65歳以上の12%、85歳以上の半数が認知症で、このうち80%がアルツハイマー病とされている。アメリカのアルツハイマー病患者は53万人で、死亡原因の
7位。2000年から2006年までに死者は46%も増加した。
認知症ほど、さみしい病気はない。人買うも顔つきも変わってしまう。
認知症を社会全体で考えようという地方紙の77回にわたった連載ルポルタージュです。とても考えられた力作でした。癌より認知症の方が怖いのかもしれませんね・・・・。
(2010年11月刊。760円+税)
2011年3月 6日
世界130カ国、自転車旅行
著者 中西 大輔、 文春新書 出版
自転車で、地球を2周りしたという日本人青年の壮挙を本人が再現した本です。今どきの日本の若者もやるじゃないですか。たいしたものです。パチパチパチ・・・・。
日本を出発したのは1998年7月。アラスカを起点として、アメリカ大陸をずっと南下します。太平洋にそって南下して、ペルーではフジモリ大統領(当時)の姉に会見してもらえました。それからヨーロッパに渡り、アフリカに行き、オーストラリアへ飛ぶのです。地球2週目は、イースター島を経て、南アメリカに行き、ブラジルでサッカーのペレに会ったあと、アメリカでもカーター元大統領に会ったりしたあと、ヨーロッパへ飛びます。ポーランドではワレサ元大統領と会い、アフリカそしてインドさらには中国経由で2009年10月、ようやく日本に帰国します。すごいですね。まず、コトバはどうしていたのでしょうか。そして、危ない目にはあわなかったのでしょうか。さらには、軍資金は・・・・?次々に疑問が湧いてきますよね。
競輪選手の太ももは60~80センチもあって、瞬発力がある。しかし、自転車の長距離レースの選手などは、足の細い人が多い。そうなんですか・・・・。
パンク修理など自転車の基本を学んでいないと海外遠征は難しい。うむむ、なるほど、そうでしょうね。
熊本で営業マンをしていて、3年あまりで1000万円をためたというのですよ。ところが、11年3ヶ月の旅にかかった費用は、なんと700万円。1年あたり60万円ほどでしかありません。ええーっ、嘘でしょ。と言いたいですよね。
アフリカでは警察署に泊めてもらったそうです。消防署や軍隊にも。
南アフリカをうろうろしているあいだに、スペイン語は自然にマスターした。旅行者にとっての武器は「銃」ではなく「言葉」である。なーるほど、話してこそ、分かりあえるのですよね。そして、各地で新聞やテレビの取材を受け、パスポートの役割を果たしたといいます。ふむふむ、きっとそうでしょうね。
つかった自転車は日本でつくってもらった特製品です。車体は18キロの重さ。6つのカバンに詰め込んだ荷物は40~50キロにもなる。初めて見た人からはオートバイかと見間違われるほどの重量級だ。つかったタイヤは82本、パンクは300回。ふだんは1時間で平均20キロ、一日平均100キロすすむ。
一人で何もせずに長い時間を過ごす退屈さや孤独に強いのが著者の強み。危い目にもあった。目を合わせない人間はたいがい怪しい。相手の言動を注意深く見る。話をすれば、相性がいいかどうか、だいたい分かる。相性がいい相手から「家に泊めてやる」と言われたとき、「この人なら、盗られたら盗られたでしょうがない」という気持ちで泊めてもらった。それで、盗られたことは一度もなかった。しかし、ブラジルでATM詐欺にひっかかったこともある。でも、人間って、本当にいいものだと思う。そう書いてあります。読んで心の温まる本でした。
(2010年11月刊。880円+税)
2011年3月 1日
犬になれなかった裁判官~司法官僚統制に抗して36年~
安倍晴彦、 NHK出版、 2001年5月25日
最近テレビで山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」の映画版を見た。そういえば同じような話がわが司法界にもあったな、と思って、本書を読んでみた。
著者は、家裁勤務が長く、家裁の仕事に熱心であり、登山を趣味とし、山野の草花を愛する裁判官である。その姿は、毛利甚八さんの「家栽の人」の桑田義雄判事と重なり合う。著者は、「当事者のいうことをよく聞く」と「裁判は隣人の助言である」と基本理念とし、実に誠実に家裁の職務に取り組んだ。その時の苦労話とも笑い話ともつかぬエピソードが綴られている。著者は、「裁判官がする仕事の中では、もっとも人間的な仕事、環境であることがわかり、すっかり気に入ってしまったのである」とも言いきる。その熱意には敬服するばかりである。
しかし、ご存じのとおり、著者にはもう一つの顔がある。それは青法協裁判官部会に所属し、それを貫き通した裁判官としての顔である。もう古い話なのかもしれないが、かつての司法反動の時期、著者は家裁の支部から支部への支部めぐりの不遇な人事を強いられた。このような人事を詠んだ川柳として「渋々と支部から支部へ支部めぐり、四分の虫にも五分の魂」というものが知られている。著者を取り囲む上司、同僚の言葉が生々しい。
「君の場合、今後も、任地についても待遇についても、貴意に添えない。退官して弁護士として活躍したらどうか」
「あなたの処遇を、全国の裁判官が息を潜めて注目しているのです」
「君は合議不適だから、どの高裁の裁判長も君を受け入れるのを拒否するから無駄だ」
最近は、現職の裁判官がマスメディアでよく意見を表明する。「判決に全てを書き尽くし、決して言い訳をしない」という伝統的な裁判官の気風に変化があるようにも見えるし、組織の風通しがよくなったようにも見える。しかし、本当にそうなのか?裁判所の外にいる私にはわからないが、いや古い話ではなく、いつの時代にもなくならない普遍の話なのかもしれない、とかつて大きな組織に所属した私は、その組織に関する最近の出来事に接して思うのである。法と証拠に基づいて正義を実現するという、われわれ法律家の仕事は、その依って立つ社会の在り方との緊張関係の外にあって、超然と成り立つものではないな、と強く感じるこのごろである。
2011年2月28日
田舎の日曜日
著者 佐々木 幹郎、 みすず書房 出版
浅間山の麓に山小屋を作って週末ごとに生活している著者が、ツリーハウスをこしらえるという話です。森の中の自然あふれる生活が情趣豊かに描かれています。時間(とき)がゆったりと流れていく感じがよく伝わってきて、読んでると、なんとなく心の安まる思いのする本です。
どんな人が書いた本なのか巻末を見てみると、なんと私と同世代の詩人でした。もっと年長の高齢者だとばかり思って読んでいたのです。東京芸大の音楽研究科で教えているというのですから、私なんかとは違って芸術的センスが大いにあるようで、うらやましい限りです。道理で文章にもゆったりした詩的なリズムが感じられます。
ツリーハウスというから、どんなものかと思うと、要するに、子どものころ木の上につくった秘密基地をもっともらしくしたようなものです。そこで生活できるというわけでもありません。そうなると、こういうものは、結果よりも、つくっていく過程自体が楽しみなのですよね。この本も、つくり上げていく過程がたくさん紹介されていて、そこがまた興味をそそられるのです。
歌手の小室等が来てギターをひいて歌ってくれるのですが、ほかには、それといった大事件が起きるわけではありません。いえ、宮崎の新燃岳ではありませんが、浅間山が噴火することはありました。そして、可愛らしいムササビが登場します。
山小屋生活も、たまにならいいのかもしれないと思わせる本でした。でも、一年中そこで生活するとなると、本当は大変なんなんじゃないでしょうか・・・・。いえ、別にケチをつけているわけではありません。こんな環境で週末のんびり骨休みできるなんて、うらやましいと言っているだけです。
(2010年11月刊。2700円+税)
火曜日、日比谷公園に行ってきました。3月の陽気でしたが、園内にはほとんど花が咲いていません。梅もハナモモもまだつぼみ状態です。
わが家の庭の梅も今年は咲くのが遅れています。両隣の梅は咲いているのに、うちはツボミばかりです。紅梅のほうはいくらか花を咲かせています。
夕方6時くらいまでは明るく、庭仕事に精を出しことができるようになりました。それでも、春は花粉症の季節でもあります。ときどき反応して、目から涙、鼻水が出て、くしゃみを連発することがあります。ひどくならなければいいのですが・・・。
2011年2月11日
だまし絵のトリック
著者 杉原 厚吉、 化学同人 出版
人間の目は簡単に騙せるものなんですよね。たとえば、エッシャーの不思議な絵を見て、思わずこれはどなっているのだろう・・・・と、謎の世界に引きずりこまれてしまいます。
無限階段という絵があります。階段が口の字型につながっている。この階段を登っていくと、いつのまにか元の場所に戻っている。登り続けても、同じところをぐるぐる回るだけで、終わりがなく無限に登り続ける。
この本の著者は、だまし絵に描かれている立体は本当につくれないかという疑問に挑戦しています。これが理科系の頭なのですね。そして、方程式を編み出し、コンピューターを使って作図するのです。たいしたものです。偉いです。どんなひとなのか、末尾の著者紹介を見ると、なんと私の同世代でした。大学生のころ、すれ違ったこともあるわけです。すごい人だなあと改めて感嘆したことでした。
だまし絵の作り方がいくつも解説されています。簡潔なだまし絵ほど美しい。うむむ、なるほど、そうですね・・・・。
人は写真を見たとき、そこに奥行きの情報はなく、タテと横だけに広がった二次元の構造であるにもかかわらず、欠けた奥行きを苦もなく知覚でき、旅の思い出にふけることができる。それは、人が生活の中で蓄えた、立体と画像の関係に関する多くの手がかりを総合的に利用して、奥行きを中断しているためと考えられる。だから、だまし絵の錯覚は生活体験をたくさん踏んで、立体とその絵の関係をある程度理解してからでないと起こらない。小学校に入る前の子どもはだまし絵を見ても不思議がらない。このくらいの年齢の子どもは、ピカソの絵のようにつじつまのあわない絵を平気で描くことができる。
うむむ、そういうことなんですか・・・・。なるほど、ですね。
著者は2010年5月に、アメリカへ行って、錯覚コンテストなるものに参加し、優勝したそうです。そのときの映像がユーチューブで見れるというので、私ものぞいてみました。不思議な映像がたしかにありました。ピンポン玉のような球体が坂道をのぼっていきます。同じ平面にあるのに、その窓を横から一つの棒が貫くのです。とてもありえない映像なのですが、謎ときがされていて、なーるほど、なーんだ、そうだったのか・・・・という感じです。
エッシャーの絵を方程式とコンピューターで解説するなんて、その発想に頭が下がりました。
(2010年9月刊。1400円+税)
2011年1月24日
手足のないチアリーダー
著者 佐野 有美、 主婦と生活社 出版
笑顔の素晴らしい女性です。その笑顔を見ていると、自然にこちらの頬がゆるみ、顔がほぐれてきます。
写真を見ると、あの乙武さんと同じような電動車イスにちょこんと乗っています。両手はまったくありません。右足もほとんどなく、左足は普通にあります(あるようです)が、足の指は3本だけです。その足指で電動車イスを操作します。
こんな「不自由な」身体で、どうしてこんな天使のような笑顔の女性(ひと)になれるのか、その謎を解き明かしてくれる本です。私の愛読する新聞で紹介されていましたので、早速に注文して読んでみました。届いてから読み始めるのが待ち遠しくてなりませんでした。そして、その期待は裏切られませんでした。ただただ、ありがとうございますと感謝してしまいました。
そんな魅惑の笑顔の彼女にも思春期を迎えた中学生時代は大変だったようです。それはそうですよね。思春期というのは、誰にだって難しい年頃です。ずっと優等生だと思われていた私だって、親とろくに口もきいていませんでしたから・・・・。
彼女を高校のチアリーダー部に仲間として受け入れた友達も素敵なはじける笑顔で紹介されています。まさに青春が爆発しているという勢い、エネルギーを感じます。
赤ちゃんのころからの写真がたくさんあって、本文がよく理解できます。手足がなくても、人間は周囲の理解と応援があればこんなにも見事に成長するのだということがよく分かります。父親もしっかり支えたようですが、母親は介護に明け暮れて、それこそ大変だったことでしょう。そして、そんな大恩ある母親に思春期(反抗期)には辛くあたってしまうのです・・・・。
手足のほとんどない赤ちゃんが生まれたとき、両親はどんな反応をするのでしょうか・・・・。
著者は1歳半まで乳児院に預けられます。そして、乳児院から一時帰宅したときの著者の反応は・・・・?
いつも笑っていた。母を見てはニコニコ。父の後ろ姿を目で追ってはニコニコ。お姉ちゃんが一緒に遊んでくれてニコニコ。そして、自宅で家族と一緒に暮らすことになります。
乳児のころは、身体を見られても平気。障害児のなかにいたら、みんな違ってあたりまえだったから。そして、3歳すぎて、母親に質問する。
「ねえ、お母さん。どうして私には手と足がないの?」
この質問に、親は何と答えたらいいのでしょうか・・・・。
小学校に上がる前のこと。いちばん悲しいのは、「あのこがかわいそう」という言葉。私は、別に、かわいそうでもなんでもないのに・・・・。なかなか言えない言葉ですね。乙武さんも同じように書いていたように思います。
そして、親の熱意で普通小学校に入学できたのでした。その条件は登校から下校まで母親が一日中付き添うこと。
小学校の学芸会でいつも主役に立候補した。1年で孫悟空、2年でアラジン。体育館のステージに歩行器に乗って、さっそうと登場する。
手足がなくても、水泳で100メートルも泳げるようになった。
ところが、やがて、気が強く何事にも自分の意志を通し、いつも友達に囲まれていた著者は、いつのまにか友達の気持ちが分からない傲慢な女の子になっていた、というのです。自我のめざめ、そして、悔悟の日々が始まります。
そして、高校に入り、チアリーディング部に入り、再び自分を取り戻すのでした・・・・。
ぜひぜひぜひ、あなたに強く一読をおすすめします。心の震える本です。
(2011年1月刊。1200円+税)
2010年12月 6日
人間はどこから来たのか、どこへ行くのか
著者 高間 大介、 角川文庫 出版
いま同じ日本に住んでいる、同じ日本人といっても、その先祖が日本にたどり着いた経路はさまざま。日本にホモ・サピエンスが到達したのは、3万年から4万年前のこと。主な3ルートのうち、北のサハリンルートから人が入ってきたのはもっとも遅く、2万年前以降のこと。日本にやってきたのと同じ祖先の別の一派がアメリカ大陸を南下して遠くペルーにまで到達した。
DNA分析によると、たしかに人類は一つなのである。ホモ・サピエンスは、およそ15万年前にアフリカで誕生し、世界各地で進化した。彼ら以外のヒトを駆逐しながら、全世界に広がっていき、置き換わっていった。
人類(ヒト)の出アフリカは、わずか1回ないし数回の出来事だった。その規模も、一番少ない見積もりで150人、大きくても2000人。それが全世界に広がっていった。うひゃあ、人間ってわずか2000人足らずだったのですか・・・・。いまは、68億人になっています。
人類がアフリカから出たのは、7万年前から5万年前のこと。5万年前には、オーストラリアにいた。アフリカを出たあと、海づたいに食べ物を探しながら歩いていった。ヒトがアメリカ大陸を縦断したのは、かなり早く、1万年もかかっていない。
人類の旅の締めくくりは南太平洋の島々への移住。その始まりは台湾。6000年前台湾にいた人々が南下を始め、フィリピンの島々を経て、パプアニューギニアに到達した。3000年前にはフィジー諸島などのメラネシアへ。さらに1500年前にポリネシアのハワイ、そしてモアイ像で有名なイースター島にたどり着いた。この旅は周到に計算されていた。船は、常に風に逆らって進み、新しい島が見つからないときには引き返していった。これを証明できるものとして、タロイモやバナナ、ヤシの実などは、南の島の産物ではなく、台湾やフィリピンなどの、アジア原産の植物だということがある。
ヒトは霊長類のなかで、唯一、性を秘匿し、食を公開した種である。
ヒトは体毛の薄い裸のサルであり、直立するサルである。人間社会には、食は共同で確保するという大原則がある。狩猟採集民には、食料を配る役目は子どものことが多い。
人間の育児能力は圧倒的に高い。その例証が双子である。野生のゴリラやチンパンジーでは双子が生まれても育ちにくい。
ゴリラの出産間隔は4年、チンパンジーは5年、オランウータンは8年。ところが人間は、出産後40日すると妊娠可能になる。だから、年子の兄弟姉妹は珍しくない。ちなみに私も年子の弟です。
類人猿の母親は、長いあいだ一頭の子どもに母乳を与え続ける。授乳期間中は発情ホルモンが抑制されるため、排卵しないので、新たに妊娠することはできない。
ヒトの祖先は、隠れる場所が少なく、これといった武器を持たなかったから肉食獣にたびたび襲われた。とくに子どもが狙われた。そのため死亡率の高い人類は、それを補うため多産にならざるをえなかった・・・・。ヒトがアフリカから出ていった背景には、人口増加があったと考えられる。
人間は他人に何かを尋ねられ、その答えを考えているときには、目を頻繁にそらす。質問した相手の顔をじっと見ていない。それは、自分はちゃんと考えていることを相手に知らせる社会的なシグナルなのだ。無人販売所に目を強調したポスターを貼っておくと、それだけでちゃんとお金を払う人が増える。ええーっ、そんなに人の目を気にするんですか・・・・。
20歳前後の、これから繁殖を開始しようとする時期の男性が一番殺人が多い。
人間も、言葉をしゃべる前は歌、オスがメスに求愛のための歌を歌ったり、歌と一緒にダンスしていた。それがどんどん複雑になっていった。そんな歴史があって言葉ができあがった。そうなんですか・・・・。
わずか300頁ほどの本なのですが、とても考えさせられる、刺激的な話がもり沢山でした。あなたもぜひ読んでみてください。
(2010年6月刊。590円+税)
2010年10月 4日
赤ちゃんの科学
著者 マーク・スローン、 NHK出版
赤ちゃんが生まれた。わくわくする人生のビッグイベント・出来事です。私の子どもたちも、ずい分と大きくなりましたが、今でも赤ちゃんのころの写真を大きく引き伸ばして部屋に飾って、ときどき眺めています。赤ちゃんのふっくらほっぺ、つぶらな瞳って、いつ見ても心が癒されますよね。
メスのゴリラは安産の見本のような動物だ。陣痛が始まると、群れから静かに離れ、30分もすると、産み落としたばかりの我が子を抱いて戻ってくる。お産は自分ひとりでして、群れの仲間たちは出産するメスのことを気にも留めない。ゴリラのお産が楽なのは、母親の身体が大きく、胎児が小さいという生体的な特徴のおかげである。
これに対して、人間は、18時間も苦痛が続き、他人の助けが必要である。どうして人間は、ゴリラのようなお産ができないのか?
ヒトの胎児は外に出るために、曲がりくねった産道をなんとか通り抜けねばならない。産道の複雑な構造のせいで、ヒトの出産は苦痛にみちたものになる。産道のなかで、胎児は身体を曲げたり、伸ばしたり、回したり、ヒト以外の霊長類には必要のない複雑な動きを駆使したすえ、やっと生まれることができる。
ヒトの出産は、まず直立歩行に対応するために大きな変化をとげた。ヒトの分娩が危険な営みになったのは、およそ150万年前のこと、胎児の頭は大きくなる一方なのに、メスの骨盤はある一定の大きさで止まってしまった。
子宮は、どれだけふくらんでも、絶対に破裂しない。胎児の頭蓋骨は、その弾力性を生かして器用に形を変え、骨板が動いて少しずつ重なりあった結果、胎児の頭の幅は4センチも狭くなる。出口が10センチだから、この4センチは、とても大きい。
そして、赤ちゃんの30人に一人は、肩にある鎖骨が一、二本は折れた状態で生まれてくる。折れた鎖骨はすぐにくっつき、あとで問題になることはない。
ヒトの妊娠期間は、本来、21ヶ月であるべきなのだ。つまり、ヒトの母親は、本来なら胎児が9キロ(生後12ヶ月の赤ちゃんの体重)になったときに出産すべきなのだ。しかし、そうすると、頭囲は今より30%も大きくなってしまう。これでは出産できませんよね。
胎盤は多様な機能を果たしている。なかでも重要なのは、母体の血液が胎児のときの出した老廃物を受け取り、尿と一緒に排泄かたわら、水分やタンパク質、脂肪分、糖分、ビタミン、ミネラルなどの栄養分を母親から胎児へと運び、成長をうながす働きである。胎盤は妊娠中ずっと母体の抗体を胎児に送りつづけ、その抗体が外の世界に出たあとも、赤ちゃんを病原体から守る。
胎児の構造のなかでも、とりわけ精巧にできているのが心臓の内部である。胎児の肺は空気でなく、羊水でいっぱいである。
胎児は、なぜオンギャーと泣き叫ぶのか?
冷たく、びしょぬれの不快な感覚、驚き・・・・。そして、泣くごとに肺のなかにたまった羊水を少しずつ追い出して、肺胞を開いていく。
健康な妊婦は、経膣分娩のあいだ、酸化ストレスを抑制する高酸化物質ダルタチオンを大量に分泌し、胎児の身体に送り込む。ところが、ストレスの少ない帝王切開分娩の場合、胎児は母体からダルタチオンを少ししか受けとらない。帝王切開で生まれた子どものほうが、免疫系の疾患であるぜん息にかかる確率がやや高い。
出産の瞬間には、赤ちゃんの体内で大量のテストステロンが放出される。誕生直後にいったん急増したテストステロンは、すぐに減少する。思春期にはいって野放しの放出が起きるまで、その状態が続く。テストステロンが男をつくる。ところが、テストステロンは、妻の妊娠によって減る。
胎児の五感。胎児の目にうつる子宮のなかは、いつも真っ暗というのではない。赤くなることもある。長波長の赤い光の10%は子宮に届いている。胎児は音も聴いている。胎児は、内耳にとどく低周波の音を聴いて子宮の内外に広がる世界について理解を深めている。
胎児はママの声だけは一日中聞いていても、決して飽きない。妊婦が話しはじめると、お腹の子の動きが鈍くなり、心拍数が下がる。
胎児は音楽が好き。なかでもリズムが一番好きのようだ。胎児は、妊娠最後の2、3週間に母体の内外の環境から自発的に学習し、話し、言葉や音楽のリズムなどの基本を獲得している。
胎児はママの食べたもののにおいを嗅いでいるだけでなく、生まれたあとも覚えていて、好んで食べるようになることが多い。
子宮のなかで学んだ感覚を頼りに、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚とフルに稼動させて赤ちゃんはママのおっぱいに到達する。子宮のなかで、いつでも、どこからでもなく聞こえていた声が、いまはママの口から出て、赤ちゃんに届いている。聞き慣れたママの声。この世にみちている奇妙な音のなかから、その安心できる声をたどっていけば、ママのおっぱいにたどり着くことができる。
新生児は、ただ顔を認識できるだけでなく、記憶することもできる。赤ちゃんは、生まれて4時間後には、すでにママの顔とほかの女の人の顔を区別できるようになる。
新生児をママのおっぱいに引き寄せるような役目をするのは、なんと羊水のにおいである。ママの乳首は、羊水そっくりの科学物質を分泌するのだ。慣れ親しんだ羊水のにおいと味に触れて、心を落ち着ける。
赤ちゃんに食べ物だけを与えても、人との触れあいが欠けると、発育障害が発生する。体重が増えず、身体的・情緒的発達に深刻な遅れが生じる。ネグレクト(育児放棄)や虐待の犠牲になった赤ちゃんには発育障害が発現する。
赤ちゃんには、本当の父親が誰なのかを巧に隠す技がある。赤ちゃんは、とくに誰にも似ていない状態で生まれてくるのは、理にかなっている。一般的に言えば、男性が自分の遺伝子を残すことに成功してきたのは、赤ちゃんが特に誰にも似ていないおかげなのである。
うへーっ、これってあり、ですかね・・・・。腰が抜けそうなほど、驚きました。まさしく人間の神秘ですね。たしかに、生まれたばかりの赤ちゃんって、しわだらけですよね。すぐにふっくらして可愛い顔になりますが・・・・。もっとも、私の子どもは私によく似ているとみんなから言われて安心しています。
(2009年2月刊。1600円+税)