弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年10月15日

ナリ検

司法


(霧山昴)
著者 市川 寛 、 出版 日本評論社

オビに木谷明・元東京高裁判事が「ともかく面白い」と推薦の辞を書いていますが、ウソではありません。面白く読ませます。私は車中と喫茶店で一気読みしました。ええーっ、こんな次席検事なんて、いるはずないだろ...と、内心つぶやきながらも、青臭い次席検事の「挑戦」は、ずっと続いて、どうにも目が離せないのです。
事件は警察の無理な(杜撰)捜査を検察官が他の事件で多忙なことから、うのみにした冤罪もの。ところが、検察は起訴した以上は有罪に持ち込まなければならない。下手に無罪判決でも出ようものなら、世論から厳しく叩かれてしまう。
主人公は検事長の息子として育ち、いったんは父親のような検察官になるのに抵抗があって弁護士になるものの、10年たって検察官に転身。検察庁を内部から変えようという意気込みです。でも、組織として動く検察庁の内部で日々あつれきが生じます。当然です...。
弁護士にとって無罪判決は大きなお手柄の一つ。それに対して、検察官は毒づく。
「犯罪者を野に放って、そんなにうれしいのか。あなたに真の正義感はあるのか...」
無罪判決は、検察を揺るがす一大事。でも、それだけで起訴したり公判に立会した検事が処分されたり、出世が止まるわけではない。ただ、愚かな起訴をしたり、法廷で馬鹿げた立証をした検事の悪評は、ただちに全国の検事に知れわたる。そうならないように、つまり保身のために検事は無罪判決を避けようとする。
無罪判決が出たら、地検は控訴審議をし、検事正までの了解を得て、高検の了解を得る必要がある。このとき、警察は、常に暴走する機関であるが、その暴走のすべてに目くじらを立てて叩いてはいけない。警察が動かなくなるし、動けない。犯罪とたたかうためには、警察にある程度の行き過ぎは必要悪だ。検察庁は、こんな理屈で警察の蛮行をかばい続けている。
舞台となったS検察庁とは、どうやら佐賀のことらしいです。そして、福岡もチラッとだけ登場してきます。検察官だった著者の実体験をもとにして、体験者でなければ書けない描写がいくつもあり、勉強になりました。一読に値する本です。
ナリ検とは聞いたことがない言葉ですが、ヤメ検の反対で、弁護士から検察官になった人を指す言葉のようです。
(2020年8月刊。1700円+税)

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