弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年10月 3日

心友、素顔の井上ひさし

人間

(霧山昴)
著者 小川 荘六 、 出版 作品社

井上ひさしが亡くなったのは2010年4月9日。75歳だった。飾り花は一切ない祭壇。棺のなかには、花の代わりにたくさんの芝居のチラシが入れられた。骨壺には、愛用の丸いメガネと太い万年筆が入れられた。
著者は上智大学以来、54年間、ずっとずっと井上ひさしと親密に交際していたことがよくよく分かる本です。そして、著者の娘さんが井上ひさしの秘書をつとめていました。すごいです。
それにしても、井上ひさしは、まことに天才的人物ですよね。私にとっては、手塚治虫に匹敵する人物です。
著者が井上ひさしに出会ったのは1956年(昭和31年)4月、上智大学文学部のフランス語学科です。男子学生ばかり15人ほど。井上ひさしは、いちどドイツ語科に入って、そのあとフランス語科に入りなおしたのです。ところが、井上ひさしは、フランス人の神父さんから中学・高校のときフランス語の基礎を叩き込まれていましたので、それほど苦労せずフランス語はできたのでした。
しかも、入学当初から、浅草フランス座(ストリップ劇場です)の文芸部員であり、放送作家のアルバイトもしていたのです。そんな井上ひさしは、学生仲間のくだらない遊びに率先して参加していたというのです。なーるほど、さすがユーモアあふれる作家は実践の人だったのです。
そして、著者の実家のある横須賀まで、金欠病の井上ひさしたちは巧妙なキセルで通い、麻雀にいそしんだのでした。往復300円かかるところを90円ですませたのです。
私も東京での大学生のとき何回かキセルをしましたが、そのうちに、そのスリルのドキドキ感がバカらしくなってやめました。そんなことより安心して車中で本を読むのに集中したかったのです。
ところが、井上ひさし自身は麻雀をしないで、徹夜組につきあっていたというのです。これまた驚きます。実家の稼業であるもやし栽培の手伝いをしていたようです。そのほかは、世界文学全集を徹夜で読んでいたというのですから、さすが偉大な作家は違います。
井上ひさしには家庭の団らんの経験がなかったこともあり、貧乏学生にとって「天国のような所」だったと振り返っています。
井上ひさしは、大学について、こう語った。
「大学で必要なのは、学問の中味ではなく、そこで誰に会ったか、誰と友だちになったか、誰とつきあったか、そして自分の人生を生きていくための新たな基本的な姿勢といいますが、それをつちかっていくというのも大事なこと、大事な役目だと思います」
まったく依存ありません。私にとって、それはセツルメントというサークルでしたし、セツラー仲間でした。あれから50年だった今も大切にしています。
井上ひさしの人形劇「ひょっこりひょうたん島」が始まったのは1964年(昭和39年)4月。私の高校1年生のときでしたが、夕方、楽しみにみていました。視聴率25%というお化け番組で、ついには40%近い視聴率になった国民的な人気番組でした。
ところが、その内容が左翼思想で、拝金主義を揶揄したものになっているというのにNHK上層部が気がついて、5年も続いたあと打ち切りになったのでした。
このころビデオ録画ができなかったというのが、本当に残念です。それが出来ていたら「寅さん」シリーズのように何度も繰り返し再放送されていることでしょう。
井上ひさしは、本を速く読むコツがあるかと著者がたずねたとき、「あるよ。速く読もうとすればいいんだ」と答えたそうです。私も同じです。井上ひさしほど速くはありませんが、年間500冊の単行本を30年来、読んでいるのは速く読もうとつとめているからです。でも、これ以上は、速く読むつもりはありません。頭に何も残らなければ意味ありませんからね...。
井上ひさしは、高いところは大の苦手で、飛行機も大嫌い。
井上ひさしは、旅行するときには、記録用の新しいノートを必ずもっていく。私も海外旅行するときには、毎回、小さなノートブックを購入し、肌身離さず日時とともに記録していました。そして、帰国してから写真と一緒に冊子をいくつもつくりました。こうすると、行く前、行ったとき、帰ってから、3回も楽しみがあるのです。
すばらしい本でした。おかげで井上ひさしという偉大な作家の雰囲気をたっぷり味わうことができました。ありがとうございます。
(2020年7月刊。2200円+税)

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