弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2019年9月16日

そしていま、一人になった


(霧山昴)
著者 吉行 和子 、 出版  集英社

私にとって著者である女優の吉行和子とは、山田洋次監督の映画『東京家族』、そして『家族はつらいよ』の祖母というとぼけた役者だというイメージです。
ところが、1957年(昭和23年)、22歳のとき、劇『アンネの日記』の主人公アンネの役を演じたというのです。それも主役が風邪をひいて声が出なくなったので代役として登場し、見事にセリフを一度もつかえずに言えたというのです。立ち稽古には参加していたのですが・・・。すごいですね、著者自身が不思議がっています。それから劇団民芸の若手ホープになったのでした。
舞台が楽しかったことは一度もない。ただ責任感だけだった。私なんかですみません。そんな感じで、申し訳ない気がしていた。
いやはや、とんでもないことですよね。
宇野重吉は著者に言った。
「きみはヘタクソだから、他人の何倍も何百倍も、役について思いなさい。そうすると、その役の心が、客席に伝わっていくものなのだよ」
山田洋次監督は、こう言った。
「科白(セリフ)は、心のなかの思いがひとりでに出てくるようにしてください。表情をつくったり、言い方を変えたり、そういうのではなく、心とつながって自然に言えるようにしなくては、その人間を表現することができません」
「あぐり」で有名な母あぐりは107歳まで生きて、見事に天寿を全うした。そして、兄の作家・吉行淳之介は70歳で病死した。エッセイや対談の名手としてメディアでもてはやされ、女性読者に絶大な人気があった。私は、ほとんど読んだ覚えがありません。
なんだか、しみじみした思いになる家族の思い出話でした。
(2019年7月刊。1700円+税)

2019年9月 5日

ふるさとって呼んでもいいですか


(霧山昴)
著者 ナディ 、 出版  大月書店

1991年8月、イラン人の両親と3人の子どもがイランから日本に「出稼ぎ」にやってきた。子どもは6歳(長女)、5歳(長男)、1歳(次男)。3人とも日本語は話せず、ビザもなし。一家は強制送還されることもなく、子どもたちは34歳、33歳、29歳となった。
そして長女の著者は、こう書いています。
「イラン生まれで日本育ち、中身はほぼ日本人。これが私。イラン系の日本人なんだ」
2015年に著者が結婚した相手の男性は、日本とパラグアイのハーフで、生まれはボリビア。日本国籍。著者はイスラム教徒。今も豚肉は食べず、お酒も飲まない。夫君はキリスト教徒。
この本は、漢字すべてルビ(振りがな)がふってあります。漢字が読めない人にも読んでほしいという配慮なのでしょう。
一家が入国するとき、なんと手続に6時間もかかりました。そして、それから、目的地まで日本語も読めず、話せないなかで電車・バスに乗って、3人の幼い子どもを連れて目的地になんとかたどり着いたのです。
イラン人の両親は、なんとか工場で働けるようになった。すると、子どもたち3人は自宅で留守番。おおっぴらに外で遊ぶことはできない・・・。
言葉が通じない子どもたちは、笑顔とおじぎをまず覚えた。人に会ったら、とりあえずニコッと笑顔を見せ、次にペコリとおじぎをする。すると相手も笑顔になってくれる。
人がいないのを見はからって、子ども3人で、向かいの公園で遊ぶ。人目を避けていたつもりだが、実は、外国人の3人姉弟は近所でかなり目立っていた。
子どもたちはもらったテレビを自宅で見ているうちに、半年でそれなりの日本語を話せるようになった。イラン人の両親は働いているばかりで、テレビも見ないため、なかなか日本語は話せないまま・・・。
子ども同士で遊んでいると、「外国人とは遊んじゃだめよ」という日本人の親にも出会った。それでも、仲良しの子の母親が字を教えてくれた。そして、いじめっ子の家には、母親が乗り込み、著者が通訳した。いじめっ子の父親が、きちんと対応してお詫びしてくれた。
在留外国人は270万人。しかし、日本国籍をもつ人も含めると400万人と推定されている。
強制送還される外国人は、1990年代には毎年5万人もいた。最近では、1万人以下となっている。
「在留資格なし」でも、小学校に入ることができた。ところが、算数についていけない。漢字は強敵だ。
ケガすると、健康保険がつかえないので、自費。足首を痛めただけで1回4000円。これでは医者にはかかれない。ケガできない。
ブルマや水着はイスラム教の教えに反する。
ようやく在留特別許可がおりて、不法滞在ではなくなった。
400万人もの人々が、日本の文化と「たたかい」ながら、必死に生きている姿を想像できる本でした。それにしてもイランの6歳の女の子が弟2人の面倒をみながら、日本で立派に育っていく姿を本人が自信をもって語っているのに圧倒され、思わず心の中で拍手をしてしまいました。ちょっと疲れ気味のあなたに活力補強材として一読をおすすめします。そんな、いい本なんです。
(2019年8月刊。1600円+税)

2019年9月 2日

本の読み方


(霧山昴)
著者 平野 啓一郎 、 出版  PHP文庫

スロー・リーディングの実践を提唱している文庫本です。
工夫次第で、読書は何倍にも楽しくなる。
オビの言葉に私もまったく同感です。といっても、私はスロー・リーディング派ではなく速読派の人間です。少なくともこの20年来、年間500冊以上の本を読んでいます。もちろん、これは単行本です。雑誌もいくつか読んでいますし、新聞は毎日5紙は読みます。FBでの情報入手にも努めていますので、スロー・リーディングというわけにはいきません。そんな私ですが、著者のすすめるスロー・リーディングの考え方には大いに心が惹かれます。
それほどまでに疲れる世の中だからこそ、私たちにはゆったりとした読書時間が必要なのである。
本当の読書は、単に表面的な知識で人を飾り立てるのではなく、内面から人を変え、思慮深さと賢明さをもたらし、人間性に深みを与えるものである。何より、ゆっくり時間をかけさえすれば、読書は楽しい。
速読家の知識は、単なる脂肪である。速読とは、「明日のための読書」である。これに対して、スロー・リーディングは、「5年後、10年後のための読書」である。
読書は、読み終わったときにこそ本当に始まる。
読書は、コミュニケーションのための準備である。
速読の一番の問題点は、助詞、助動詞をおろそかにしてしまうことだ。
分からない言葉が出てきたら、煩を厭わず(はんをいとわず)、立ち止まって必ず辞書を引くこと。
私は、これが出来ていません。反省させられます。
スロー・リーディングに最適なのは、黙読である。文章のリズムは、黙読のほうが正確に感じとることができる。気になる箇所に線を引いたり、印をつけたりする習慣をつけておくと、内容の理解が一段と深まる。
私が速読なのは、知りたいこと、情感に浸りたいことが次から次に出てくるので、それにつきあうには早く読むしかないからです。そして、一気に読んだあと、赤エンピツで印をつけたところを振り返って引用しながら書評を書いて自分のものとし、そして忘れてしまうのです。
(2019年7月刊。680円+税)

2019年8月15日

本と子どもが教えてくれたこと

(霧山昴)
著者 中川 李枝子 、 出版  平凡社

『いやいやえん』とは、すごい絵本です。子どもが必ず通過していく何でも「いやいや」期を実に見事にあらわしています。大人が読んでも楽しい絵本です。そして、『ぐりとぐら』。文章もいいし、絵も素敵です。この本によると、絵は著者の妹さんが描いてくれたとのこと。
そんな著者は20歳のときに、私設保育園の主任保母となったのでした。これまた、すごいというか勇気がありますよね。まだ20歳の若い女性を主任保母に任命した人たちも偉いと思いました。
20歳前後から子どもたちをしっかり観察し、人の心をうつ絵本をつくりあげてきた著者の言葉は心に深く突きささり、震わすものとなっています。
本とたくさん読めたから、私の人生は幸せだった。著者はこのように断言します。
読書を通していろいろな心の経験をしたし、古今東西たくさんの人に出会って、ハラハラ、ドキドキしながら喜びや悲しみをともにした。読み終わって、ああ、よかったという感動が全身にしみわたる。これが心身の糧(かて)になった。
不肖、私も子どものころから、本を読むのが大好きでした。小学校の図書室でエジソンだとかナポレオンだとか世界の偉人伝を片っぱしから読みあさっていました。中学校では山岡壮八の『徳川家康』、そして高校では古典文学大系に挑戦しました。おかげで、国語と古文の試験はいつも楽勝でした。参考書にでてくる断片の文章をあれこれ解釈して、いじくりまわす前に、原典にあたって全体の流れを知ると、深みとすごさが実感できるのです。
私が面白いと思った著者のエピソードを紹介します。
子どものころ、著者は「みなしご」に憧れていたとのこと。物語に登場する波乱万丈に生きる「みなしご」がうらやましかったのです。それで、大人になって小児科医(毛利子来)にたずねると、「うん、あなたは可愛いがられたんだな。ちっとも心配することはない」と診断された。
なるほど、ですね。私も、おかげさまで、末っ子なので、両親だけでなく姉や兄たちから本当に可愛いがられて(申し訳ありませんが、実は、その自覚はあまりありません)育ちましたので、他人(ひと)は信頼できるというのが心の根底に今もあります。不信感のかたまりのような人に出会うと、この人は子どものとき、可愛いがられたことがなかった人だな、かわいそうだ同情してきました。
著者の両親は岩波少年文庫を買い与えてくれたそうです。これって、とてもすばらしいことだと思います。
ところが、なんとなんと、著者は、もう一度、子どもになりたいとは思わないというのです。なぜなら、大人は気楽に都合のよい嘘をついたりするし、できるけれど、子ども時代は、そんなことは許されない、とても厳しいものだから・・・。なーるほど、ですね。
私もよく考えたら、大学受験に明け暮れた高校生に戻りたいとは思いませんし、中学時代の先も見えない生活もごめんですね。小学生時代だって、楽しいことばかりではありませんでしたね・・・。
子どもにとって、たくさんの本は必ずしも必要はない。楽しい本、うれしい本だと繰り返して読む。好きな本だったら、毎日読んでも目を輝かせて、「明日も読んでね」と言って帰っていく。
子どもは、現実と空想の間を出たり入ったりして、愉快に遊んでいる。
『いやいやえん』のモデルは、著者の家に一泊してもらって、妹さんがつきっきりでデッサンしたとのこと。なるほど、そういうことなんですね。本当によく出来た絵本です。
いま84歳の著者は、元気一杯です。さすがです。すごいです。
心が楽しく軽くなる絵本でした。
(2019年5月刊。1200円+税)

2019年8月 5日

ゴリラの森、言葉の海

(霧山昴)
著者 山極 寿一・小川 洋子 、 出版  新潮社

とてもとても面白い本です。人間って、いったい何者なのか・・・、深く深く考えさせてくれる本でもあります。片やゴリラの研究第一人者にして、京都大学総長、片や今をときめく小説家。二人の会話が織りなす世界は縦横無尽、果てしないのです。
山極先生は、野生ゴリラの研究歴が30年以上。6歳のとき、2年間ずっと観察のため行動をともにしていたゴリラ(タイタス)と、26年後に同じ野生の森で山極先生が再会するシーンは印象深いものがあります。
34歳のタイタスは、ゴリラとしては、もうおじいさん。1回目に会ったときは、山極先生を思い出しません。でも、2回目に出会うと、「おや?ひょっとしたら、お名前は?」って顔をしたのです。ゴリラ研究者の山極先生は、ゴリラの挨拶の言葉を発することができます。5メートル離れたところから挨拶すると、タイタスもこたえます。そして、じっと山極先生を見つめます。すると、タイタスの顔がどんどん変わっていくのでした。そして、ついにタイタスは、その場に寝ころがって、手を上にして仰向けに寝るのです。これはタイタスの子どものころの寝方。そして、近くにいた子どもゴリラをつかまえて、遊びはじめる。そのとき笑い声までだした。
いやあ、感動的な場面ですね。26年たっても、昔、子どものころ、一緒にあそんだ人間を覚えてなつかしみ、子ども時代に戻ったというわけです。
ゴリラには、鼻の上に鼻紋という「しわ」があって、これは一生変わらない。指紋と同じ。タイタスは、鼻の上にTの字が刻まれて、くぼみがある。
ゴリラの群れの中に入っていくためには、ゴリラにならなきゃいけない。人間のようにちまちま動かず、ゴリラより早く動いてはいけない。山極先生がちょっと間違ったことをすると、「コホッ、コホッ、コホッ」ってゴリラは咳払いする。ええっ、ゴリラは間違いを優しく注意してくれるのですか・・・。
ゴリラは歌をもっていて、ハミングする。ゴリラの歌には2種類ある。一つは、すごく美しい、メロディックなハミング。これはゴリラが一人でいるときが多い。もう一つは、みんなで合唱する。みんなで食べているときだけに歌うもの。
ゴリラが胸を叩くときは手のひらで叩く。これは戦いの宣言ではなく、自分の意思を相手に危害を加えずに紳士的に伝えるために編み出したもの。
ゴリラは、ほかの動物と一緒に遊ぶことができる。ゴリラはペットを飼える。
大人のゴリラの2頭がケンカしているとき、仲裁に入ったゴリラは、お互いの顔をのぞきこんでお互いを傷つけあわないようにして仲裁する。
大人のオスのゴリラは、メスから、自分の子どもを預けられる、信頼できるオスとして認められなければいけないし、そのあと、子どもからも認められて、はじめて父親になっていく。ゴリラのオスとメスとでは、体重が2倍も違う。メスが100キロで、オスは200キロもある。
ゴリラには年子がいない。4年に一度しか子どもを産まない(産めない)。だから、3年くらい授乳している。ゴリラの赤ちゃんは、生まれたとき、わずか1.8キロ、ガリガリ。安産で、数秒で生まれる。そして、5歳で50キロになる。
ゴリラは人間と違って、過去にこだわらない。ゴリラには表裏がない。
いったん人間が飼ったゴリラを野生に戻すのは、ほとんど成功していない。それは、食べるというのは、子どものころ母親の食べるものから覚えるから・・・。
いやあ、考えさせることばかりでした。人間とゴリラ、どれだけ違うのでしょうか・・・。
毎日、男女間のドロドロとした紛争を「メシのタネ」としている弁護士生活を45年間もしてきて、つくづく思います。あなたに一読をおすすめします。
(2019年4月刊。1500円+税)

2019年7月22日

庭とエスキース


(霧山昴)
著者 奥山 淳志 、 出版  みすず書房

不思議な本です。エスキースって、下絵ということのようですが、私は知りませんでした。文章だけだと雰囲気がよく分かりません。初めと途中にカラー写真があって、なるほどと思うのです。
若い写真家が北海道で時給自足の生活を送っている老画家の丸太小屋に通って写真を撮り、話を聞いていったものが細やかに描写されています。
弁造さんが住んでいるのは北海道は石狩の先の新十津川という小さな町の外れ。
弁造さんは手づくりの丸太小屋に一人で生活しているのです。
丸太小屋は全体で10畳ほど。たった1部屋しかない。食事をつくるための流しと食事スペース、冷蔵庫、トイレとお風呂、クローゼット、ベッド、そして薪(まき)ストーブ。暮らしていくうえで必要なすべてがそろっている。このほかに、絵を描くためのイーゼルもある。
弁造さんは92歳で2012年4月に亡くなった。その2年前まで冬は薪で過ごしていた。そして、薪はきちんと長さをそろえ、風通しのよい薪小屋で保存されていた。
この本を読みながら、アメリカのソローという森の隠者の暮らしを想像していました。
森の中に1人で住むというのは本で、読むかぎりは詩情あふれて格好いいのですが、現実の生活を考えると、そんな単純なものではありません。自然にはたくさんの虫がいて、ときに刺されたりして、はれあがり、また、かゆくなります。
そして、ギックリ腰になったり、ヘルニアが出現して歩けなくなることもあるのです。年齢(とし)をとった人間の生活というのは、若いときのようには思うようにはなりません。
そして、何より問題なのは食生活。時給自足といっても、野菜だけでなく、肉や魚を食べたいときにどうしますか・・・。
そして、さらに大切なことは人間様との会話です。話し相手がいなくて、心の平静をずっと保てるのでしょうか・・・。
ひとり丸太小屋に生活するということの意味を考えると、いったい人間らしい生活とは何なのだろうか・・・と考えさせてくれる本でした。
見事な写真があって弁造さんのイメージもつかめることで、救いのある本でした。
たまには、こんな不思議な本を読んでみるのも、憂き世(浮き世)離れしていいかもしれないと思ったことでした。284頁もあり、値段も少し高いので、図書館で借りて読んでみてください。
(2019年4月刊。3200円+税)

2019年7月21日

日本人の起源

(霧山昴)
著者 中橋 孝博 、 出版  講談社学術文庫

アイヌは永らくコーカソイドの一員とみなされていた。しかし、最近の研究によると、アイヌとコーカソイドとの間には目立った近縁性はなく、それよりは本州以南の日本人をはじめとするアジア諸集団により近い関係にあることが明らかとなっている。今や、アイヌをモンドロイドの一員と位置づける見解がほぼ定着している。
そして、アイヌと琉球人の類似性が注目されている。
中世や近世の日本人はその身長がもっとも低くなり、全身が脆弱化していた。ところが、その後、日本人は都市部を中心として再び、高身長、高顔そして強い短頭へと変化した。
今では、顎が細くて手足の長い華奢(きゃしゃ)な、でなければ肥満体の若者が増える傾向にある。
縄文人は、相当な大頭だった。歯の磨り減りかたが激しく、顎のエラが張り出していた。これは、縄文人が現代人に比べて、はるかに物をかむことが多く、その力も強かったことを示している。
やわらかいものばかりを食べていると、アゴのかむ力が必要ないので、アゴは細く、キャシャになってしまう。
縄文前期の日本列島の全人口は2万人。それが、26万人あまりとなったが、近畿以西には1万人も居住していなくて、大半は東日本に集中していた。
ええっ、うそでしょ。日本の文明発祥の地である九州(と、私は固く信じています)にごくわずかな日本人しかいなかっただなんて・・・、信じられませんよね。
縄文社会では、東日本が圧倒的な優位性があった。なぜ、なんでしょうか・・・。それは、食物の豊富さの違いによるという仮説が立てられています。
日本人は、いったいどこから日本列島にやって来て、定着したのか、調べれば調べるほど、複雑怪奇になっていき、関心が深まりました。
(2019年1月刊。1280円+税)

2019年7月10日

不倫と結婚

(霧山昴)
著者 エスター・ペレル 、 出版  晶文社

私が25歳で弁護士になってまもなく驚いたことが三つありました。その一つが、世の中には不倫(浮気)はありふれた現象、日常茶飯事だということでした。男が浮気するとしても、相手は女性です。日本で妻の浮気が珍しいことでないことは、戦国時代の宣教師たちも観察して本国に報告していますし、江戸時代に書かれた『世事見聞録』にも生々しく描かれています。
不倫は、人と人との関係について、多くを教えてくれる。そもそも何をもって不倫とするかについて、普遍的に一定した定義というものはない。ただ、不倫が増えていることは誰もが認めている。
インターネットが発達した今日では、もはや浮気をするのに自宅を出る必要すらない。
現代の不倫は、2個人のあいだで交わされた契約に対する違反だという考えを基本としている。信頼に対する違反だ。
近年、不倫の新しいカテゴリーとして、「精神的不倫」が出現している。一般にはセックスをふくまない不倫を意味するが、むしろ第三の人物との度をこえた精神的な親密さゆえに、夫婦関係が悪化してしまうような関係をさす。結婚は、もはやかつての結婚ではなく、不倫もまた、かつての不倫ではなくなっている。
つい最近まで、夫婦の貞節と一夫一婦制が愛とはまったく関係ないものだった。それは、血統と世襲財産をはっきりさせるために女性たちに押しつけられた家父長制社会の大黒柱だった。
かつて、人々は結婚して初めてセックスをした。今、人々は結婚して初めて他の人とセックスするのをやめる。
ええっ、これって本当でしょうか・・・。日本でも、そう言えるのでしょうか。
不倫が発覚したあとに解き放たれる感情の嵐は、あまりにも壮絶だ。脅迫性反芻症、過覚醒、無感覚と解離、不可解な逆上、制御不能なパニックなど・・・。
今日の不倫の大多数はデジタル機器経由で発覚する。
私も弁護士として、まったく同感です。私立探偵による素行調査にしてもGPSをつかったり、スマホの調査など、証拠が明白というケースがどんどん増えています。
かつてのようなピンボケの白黒写真で、何がうつっているのかよく分からないのに私立探偵に100万円も支払わされたというパターンは少なくなりました。
夫婦のベッドで、あれほど面倒がっていた妻が、どうして突然、不倫ではいくらセックスしても足りないほど貪欲になれるのか、男たちにはとうてい理解できない。
妻は一刻も早くセックスが終わることを願う。愛人はいつまでも終わらないでほしいと願う。
結婚、家庭として母になることは、多くの女性にとって永遠の夢だ。しかし、そこはまた女性が女であると感じるのをやめる場所でもある。
性欲に関しては、実際には、男女のあいだで言われているほどの差はない。
人間とは、いったいいかなる生きものなのかをじっくり考えさせてくれる本でもあります。
(2019年3月刊。2000円+税)

東京・新宿でフィンランド映画『アンノウン・ソルジャー』をみました。
フィンランドは、1941年にナチス・ドイツと組んでソ連に対して国土回復の戦争を挑んだことがあったのです。まったく知りませんでした。フィンランドが1939年にソ連と戦った「冬戦争」に敗れ、カレリア地方をソ連に占領されたのを取り戻そうとしたのです。ひところはナチス・ドイツがソ連を圧倒していた勢いもあってカレリア地方を回復したのですが、やがてソ連軍に押し戻されてしまいます。この映画は、その前進と後退を最前線の兵士たちを生々しく描くことで見事に再現しています。大量の爆薬をつかった戦闘シーンの迫力は、さすがとうならせるものがあります。
いったい、自分たちは何のために生命を賭けて戦っているのかという問いかけが映画シーンに何度も登場してきます。
そして、本当に戦争とはむごいものだと実感させてくれる映像が続き、最後まで目を離すことができませんでした。
アメリカの言いなりになって、日本の若者を戦争に送り出そうとしている安倍首相の野望にはストップをかけなければいけない。改めてそんな決意をさせてくれる映画でした。

2019年7月 8日

作家の人たち


(霧山昴)
著者 倉知 淳 、 出版  幻冬舎

モノカキを自称する私も、本当は作家になったり、ベストセラーを出して、ガッポガッポと印税を稼ぎ、世に作家として認められたい、そして文化勲章(文化功労章?)をもらいたいという夢があります。
でもでも、それに冷や水をぶっかけるのが、この本です。
本が書けない、書いても売れない、生活ができない、世間からだけでなく家族からも見捨てられ、ついに飛び降り自殺するしかない・・・、トホホの現実が嫌になるほど写実的に描写されています。
いやはや、やっぱり作家なんかにならなくて良かった。弁護士であり続けるようがまだましだった・・・、そう思わせてくれる本なのです。
20年ほど前から、出版界を覆う構造不況は、もはや限界に達していた。本が売れない、消費者が誰も本を買ってくれない時代になっている。これは、娯楽の多様化、若年層の人口減少、ネットの爆発的普及、といった原因が複合的にからみあった結果の出版不況なので、誰にも手の打ちようがない。本の出版部数は減り続け、本職の作家は困窮するしかない。出版社は手をこまねき、廃業する作家が続出している。
そんななかで売れているのは、テレビタレントが書いた本。ゴーストライターではなく、お笑いタレントが自分で創作して文章をつづった小説だ。
文学賞の受賞作は、著者本人の知名度やテレビでの活躍、あとは視聴者の好感度などを基準として選び出されるもの。選考委員が受賞作を読んでいるのは例外的・・・。
ええっ、う、ウソでしょ。いくら小説とはいえ・・・。井上ひさしは受賞策の選出過程のコメントまで本にしていますよ。いくらなんでも・・・。
本は、たしかにアイデアの勝負というところがあります。それまでにない、意表をつくテーマ、題材を文章化できたら、もちろん強いと思います。
そして、タイトルも大事です。松本清張はタイトルのつけ方が秀逸でした。井上ひさしもうまいです。いえいえ、山本周五郎も藤沢周平もうまいですよ・・・。
売れない作家を、どうやったら売れる作家に変身させられるのか・・・、私もぜひぜひ知りたい、誰か教えてほしいです・・・。
作家家業の苦悩が圧縮されている、私にとっては超重たい本でした。
(2019年4月刊。1500円+税)

2019年7月 4日

世界を変えた勇気

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版  あおぞら書房

無関心になったら、状況はいっそうひどくなる。変えようとする意思をもち、行動すれば世界は変わる。
本当にそのとおりだと思います。安倍首相が国会で平然として嘘をつきながら、学校では教師と子どもたちに道徳教育を押しつける。
過去に日本が侵略戦争をしかけて内外に無数の被害者をうみ出し、国土を荒廃させたことに目をつむり、「美しい日本をつくる」などと、ソラゾラしいことを臆面もなく言いつのる。自分の都合の悪いことは、ないものとするか、書きかえてしまう。アベ一強の政治は身内優先の汚れた政治でもあります。あまりのえげつなさに圧倒され、つい怒りを忘れて、あきらめてしまいそうになってしまいます。そんなときにカンフル栄養剤となるのが、この本です。
韓国で文在寅大統領が誕生する過程では、日本人が安保法制に反対して国会を包囲したニュースが韓国人を奮起させたそうです。
そうなんです。日本人だって、やってやれないことはないんです。もっと私たちは、自分たちの力に自信をもつ必要があります。どうせアベはこれからも首相に居すわり、悪政を続けるんでしょ・・・。そんなに簡単にあきらめてしまったら、それこそアベの思うツボです。
著者は私と同じ団塊世代のジャーナリスト。世界82ヶ国を歩いて取材したそうです。
アメリカに長く住んでいる日本人がこう言った。
日本人は文句を言うだけ。アメリカ人は文句を言う前に行動する。
そうです。文句を言い、行動することが必要です。行動のてはじめが投票所に行くこと。
いま、日本の若者は世界へ出かけようとしない。日本が一番でしょ・・・、そんな思いこみから。とんでもないことです。知ろうとするのをやめることは、知性をもった人間であることを放棄すること。
アルゼンチンでは、軍部が政権を握っていたとき、多くの市民を虐殺した。少なくとも3万人が犠牲となった。
まだ見ていませんが、最近、天(空)から遺体が降ってきたというアルゼンチン映画の上映が始まったようです。政府に楯ついた人をヘリコプターから突き落として殺していたことに結びついた実話です。そんな軍部独裁政権も、ついに打倒される日が来ます。子どもや夫を拉致・殺害された母親・妻たちが広場に集まって抗議行動したことが始まりの一つとなりました。
最近、軍政に手を貸して労働者の人権をふみにじったとして、アメリカの自動車会社フォードのアルゼンチン現地法人の当時の幹部2人が禁固10年と20年の判決を言い渡されたとのこと。すばらしい判決です。虐殺した人だけでなく、それに加担した人たちの責任が問われるのは当然のことです。
コスタリカでは、軍事費が国家予算の3割を占めていた。その軍事費をそっくり教育費に振り替えた。すると、医療や社会保障の予算も増え、国民生活の質が格段に向上した。
フィリピンでは、アメリカ軍の基地を廃止したら、経済は明らかに好転した。基地で働く人は4万2千人。基地なきあとに働く人は、6万人から10万人へ急増した。
著者は、この本の最後に次のように呼びかけています。まったく同感です。
行動の選択を迫られ、思いあまったとき、世界の人々がどんな行動をとったかを知れば、勇気も湧いてくる。自分のまわりだけを見ていても、展望は開けない。この本を読んで、一歩を踏み出してほしい。
モリモリ勇気の出る本として、強く一読をおすすめします。
(2019年4月刊。1500円+税)

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