弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2016年6月16日

僕たちのカラフルな毎日

(霧山昴)
著者  南 和行、吉田 昌史 、 出版  産業編集センター

 「同性愛者として社会のど真ん中を歩いて行こうと決めた『弁護士夫夫(ふうふ)』のありのままの日々の記録」
これがオビのフレーズです。男性弁護士カップルが出会いのときから弁護士としての日々を紹介しています。
同性愛者だからって、不幸なわけじゃない。
これを書いている費の夕刊に、アメリカでゲイの集まるナイトクラブが襲撃されて50人もの人が亡くなったことが報道されていました。ゲイに対する社会の偏見は根強いものがあります。私自身のなかにも、ないわけではありません。ところが、表向きはゲイをののしっていたFBIのフーバー長官が実は本人はゲイだったというのは歴史的事実のようです。
 二人は同じ京都大学の出身。片や農学部、そして他方は法学部。同じ学年ではない。そして、今では、二人とも弁護士。
 南君の父親も弁護士だった(故人)。そして、母親は吉田君の弁当までつくってくれた。この母親もえらいと思います・・・。
母親は、同性愛者とトランスジェンダーの違いも分かっていなかった。母はこう言った。
「いつか、あなたたちのうちのどちらかが女性になる手術をすると思ってたわ・・・」
今の私にも、そんな気分が心の底に潜んでいます。そして、二人は、人前結婚式を敢行するのです。
 牧師の資格をもっている友人に進行を頼んだのは、学生時代に自分がゲイだとカミングアウトしたとき、「将来、結婚式をするんだったら、牧師役するよ」と言ってもらったから。2001年のときの冗談が、10年後の2011年に本当に実現した・・・。
 自分に素直に生きるって素敵なことなんだよね・・・。そのことを実感させてくれる本でした。私のなかの偏見の皮が一枚はがれた気がします。とりわけ、二人が仲良く楽しそうに一緒にうつっている写真をみると、その意を強くします。
(2016年5月刊。1400円+税)

2016年6月 7日

司法改革と行政裁判

(霧山昴)
著者 木佐 茂男 、 出版 日本評論社 

 著者の『人間の尊厳と司法権―西ドイツ司法改革に学ぶ』(日本評論社)は大変勉強になりました。しかし、それも25年以上も前のことになってしまいました。
 その本以上にショッキングだったのは、映画『日独裁判官物語』です。この本によると、この映画はネット上で60分の全編をみることができるとのことです。まだ見ていない人は、一度みてください。
 ドイツの裁判官が組合をつくり、普通の市民感覚を忘れないようにして裁判を担当していること、それにひきかえ我が日本の裁判官が、いかにも情けないほど萎縮しきっていることに、その落差の大きさに驚かされ、というより思わずため息をつきたくなるほどです。
 ところが、日本の司法当局は、この映画の反響の大きさに恐れをなしたせいか、映画そのものだけでなく、著者に対する人格攻撃まで仕掛けたとのことです。なんと日本の司法当局は厚顔無恥なのでしょうか・・・。
 私はスマホは持たず、相変わらずガラケーのみです。しかも、ガラケーを使うのは自分のためのですから、夜に帰宅したあとガラケーをチェックすることもありません。
 そのガラケーとは、ガラパゴス化したケータイの略称ですが、著者が1998年12月に初めて使った用語であり、著者のあと本多勝一氏が使って一気に普及したのです。つまり、ガラケーのガラパゴスというのは、著者の造語なのです。そ、そうだったんですか・・・。
「しぶしぶと支部から支部へ支部めぐり、四分の虫にも五分の魂」
 青法協会員だった田中昌弘判事の作品。青法協の会員裁判官は大都市の裁判所に配置されなかったという時代がありました。私のような支部を活動舞台とする弁護士は、その恩恵も受けたのですが・・・。
 今の最高裁長官(寺田逸郎)は、初任が東京地裁で、40年の法曹経歴において、法務省勤務が26年間に対して、裁判官の仕事をしたのは14年間にすぎない。これで、「本来は裁判官」と言えるものなのか・・・。
 寺田長官と親しく話したことはありませんが、私と大学入学が同じで、司法修習も同期(26期)です。
 司法制度改革(司法改革)は失敗したと断言する人が少なくありませんが、私は失敗したとは考えていません。たしかに、裁判所の受けた打撃より弁護士の大量増員によるインパクト(被害)の大きさは予想をはるかに超えました。
裁判官の総数が増えていないことには驚かされます。
 2003年に1424人だった判事は、10年たった2014年には1876人ですから、450人ほどしか増えていません。これだけ社会が複雑化しているときには、裁判官はもっと増えていていいはずだと思うんですが・・・。
 そして、裁判官の任意団体が今ひとつもないなんて信じられません。
 裁判官も、本人たちは、主観的には「自由」に伸びのびと毎日をすごしているのかもしれません。しかし、客観的な現実はどうでしょうか・・・。やはり、型にはまった思考しか出来ない、勇気に欠ける裁判官が少なくないように思います。
事件数が減っているというわけですが、必ずしも、そうではなさそうです。家事事件は増えています。
 今春、ついに九大を定年退官した著者の本です。
 少し値がはりますので、図書館で読んでみて下さい。
(2016年6月6日。1万円)

2016年5月 4日

携帯乳児

(霧山昴)
著者  紺野 仲右ヱ門 、 出版  日本経済新聞出版社

 明治41年に制定された監獄法によって、刑務所内で育てられる「子」を「携帯乳児」と呼んだというのです。子どもを「ケータイ」と呼ぶのには、すごく抵抗がありますよね。それでも、女性が刑務所内で出産することはありうるでしょうし、その母子を別にするのも良くないことが多いでしょうから、やむをえない措置だとは思います。
この監獄法は、100年続いたあと、平成18年に全面改正され、翌19年に施行されています。いまでは「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」という長い名前の法律になっています。
刑務所につとめていた夫婦の合作ですので、さすがに刑務所の内外の様子が詳しく描かれていて参考になります。
刑務所内の処遇課と分類課は昔からそりが合わないと描かれています。現場重視の処遇課に対して、理論派の分類課という構図です。
心理技官の多くは分類課に籍を置いている。
刑務所は刑を執行するところなので、刑期を全うさせることが大原則。一方で、受刑者の犯罪の特性を正確につかみ、改善や更生をさせて社会復帰をはかることも、一般社会が刑務所に望む重要な役割だ。けれども、現実には刑務所に出来ることとしては、限られた職種の工場に、受刑者をなるべく適切に割り当てることぐらいだ。刑務所に入れることが罰であり、そこに犯罪抑制力があると、処遇課は声高に主張する。
刑務所内の収容者にも、いろんな人がいて、むしろ満期までいたいという人もいるようです。そして、精神遅滞の人や、親兄弟と縁を切った(切られた)人もいて、なかなか複雑です。刑務官にしても、さまざまな人生を歩んでいます。
そんな人たちの思いと行動が複雑に交錯して話が進行していくのでした。
(2016年2月刊。1600円+税)

2016年4月30日

坂の途中の家

(霧山昴)
著者  角田 光代 、 出版  朝日新聞出版

 裁判員裁判が始まって、もう何年にもなりますが、まだ私の属する法律事務所は弁護士が5人いるのに、誰も経験したことがありません。もちろん、私たちが敬遠しているのではありません。私は、今でも当番弁護士も国選の被疑者弁護そして被告人弁護はしています。そして、殺人事件の弁護人にもなったこともあります。
 ところが、逮捕された被疑者を調べているうちに、弁護人の私の働きによってではなく、嘱託殺人に切り替えられてしまって、裁判員裁判の対象事件にはなりませんでした。私以外の弁護士4人も同じような状況です。体験していないので、裁判員裁判の是非を体験をふまえて論じることの出来ないのが残念です。
 この本は、子育て中の主婦が補充裁判員になって、その審理過程を描いています。被告人は、我が子を殺してしまった母親です。ひょっとして、自分も、我が子を殺してしまったかもしれないという巧みな心理描写がありますので、裁判員裁判の進行過程が一気に読みものになっていくのです。そこらあたりは、さすが作家の筆力です。
 子どもと一日中ずっと一緒にいたら、かなりのストレスがたまると思います。保育園は、その意味でも不可欠だと、私は体験をふまえて考えています。
この裁判員裁判では、検察側の提示する鬼のような母親と、弁護側の提起する哀れな母親のどちらが真相なのか、そのはざまに置かれて裁判員たちは悩みます。実は、その点は、裁判官だって同じことなのです。裁判官だから分かるということでは決してありません。文章をもっともらしく書くのには長けているだけなのです。
この本では、真相が明らかにされるということはありません。
 40年以上も弁護士をしている私ですが、ことの真相って、本当に分からないものだと、日々、昔から実感しています。
(2016年1月刊。1500円+税)

2016年4月26日

小説 司法修習生

(霧山昴)
著者  霧山 昴 、 出版  花伝社

 お待たせしました。このコーナーの著者が1年がかりで書きすすめていた司法修習生(26期)の前期修習生活がついに本となりました。
 いまの最高裁長官は親子二代、はじめて長官をつとめていますが、司法修習26期生です。その26期修習生の湯島にあった司法研修所での前期修習の4ヶ月間が日記のようにして話が展開していきます。
全国の学園闘争(紛争)を経てきていますので、修習生を迎えた司法研修所はかなり緊張して身構えていた気配です。それでも、その前年の「荒れる終了式」とは違って、平穏裡にスタートします。前年に「荒れた」というのは、まったくの嘘でした。司法研修所は、当日、異例なことにわざわざテレビカメラを導入するなど、謀略的です。
司法研修所では要件事実教育がなされます。白表紙というテキストによって、民事では準備書面や判決文、刑事では弁論要旨、論告そして判決文などを修習生が起案していきます。それを5人の教官が講評するのですが、その講評がシビアなのです。
 青法協会員裁判官の再任が拒否され、24期では裁判官への新任を希望したのに拒否された7人のうち6人が青法協会員でした。青法協に入っていたら、そんな不利益を受けるのです。
司法研修所の教官は任官や任検を必死で勧誘します。そして、青法協には入るなと、口を酸っぱくしてクギを刺すのです。したがって、青法協会員は、そう簡単なことでは増やすことが出来ません。任官希望者は、例外的な修習生をのぞいて、青法協には近寄ろうともしませんでした。それでも、会員のまま裁判官になり、裁判所で冷遇されていた人もいます。
 前期の終わりころに青法協の結成総会を迎えます。25期よりも少しだけ会員が増えるのが期待されていましたが、なかなか伸びませんでした。それでもなんとか、期待にこたえて少しだけ増勢となりました。
堂々440頁もある大部な本ですが、厚さの割には1800円(税は別)という安さなのです。ぜひとも買ってお読みください。そして友人にも教えてやってくださいな。売れないと、困ってしまう人が出るのです。なにとぞよろしくお願いします。
(2016年4月刊。1800円+税)

2016年4月25日

典獄と934人のメロス

(霧山昴)
著者  坂本 敏夫 、 出版  講談社

 関東大震災のとき、横浜刑務所は文字どおり全壊しました。収容されていた1000人ほどの囚人はどうしたか・・・。
刑務所から凶悪な囚徒が脱走した。そして、混乱に乗じて各所で悪事をはたらいている。そんなうわさが飛びかったようです。
 朝鮮人が移動を起こしているという噂は官製の部分もありました。それに乗せられた自警団が各地で朝鮮人を虐殺するという悲しい出来事が相次ぎました。その極致が甘粕憲兵大尉たちの大杉栄一家虐殺事件です。本当に許せない蛮行でした。
 実際には、横浜刑務所の典獄(刑務所長)が、法律にもとづき、独自の判断で24時間の開放措置をとったのでした。そして、大半の囚人は指定されたとおり戻ってきたのです。都市機能が壊滅状態になっていたため、制限時間内に戻れなかった囚人もいましたが、それでも問題を起こしていたのはありません。それどころか、船で横浜港に届いた救援物資を港で荷揚げし、被災者に分配する作業に従事するなど、解放された囚人たちは救援復興活動に役立っていたのです。
 著者は、事実を丹念に掘り起こして、感動的な物語として語ります。ここには、まさしく『走れ、メロス』の世界があります。読んでいると自然に目頭が熱くなってきます。やはり、人間って、信用されると、その期待にこたえようと頑張るんですよね・・・。根っからの悪人なんてこの世にはいないと、つくづく思わせる本です。
 実際には、逃走した囚人はゼロだった。ところが、司法省は未帰還人員は240人と発表し、その数字は訂正されることがなかった。そして、受刑者を開放して帝都一帯を大混乱に陥れたとして、椎名通蔵・典獄はすっかり悪者にされて今日に至っている。
 この本の登場人物は、ほとんど実名。それだけ史実に忠実だという自信があるわけです。
 典獄とは監獄の長。今日の刑務所長のこと。横浜刑務所の典獄になった椎名は36歳。東京帝大出身。着任して、毎日2~3回、構内をくまなく巡回し、囚人たちの名前を覚えていった。囚人も典獄の巡回を楽しみにしていた。
 当時の給料は、看守は月30~70円、看守部長が月50~80円。看守長は月85~160円。典獄は年俸制で3100円。
 椎名典獄は、囚人に鎮と縄は必要なし。刑は応報・報復ではなく、教育であるべきで、その根底には信頼がなければならないと考え、実践してきた。
 関東大震災のときに日本人が何をしたのか、その一端を知ることが出来る本としても貴重な記録だと思いました。
(2015年12月刊。1600円+税)

2016年4月 7日

法廷通訳人

(霧山昴)
著者  丁 海玉 、 出版  港の人

 表紙の装丁がいいですね。思わず手にとって読んでみたくなる色あいです。
 私は通訳付きの法廷というのを体験した記憶がありません。被告人が外国籍ではあっても、皆、日本語が出来る人たちでした。日本に長くいたら日本語を話せるようになるのも当然ですからね・・・。
著者は韓国(朝鮮)語の通訳を親の代からしています。在日韓国人二世です。
法廷通訳人とは、その言葉どおり、裁判所の法廷で通訳する人のこと。裁判所で定めた認定試験や資格のようなものはなく、もちろん裁判所の職員や専属でもない。
法廷通訳人の報酬は、「裁判所が相当と認めるところ」と定められているが、具体的な額は公表されていない。
ソマリア人の「海賊」を紅海で自衛隊が捕まえて日本に連れ帰り、東京地裁で刑事裁判が開かれたことがありました。ソマリア語を通訳できる人が日本には数人しかいなくて、裁判所、検察庁、弁護人で奪いあうという事態が起きました。自衛隊の海外派兵が本格化すると、もっと困難なケースがどんどん出来ることになるのでしょうね・・・。
法廷通訳人は、最初に宣誓書を朗読して、目に見えない「良心」と「誠実」を担保にしなければならない。
通訳人候補者として登録するときには、履歴書と作文を提出したうえ、面接と導入説明がなされる。
 法廷という非日常の空間のなかで、普段の生活ではなかなか見えない人間の姿があぶり出される光景を目の当たりにすることがある。そこにあるのは、言葉だ。言葉には、それを使う人の人となりや個人史、生き様が反映される。放たれる言葉によって、その人の「生」が鮮やかに浮かび上がることがある。
法廷通訳は、生きた言葉を直訳して、正確に通訳する。裁判官、検察官、弁護人そして被告人から出た言葉の全部を要約せず、すべて訳さなければならない。
 韓国から来た男性のオーバーステイは、かつては建築現場で働く人がほとんどだった。その動機も圧倒的に子どもの学費のためだった。大の男が祖国にいる子を思い出して裁判官の前で大粒の涙をこぼすことも少なくなかった。
そして、しばらくすると、ホストが登場してきた。韓流ブームに乗ったのか、韓国好きな日本の女性、日本に滞在する韓国の女性など、客層は意外に広かった。
韓国語通訳を通してみた法廷の実情がよく描かれている本だと思いました。

(2015年12月刊。1800円+税)

2016年3月11日

ドキュメント死刑図

(霧山昴)
著者  篠田博之 、 出版  ちくま文庫

  2008年の末に刊行された本に大幅加筆したものです。既に処刑された死刑囚、死を待つ死刑囚と交流のなかで、その実情を明らかにしています。
  幼女連続殺害事件の宮崎勤は処刑されましたが、父親は自殺したものの、母親は毎月、拘置所へ差し入れに通っていたそうです。そして、被害者遺族への賠償もしています。
本人が早期の死刑執行を望むときは、異例の速さで死刑は執行される。小林薫、そして宅間守がそうだった。
  この世に生きる価値を見出せず、死んでしまいたいと考える人にとって、死刑は刑罰としての意味があるのか・・・?もともと社会から疎外され、現実社会に自分の居場所がないと思い、死んでしまいたいと考える人にとって、死刑はもう怖い刑罰ではない。
  宅間守は、自覚的に、自分を疎外するこの社会に復讐するために凶悪犯罪を犯した。死刑を宣告されてからも、早く執行してほしいと言い続けて、確定から1年間という異例の速さで死刑を執行された。
  宮崎勤、小林薫、宅間守の3人は、いずれも父親を激しく憎悪していた。宅間守は死刑確定後に獄中結婚した。彼と結婚を望んだ女性は2人いた。一人の女性は、自らも小学校のころからいじめに遭い、社会に訴外されてきた人物だった。自分も一歩間違えれば宅間守になっていたかもしれないと、犯罪を犯した側に自分を投影する人も、日本社会には現に存在する。こういう人が、社会に存在することに想像力を働かすことができないと、その犯罪を解明することはできないのではないか・・・。
  信じにくい話ですが、それが現実なのですから、お互い、ここは想像力を働かせるしかありませんよね・・・。
  小林薫は、こちらからの質問の意図も明確だったし、物事を何も考えていない人間ではなかった。恐らく、家庭環境が違っていたら、あのような犯罪者にならないですんだ人間ではないだろうか・・・。
  小林は、小学校のときに母親を亡くした。母親への思慕が強烈なのが、小林の特徴である。法廷で、母親の話が出たら涙ぐんだ。
  宮崎勤にとって、それは祖父だった。幼少期に自分を可愛がってくれた者の死が精神的ダメージを与えた。
  小林薫が父親に対して思い望んでいた6ヶ条。
  1.子どもと一緒に食卓に着き、団らんのひとときを過ごしてあげてください。
  2.子どもの話を聞いてあげてください。
  3.子どもを信じてあげてください。
  4.子どもと遊んであげてください。
  5.子どもを叱るとき、なんで叱るのか、何が悪いのか、言いきかせ教えてあげてください。 
  6.子どもが2人、3人といるのなら、平等に接してあげてください。
  ゆったり心の休まる家庭生活が子どもに本当に大切なんだなと思わせる本でもありました。  
 
(2016年1月刊。900円+税)

2016年2月23日

弁護士 21のルール


(霧山昴)

著者 東弁、親和全期会 、 出版  第一法規

 若手弁護士が、こんなところでつまずかないようにという先輩弁護士からの具体的なアドバイスが満載の本です。
 エレベーターで依頼者と一緒になったとき、ボタンを押すなというのは、あまり私にはピンと来ませんでしたが、服装には気をつけたほうがいいというのは同感です。ジーパンにTシャツで高額の着手金はいただけません。やはり背広(スーツ)でびしっと決めてこそ、何十万円、何百万円という大金をいただけるのです。
 そして、「先生」と呼ばれて「安住」するのも良くはありません。飲みにケーションは大切ですが、私のように60歳すぎたら、それもほどほどにしたくなります(私は50歳になってから二次会に行くのは止めました)。
 事務所に和やかな雰囲気が流れるような配慮は大切です。ああ、行きたくないなと思うのは最悪です。ブルーマンデーはありませんが、そんなのはストレスの源です。私は幸いにして、この40年間、「今日は事務所に行きたくないな」と思ったことが一度もありません。
 弁護士同士では、適度な距離感を保つ必要があるというのは、まったく同感です。一緒にいて、くたびれない関係こそが長続きする秘訣のように思います。
 事務局にとって、弁護士との食事は、残業代のつかない仕事の延長と考えている可能性があることを弁護士は自覚すべきだ。これには、なるほどだと思いました。
 事務局とのコミュニケーションが円滑かどうかは、弁護士にとって死活的に重要です。弁護士が判断して仕事を事務局に依頼することが大切です。そして、迎合してはいけません。人間としては対等ですが、仕事上は事務局はあくまでも補助者なのです。
 依頼者は友達ではないので、気を許して、内緒話などなんでも話していいわけではない。
そうなんですよね。あとで裏切られることもないわけではありませんので・・・。
弁護士とはなるべく交流すること、幹事は自らすすんでなること、というのは大切なことです。弁護士からの事件紹介って、意外にも多いものなんです・・・。
 本は買って読むこと。私は、持てるだけ(買って帰るときに、重たくなりすぎないように)本は買うようにしています。本を買うだけの収入は得ているからです。本を買うのに、お金の点でケチケチはしないようにしています。
 そして、新しい人間関係を今さら開拓する気は薄くなりました。それより、これまでの人間関係を大切にしたいと思います。
 2500円ですので、安くはありませんが、決して高いことはない本として、若手弁護士には一読を強くおすすめします。
(2016年1月刊。2500円+税)

2016年2月 9日

尼崎事件、支配・服従の心理分析

(霧山昴)
著者  村山満明・大倉得史 、 出版  現代人文社

尼崎事件とは何か。主犯の角田美代子は、私と同じ団塊世代の女性です。1970(S45)年ころから2011(H23)年までの40年間わたって、いくつもの家族を取り込み、金銭的に搾取し、崩壊させていった事件。その過程で少なくとも9人が死に追いやられた。ところが、主犯の美代子は直接に手を下して殺したのではない。取りこんだ家族員相互に暴力を振るわせるなどして、激しい虐待を繰り返して、その結果として死に追いやった点に特徴がある。
美代子は、取り込んだ家族を崩壊させる一方で、その一部の成員を養子にするなどして、疑似家族、角田ファミリーを形成していた。
 角田ファミリーは、明らかに異様な疑似家族だった。周辺ないし中心において虐待、監禁、殺害、死体遺棄等が繰り返されていた。少なからぬ人間が関与し、それを知っていたにもかかわらず、長年にわたって、事件として発覚することがなかった。
美代子の「奴隷」となった人々は、必ずしも生来から反社会的性向をもっていたのではなく、むしろ至って平凡で穏やかな社会生活を送っていた人が多かった。
ごく普通の住宅地の一角で、ごく普通の人々が、角田美代子というたった一人の女性にいいように操られ、こられだけの事件を起こした。
美代子は、逮捕されてから1年後の2012年12月に留置場で自殺した。
 暴力団の組織に属しているわけでもない一人の中年女性に、これほど多くの家族が巻き込まれ、財産を搾り取られ、壊滅させられるというのは、一体どういうことなのか・・・。
 角田美代子は、1948年10月に尼崎市内で出生した。両親は美代子が幼いころに離婚した。美代子は、関西弁で怒鳴り散らし、凄い迫力があって、ヤクザ風の女だった。美代子は、頭が切れる一方、何を考えているのか分からない、得体のしれない不気味なところがあった。しゃべるのは上手で、記憶力はものすごくよく、人が話したことは本当に覚えていた。美代子は、言い方がうまくて、断るに断れなかった。
 角田ファミリーでは、誰も仕事に行っておらず、パチンコ、美代子の買い物、そしてときに寺参りをする。常に団体行動をして、自由はない。みなが常に美代子の顔色をうかがっていた。
 角田ファミリーでは、美代子を1位として、ランク付けが明確だった。ランクによって美代子の態度、食事の内容、座席の位置がはっきりしていた。
角田ファミリーでは、1~2週間に1回、子ども会と称して、全員で話し合いをさせられた。繰り返して虐待を受けるうちに、美代子の言うことには絶対に逆らえない、もし逆らえば精神的にも肉体的にも追いつめられるということを身にしみて感じていった。精神的にも肉体的にも、ぼろぼろになって、反抗することもできず、言われたことにただ従うだけだった。
 「私が悪いんだ。美代子は何も悪いことはしていない」
 「お世話になった人に恩を仇で返し、本当に美代子に悪いことをした」
 「自分がすべて悪い。美代子が正しい」
 「美代子は、自分のことを本当に心配してくれているんだ」
 そう思えた。
 ファミリーの一員が死んだことを可哀想だと思うことはなく、自分のことしか考えていなかった。動揺しているのを見せて、美代子の不興を買うことにだけはならないよう必死だった。
 「やっぱり、美代子は裏の人間だ。普通の人間ではない。逆らったりしたら、次は間違いなく殺される」
 角田ファミリーのメンバーは、パチンコと万引きを毎日のようにやっていた。万引きしてきて冷蔵庫に入りきらない食品を何箱もの発泡スチロール箱に入れて冷やしていたので、そのために必要な氷を毎日、大きな袋に2~3袋分もスーパーに取りに行って、スーパーの従業員からクレームを受けていた。パチンコで月に100万円ほど稼いでいた。
 角田ファミリーは事前に万引きしておいた商品を、美代子から誕生プレゼントとしてもらっていた。角田ファミリーのメンバーが死んでドラム缶にコンクリート詰めにされた。その作業をしているとき、犯罪を隠している感覚とか悪いことをしているという感覚はなかった。
 睡眠、食事、排泄、喫煙などの生理的欲求に対して適切に対処できないとき、人間には羞恥の感情や自己の意思力・能力への疑惑が生じる。それらの欲求を充足できるか否かの決定権が全面的に他者に委ねられているとき、人はもはや自分が自分をコントロールできるこということを信頼できなくなり、自分の内側までもがその他者に掌握されているという感覚を抱き、その他者を自分の支配者として認めざるをえなくなる。このような被支配感によって、急速に抵抗の意思を喪失し、美代子のさらなる支配を受け入れざるをえなくなるような状況へと追い込まれていったと思われる。
 人間が他の人間を完全に支配しようとするとき、相手の人間としての尊厳をもっとも傷つける行為として、性的行為が選ばれる。性的行為を人前でするのは、家畜や獣である。
 性的行為の強要は、支配者側にこの上ない優越感と愉しみをもたらすものとして、被支配者側を奴隷化しようとする試みの延長線上に自然に出てくるもの。
 極端な脅迫下では、どのような人でも必ず「背筋が折れる」。その第一段階が「ロボット化」である。被害者は、人間でない生命形態への退化によって生き延びようとする。おのれの内的自立を、世界観を、道徳律を、他者とのつながりを犠牲にして、感情に、思考に、イニシアティブに、判断にシャッターを下ろす。
 人間の破壊の第二段階は、被疑者が生きる意思を失ったとき。生きる意思の喪失は自殺念慮ではない。自殺は積極的意思の表明でありうる。生きる意思の喪失は、「絶対的受け身の態度」、すなわち生きながらの死者をつくる。
 ロボット化した心理状態の第一の特徴は、正常な心的機能の麻痺。
 このような状態にあっても維持されている唯一の精神機能は、自分自身を第三者に見つめる観察自我である。感情や思考といった内面的活動が麻痺して、ロボットや自動人形のように心が空っぽになった自分自身を、まるで自分とは無関係な物体の運動を見るかの如く(離人症的に)眺めている観察自我の記憶が残るために、被害者自身による外傷体験の記述は、しばしばそれをどう感じたかという描写を欠いた出来事の羅列になる。
 心理的狭窄は、監禁状態を生きのびるための適応の結果である。監禁された被害者は、人間らしさを放棄して支配者に絶対服従し、次なる虐待をともかく避けること、ただ生きのびることのみを目標とするようになる。そのとき、心理的狭窄は、適応に不可欠な形式となる。対人関係も活動も、思考も、記憶も、情緒も、感覚さえも狭くなる。
 被害者は、どの行動もすべて監視されており、主動的な行動は禁止されており、失敗したら高くつくことを身体に叩きこまれている。被害者にとっては、自分の主動的な行動は、すべて加害者に対する不服従を意味し、危険であると感じられる。だから被害者は、最後には、これまでどおり服従していれば、再び激しい虐待を受けることだけは避けられるだろうという安全策を選んでしまう。内面の激しい葛藤と裏服に、外面的には完全な従順さを維持し続ける。
 監禁生活のなかで、食事は1日1回、わずかな量しか与えられなかった。飢餓衝動には圧倒的な影響力がある。飢餓衝動は、あらゆる精神的な装いをかなぐり捨てる。文明の名で呼ばれるすべてのものは、この飢餓衝動に屈服してしまう。その結果、精神的に赤裸な状態で、動物のように、臆病に、激しく残酷に、自分本位に、自己中心的に、行動するようになる。
美代子のもとから逃げ出すことは、以前のような正常な社会生活に復帰すること。ところが、仕事もなく、住むところもなく、お金もない人間にとって、社会に復帰するための手がかりをすべて切られていた。一般社会とつながりたくてもつながれない状況に置かれていた。
 美代子というバタラーは、被害者側からの肯定を求める。バタラーの究極の目標は、自発的な被害者をつくり出すことにある。美代子は、角田ファミリーのメンバーからの自発的な愛情と感謝の表明を常に要求し続けた。被害者の心理的支配の最終段階は、被害者がみずからの倫理原則をみずからの手で侵犯し、みずからの基本的な人間的つながりを裏切るようにさせてはじめて完成する。
 一つの理不尽を受け入れたことが、次なる理不尽の受け入れにつながっていく。
 内側からの自立性を脅かされ、外側から尊厳を傷つけられ、自分が自由意思をもった一人の人間であるという感覚は、きわめて効果的に破壊されていく。
一般に、虐待者の加害者によって、あらゆる人間関係が断絶され、孤立させられた被害者は、許容されている唯一の対人関係である加害者への依存的関係にはまり込む傾向がある。被害者は加害者の中に良き人間性を発見し、そこにしがみつきたい誘惑にかられる。  
人間とは何か、どういう存在なのか、極限状態に置かれた人間の行動の分析を通じて、よくよく考えさせられました。司法に関係する人にとって、必読の本だと思います。


          (2015年12月刊。3200円+税)

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