弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2016年12月15日

黒い司法

(霧山昴)
著者 ブライアン・スティーヴンソン 、 出版  亜紀書房

この本を読むと、アメリカのような国になってはいけないと、つくづく思います。
アメリカは収監率が世界一高い。総受刑者数は1970年代の初めに30万人だったのに、今は230万人までふくれあがっている。執行猶予中や仮釈放中の人は600万人。
2001年にアメリカで生まれた子どもの15人に1人は、やがて刑務所に行き、今世紀中に生まれた黒人男性の3人に1人が将来投獄される計算だ。
いま死刑囚監房で刑の執行を待つ死刑囚は数千人。
25万人もの子どもたちが成人用の刑務所に送られて長期刑に服している。そのなかには12歳以下の子どもさえいる。3000人近い子どもたちが終身刑を言い渡された。
アメリカは、少年に対して仮釈放なしの終身刑を科すことのできた世界の唯一の国家だ。
薬物犯罪で刑務所に収監されている人は、1980年に4万1000人だったのが、いまでは50万人以上になっている。
アメリカの刑務所にかかるコストは、1980年に69億ドルだったのが、現在は800億ドル。そこで、民間の刑務所建設会社や施設サービス会社は、州政府や地元自治体に何百万ドルと献金して、新たな犯罪を創出し、より厳しい判決を言い渡し、塀のなかにもっと人を閉じ込めろと彼らを説得して、さらにもうけようとしている。
民間企業の利潤追求のせいで、治安を良くし、大量投獄のコストを減らし、そして何より受刑者の更生を促進するという方向に向かうべきサイクルが絶ち切られている。おかげで州政府は公共サービスや教育、医療福祉の予算を刑務所事業に割り振っている。その結果、かつてないほどの財政危機にある。
黒人の死刑囚は、そのほとんどが、全員白人かほぼ白人ばかりの陪審による評決を受けていた。黒人は陪審から排除されてきた。
アラバマ州は、すべての判事をきわめて競争の激しい党派選挙で選んでいる。このような州は、アメリカ全体で6州のみ。
海外の戦争からの帰還兵は戦争のトラウマをかかえて地元となり、刑務所行きになることが多い。1980年代半ばまで、刑務所人口の20%が戦争経験者だった。ひところは、この割合は低下していたが、イラク・アフガニスタン戦争の結果、再び上昇している。
子どもの死刑を認めている国は、アメリカのほか、いくつかしかない。
アラバマ州は、ほかのどの州よりも、世界中のどの国よりも人口あたりの少年死刑囚の割合が高い。アラバマ州では、殺人の被害者の65%が黒人であるのに対して、死刑囚の80%が白人が被害者となっている。
フロリダ州では、2010年までに、殺人ではない暴行罪で起訴された100人以上の子どもが仮釈放なしの終身刑を言い渡された。そのなかには13歳もいた。
13歳とか14歳で終身刑を受けているのは、全員が黒人かヒスパニック系。
アメリカでは、1994年から2000年にかけて子どもの人口が増加したにもかかわらず、少年の犯罪率は下がった。「スーパープレデター」(超凶暴な野獣)が到来するという予言はまったくの間違いだった。
アメリカの刑務所は、いまや精神障害者の「人間倉庫」と化している。大量投獄の主たる要因は誤った薬物政策と過重な量刑にあるが、貧困者や精神障害者をむやみに強制収容したことも、受刑者の記録的増加を招いた原因になっている。
2002年、連邦最高裁は知的障害者に対する死刑を禁止した。知的障害をもつ死刑囚は全国で100人。
2005年、連邦最高裁は子どもの死刑を禁じたが、そのとき死刑囚監房にいた子どもの既決囚は75人ほど。
アメリカでは、女性囚人が1980年から2010年まで646%も増えた。これは男性の増加率の1.5倍。全国で20万人もの女性が収容されており、100万人以上の女性が監視・管理下に置かれている。これらの女性受刑者の3分の2は、ドラッグや窃盗などの軽罪で入っている。女性受刑者の80%近くに未成年の子どもがいる。母親が収監されると、子どもたちは暮らしにくくなる。
いやはや、大変な国ですよね、アメリカという国は・・・。過度の重罰化は、こういう状況を生み出すわけです。寒々とした光景ですが、この本は、そのなかでも果敢にたたかっている弁護士によって書かれていますので、そこに救いがあります。
(2016年10月刊。2600円+税)

2016年11月17日

錆と人間

(霧山昴)
著者 ジョナサン・ウォルドマン 、 出版  築地書館

サビをめぐる面白い話です。
アラスカには1300キロの長さの原油を運ぶパイプラインがある。そのパイプラインの中を錆探知のロボットが走っている。すごいロボットです。長さ5メートル、重さ4.5トンというのです。それをどうやってパイプラインの中を動かすのでしょうか・・・。並々ならぬ工夫と努力が必要なようです。そして、それをクリアーしてこそアラスカの地に人間らしい生活ができるというわけです。そこには、どうやら日本の科学技術も貢献しているようなのです。なにしろ、敵はサビです。どうやって見つけ、また、その手当てをするのが、難問ぞろいでした。
サビのおかげで、原子力発電所では少なくとも数人が死亡し、あわや原子炉がメルトダウンを起こしようになった。核廃棄物の保管も困難である。
世界最強のアメリカ海軍にとっての最大の脅威は、なんとサビなのである。そして、世界最強のアメリカ海軍は、サビとの戦いに敗北しつつある。
給水本管を守るため、水道水にも腐食防止剤が含まれている。水を陽イオン満載にして、腐食性を弱めようとしている。
宇宙にすらサビがある。そこでは分子酸素ではなく、原子状酸素があるからだ。ほとんあらゆる金属が腐食の餌食になる。
ニューヨークの港にある自由の女神像も骨組みがサビついていた。女神像にある1万2千個の骨組み用リベットの3分の1は緩んでいるが、あるいはなくなっていた。骨組みの約半数が腐食していた。
異種の金属同士が触れると腐食が起こる。それは、電池が機能する仕組みによる。銅と鉄の間に水分があるのは、こつの金蔵が接触しているのと同じほどの問題がある。結局、塗料のせいで、女神像は巨大な電池と化していた。
高さ91メートルの女神像の修復のためにカンパで集めた14億ドルがつぎ込まれた。
食品缶詰工場で働く人々の乳ガンの発症率は一般集団の2倍になっている。それも閉経前なら5倍である。
防食技術者の平均年収は10万ドル。防食技術者の11%は年に15万ドルを稼いでいる。年収20万ドルをこえる人も4%いる。
サビとは、金属原子が環境中の酸素や水分などと酸化還元反応を起こすことで生成される腐食物。
サビについて、人間との深い関わりを認識しました。
(2016年9月刊。3200円+税)

2016年11月 3日

「その日暮らし」の人類学

(霧山昴)
著者 小川 さやか 、 出版  光文社新書

東アフリカのタンザニアで15年にわたって零細商人に密着し、そのタンザニアの町での商慣行、商実践そして社会関係を調査している日本人(女性)学者のレポートです。
ところ変われば、品変わると言いますが、日本人にはとても理解できない状況です。そこでは、日本人の一般常識はまったく通用しません。
タンザニアでは、一つの仕事に収入源を一本化するのは、リスキーなことである。
タンザニアの人々のもつ事業のアイデアは、その後の人生において実現することもあるが、少なくとも、その実現が一直線に目ざされることはない。
タンザニアの都市住民にとって、事業のアイデアとは、自己と自身が置かれた状況を目的、継続的に改変して実現させるものというより、出来事、状況とが、その時点でのみずからの資質や物質的、人的な資源にもとづく働きかけと偶然に合致することで現実化する。
このような仕事に対する態度は、彼らの危機的な生活状況を反映している。彼らは一方で、計画を立てても、本人の努力ではどうにもならない状況に置かれている。
計画的に資金を貯めたり、知識や技能を累積的に高めていく姿勢そのものが非合理、ときには危険ですらある。
「明後日の計画を立てるより、明日の朝を無事に迎えることのほうが大事だ」
一日くらい食事を抜いても、同じ境遇の仲間がいて、明日を語りあうことが楽しいと思えるし、重労働をこなせる自らを誇りに思うことができる。
広告産業が未発達なタンザニアでは、流行がコントロールされていないので、消費者の需要・嗜好の多様性はゆっくりとしか変化していかない。
タンザニアでは、2000年ころから、中国に渡航して商品を買いつける商人が急増している。国の法や公的な文書は価値をもたず、香港や中国に商人本人が出向いて、みずから対面交渉をし、そこで取引の詳細と輸送までの手続をたしかめる。そうしなければ騙されやすい。人々は大企業の権威を無視し、具体的な人間との関係性でしか動かない。対面的な関係こそが信頼できるすべてである。
旅行者扱いで短期的に中国・広州に入ってくるアフリカ人は年間20万人にのぼる。
中国のコピー商品は、消費者の心を動かす価格にまで一気に引き下げ、そこから売れた商品の価値を徐々につり上げていく。
アフリカでは、今、ケータイによる送金サービスが発展している。これは、銀行のサービスを利用できない人でも、利用できるので、どんな奥地の農村部でもつかわれている。
いやあ、目を大きく開かせられる思いのする、面白い本でした。著者は、よほどアフリカ、タンザニアの現地に溶け込んでいるようです。アフリカの人々の物事の考え方を理解するに役立つ本だと思いました。
(2016年7月刊。740円+税)

2016年10月26日

移民大国アメリカ


(霧山昴)
著者 西山 隆行 、 出版  ちくま新書

アメリカには毎年100万人の合法移民が入国している。不法滞在者は1000万人をこえる。移民大国であるアメリカは、このところ中南米系とアジア系の移民が急増しており、2050年までには、中南米系を除く白人は人口の50%を下回ると予測されている。
日本と違って住民票の存在しないアメリカでは、10年ごとに人口統計調査が行われる。
アメリカの黒人は、1960年に人口の11%だった。2011年には12%で、2050年には13%と、横ばいで推移するとみられている。
中南米出身者は人口の17%であり、黒人をすでに上回っている。
アジア系は2011年に人口の5%で、2050年には9%にまで増大するとみられている。
共和党は、非白人票をあまり獲得できていない。中南米系は一貫して共和党より民主党を支持している。
白人ブルーカラー労働者は、1980年代以降、支持政党を民主党から共和党に変える傾向がある。主として黒人の福祉受給者に対する反発からである。
近年のアメリカでは、中南米系、アジア系、黒人のすべてにおいて、民主党に政党帰属意識をもつ人は、共和党に政党帰属意識をもつ人よりも多い。その結果、共和党は白人の政党、民主党はマイノリティの政党という傾向が顕著になりつつある。
オバマ大統領は、奴隷を祖先にもたない。アメリカの全黒人の10%が奴隷と関わりのない人々になっている。
日本では、人口10万人あたりの収監者数は58人。アメリカは730人。収容者には黒人男性と中南米系男性の比率が非常に高い。
アメリカは移民を受け入れることによって発展してきた国。アメリカは先進国のなかでも、生産年齢人口が増大し続けている稀有な国だが、それは比較的若年の移民を受け入れ続けているから。
なぜアメリカでトランプのような大統領候補が生まれ、一定の強固な支持を得ているのか、その理由を探る本でもあります。
(2016年6月刊。820円+税)

2016年10月14日

バーニー・サンダース自伝

(霧山昴)
著者 バーニー・サンダース 、 出版  大月書店

 思わず涙が出てくるほど感動しました。大学生時代の初心を、こうやって今なお貫いていること、そしてそれが多くの心あるアメリカ市民に支持されていること、それを知って私の心まで熱く震えてしまいました。すごい人です。
 バーニー・サンダースはアメリカで民主党の大統領候補にあと一歩というところまで迫りました。ヒラリー・クリントンが金持ち階級の代弁者だとして人気がないことにも助けられたのでしょう。でも、バーニー・サンダースの主張は、アメリカの多くの若者の心をがっしりつかんだのです。ここに私は、アメリカの未来があると思いました。
 バーニー・サンダースは社会主義者を名乗り、一貫して無所属だった。大統領選挙に向けてだけ民主党員になった。
 今のアメリカには貧困層と弱者を代表する主要政党がない。そして、貧困層を叩くことは、今や「上手な政治」だ。
「この国の貧困層は、母豚の乳を吸う大きな子豚だ。彼らは、この国のもたらす便益をみんなもっていってしまう。いつも人を食い物にしているんだ」
アメリカでも日本でも、保守反動の政治家は貧困層を叩いて、中間層の喝采を得ています。自らは金力も権力もある自民党の政治家が、ことあるごとに生活保護受給者を目の敵にして、ぜいたくな生活をしているかのように叩いています。そして、その尻馬に乗る、決してリッチではない中間層がいます。悲しい現実です。
 アメリカの現在の主たる危機は、失業ではなく、労働者階級の賃金が急送に低下していること。失業率が高いことは問題だが、それよりさらに深刻なのは、アメリカの労働者の実質賃金が過去20年間に16%も低下したこと。
 これは、日本も同じですよね。アベ政権下で、労働者の賃金が低下する一方なので、消費・購買力が低下しているため、日本の経営回復の目途がいつまでたってもたちません。アベノミクスの失敗は明らかです。
バーニー・サンダースは、シカゴ大学の学生のとき、人種平等会議、学生平和連合、青年社会主義者同盟の一員だった。図書館では、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロッキー、フロイト、フロム、そしてもちろん、ジェファーソンもリンカーンも読んだ。すごいですね。そして、ベトナム反戦運動にも取りくんでいます。
サンダースが公職に立候補しようと思ったのは、今日この国の政治状況が本当に危険であることに多くの人が気がついていないと思ったから。
 はじめは1%、そして2%・・・。バーリントン市長に選出されたときには、わずか14票差(数え直しの結果、10票差)だった。ところが、その後は市長に3回も再選された。
サンダースの選挙運動の基本は戸別訪問。運動員が組んで、一軒一軒を歩いてまわり、対話して支持を広げていくのです。日本で戸別訪問が禁止されているのは、本当におかしいと思います。買収の温床になるというのですが、とんでもないことです。個別訪問を一律に禁止するのは憲法違反だとする下級審の判決がいくつも出ましたが、自民党は一向に公選法を改正しようとしません。買収で摘発されるのは圧倒的に自民党なんですけど・・・。
 アメリカ社会の重大な政治的危機は、働く人々が黙ってしまうことだ。もし組織労働者の5%が政治的に活発になれば、アメリカの政治的・社会的政策を根本的に変えることが出来るだろう。今日、大多数の低所得労働者は投票に行かない。働く人々の圧倒的多数は無力感を抱いている。
そして、投票率をあげるだけでなく、政治プロセスについて、市民への教育をもっとしっかりやらなければいけない。今こそ、学校で若者に民主主義の教育をすべきだ。
労働組合の積極的役割について、テレビのゴールデンタイムで語られ、紹介されるべきなのだ。
戦争は政治家が始める。そして、戦場で政府のために命を危険にさらした男女がいざ助けを必要としているとき、その同じ政府に背を向けられてしまう。許しがたい非道だ。
これは、アメリカのことですが、今、同じ状況が日本にも起きようとしています。
 アフリカ(南スーダン)へ日本の自衛隊を派遣して、なんで日本の平和が守れるというのですか。反対ではありませんか。日本の若者がアフリカの地で、殺し、殺されることを日本にいる私たちは黙って見ていいのですか。私は、そんなことは止めてほしいと思います。弁護士会も、そのための行動を起こしています。
 久しぶりにたぎる思いに接し、胸が熱くなりました。あなたも、ぜひ手にとってお読みください。 
(2016年6月刊。2300円+税)

2016年9月27日

トランボ

(霧山昴)
著者  ブルース・クック、 出版  世界文化社

 映画を見逃してしまったのは残念でした。東京では満員で入れず、福岡では上映時間が1回のみで、時間が合わず入れなかったのです。
 素晴らしいヒーローがいる。大きな障害と戦い、強力な敵の迫害にあったヒーローが。それに、すべて本当に起こったこと。おまけにハッピーエンドの実話だなんて、めったにお目にかかれない。
 アメリカ映画の有名な脚本家は、アカというレッテルを貼られて映画界から追放された。しかし、才能ある彼は友人の名前を借りて発表し続けた。生活のためだ。そして「ローマの休日」など、誰でも知っている映画の脚本を書いて大当たりをとった。
 「オレはハリウッド一の脚本家ではないかもしれない。でも、仕事の早さにかけては並ぶものなしだ」
 トランボは、小説「ジョニーは戦場へいった」の著者でもある。
 トランボは、急速な社会変革を求める急進主義者だった。
 戦争が始まったとき、限られた選択肢のなかから、共産党員になる道を選んだ。
 トランボはスイミングプール・コミュ二ストと呼ばれ、裕福だった。
 ハリウッドでは、才能ある人は、ドルをたくさんもらえた。そして、あとでブラックリストに載せられたとき、仲間を密告するより、そのプールを進んで手放した。
 トランボは、刑務所から出てすぐから、すさまじい不屈の精神と攻撃性で仕事を勝ちとり、苦難を乗り切った。
 トランボは、苦境にあっても抜け目なく、前向きな男だった。
 トランボは仕事を頼まれて、断ったことがほとんどない。いつも限界以上の仕事を引き受けた。貧しかった少年・青年時代を忘れていなかったからだろう。
 トランボは、衝動的でありながら、粘り強く、その集中力は、ほとんど執念にひとしいものだった。 
 トランボは、アイデアノートをもっていた。使いきれないほどのアイデアが書き込まれていた。将来必要になったときのために、アイデアを書きためていた。それをもとに脚本を書き、売れたら、アイデアノートから、その項目を消してしまう。
 1943年12月トランボはアメリカ共産党に入った。1944年5月アメリカ共産党の党員は8万人だった。ニューヨーク市で1945年に2人の市議会議員が当選した
 「入党を後悔したことはない。いや、入党しなければ後悔していただろう。それは、生きることそのもので、歴史上の重要な時期、今世紀で、もっとも重要な時期、もっとも壊滅的な時期の一部になることだった」
 1935年から45年のあいだに、共産党にかかわった人は100万人に近い。
 トランボは、ハリウッドのなかで、表だって共産党員として激しくたたかった。協調路線はとらなかった。 
 トランボは現実主義者だったから、刑務所行きになることが分かっていた。それで、しっかりと目を見開き、志を高くもって、苦難の道を歩きはじめた。
 トランボに励ましや称賛の電報が殺到した。しかし、トランボには汚点がついた。
 トランボは1948年に共産党を離党した。
 トランボが刑務所に入ると、そこには、トランポを刑務所送りにした元国会議員のバーネル・ノーマスと出会うことになった。給与の水増し請求をして、実刑をくらったのだった。せこい国会議員は、アメリカにも日本にもいるのですよね・・・。
 刑務所には入れられたけれど、トランボは自分のしたことに自ら罪の意識はなかった。HUACへの協力を拒否したことは誇らしい行為だったと確信していた。
トランボは模範囚として2ヵ月の減刑があり、10ヶ月間で刑務所から出てきた。
トランボは、1975年に正式にオスカー賞が与えられた。そして、翌76年9月に亡くなった。
 アメリカにも、すごい映画人がいたのですね。マッカーシー旋風、そして今なお激しいアカへの偏見が根づいているアメリカで果敢にたたかった、その勇気と才能には驚嘆するばかりです。
(2016年7月刊。2000円+税)

2016年9月 8日

ハーレムの闘う本屋

(霧山昴)
著者  ヴォーンダ・ミショー・ネルソン 、 出版  あすなろ書房

 むかし、私も一度だけ夜のハーレムに足を踏み入れたことがあります。小さなライブハウスに行き、生演奏のジャズを間近で聞かせてもらいました。
 昼間、ハーレムを観光バスで案内されたとき、ガイド氏がここは火事が多い、それは火災保険が目当てだったり、立退き要求のいやがらせだったり、と説明してくれました。昼間から何をするでもなく街角にぼさっと突っ立っている人々を見て、やはり怖い気がしたものです。
 この本は、そんなハーレムの一角に堂々と黒人専門書の本屋を営んできた黒人男性の生きざまを紹介しています。その知恵と勇気に、読んだ私も大いに励まされました。
 映画『マルコムX』の本物のマルコムも、この書店の常連だったそうです。何枚もの写真が紹介されています。
わたしは、「いわゆるニグロ」ではない。「いわゆる」とつけたのは、ニグロは物であって、人間ではないからだ。この言葉はつくられた言葉だ。ニグロは、使われ、虐げられ、責められ、拒まれる「物」なのだ。それがニグロの役割だ。それを受けいれ続ける黒人に未来はない。すごい言葉ですね。43歳のときにこう言ったのでした。
ルイスは、19歳のときに泥棒して捕まったとき裁判官にこう言った。
「俺は、生計を立てるためにやったことがもとで、ここに入れられたんだ。白人だって、同じことをしてるのにさ」
「何のことだ?」
「盗みだよ。あんたたちはアメリカにやって来て、インディアンからアメリカを盗んだ。それに味をしめて、今度はアフリカへ行って俺の祖先を盗み、俺たちを奴隷にしたんだ」
まったく、そのとおりなんですよね・・・。
人々は、ルイスを「教授」と呼んだ。その理由について、ミショーはこう答えた。
「黒人関係の本については、人に教える立場だからだろう。大学で習う知識が悪いわけではないが、ひとつのことで生きてきた人間の経験を見くびっちゃいけない。それに私には、これ以上は言えないという制約がない。口ごもることはなし、原稿を見てしゃべるわけでもない。飼い慣らされたニグロは、靴をみがいてやっている連中の機嫌を損ねないように言葉を選ばなければいけないからな・・・」
「ここに知識がある。頭に知識を入れることより大事な仕事はない」
ルイス・ミショーの本屋はハーレムの7番街にあって名所になっていた。
65歳のルイス・ミショーは朝起きたとき、今日は何も起きそうにないと思えば、何かを起こす。そういう人間だ。もめごと大歓迎。
ルイス・ミショーの弟は、こう言った。「本屋は大成功だった。俺の考えは間違っていた。頭のいかれた兄貴は、黒人に本を買わせた。白人にもだ。それも、アフリカ中心主義の本を。俺なら絶対買わない」
マルコムXが暗殺される前に、ルイス・ミショーはマルコムXにこう教えた。
「白人には責任をとってもらわなければいけないことがたくさんある」
「マルコム、そんなときには、ニワトリは最後にはねぐらに帰るものだ、と言えばいい」
マルコムXは1965年2月22日、教会で説教を始めたとたん散弾銃を持った男たちに殺された。まだ39歳だった。
ブラック、イズ、ビューティフル。しかし、知識こそが力だ。ハーレムで暴徒が荒れ狂って略奪が横行したときにも、ルイス・ミショーの本屋は無事だった。誰も手を出さなかった。ルイス・ミショーは言った。
「私は暴力を好まない。言葉を武器としてたたかっている。でも、なぜこれほど多くの黒人が怒りに駆られているかは理解できる。暴力は天国から始まった。神は敵である悪魔に対して暴力をふるった。神は悪魔を天国から追い出したが、それは暴力だろう。旧約聖書は、神が暴力を認めていることを一貫して描いている。神にとって暴力をふるうことが正しかったのなら、必要なときが来れば、私にとっても正しいはずだ。切り倒されるときに、黙って立っているのは樹木だけだ」
すごい人がいたものです。本好きの私には、こたえられない本でした。同好の士に対して強くご一読をおすすめします。
(2016年4月刊。1800円+税)

2016年8月24日

クリントン・キャッシュ

(霧山昴)
著者  ピーター・シュヴァイツァー 、 出版  メディア・コミュニケーション

 アメリカで民主党の大統領候補として、社会主義者を自称するサンダースが予想以上に健闘して、アメリカの民主主義もまだまだ捨てたものじゃないと思いました。
 大富豪のトランプに比べたらヒラリー・クリントンのほうがよほどましな候補だと私は考えています。ところが、この本は、ヒラリー・クリントンがオバマ政権の国務長官だったころ、夫のビルと組んで「違法」な荒稼ぎをしていたことを暴露しています。
 その手口は巧妙なので、「違法」とは言いにくいかもしれませんが、汚れた権力者たちと一緒になって汚い金もうけをしていた事実は隠せません。
 ヒラリーもビルも、やっぱりアメリカの大統領として金持ち本位の政治しかしていないんだな・・・、そう思うと、悲しい気持ちにもなりました。
 クリントン財団は、これまで外国の政府、企業、資産家から巨額の資金を受けとってきた。そして、それは「愛のしるし」だと説明されている。
 クリントン夫妻は、しばしば外国の団体からお金を受け取っている。
 その結果、クリントン夫妻は現在、異常なほど裕福になっている。
 2001年から2012年にかけてクリントン夫妻の総所得は少なくとも1億3650万ドル。
 ビル・クリントンの個人純資産は5500万ドルと推定されてる。
 つい先日の新聞では、クリントン夫妻の年収は10億円だと報道されていました。
 ビル・クリントンは、年平均で800万ドルを世界各地での講演料として受け取った。
 1回あたり50万ドル(5000万円)、75万ドルをこえることもある。
 なぜ、そんなに高額の講演料が支払われるのか、一体誰がそんな巨額のお金を支払うのか・・・。
 クリントン大統領は、任期最後の日に、マーク・リッチに対して恩赦を与えた。マーク・リッチは石油トレーダーであり、資産家であり、脱税犯であり、逃亡者だった。
 ヒラリーが上院議員であるあいだに、ビル・クリントンが得た巨額の講演料の3分の2は外国から入ってきた。ヒラリーが国務長官になってからは、さらに膨れあがり、数千万ドルがサウジアラビアやクウェート、アラブ首長国連邦といった外国政府や海外の資産家からクリントン財団に流れ込んだ。
 ビル・クリントンの講演料と国務長官時代のヒラリーの意思決定とのあいだには相関性が認められる。
 クリントンの講演料は大統領を退任したあと、減っていった。ところが、ヒラリーが2009年に国務長官になると、ビルの海外での高給の講演は劇的に増えた。ヒラリーが国務長官として外国に直接的な影響を与える問題について絶大な力をもっているときに、ビルの講演料は高額だった。
 クリントン夫妻は、クリントン財団への主要な寄付者の名前を公開していない。
 クリントン財団の評議員のうちの4人は、金融犯罪で告発され、有罪判決を受けている。独裁者や王族、法的な問題をかかえた海外投資家がクリントン財団への主要な寄付者にいるのは間違いない。
 こうなると、トランプにしろ、ヒラリーにしろ、「1%」のための大統領でしかないということになりますね。それをアベ首相が見習っているわけです。なんとかして早く変えたいものです。
(2016年2月刊。1800円+税)

2016年8月17日

戦地の図書館

(霧山昴)
著者  モリー・グプティル・マニング   出版  東京創元社

 いい本です。読書は人に欠かせないもの、本を読むと人間は楽しくなる、そんなことを実感させてくれます。
根っからの活字中毒症である私にとって、我が意を得たりの思いで、満足感もありました。ナチスドイツは大学生に本を読むなと言って、禁書を燃やす「祭典」をしました。なんと野蛮なことでしょう。アメリカは、その反対に戦地にいる兵士へどんどん本を送り届けました。
そのなかにはボストンで禁書とされたような本まで含まれていました。そして、そのために国民の本の供出を呼びかけ、さらには軽いペーパーバックの兵隊文庫まで大量生産したのです。そして、戦場で傷ついた兵士から、本を読んだ感想文が作家のもとに届きます。
戦友が死んでいくのを見た日から、ぼくは世の中が嫌になり、冷笑的になった。
何も愛せず、誰も愛せなくなった。心は死んで、動かなくなり、感情を失った。
ところが、本を読んでいるうちに感情が湧いてきた。心が生き返った。自信まで湧きあがり、人生は努力次第でどうにでもなるんだと思えるようになった。
兵隊文庫には、すばらしい物語がある。軽くて携行に便利なペーパーバックで、手に入れやすかった。兵隊文庫をもっていない兵士はほとんどいなくて、みな尻ポケットに入れている。
ナチスドイツが葬り去った本は1億冊。アメリカは1億2千万冊の兵隊文庫を兵士に無料で提供した。
アメリカが戦争に勝ったのは物量の差だけではなかったのですね、初めて知りました。
兵隊文庫の本に入った作家は、多くの兵士と文通友だちになった。兵隊文庫は数知れぬ兵士の心を動かした。精神面で勝利すれば、戦場で勝利できるだろう。戦場で負傷した多くの兵士が、本を読むことで癒され、希望をもち、立ち直った。読書には心身の傷を癒す効果があることが証明された。
1939年に販売されたペーパーバックは20万冊。それが1943年には400万冊をこえた。
あれこれ迷うな。一冊つかめ、ジョー。そして前へ進め。あとで交換すればいいんだから。
これは兵士たちへの呼びかけ。人気の本は兵士たちに徹夜で読まれ、他の兵士へまわされた。
日本軍との死闘がくり広げられたサイパン島には、海兵隊の先発隊が上陸して4日後に兵隊文庫を満載した船が到着し、その3日後には、図書館が建設された。
これでは日本軍が負けるのは、ごくごくあたりまえ、必然ですよね・・・。
戦争前には読書週間のなかったアメリカの青年が読書好きとなり、アメリカは世界最高の読書軍団を擁することになった。だから、戦後、復員した元アメリカ兵は大学に入って勉学にいそしむのです。その年齢制限も徹廃されたのでした。
戦争の実相についても、いろんなことを教えてくれる本でした。
(2016年5月刊。2500円+税)

2016年7月22日

パークアヴェニューの妻たち

(霧山昴)
著者  ウェンズデー・マーティン 、 出版  講談社

 ニューヨークはマンハッタン島に住むセレブ族の女性の生態が著者の体験を通じて明らかにされています。いやはや、大変なところです。
 マンハッタンのアッパー・イーストサイド、70丁目台のパークアヴェニューに住み、子どもたちのためにママ教室に通い、子守と言い争い、他のママとお茶をして、富裕層向けの音楽レッスンに願書を出し、保育園の審査を受けた。
 マンハッタン島のなかには、母親という別のシマがある。アッパー・イーストサイドの母親たちは、一般人とは違う特殊な種族だった。彼女たちの社会は、ある種の秘密社会で、独自のルールや儀式、制服や移動パターンが行きわたっている。
 アッパー・イーストサイドの子どもの日常は、誰の目から見ても尋常ではない。専属運転手、子守、ハンプトンズまでの自家用ヘリ。2歳児のための「まっとうな」音楽教室。幼稚園の入園試験と面接に合格するための3歳からの家庭教師。4歳になったら遊びの約束のコンサルタント。そして、子どもの送迎にふさわしい服を母親たちにアドバイスしてくれるワードロープ・コンサルタントもいる。
ここのママたちの日常は、まさしく奇怪と言える。彼女らは愛情あふれる母親であると同時に、勝ち組になる、ひいては勝ち組の子どもの母になることを固く決意した、企業家なみの野心をもった君主でもある。
あちこちのアパートメントのロビーで、おしゃれバトルが繰り広げられる。女性たちが、来る日も来る日も、服装を競いあうのだ。ブルネロクチネリやロロ・ピアーナを着てめかしこんだ女性が、西部劇の決闘場面さながらに明け方に一堂に会する。
そして、服とともにバッグがことさら重要なのだ。バッグは、甲冑(かっちゅう)であり、武器であり、旗であり、さらにはそれ以上のものらしい。攻撃する女性は、みな高級バッグを持っていて、標的にそれをこすりつけるのを喜んでいるようだ。
バーキンのバッグ。1年に2500個しかつくられない。8千ドル(80万円)とか、15万ドル(1500万円)のバッグ・・・。マンハッタンの誰もがバーキンを欲しがる。なぜか・・・。バーキンは、とりわけ高いステイタスシンボルであり、女性にとっては究極のシンボルといってよい。憧れの的であると同時に、希少なバーキンは女性同士の敵対心を、マンハッタンの女性たちのあいだであまりにも頻繁にみられる接触や視線のなかに潜在する女性の執着心を引き出す。
マンハッタンの女性のヒエラルキーで上の位置する女性が美容にかける1年分の費用は、最低でも9万5千ドル(950万円)かかる。靴は600ドル(6万円)とか1200ドル(12万円)。
たとえば、ハイヒールを一晩中はくためには、足に注射しておく。足の一部の神経を麻痺させておくのだ。
体裁を取つくろって、体面を保つ。それが、この地域の掟であり、生き方なのだ。
 セレブ女性たちの生態は恐ろしすぎて、とても近寄れません・・・。
(2016年4月刊。1600円+税)

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