弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アジア

2010年10月24日

ヒマラヤに咲く子供たち

著者:内野克美、出版社:中央大学出版部

 ネパールの子どもたちの実に生き生きとした笑顔にたくさん出会える写真集です。
 でも、ネパールでも、ストリート・チルドレンが増えているそうです。残念なことです。
 ここにも日本語学校があり、数ヶ国語を話す子どもが珍しくないとのこと。たいしたものです。
 ネパールでは兄姉が弟妹の世話をよくしています。兄弟姉妹よく助けあって生きているのですね。
 エベレストにのぼるときに40日間の旅をしたようです。すごいことですね。
 超大型カメラで撮影したエベレスト(8848m)の写真は迫力満点です。ゴツゴツとした威容に思わず息を呑みます。
最後に、その超大型カメラがうつっています。本当に大きいですね。8×10というのは、タテ8センチ、ヨコ10センチというのでしょうか。人間の頭よりも大きいカメラをもって、ヒマラヤの自然や人間を撮りまくっているのです。すごい迫力の写真集です。
 ネパールは、今、10年間続いた内戦がようやく終わって、一応平穏だということです。このまま平和が続くといいのですが・・・。
 内野さん、お疲れさまですね。私と同世代のようですが、無理をしないで、また、超大型カメラで撮った写真を見せてくださいな。
(2010年4月刊。2600円+税)

2009年11月18日

トルコ狂乱

著者 トゥルグット・オザクマン、 出版 三一書房

 申し訳ないことに、トルコ独立戦争というものがあったことを初めて知りました。直接の敵はギリシャです。そして、そのギリシャの背後にはイギリスがいました。
 当時のイギリスの首相は、ロイド・ジョージです。日本では、河上肇が『貧乏物語』において手放しで大絶賛していますが、トルコにとっては、最悪の帝国主義の体現者でしかありません。ウィンストン・チャーチルも同じ穴のむじなでした。
 トルコで空前のベストセラーの小説です。正規版60万部、海賊版で300万部が売れたそうです。なにしろ、上下2段組800頁もある大部の本なのです。速読をモットーとする私も、トルコのことをほとんど何も知らなかったため、遅読にならざるをえませんでした。
 トルコ人にとって、このギリシャとの独立解放戦争に勝利したというのは、今日なお莫大な遺産なのである。
 ムスタファ・ケマル(アタテュルク)は、独立戦争後の1927年、反対派を一掃して一党支配体制を確立した翌年の党大会で、60日間、36時間をかけて行った大演説で、党員たちを前に独立戦争の終結を宣言した。
 当時のトルコは、まだオスマン帝国でもあった。しかし、人口1300万人、農業は原始的、産業はないに等しく、港や鉄道、そして鉱山は外資系企業のもの。識字率は7%(女性は1%)、大学は1校のみ。
 イギリスの後押しを受けたギリシャ軍がトルコ領土内に侵攻してきたとき、トルコ軍は満足な軍隊を持っていなかった。ギリシャ軍は優秀な装備と兵力で、トルコ軍を次々に撃破して、首都アンカラに迫って来た。そのとき、アタテュルクが反撃作戦の指揮をとった。極めて困難な戦いを先験的というか、卓抜・奇抜な戦略・戦術で逆転し、ついにギリシャを完膚なきまでに打ち破り、ギリシャ軍の指導部を一網打尽式に捕虜にしていった。その奇襲作戦をふくめた軍事指導の見事さには圧倒されてしまいます。
 この本を読むと、外国との戦いに勝つためには、単に武器が優越しているだけでは足りず、国民を戦争目的に向かって総動員できる意義、大義名分が欠かせないということが良く分かります。今日のトルコを知るために欠かせない貴重な本だと思いました。
 ただ、この本はタイトルがよくありませんよね。「狂乱」というのはマイナス・イメージを与えてしまいます。

 熊野古道は世界遺産に登録されています。人工的なものを使って道路を整備したらいけないということです。山にある岩や石をつかったり、材木を利用して道路を歩きやすくするのはいいけれど、海岸の意思を持ち込んではいけないのです。コンクリートやアスファルト舗装などはもってのほかです。とても歩きやすい道になっています。ところどころにある休憩所のトイレも水洗式で気持よく利用できます。熊野には3回お参りする必要があるそうです。好天に恵まれましたのでまた行きたいと思っています。このツアーを企画した大阪の弁護士は和歌山県出身です。串本の近くの小・中・高校を卒業して東大に入りました。それを聞いた仲間が「だったら君は地元で神童と言われていたんだな」と声をかけたら「いえ私は真郎です」と答えて大笑いとなりました。大川真郎弁護士です。

(2008年7月刊。3800円+税)

2009年9月 5日

ガザの八百屋は今日もからっぽ

著者 小林 和香子、 出版 JVCブックレット

 2008年12月27日、イスラエルはガザへ大規模な軍事進攻作戦「鋳られた鉛作戦」を開始した。60機もの爆撃機、軍用ヘリコプター、無人航空機が100発以上の爆弾を50以上の標的に投下した。そして1月3日、地上部隊が侵攻した。
 23日間に及んだ軍事進攻によって、1440人の死者、5380人の負傷者が出た。民間人の死傷者の半数は、女性と子どもたち。国際法で禁止されている白リン弾の使用も、民間人の被害を広げた。3554軒の家屋が被害にあった。避難民2万人以上。難民を支援する国連機関の本部ビルも被害にあった。
 日本国際ボランティアセンター(JVC)は、2002年から、ガザで子どもの栄養改善を中心に活動をすすめてきた。著者は2003年からガザで活動に従事している日本人女性です。すごい勇気です。敬服します。今後とも安全と健康に気をつけてがんばってください。
 ガザの人口は1948年に8万人。その後、20万人の難民が押し寄せ、現在は150万人。その多くは難民キャンプに住んでいる。
 度重なるイスラエルによる軍事侵攻と、厳しい封鎖政策は、ガザに住む人々を援助に依存せざるを得ない状況に追いやった。ガザは、屋根のない「巨大な刑務所」と化した。JVCは、他の国際NGO団体と共同して子どもたちの栄養改善に向けたプロジェクトに取り組んでいる。25の幼稚園の園児2500人に対して、1日1パックの牛乳と1パックの栄養ビスケットを配りはじめ、今では160の幼稚園、2万人の園児を対象としている。
 イスラエルとアラブが平和的に共存できることを私は願っています。どちらにも過激派がいて、相手を軍事的に制圧しようと考えているようですが、やはり武力ではなく、話し合いによって平和的共存の道を採るべきではないでしょうか。
 もちろん、これって、口で言うほど簡単ではないと私も思います。しかし、それしかないと言わざるをえません。 
 
(2009年6月刊。840円+税)

2009年5月16日

絶対貧困

著者 石井 光太、 出版 光文社

 アジアからアフリカまで、スラム街などの貧困地帯に体当たり取材をした著者による総集編というべき本です。改めて、問題の所在を認識させられました。
 世界リアル貧困学講義として全14回に分けて展開されます。そして内容は、スラム編、路上生活編、売春編と、三つに分かれています。いずれも、なるほど、そういうことなのか、と思わされる内容ばかりです。
 スラムの住人は、不潔なところに住むため、感染症にかかり、バタバタと死んでいる。スラムの中では免疫力のある人だけが生き残るという自然淘汰がなされている。
 5歳児未満の死亡率(1000人あたり)は、日本で4人、アメリカで8人であるのに対して、アフガニスタンでは257人、シエラレオネでは270人となっている。これって、とてもすごい、悲惨なことですね。
 大麻は、人々が公園で堂々と楽しんでいる。ヘロイン中毒者たちは物陰に隠れて吸っている。売り手はあまりもうからず、その裏にいる密売組織だけがもうかる。
 銃の価値はアフリカが一番安い。カラシニコフ(AK47)は、もとは1万円したが、今では3000円とか、ついには1000円にまで落ち込んでいる。
 しかし、スラムは決して恐ろしいところではない。スラムに暮らす9割の人が表の仕事をし、正義感を持ち、立派に生きている。スポーツだって、勉強だってしている。もし、本当に危険なところなら、著者がちょこっと行って、写真までとって帰ってこれるわけがない。なーるほど、そうなんでしょうね。でも、それにしても、著者って勇気ありますよね。
 スラムは、全体としては明るい地区ではあるが、一部の人は隠れたところで、犯罪に手を染めている。そうなんでしょうね。ただ、そこから脱出するのは大変なことでしょう。
 日本に来ているフィリピンの女性たちは、親族全員の生活を背負って出稼ぎに来ているのだから、取れるところからは徹底的に取る。本国に送金しても、その恩恵に多くの人があずかろうとして寄ってたかって吸い上げるため、これだけ稼いだら十分ということはない。だから、10年間も働き続けて、1000万円以上も送金してきたのに、本国に帰ってみたら、実家はいっそう貧しくなっていたなんてこともざらにある。うひゃあ、そ、それはたまりませんね。
 出稼ぎ労働者の多くは、背水の陣で海外に出ており、夢破れたからといっておいそれと帰れるような状況ではないので、そうした人々が外国人路上生活者として年に居着くようになる。
 ストリートチルドレンの多くは、幼いうちに死亡する。薬物による中毒死、酩酊状態のときに事故に巻き込まれる、感染症による死、栄養失調など。そして、ストリートチルドレンには、トラウマがつきまとう。
マフィアのような犯罪組織が手がける、レンタルチャイルド・ビジネスとは、赤子を誘拐して数年間は貸し出し用として使う。その子が6歳になったら、一人で物乞いさせ、儲けの全部を奪う。インドの犯罪組織は、誘拐してきた子どもに障害を負わせて、大金を稼がせようとする。障害児となった子どもたちは、共存していくために、マフィアへの恐怖や恨みをすべて忘れ去り、自分が悪かったから目をつぶされたのだと自らを納得させようとする。
 なんということでしょうか……。おー、マイガッ、です。なんてひどい話でしょう。
 アフリカでは地域によって、売春婦の9割以上がHIVに感染している。途上国では、なんとか一日2~3食を食べていくために売春するという意味合いが強い。
 貧困の現実を知るきっかけとなる本でした。目をそむけてはいけないと現実があるのだと思いました。

(2009年3月刊。1500円+税)

2008年4月25日

インド

著者:堀本武功、出版社:岩波書店
 富豪の数でもインドの躍進はすさまじい。2007年度版の世界長者番付は世界の富豪(10億ドルつまり1200億円以上の資産家)946人をランク付けしているが、インド人はそのうち36人を占め、アジア1位の座を獲得した。日本は、これまでアジア一位を占めてきたが、今回は24人でしかない。日本人トップの孫正義は129位で、インド人のトップは5位。
 海外に印僑は2000万人いる。その1割はアメリカにいる。インド系アメリカ人は 230万人いて、アジア系では、最大の人口増加率にある。
 冷戦期に大学教育を受け、印米関係が最悪だった時期に青春時代を過ごした40歳以上のインド人のインテリには、社会主義への親近感とともに、反米的傾向が顕著だ。
 インド経済の成長にともなって、自動車などの耐久消費財を購入する余裕をもつ中間層が急速に増加している。アメリカの総人口に匹敵する3億人の中間層がいるとアメリカのブッシュ大統領は言ったが、それほどでなくても、2億人には近い。それにしても多いですよね。中間層だけで日本の総人口より多いのですからね。
 インドのITサービス産業は70万人を直接雇用し、250万人に間接的な雇用を提供している。
 インドのITサービス輸出額の7割はアメリカ向けである。
 インドの農村に貧困者が2億人近くもいる。問題は、現在も3億人は読み書きができないということ。うむむ、これって、大問題ですよね。
 しかし、人口増加がインドの強みである。インドでは、24歳以下の人口が全体の半分(54%)を占めている。圧倒的に多い若年層は、豊富な労働力であり、今後とも、インドの長期的な成長を支えていくだろう。
  インドの選挙では、替玉投票、投票済み投票箱の強奪、差し替えなどの不正が日常茶飯事である。候補者殺害事件も起きる。議員の質も低下している。国会議員の4分の1(136人)が犯罪歴をもつ。しかし、そうは言っても、インドは世界最多の有権者をもつ。有権者が6.7億人もいて、世界最大の民主主義国でもある。
 テレビは120チャンネルもある。
 今、世界的に注目されているインドについての基礎的な知識を得られる本です。しかし、それにしても、インドのミタル製鉄がヨーロッパの製鉄会社を吸収合併してしまい、日本の新日鉄まで併合のターゲットになっているというのですから、恐るべき変化です。
(2007年9月刊。1000円+税)

2008年1月18日

戦争の後に来たもの

著者:郡山総一郎、出版社:新日本出版社
 私は、まだカンボジアに行ったことがありません。アンコール・ワット、ポル・ポトなどですっかり有名なカンボジアですが、戦争の傷跡が今も深く残っていることがよく分かる写真集です。現実から目をそらしてはいけない。そんな思いから、しっかり写真を見つめました。
 「希望の川」というタイトルの写真は、ゴミの山と、そこに住み、ゴミをあさる大人と子どもの写真です。集落はゴミの上に建っています。スラムがありますが、そこよりさらに貧しい層のバラックもあるのです。1日中ゴミを集めて得る収入が100円だというのです。屋台で食べると50円かかるというのですから、とても十分な生活はできません。
 私の小学生低学年のころ、「10円うどん」という素うどんを売っている店がありました。私が高校生のとき、大学生になった兄が昼に110円の定食を食べていると聞いて、ずい分ぜいたくしているんだなと思ったことがあります。40年以上前のことです。しかし、カンボジアの話は、まさに今日の話です。
 OECDが「極端な貧困」としているのは年間所得370ドル。しかしカンボジアでは、その貧困ラインは、プノンペンで55ドル、農村部では33ドル。ケタ違いの貧しさなのです。5歳以下の死亡率は14%、7人に1人の子どもは5歳まで生きられない。そして全人口の85%が農村部に住んでいる。
 「シェルター」というタイトルの写真は、15〜0歳の女の子たちの暮らす施設。外国系NGOが運営している。顔を写さない、場所を特定しないようにする、「売られたのかどうか」訊かない。この3条件が取材が許可されたときの条件でした。「売られたかどうか」という質問は、それが呼びおこす忌まわしい記憶が、子どもの精神状態を悪化させる心配があるから禁止されているのです。大変なことですよね、これって。
 カンボジアの国境沿いでは、1ヶ月に500〜800人の子どもが売り買いされている。値段は1人50ドル。売られた子のなかには、臓器売買に利用される子も少なくない。幼児売春を目的とした「セックス・ツーリスト」の相手をさせられる子もいる。
 そして、その「セックス・ツーリスト」の8割は日本人。プノンペンで「どこの国の女が良かった」「あそこは安くて若い娘がたくさんいる」という日本語が聞こえてくる。本当に同じ日本人として恥ずかしい限りだ。つくづく同感です。カンボジアの売春婦の3割は売られた女性だそうです。
 「エイズ病棟」の写真は、さらに悲惨です。カンボジアではHIVに感染する人が後を絶たない。感染率は15〜49歳で2.6%、これは最悪。そして、エイズ発病を抑える薬は高価で、月60ドルもする。
 最後は地雷です。カンボジアに今も埋まっている地雷は600万発。世界中に7000〜1億1000万発の地雷が埋まっていると言われているが、カンボジアは世界で最悪の国の一つ。今も年に800人以上の死傷者が出ている。農村の13%に地雷が埋まっている。全世界で毎日70人、20分に1人が地雷によって殺傷されている。年間にNGOが処理している地雷は10万発。ところが、新たに250〜500万発が埋められている。地雷の生産コストは200〜500円。しかし、その処理コストは10万円。
 ひゃあ、世の中はひどいこと、すごいこと、むごいことだらけなんですね。
(2005年11月刊。1600円+税)

2007年12月28日

神の棄てた裸体

著者:石井光太、出版社:新潮社
 今どきの日本の若者はエライ!つい、このように叫びたくなる本です。こんな危なっかしい現地まで、よくぞ足をふみ入れたものだという思いに駆られる報告がいくつもあります。なにしろ、スラム街に入りこみ、そこで生活をともにしながら底辺の人々の生活をじっくり観察するのです。危険なことは言うまでもありません。世界の現実は依然としてなかなか厳しいものがあることを痛感しました。
 バングラデシュの首都ダッカの町には路上生活者がいる。スラムの住人なら、粗末ながらも家族と生活している。路上生活者は孤独のうちに寄せ集まって生活している。
 そこには人さらいが暗躍している。子どもを誘拐して、売り飛ばす。男の子なら金持ちの家に売る。労働力として、6歳から8歳の子を外国へ売ることもある。女の子は、売春宿に売る。10歳から13歳になれば1000円から1万円で売れる。それも普通の売春宿ではなく、女を殴ったり、蹴ったりできるような売春宿だ。金持ちが子どもを売買する。しかし、自分の手は汚さない。路上生活者に子どもを誘拐させて、利益だけを得る。
 いま、中東では外国人娼婦やホステスが増加している。オイルマネーで潤っていること、欧米より容易にビザが取得できること、イスラムの戒律が厳しくて現地の女性が働けないことなどによる。
 ホステスは、ロシア、ルーマニア、ウクライナなどの白人かモロッコ出身の女性だ。白人女性は金髪や青い瞳を武器に、モロッコ人女性はアラビア語が話せるイスラム教徒であることを武器に男の気を引く。白人はモロッコ人を「がめつい詐欺師」、モロッコ人は白人を「でくのぼうの売春婦」と中傷して客を奪いあう。
 いま、中東だけで数百万人いや数千万人の出稼ぎ労働者が入っている。アラブ首長国連邦(UAE)では、人口450万人のうちの8割近くが外国人労働者だ。
 サウジアラビアも人口の4分の1ほどが外国人労働者だ。レバノンでは家政婦のほとんどが外国人だ。それは、フィリピン、インドネシア、スリランカなど貧しい国の出身者。もっとも犯罪に巻きこまれやすいのがフィリピン人。中東にはフィリピン人が40万人以上も働いている。同じ家政婦でも、インドネシア人やスリランカ人は英語ができないから、アラビア語の習得が早い。フィリピン人は、なまじ英語ができるために金持ちの雇い主と英語で会話をするため、現地社会に溶けこめない。そして、家政婦をまるで奴隷のように扱い、強姦事件や暴行事件にまで発展することがある。
 戦争が大勢の男たちを殺し、女たちは生きるために身を売らざるをえなくなる。親を戦争で失い、身寄りのない子どもたちは路上で生活するしかない。大きくなって奴隷のように働かされるか、身を売らされる。戦場体験が人々の心身を狂わせていく。そんな光景が臨場感をもって語られます。勇気ある28歳の日本青年のアジア底辺探訪記でした。その勇気と文才に拍手を送ります。
(2007年9月刊。1500円+税)

2007年12月20日

私は逃げない

著者:シリン・エバディ、出版社:ランダムハウス講談社
 ある女性弁護士のイスラム革命というのが、この本のサブ・タイトルです。シリン・エバディ弁護士は2003年にノーベル平和賞を受賞したイランの人権派弁護士です。「イランの鉄の女」とも「イランの良心」とも呼ばれます。
 多くの知識人がイランを脱出するなか、エバディ弁護士はイランにずっと踏みとどまり、暗殺リストにのる生命の危険をも顧みず、人権問題とりわけ女性と子どもの権利を守り、そして知識人が迫害される政治的事件を手がけてきた。もともとはイラン初の女性裁判官だったが、ホメイニ革命のあと女性が判事から追放され、しばらくして弁護士として復活した。
 シリン・エバディは1947年6月21日生まれですから、私より1歳年長です。1970年3月、23歳で裁判官になりました。私がまだ大学生のころです。私が弁護士になったのは1974年、25歳のときでした。法律のことがまるで分からないまま、恐る恐る実社会に足をふみ出しました。そのときの不安な気持ちを今もはっきり覚えています。2年間の司法修習生としての見習い期間も、法律の勉強より青法協(青年法律家協会)などの活動に忙しく、地道な法律解釈は私の性にまったくあっていませんでした。
 1982年、シリン・エバディ弁護士は自宅にあった。マルクス、レーニンの本を庭に積み上げて燃やした。ホメイニ師に反対する勢力が次々に銃殺されていったからです。
 私は幸いにして、今も、学生時代に買い求めたマルクス・レーニンの本を燃やすことなく後生大事にもち続けています。もちろんホコリをかぶっていますが・・・。いえ、実はいま学生時代のことを書いていますので、ときどき引用しようとして取り出しています。
 そんなイランの状況を見限ってイランの知識人が次々に国外へ脱出していった。およそ400〜500万人のイラン人が20年間にイランを出国していった。
 「ここにいては子どもたちの未来はない。子どもたちの未来がもてるようなところに連れていってやる必要がある」
 「じゃあ、イランに残った子どもたちの未来はどうなるのよ。残るということは、未来がないっていうこと?」
 「キミの子どもがもっと大きかったら、キミだって出ていくよ」
 「ちがうわ。私は絶対にイランを見捨てたりしない。私たちの子どもは若いから、新しい世界の文化を吸収するでしょう。そうしたら、やがては、子どもたちも失うことになるわ」
 これはこれは、とてもシビアな会話です。こうやってシリン・エバディは家族ともどもイランに残ったのです。私だったら、きっと逃げ出したでしょう・・・。
 シリン・エバディはイランから出て行った人に手紙を書くことはやめた。誰かがイランを去ると、その人は亡くなったのも同然だった。
 ホメイニ革命後、イスラム刑法典は男性の命は女性の命の2倍の値打ちがあると定めた。そこで、9歳の少女の強姦殺人事件で、2人の犯人の男性を処刑する費用を被害者の少女の遺族に対しても数千ドルを支払うよう命じた。
 ええーっ、なんでー・・・。信じられません。野蛮としか言いようのない判決ですよ、これって。信じがたいことです。
 シリン・エバディは、平等と民主主義の精神に調和したイスラムの解釈こそ真の信仰の表明あることを確信している。女性をしばっているのは宗教ではなく、女性を引きこもらせておきたいと望む人々の恣意的な意思なのだ。
 ノーベル平和賞の受賞が決まってテヘラン空港に戻ったとき、シリン・エバディが叫んだ言葉は、「アッラー、アクバルー(神は偉大なり)」だった。何十万という多くの女性が深夜にもかかわらずテヘラン空港まで歩いてかけつけました。すごいことです。
 この本を読んで、やはり女性は偉大だと、つくづく思いました。
(2007年9月刊。1900円+税)

2007年4月 4日

ネパール王制解体

著者:小倉清子、出版社:NHKブックス
 本場の中国では、今や毛沢東を崇拝している人なんていません。昔は日本にもいましたが、今では聞きませんよね。ところが、ネパールでは、今も毛沢東主義を信奉し、武装革命を目ざす人々がいて、全土の8割以上を実効支配しているのです。なぜ、でしょうか。
 最新のニュースによると、毛沢東派も内閣に入って大臣を送り出したとのことです。内戦状態が終結すればいいですね。
 国王とマオイスト。世界のほとんどの国で既に過去の産物とみなされている二つの勢力が、ネパールでは21世紀に入って国家の土台を揺るがす存在にまで力をもっている。
 マオイストは、2006年3月の時点で、1万5000人をこす兵力をもつ人民解放軍と、さらに、ほぼ同じ規模の人民義勇軍をかかえ、国家の土台を揺るがすほどの勢力に成長している。
 ネパールには、右から左まで、さまざまな共産主義が存在する。国王の側近となり、王室評議会の会長にまでなった王室コミュニストさえいる。
 1949年にインドのカルカッタ(コルカタ)で創設されたネパール共産党は、何度も分裂・合併をくり返し、大小の政党を生み出した。1990年の民主化後に制定された新憲法でもヒンドゥー教を国教とし、国民の8割がヒンドゥー教徒だと言われながらも、宗教を認めない共産党がネパール政治に重要な役割を果たしてきたのは興味深いこと。
 ネパール共産党・毛沢東主義派ことマオイストが1996年2月に人民戦争を開始した当時、この小さな政党が8年足らずのうちに国土の8割を支配するほどの勢力になろうとは、誰も予測していなかった。
 2001年6月1日。ネパールの歴史を変えたナラヤンヒティ王宮事件が起きた。ネパールの第10代国王ビレンドラ一家五人全員をふくむ王族10人が殺害された。「犯人」の皇太子も2日後に死亡した。
 与党のネパール会議派も最大野党のネパール統一共産党も、真実を公にしない王室に抗議せず、逆に真相を求めて街頭行動する市民を抑えようとした。そんななかで、陰謀説を主張して国民の真情をひきつけたのがマオイストだった。
 王室ネパール軍がマオイスト掃討をはじめた結果、二つの勢力の全面対決が決定的となった。その結果、犠牲者が急増し、2006年はじめまでに1万3000人をこえる死者を出し、何十万人にも及ぶ人が村に住めず、国内難民となり、またインドへ脱出していった。
 マオイスト武装勢力のメンバーでは、女性が3割を占め、最低位カーストのダリットやマガル族などの割合が高い。マオイストは、国のため、あるいは党のための犠牲を最上のこととして教えられる。そのため、しっかりした思想があれば、死ぬのも怖くはない、と考えている。
 ネパールの山岳地帯に住む人々の多くは、モンゴル系民族だ。そのひとつマガル族は、全人口の7%を占める。民族の問題はマオイストが自分の体内にかかえる爆弾でもある。マオイストの党首プラチャンダもトップ・イデオローグのバッタライも、インド・アーリア系の最高位カーストであるバフンの出身。党幹部の構成をみると、今も高位カーストのバフンやチエトリの男性が大半を占めている。その点では、他の政党と変わりがない。
 ネパールの王室は陰謀を包みこんだ風呂敷。ネパールが統一されてから、1846年にラナ家による独裁政治が始まるまで、首相として国王に仕えた人物で自然死した人は一人もいない。
 1962年に始まったパンチャーヤト制度では、王室がコミュニストの増殖を促した。それは何としてもネパール会議派をつぶしたい王室の意図が背後にあった。
 日本はネパールの主要な援助国になっています。そのネパールの実情の一端を知ることのできる貴重な本だと思いました。
 著者は今年50歳になる東大農学部出身のジャーナリストです。日本女性はネパールでもがんばっているのですね。

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