弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2010年5月14日
弁護士・布施辰治
著者:大石 進、出版社:西田書店
布施辰治弁護士の孫であり、日本評論社の社長・会長であった著者が等身大の布施辰治の姿を明らかにした力作です。
布施辰治は2004年12月、大韓民国から建国勲章を授与され、孫である著者が代わって受けとった。なぜか?
布施辰治は明治13年(1880年)に現在の石巻市で生まれた。布施は一般に「社会派」の弁護士と理解されている。しかし、はじめから「社会派」弁護士だったはずはない。 1920年の「自己革命の告白」以前の布施は、熟達の刑事弁護士として花形的存在だったし、「告白」以後も、布施の意識は、生涯を通じて刑事弁護士だった。
すべての人間は、逮捕された瞬間に社会的弱者になるというのが布施の認識だった。
「人生まれて刑事被告となるなかれ」というのは布施の警句である。
刑事弁護人というのは、ボランティアとしては成り立っても、職業としては成り立たない。それを布施辰治は可能ならしめた。他の弁護士の3倍、いや5倍もの仕事をした。そして、その3分の1、5分の1のエネルギーを自分の良心に反しない限りでの民事事件にあてた。つまり、布施辰治はエネルギーの3分の1は、5分の1は食べるために、残りは世のため、人のために使った。
被告人は判決が心配で、よほど親切な弁護をされても不満を感じる。そういう被告をも満足させるのが本当の弁論だ。弁論が情理を尽くして被告の立場を理解したものであれば、被告は有罪で服役しても、その弁論に心を支えられ、自暴自棄にならずにすむ。
これは、布施が刑事弁護人として歩み始めたころに訓育を受けた刑務所長の言葉である。
うむむ、なるほど、そうなんです・・・。
布施辰治は政府からにらまれ、逮捕・起訴されて2度も下獄しています。
1回目は、1933年に3ヶ月の実刑。新聞紙法違反、郵便法違反。なんと、獄中の依頼人へ手紙を渡したことが郵便法に違反するというのです。信じられません。
2度目は1939年です。3.15事件の弁護にあたった日本労農弁護士団が一網打尽にされてしまいました。
治安維持法というのは、弁護人が被告人を弁護しただけで犯罪になり、実刑を科されるというのですから、つくづく恐ろしい法律です。
布施辰治は、1926年に朴烈・金子文子大逆事件の法廷に立って弁論した。同年、朝鮮に渡り、各地で演説会を開き、また、たたかう朝鮮の人々と交流した。
治安維持法では、日本人には一人も死刑判決が出ていないが、朝鮮人の処刑者は50人をこえている。この法律の重罰化は、もっぱら植民地対策だった。
布施辰治は、虎狼の職とされる判事・検事・警官にも、同じ人間としての惻隠の情、あるいは良心というものがあって、それを呼び起こすことができると信じていた。判事や検事の人間性を信じ得ぬものが、どうして被告人の人間性を信じ得ようか。
そのような性善説なしでは、弁護士の職は、あまりにもむなしい。判事・検事説得の可能性を信じること、この思いが彼の活動を、長い力のこもった弁論を支えたのだ。
うむむ、なるほど、なるほど、よく分かります。見習いたい、身につけたい指摘です。
(2010年3月刊。2300円+税)
2010年5月13日
犬として育てられた少年
著者:ブルース・D・ペリー、出版社:紀伊國屋書店
アメリカの子どもの40%は18歳までにトラウマになりうる経験を一度はする。
2004年、アメリカ政府の児童保護機関に児童虐待あるいはネグレクトが300万件報告された。そのうち90万件近くが事実だと確認されている。17歳未満の子どもの8人に1人が過去1年内に大人からなんらかの深刻な虐待を受けていて、27%の女性、 16%の男性が子ども時代に大人から性的虐待を受けている。
アメリカでは、1000万人の子どもが家庭内暴力のある環境にいて、毎年15歳未満の子どもの4%が親を亡くしている。毎年80万人の子どもが里親のもとで暮らしている。虐待を受けた子どもの3分の1は、それが原因で明らかな精神的な問題を抱えている。
人間は学ばなければ人間的にはなれない。すべての人間が人間的な心を持っているわけではない。
彼女は、とても幼い時期に性的虐待を受けたせいで、脳のシナプスが非常に不幸な形につながりを作ってしまった。彼女のごく幼いときに関わった男性たちと、加害者の少年が、男性とはどういうものかという概念と、異性への対処法を決めてしまった。幼いころ周囲にいた人々によって、人間の世界観は形づくられてしまう。
男が自宅に入ってきて母親を強姦殺人し、そばにいた3歳の女の子まで殺そうとしたが、奇跡的に子どもは助かった。その子はいったいどうなるのか・・・。
ノドを切り裂かれた3歳の子どもは、泣きながら手足をしばられ冷たくなっている血まみれの母親の死体を元気づけようとし、自分も慰めを得ようとしていた。どれほど心細く混乱し、恐ろしかったことだろう。だから、医師の質問を無視したり、隠れたり、特定のものを怖がったりするという症状は、トラウマを寄せつけないために彼女の脳が築き上げた防衛手段なのである。このような子どもを治療するには、この防衛手段を理解することがとても重要だ。
呼び鈴、そう呼び鈴からすべてが始まった。呼び鈴の音が殺人者の到着を告げたのだ。日常的にありふれたものが、彼女を終わることのない恐怖に陥れる記憶を呼び起こす合図に変わってしまった・・・。
脳は、おびただしい量の情報を処理するため、世の中がどういうものかを予期するため、パターンに頼らざるを得ないのだ。
脳は、いつも、現在はいってくるパターンを、過去に貯蔵されたひな型やつながりと比較している。この比較のプロセスは、最初、脳の最下部のもっとも単純な部分、危険に反応する神経系の始まりの部分で行われる。情報が処理の最初の段階から上がっていくとき、脳は、このデータをもう一度見直し、より複合的に検討と統合を行う。けれど、最初に脳が知りたいのは、今入ってきているこのデータには危険の可能性があるのか、ということだけだ。その経験が安全だと分かっているなじみのあるものだったら、脳のストレスシステムは活性化しない。しかし、入ってきた情報がとりあえずなじみがなく、初めてあるいはよく知らない体験だったとき、脳はすぐにストレス反応を始める。このストレスシステムがどこまで活性化するかは、その状況がどれだけ危険に見えるかによる。重要なことは、何もない状態では受け入れるのではなく、疑うのが基本だということだ。少なくとも、新しい、未知のパターンの活性に直面したときには、さらに警戒する。この時点での脳の目的は、より多くの情報を得て、状況を検討し、どれだけ危険かを判断することだけ。人間が出会う、もっとも危険な動物は常に人間なので、声や表情や身ぶりなど言葉以外の部分に悪意が感じられないかをじっと観察する。
落ち着いた状態なら、人は脳の皮質部分だけで楽々と生きていける。脳の最高の能力をつかって、抽象的なことを考えたり、計画を立てたり、将来の夢を考えたり、読書したりできる。しかし、何かに注意をひかれ、思考を破られたとき、人間は警戒し、現実的になり、脳の活動の中心を大脳皮質より下の領域に移し、危険を察知するために知覚を鋭敏にしようとする。刺激に反応しつづけ、やがて恐怖を感じるようになると、脳の下部のもっとすばやい反応をする領域に頼らざるを得なくなる。たとえば、完全なパニック状態になっているときに起こる反応は反射的なものであり、事実上、意識ではコントロールできない。恐怖は、文字どおり、人間の頭を鈍らせる。これは、短いあいだ、すばやく反応し、その場を生きのびるための性質だ。
幼い脳には適応力があり、愛情や言葉をすばやく学ぶことができるが、不幸なことに、そのせいでネガティブな経験の影響も受けやすい。3歳児までの、脳の重要な社会的回路が発達する時期にネグレクトされていたので、誰かを喜ばせたり、ほめられたりすることの喜びが本当には理解できない。教師や友だちを怒らせて、拒否されても、それが辛いという気持ちにならなかった。正常な発達をしておらず、人間関係を喜びに感じることができないので、他人の思いどおりにしなければならないという必要性を感じなかったし、人々を喜ばせてもうれしくなかったし、他人が傷つこうと傷つくまいと気にならなかった。
社会病質者が他人に共感できないのは、他者の感情を感じとれないのと同時に、他者への同情心がない。つまり、他人の気持ちがまったく分からないというだけでなく、他人を傷つけても気にしない、あるいは、積極的に傷つけたいと思うのだ。
虐待やネグレクトでトラウマを受けた子どもに対して何かを強制したり、威圧したりするのは逆効果で、さらにトラウマを与えるだけ。
いやはや、とんでもないケースが世の中にはあるものですよね。子どもたちの心の闇が、大きくなって手のつけられないほど肥大化して社会に対して復讐する。そんなことにならないよう、温かい目で子どもたちをしっかり受けとめ、抱きしめてやりたいものだと、つくづく思いました。とても勉強になる本なのですが、こんな残酷な現実があるなんて信じられない、信じたくないという気になったのも事実です。でも、とりわけ弁護士にとって必読の本だと思います。
(2010年2月刊。1800円+税)
2010年5月11日
リクルート事件、江副浩正の真実
著者:江副浩正、出版社:中央公論新社
今は昔の事件となってしまいました。リクルート事件です。
1988年、51歳の著者は30年ほどつとめた社長をやめてリクルート会長に就任。このとき、グループ売上1兆円、経常利益1000億円。そして、リクルート事件が「始まった」のは1988年6月18日の朝日新聞。川崎市助役の川崎テクノピアビル建設疑惑から。この助役は、結局、起訴されなかった。
著者は、映像の力は強い。新聞を読むよりテレビをみる方が辛かったと言います。
私は日ごろ、テレビを全然みませんが、それはテレビ映像の生々しさが嫌だからでもあります。事故や事件の生々しい映像は私の心にグサリと突き刺さってしまい、映像のインパクトが強烈すぎて、何ごとも考えられなくなるのです。
著者を病院で取り調べたのは今の検事総長(樋渡利秋検事)でした。
当時のリクルートグループは500億円の利益をあげていた。その1%の5億円なら、寄付は非課税になる。その枠内で政治家のパーティー券を購入していた。
つまり、現体制を維持することにリクルートは利益があると考えていたわけです。そのこと自体についての反省は、この本にはまったくありません。残念です。
この本には、検察官の取り調べ状況が「再現」されています。
「特捜の捜査がどんなものか見せてやる。捜査を長引かせているのは、おまえだ」
「バカヤロー!検察官に対して何たる態度だ。検察官をバカにするのもいいかげんにしろ!おまえの態度は、あまりにも自分本位で、傲慢だ!」
「実に不愉快だ。これまで、キミに好意をもっていたが、憎しみと変わった。憎しみが倍加した。なぜ素直に罪を認め、調書に署名しないんだ!」
「実に不愉快だ。罪名拒否の調書は裁判で不利になるぞ!今日は、もう調べをやめる。帰れ!」
拘置所の接見室における弁護士との面会について、本当は秘密は保持されていないのではないのかと著者は指摘しています。
極小カメラ分野で、日本は世界一の先端技術の国である。取調室内の天井ボードの穴に極小電子カメラを組み込んだビスのようなものを貼って、そこから髪の毛ほどの細い高速デジタル回線か、マイクロウェーブで映像を本庁へ送信する。マイクは小型の1センチ四方、2~3ミリの厚みで、接見室のテーブルや椅子の下に設置し、無線で音声を送る。本庁では、隠しカメラやマイクで取調室の様子をモニターしている。
以上は想像だという断りがついてます。本当だとしたら、恐ろしいことですね・・・。
検事が机を持ち上げる。積み上げられた書類がドーンと音を立てて落ちる。
「立てーっ!横をむけーっ!前へ歩け!左向け左!」
壁のコーナーぎりぎりのところに立たされ、すぐそばで検事が怒鳴る。
「壁にもっと寄れ!もっと前だ」
鼻と口が壁にふれるかどうかのところまで追い詰められる。目をつぶると、近寄ってきて、耳元で
「目をつぶるな!バカヤロー!!オレを馬鹿にするな!オレをバカにするな!俺を馬鹿にすることは、国民を馬鹿にすることだ。このバカ!」
鼓膜が破れるのではないかと思うような大声で怒鳴られた。鼻が触れるほど壁が近いので、目を開けているのは非常につらい。検事は次のようなことも言った。
「そのような態度だと、弁護士の接見を禁止する。弁護士の逮捕も考える」
「おまえは嘘をついていた」
検事は、たたみかけるように、怒鳴った。
「立て、窓際に移れ!」
「オレに向かって土下座しろ」
新聞が書くことは世論。新聞が書いているのに立件しないと捜査の権威が失墜してしまう。
特捜の人員は、たかだか30数名、新聞、テレビ、新聞やテレビなどの記者は、我々の数十倍いる。こっちは手が足りない。
特捜は、疑惑があると報道されたなかから、あげられそうな立派なものを選ぶ。
それにしても、検事の自白強要はいつもながらのやり方なのに驚いてしまいます。
(2009年10月刊。1500円+税)
2010年4月10日
負けない議論術
著者 大橋 弘昌、 出版 ダイヤモンド社
アメリカ(ニューヨーク州)の弁護士が、アメリカで鍛えた議論術を紹介しています。
アメリカと日本はまるで違うかと思うと、そうでもなく、意外なことに似たところ、共通するところが多いようです。
相手を説得したいときは、自分と相手の共通点を探してみる。出身地、学校、職業、家族構成、趣味など、何かひとつくらいは共通点があるはず。相手にその共通点を示し、同類の人だと思われるように議論を進める。そうすると、相手は賛同しやすくなる。
自分の誇らしい話をしたいときには、自分の失敗談や弱点をまじえて話すのが良い。
大きな目的を達成するためには、小さなことには目をつぶることも必要。すべてが自分の思い通りに動くとは考えないことである。
陪審員のいる法廷では、法律理論をふりかざしたからといって裁判に勝てるわけではない。むしろ優れた弁護士は、クライアントを有利に導く証拠をストーリー仕立てにして、陪審員の心の中に植え付けていく。陪審員の心に染みいる話を聞かせるのだ。
人間の判断は感情によって大きく左右される。合理的かつ論理的に判断しなくてはいけないときでも、実は感情にしたがって判断している。感情に訴えることは、議論に負けないための大きな力となる。
アメリカには、ルール・オブ・スリーという言葉がある。物事を説明するときに三つの要素で構成すると説得力が増し、受け手に覚えられやすくなり、スムーズに受け入れられる。
私は、いつも「2つあります」といって、指を2本たてて、「一つは……」、「もう一つは……」と話すようにしています。そして、これをたいてい2回は繰り返します。このとき、相手の顔つき、表情を見て、本当に分かってもらえたか、測りながら話をすすめるのです。
日本の弁護士にとっても、大変役に立つことが、たくさん書かれている本でした。
(2009年11月刊。1429円+税)
2010年3月 2日
こんな日弁連に誰がした?
著者 小林 正啓、 出版 平凡社新書
たいへん刺激的なタイトルです。私の身近な弁護士から、なぜ書評に取り上げないのかと尋ねられたのですが、そのときには私はこの本の存在を知りませんでしたし、もちろん読んでもいませんでした。慌てて東京出張の折に浜松町の大型書店で探し求め、その晩に一気に読みました。大変よく調べてあります。でも、本を読むだけではなかなか真相は分からないものだと実感させる内容でもありました。私は、この本で問題となった日弁連総会の全部に出席して、現場の雰囲気を体験しています。それをふまえて、この本の言う陰謀論って、ええーっ、何のこと……という疑問を禁じざるを得ません。
この本は、翌日、日弁連会館の地下の書店では正面の一等地に平積みしてありました。タイトルに惹かれて買う人が多いことでしょう。売れないモノカキの私としては、羨ましい限りです。
司法改革について、ひとつの参考文献になるものだとは思いますが、後付けだけではよくわからないので、この本にも紹介されている大川真郎弁護士の書いた『司法改革』(朝日新聞社)とか、日弁連執行部の内情をリアルに紹介する『がんばれ弁護士会』『モノカキ日弁連副会長の日刊メルマガ』(いずれも花伝社)も、ぜひ読んでください。
弁護士人口増員に必死で抵抗する日弁連の態度は、「既得権擁護」「思い上がり」という世論の集中砲火にさらされていた。
これは、まったくそのとおりです。決して財界だけが非難、攻撃していたのではなく、ほとんど全部のマスコミ、そして消費者団体も同調していました。このことから来る重圧はかなりのものがあります。日弁連執行部は、マスコミの論説委員や司法記者と緊密に懇談の場を持って、日弁連の主張を理解してもらうよう努力したのですが、あまりに溝は深く、容易に克服できるようなものではありませんでした。増員反対論者は、実情をよく話せば国民はきっと増員に反対する理由を理解してくれるとよく言いますが、私の実感では、それほど容易なものとは思えません。
老いてますます盛んな団塊世代の弁護士が会務を牛耳っている。
これは大半あたっていると団塊世代である私も認めます。しかし、実際には、司法改革をリードしてきたのは、団塊世代より一世代上の世代であることは客観的な事実であることを忘れてはいけません。それは中坊公平元会長をはじめとして、法曹三者をふくめた各界の指導者は残念ながら、みな団塊世代といったら失礼にあたる年長者の方々です。1962年生まれの著者からすると、団塊世代もその上の世代も同じように見えるのかなあと思ったことでした。
そして、「このままでは戦争になる、日本は再びアジアを侵略すると言う黴臭い議論」を唱えている弁護士のなかに、団塊世代もいることは事実ですが、日弁連総会で前面に立ってアジるのは、団塊世代というよりさらにその上の世代です。そして、これは「族」支配の構造とは無縁ではありませんが、直結しているわけでもありません。
「族」弁護士がいることは事実です。しかし、それは必要不可欠の専門家集団です。たとえば、倒産企業の再建や整理手続について、専門弁護士集団がいないと実務的に大変なことになって、日本経済が混乱することは必至ではないでしょうか。同じことは消費者や公害・環境問題、憲法そして司法問題についても言えるのです。
人権派弁護士は、弁護士人口を少数のまま抑え、経済的な余裕を確保することを人権活動の基盤と認識していた。これを弁護士の「経済的自立論」という。しかし、この理屈は根本的な弱点をかかえていた。日本では、弁護士が少ないために人権救済がいきわたっていない、という批判に耐えられないのだ。日弁連主流派は、経済的自立論を1994年頃までは主張するが、世論の支持をまったく受けられなかったため、以後、この理屈を封印する。
私も「経済自立論」には与しません。しかし、この考えには、今でも人権派弁護士かどうかを問わず、弁護士界の内部に根強い支持があることは間違いありません。
司法試験に合格するまでは合格者を増やせと声高に主張していたのに、合格したとたん、食えなくなるから増員には反対するという者が増える。これはいかがなものかという批判がかねてよりありました。
日弁連主流派という明確な潮流があるのか、私には判然としません。ただ、日弁連の歴代執行部を支持する勢力は、私をはじめとして相当数いて、強力であることは間違いありません。
近年、弁護士が経済的に困窮していることなどから、裁判所に政策形成を促す訴訟は減っていると思われる。
ええーっ、これって、どうなんですか……。とても弁護士が書いた文章だとは思えません。だいいち、日本の弁護士がすべて経済的に困窮していると言う事実は果たしてあるでしょうか。若手の弁護士、老齢の弁護士のなかに経済的に困窮している人がいることは間違いないと思います。しかし、弁護士が全員、「経済的に困窮してきている」などという事実は、私の周囲を見ましても認められませんし、弁護士白書にもそのような指摘はありません。政策形成を促す訴訟という意味では、私が長年やっている住民訴訟もその一つですが、少なくなっているとしたら、それは「経済的困窮」以外の要因にもとづくところが大きいと思います。
著者は1994年12月21日の日弁連臨時総会について、陰謀があったとし、日弁連の歴史上最大の失敗として記録されるべき大失態だと言います。しかし、私もこのときの総会に出席していましたが、陰謀があったなどと今も思っていませんし、「歴史上最大の失敗」「大失態」とも考えません。
あくまで司法試験合格者増に抵抗する日弁連の態度は、「ギルド社会の既得権擁護の思い上がり」として激しい批判にさらされることになった。その結果、日弁連は国民からまったく指示されなくなり、発言力を失って、当事者のイスから引きずりおろされることになる。
この「国民からまったく支持されなくなり、発言力を失って、当事者のイスから引きずりおろされ」たというのは、いささか言いすぎだと私は思います。ただ、それに近い状況が生まれていたことは事実です。この当時、マスコミ論調は極めて厳しいものがありました。
ところで、この本は、一方でこのように書きながら、「法曹人口の大幅増員が経済界の総意、あるいは、相対多数であったかについては疑問である」ともしています。これは、あとになって冷静に考えれば、という類の批判の典型ではないでしょうか。たとえば、小泉元首相が実現した郵政民営化について、あれは国民の総意でも経済界の総意でもなかったことは、今になってすれば明らかだと私は考えます。しかし、あのとき、それを押しとどめる勢力もいるにはいましたが、圧倒的に孤立させられ、奔流の中に押し流されてしまったのではないでしょうか。
著者が、「日弁連が法曹人口増に徹底抗戦せず、早期に一定の増員に応じていれば」としているのは、実は、私もまったく同感です。少しずつ増やしていき、地方における弁護士過疎も具体的に解消していっていれば、いきなり毎年3000人増ということにはならなかったと考えます。しかし、日弁連内には強固な増員反対論があり、それが足を引っ張っていて、徐々に増員するのを難しくしてきた経緯があります。
執行部、とりわけ日弁連会長のリーダーシップは大きいものがあります。それは認めます。それでも、日弁連が強制加入団体であって、右から左まで、自民党議員から共産党議員まで構成員とする団体である以上、そしてそのことが発言権の裏付けである以上、執行部が独走したり、内部の不団結をもたらすような方針は提起できないのです。そうすると、必然的に一歩足を踏み出すべきときに、時間が遅れたうえに半歩しか踏み出せないということが起きてしまいます。私も、日弁連執行部にいたとき、そのもどかしさを十分に体験しました。
たとえば、日弁連が強制加入性であることを批判し、任意加入性にせよという攻撃は最近こそ弱まりましたが、強烈なものがありました。結局、弁護士も行政の指導下に置き、その力を減殺してしまおうと言う動きは強力だったのです。日弁連がいろいろな政策提言をするのを嫌う政界・経済界の意向を反映した動きです。なんでも規制緩和という動きが大手をふるっていて、それとのたたかいに日夜苦労していたのです。
法曹一元に熱狂した多くの弁護士は、法科大学院構想を支持し、司法試験合格者の大幅増加を容認することになった。
著者はこのように書いていますが、この点についても違和感があります。「法曹一元化に熱狂した多くの弁護士」という書き方には、どれだけの根拠があるのでしょうか。私は法曹一元化になったらいいと今も昔も考えていますが、だからといって熱狂していないし、それを実現するために法科大学院を支持したという気持ちはほとんどありません。合格者を増やすのなら、確かに何年間かみちり勉強してもらった方が良いと考えたのでした。
著者は議論の現場におらず、あとから本を読んだだけで批判のための批判をしている気がしてなりません。著者自身は法科大学院について、当時どのように考え、また、今どのように考えているのでしょうか……。
著者は、「日弁連の惨敗」とか、「日弁連には、権力闘争の当事者となる能力がまったくない」と決めつけていますが、自身が弁護士であるのに残念だなとしか言いようのない表現です。
いろんな人のいる日弁連が、しっかりした議論をふまえて、一定の方向性を出すならば、それが全員一致でないとしても、世論にそれなりのインパクトを与えることができる力を日弁連は依然として持っていると思います。また、それを期待する国民は少なくありません。その点についての積極的意義が語られていないのは、残念無念としか言いようがありません。
(2010年2月刊。760円+税)
2010年2月19日
回想の松川弁護
著者 大塚 一男、 出版 日本評論社
松川事件が起きたのは、1949年8月17日のこと。私は生まれたばかりで、まだ1歳にもなっていませんでした。今では完全な冤罪事件であり、被告人とされた人々が無実であることは明らかなのですが、警察は事件直後から共産党の犯行だと大々的に宣伝したのでした。これによって、当時の国鉄や東芝の組合運動、当時は今と違って労働運動に力があったのです、は大打撃を受けてしまいました。
そのデマ宣伝をした新井裕・福島警察隊長(今で言う県警本部長)は、その後、左遷されるどころか、ついには警察庁長官にまで上り詰めた。もう一人。被告人からデタラメな「自白」調書をとった辻辰三郎検事も、検事総長にまでなった。
これって実に恐ろしいことですよね。これでは警察も検察も反省するはずはありませんね。シロをクロと言いくるめた人間が、それが明るみになっても出世していくという組織では、自浄作用を期待するのが無理でしょう。問題は、それが60年も前のことであって、今では考えられもしないことだと言いきれるかどうかです。私は言いきれないように見えます。最近のマンションへのビラ配布をした人を捕まえて23日間も勾留したというのも恐ろしいことではありませんか。
松川事件について、警察庁(当時の国警本部)は、盗聴器を警察署内の弁護人接見室にすえつけたが、弁護人らに警戒されてはっきり聞き取れず効果がなかった、と反省する報告書を部外秘で作成した。
ええーっ、と思いました。今でも、警察の面会室において、否認事件のときには立ち聞きされているんじゃないかと心配することがあります。留置所は弁護人にとって夜でも面会できるし、被疑者も煙草を吸わせてもらえるなど便宜の良い半面、こんな怖さがあるんですよね。
最近でも、全国刑事裁判官会同をやっているのか知りませんが、かつてはよく開かれていて、法曹会出版として公刊もされていました。
1954年に松川裁判で第二審・有罪判決を出した鈴木禎次郎裁判長が丸一日、裁判官合同で報告したということです。この鈴木裁判長は、有罪判決を言い渡すとき、「本日の判決は確信をもって言い渡す」との前口上を述べたことでも有名です。ところが、被告団が猛烈に抗議すると、たちまち、「真実は神様にしか分かりません」と逃げたのでした。実のところ、主任裁判官は無罪の心証を持っていて、もう一人の裁判官と鈴木裁判長も、有罪とする被告人の数が異なっていたというのです。ここまで評議内容が外部に漏れるのもどうかと思いますが、それはともかく、当時のマスコミは鈴木裁判長をあらん限りにほめたたえたそうです。マスコミもひどいとしか言いようがありません。権力迎合のマスコミほど、情けないものはないですよね……。
被告・弁護団が不当な有罪判決に対して即日上告したのに対して、当時のマスコミが「望みなきもの」と非難し、松川裁判を批判していた広津和郎氏などを揶揄していたというのも許せません。マスコミの事大主義的な態度は、今もときどき露見しますよね。
無実の人々が14年間も戦い続けて、やっと無罪判決を勝ち取った事件を弁護人として担当した著者が振り返っていますが、今日なお大いに学ぶべきものがあると思いました。
(2009年10月刊。2500円+税)
2010年2月12日
欠陥捜査
著者 三浦 良治、 出版 毎日新聞社
実際に起きた交通事故について、警察の捜査がいかに杜撰であるか、また、検察庁はそれを追認するだけのお粗末なものだということを、なんと現職の検察事務官が告発している本です。
この検察事務官は、大学生の息子さんがオートバイに乗って走行中にバスにはねられて即死したのです。その事故で、息子さんは一方的に悪い、バスに対して加害者だと決めつけられ、バスの運転手は何のおとがめもなかったことに憤慨しておられます。
この本を読むと、なるほど、オートバイに乗っていた息子さんだけが『死人に口なし』として一方的に加害者だと決めつけられるのは納得できないと思います。
警察の交通事件捜査についての対応は、事件処理を急ぐあまり、十分な捜査をしないことがある。殺人事件や汚職事件などに比べて、交通事件は件数が多いこともあるが、どうしても軽んじられる傾向が強い。
この事故では、死亡したオートバイの運転者のみを被疑者とする実況見分調書が作成された。しかも、調書の作成は、実況見分をした日のうちに終わっている。通常なら、数日から数週間たってから完成されるものであるのに……。
しかしながら警察官は、刑事訴訟法によって、罪とならないことが明らかな事件であっても、犯罪の嫌疑がないことが明らかになった事件であっても、これを検察庁に送付することになっている。ところが、バス運転手については、被疑者として扱われておらず、その結果として、当然のことながら検察官に送致もされていないため、捜査に不服があってもそれを訴える手段はない。
ないと言われても、著者はめげることなく民事訴訟を提起しました。バス会社を訴えて敗訴し、さらに県警(つまり国)を捜査不十分で訴えたのです。すごい執念です。しかし、残念なことに結局のところ、民事裁判で認められることはありませんでした。
私もオートバイに乗っていた青年の死亡事故を頼まれて2件ほど担当したことがあります。どちらも東京での事故でした。オートバイというのは、ちょっとしたはずみで死亡などの重大事故になると、刑事記録を読みながら思ったものです。
その事件では、遺族が1億円を請求していました。私はそれを知って、とてもそんな金額は認められません。印紙代がもったいないので、3分の1くらいにしましょうと提案しました。しかし、遺族からは即座にノーという返事が返ってきました。
そうなんです。遺族にとってはゼニカネの問題ではないのです。この検察事務官の指摘するとおり、原則として、刑事記録を誰でも(訴訟関係者は当然のこととして)見られるようにしてほしいと思います。
陽の暮れるのが遅くなり、日曜日は膝の痛いのも忘れてジャーマンアイリスの植え替えに励んでいたところ、なんと夕方6時を過ぎていました。
ジャーマンアイリスはいつも華麗な花を見事に咲かせてくれますが、とても丈夫で世話要らずの花です。球根がどんどん増えていきますので、株分けして知人に配って歩きました。
いま、庭にはたくさんの白水仙のそばに黄水仙が咲き始めました。ネコヤナギの白い綿毛のような花がつくと、春到来を思わせます。
チューリップの芽が少しずつ出ています。
(2009年11月刊。1500円+税)
消えた警官
著者 坂上 遼、 出版 講談社
これは警察小説ではありません。実際に起きた事件を丹念に追って再現した本です。菅生事件についての本は何冊も読みましたが、私にとって決定版と言える本です。
1952年6月1日の深夜、大分県菅生村(現竹田市)で駐在所が爆破され、現場付近で地元の共産党員ら3人が逮捕された。しかし、新聞発表によると現場で逮捕されたのは2人だけ。1人が消えていた。実は、この1人こそ現職の警察官であり、「爆破」事件を企図した張本人であった。駐在所の「爆破」自体が警察の仕掛けた「内部」犯行であり、共産党員2人はシンパを装った警察官に騙されて現場におびき寄せられただけだった。
この本は、当時、中国共産党にならって無謀な軍事路線をとっていた日本共産党の内情をあきらかにし、裁判所の法廷において弁護人たちが苦しい尋問を続けていたこと、そして、犯罪を引き起こした張本人である警察官(市木春秋こと戸高公徳)を潜伏中の東京で発見するまでの経過が生々しく語られていて、実に読み応えがあります。
いま、大分県弁護士会会長である清源(きよもと)善二郎弁護士の父親の清源敏孝弁護士が、地元の弁護人として登場します。まだ40歳の青年弁護士でした。私がUターンして福岡県弁護士会に登録したころも、かくしゃくとしてお元気でした。お酒が入ると、地元の神楽だったのでしょうか、見事な踊りを披露されていました。初めてお会いしたのは60代後半だったのではないでしょうか。
もう一人、福岡の諌山博弁護士も登場します。諌山弁護士と一緒の法廷に立ったのは数回しかありませんが、それはみごとな、堂々たる尋問でした。諌山弁護士が法廷にいると、それだけで裁判官もふくめて緊張するのです。たいした弁護士でした。
清源弁護士(父親)と一緒に羽田野忠文弁護士も弁護人として活動しましたが、この羽田野弁護士はあとで自民党代議士になったと思います。そして、検察官として鎌田亘検事が登場します。この鎌田検事は退官したあと福岡で弁護士になり、私も話したことがあります。温厚な人柄でした。
駐在所「爆破」事件があると予告されていて、毎日新聞の記者は警官隊と一緒に現場付近で張り込んでいました。そこへ共産党員が2人やってきたわけです。
ところが、この記者は、法廷ではあいまいな証言に終始してしまいます。
駐在所「爆破」といっても、犯人とされた一人は背が小さくて、背伸びしても門灯に届かず、その電灯をとりはずすことはできなかったことが現場検証で明らかになった。
さらに、「爆発」状況をよく見ると、内部に置いたものが爆発したとしか考えられないことが学者の鑑定によって明らかにされた。
つまり、警官隊や記者を待機させていながら爆発が起きなかったというのでは警察に取って具合が悪いので、確実に爆発する仕掛けがなされていたのでした。
市木春秋が実は戸高公徳という警察官だと判明するにいたった経過も面白いのですが、潜伏中の東京のアパートを見つけて張り込みをする状況も手に汗を握ります。
このとき共同通信のキャップとして指揮した原寿雄記者には先日お会いしましたが、今なお元気にジャーナリズムの第一線で活動を続けておられます。
戸高公徳の住んでいたアパートの電話番号は、警察幹部の女性秘書がこっそり教えてくれたというのです。人目をひくハンサムな斉藤茂男記者が得た情報でした。斉藤茂男の本もたくさん読みましたが、いつも感銘を受けました。
戸高公徳は、事件後は潜伏していたが、それでも手厚い保護を受け、表に出てからはホップ・ステップ・ジャンプの上昇階段を駆け上がった。警察大学校研修所教官、四国管区警察局保安課長、警察庁人事課長補佐、警察大学校教授、警視長、警察共済組合常務。ノンキャリア組にはありえない異例の大出世です。共産党を「ぶっつぶした」ことをこんなに高く評価する日本の警察って、いやはや恐ろしいですね……。ただ、本当に幸せな人生を過ごしたのか疑問だと著者は指摘していますが、私も同感です。戸高公徳の顔写真がなかった(黒く塗りつぶされています)のは残念です。どんな顔をしていたのか知りたいと思いました。
(2009年12月刊。1700円+税)
2010年2月11日
人間力の磨き方
著者 萬年 浩雄、 出版 民事法研究会
弁護士にとって実務に役立つ心がまえやヒントがたくさん盛り込まれている本です。
弁護士費用を値切る人は無責任な人間であることが多い。
これは、私も同感です。なんでも値切るような癖のついた人は、要注意です。
打ち合わせ中でも、電話には出るようにしている。目の前にいる客には失礼になるが、短時間で解決できるときは電話に出て解決するのがいい。
まったく同感です。下手すると1日に何本どころか何十本も電話がかかってくるのに、それをすべて「あとでこちらからかけなおします」なんて対応していたら、とても事件がまわりません。打合せ中や相談を受けているときには、かけて来た人の名前は目の前にいる客には分からないよう、事務局の書いたメモに従って対応します。事務員が依頼者の名前を呼ぶことは極力ないようにすべきです。
電話は相手の姿こそ見えないが、相手の品格はよく見える。
電話するときの姿勢は、そのまま相手に伝わるものだという指摘はあたっていると思います。
損保会社の顧問弁護士として、被害者本人の直接折衝にあたる。その示談交渉で駆け引きはしない。支払うべき賠償を事前に、または本人の面前で一気に計算し、そのメモを示して示談を迫る。
示談交渉は、相手の顔の表情を見ながら、一気に示談する。
示談交渉は、いかに相手方を説得するのか、まさに人間性の勝負なのである。
電話交渉は難しい。とにかく、弁護士も若いうちは電話で商売してはいけない。足を運んで、相手方と交渉する。そうすると、その人の熱意に打たれて協力する姿勢に変わる。面識のない人が電話で請求してくるときには、適当にあしらったらよい。
弁護士には、役者の要素がなければいけない。頭を下げたり、怒鳴ったり、ひたすら哀願したり、交渉のシナリオの展開を考えながら、計算して演ずる必要がある。
交渉は人間性の勝負である。人間性で勝負しながら、計算された演技をするのが交渉術の要諦である。
刑事弁護人は、被告人を裁いてはいけない。被告人を裁くのは裁判官である。しかしながら、刑事弁護人は常に被告人の言いなりになる必要はない。不合理な弁解に対しては、それでは裁判所に通用しないよと言いながら、法廷では被告人の言うとおりに弁論する。これは、被告人の納得感を満足させるためである。
民事事件については、基本的に和解で解決すべきものだと考えている。
この点、私もまったく同感です。
著者は証人尋問にあたって、もちろん証拠・記録を全部読みなおしたうえでのことでしょうが、メモなしで承認を尋問する。そのほうが躍動感があるからであると強調しています。これは言うは易く、行うは難しです。
弁護士への誘惑の実情、そして危険な落とし穴も紹介されていて、改めて大変勉強になりました。ただ、司法改革やロースクール(法科大学院)についての考え方には賛同できません。そこで優秀かつ真面目な若手がどんどん生まれています。
なにはともあれ、先輩弁護士としての教訓に満ちた本として一読をお勧めします。
著者は、全国に先駆けて当番弁護士を実施した福岡県弁護士会のなかで、その必要性と意義を真っ先に提唱した弁護士でもあります。まさしく先見の明がありました。
(2009年3月刊。2800円+税)
2010年1月17日
新参者
著者 東野 圭吾、 出版 講談社
いやあ、うまいです。読ませます。無理なくストーリーに引き込まれていきます。いつもながらすごいワザです。感心、感嘆、感激です。
この著者の本では、『手紙』が印象に残っています。かつて私の担当した、死刑判決を受けた被告人から、遺族への謝罪文を書くときに参考になる本を紹介してほしいと頼まれたとき、ためらうことなく『手紙』を挙げ、被告人に差し入れたことがあります。
この本を読んで、つい、短編読み切り小説の連作かと思ってしまいました。そうではないのです。たしかに、巻末の初出一覧を見ると、『小説現代』に2004年から2009年までの5年間にわたって連載されていた9編をまとめたもののようですが、なんとなんと、結局のところ、一つの殺人事件をめぐって多角的にとらえているのでした。
ありふれた日常生活を通して、推理を組み立てていく手法には無理がないどころか、うへーっ、こういうように見るべきなんだと、ついつい居住まいを正されたほどでした。
たとえば、こんなくだりがあります。
よく見ていてごらん。右から左に、つまり人形町から浜町に向かって歩いていくサラリーマンには、上着を脱いでいる人が多い。逆に、左から右に歩いて行く人は、きちんと上着を着ている。
今まで会社の外にいた人、いわゆる外回りの仕事をしている人たち。営業とかサービスをしていた人たちは、ワイシャツ姿で歩いている。反対に、左から右に歩いて行くのは、今まで会社にいた人たち。冷房の利いた部屋にいたから、外回りの人たちみたいに汗だくになっておらず、むしろ身体が少し冷えすぎているくらいだ。それで、上着をきちんときている。比較的年輩の人が多い。もう外回りしなくていい、会社での地位の高い人たちだ。
推理小説ですから、これ以上のなぞ解きは禁物です。2009年の最後を飾るにふさわしいミステリー本だったことは間違いありません。
この本を読んで、2009年に読んだ単行本は570冊を超えました。こんなにたくさんの本を読めて、私は幸せです。その一端を分かち合いたくて、書いています。
(2009年12月刊。1600円+税)