弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2025年6月 3日
眼述記
(霧山昴)
著者 髙倉 美恵 、 出版 忘羊社
脳梗塞で倒れた「毒舌」の夫と文字盤でバトルしながら駆け抜けた10年の記録。
これが本のオビのフレーズです。夫は全身マヒになったので、その意思表示はアイコンタクト。文字盤を目線で指し示し、それを読みとるのです。いったい、どうやって...。
透明の塩ビ板(厚さ1ミリ、幅30センチ長さ45センチ)を挟んで、互いの目と目の間を60センチほど空けて見つめあい、視線がぶつかりあう真ん中の文字を読む。
これって意外に難しそうですよね。でも、慣れたら、それなりのスピードで読みとれ、意思疎通が出来るそうです。
目線が動くことで見えていること、脳がその限りでしっかりしていることが判明してからのことです。脳梗塞と脳出血で倒れてから4ヶ月たったときでした。そして、初めてのコトバが「されるな」だったのです。夫からすると、食事のあと、すぐにマッサージするのは止めてくれという意思表示でした。もちろん、あとで分かったことです。妻からすると、夫のために一生けん命マッサージしているのに、「されるなって、何やねん」という思いでした。戦争のため植物人間のようになった「ジョニーは戦場へ行った」という映画をつい思い出しました。
新聞記者をしていた夫は、気がついたときには体が動かず、声も出せない。しかし、意識のほうは清明。それを妻や家族そして周囲の誰にも伝えることが出来ないという苦しみに陥っていたのです。作家の葉室麟の担当をしていたので、葉室麟がよく病室にも自宅にも見舞いに来たそうです。残念ながら葉室麟のほうが先に亡くなりました(2017年12月)。
夫が病院を退院するときの担当者会議には、なんと22人もの参加者があったとのこと。驚きました。病院スタッフと自宅でのケアに加わる人たちなどです。このときの心境を夫は、「地面に落ちたあめ玉みたい」だったと号泣した。
介護が辛いのは、家族の世話をすること自体ではなく、そのために介護以外のことをする時間がとれなくなること。なーるほど、それは辛いですよねゆっくり本を読んだり、テレビを見たり音楽を聞いたり、はたまたコンサートに出かけたりが、ほとんど無理になりますよね。
そして、車イスで動けるようになってから、映画好きの夫の希望で車イス席のある映画館に出かけるようになります。博多駅の9階にあるTジョイにはよく行っているようです。
訪問入浴は週2回、日額1万3千円。45分間のうちに洗いあげ、健康状態チェックまでしてくれる。
車イスでの外出介助は、担当に骨の折れる仕事だ。道路のデコボコや歩道の傾きに気をつけておかないと車イスごと転倒しかねない。街中は命に関わる危険に満ちている。
体が疲れるというより、神経がすり減ってしまう。深刻で大変だけど、笑える部分は大いに笑ってほしいと著者は書いています。私も遠慮なく、ところどころ大いに笑わせてもらいました。
夫はずっと笑えなかったようです。それどころか、よく号泣しました。感情失禁という、脳出血にともなう後遺症なのです。感情のコントロールがしづらくなり、すぐに怒ったり泣いたりするのです。夫は、ちょっと心が動くと、勝手に嗚咽(おえつ)が出てしまうので、あまり気にしなくてよいと説明。そうなんですか...。
まあ、本当に大変な介護生活ですが、すでに10年も続けているわけです。これからも、適当に息抜きしながら、やっていってくださいね。心温まる、いい本でした。
(2025年2月刊。1750円+税)
日曜日、午後からジャガイモを掘り上げました。まず、試し掘りをしてみたら、大きいものが出てきましたので、これなら大丈夫だと、掘り上げていきました。月曜日は雨が降るというので、それなら全部を掘り上げようと思い、がんばりました。
今年は大豊作でした。皮の紅い、サツマイモのようなジャガイモが半分です。これで、ポテトサラダそしてコロッケをつくってもらったら最高です。
小さいのは、そのままオーブンで焼いて食べました。ホクホクして美味しい味でした。
夕方、暗くなってから近くの小川にホタルを見に行きました。歩いて5分のところです。今年は、たくさんのホタルに出会えました。フワリフワリと飛んでいるホタルをそっと手の平に乗せてみます。すると、またフワリと飛んでいきます。ゆっくり、あわてず、そして一斉に明滅するホタルの姿を見ると、まるで夢幻の里にいるかのようです。
2025年5月12日
人類の祖先に会いに行く
(霧山昴)
著者 グイド・バルブイアーニ 、 出版 河出書房新社
この本の初めにネアンデルタール人などの顔が復元されています。いるよね、今も、こんな顔の人が...、ついそう思ってしまいました。
しっぽなしに直立して歩くのは人類の専売特許だ。
でも、チンパンジーが二本足で歩行している映像を見たように思いますが...。
四本足の動物は、脊椎は地面と水平なアーチ状になっていて、そこに内臓や胸部がぶら下がっている。なので、直立姿勢の獲得にともなって、胸部の重みが体の前面にかかるようになる。
お尻の筋肉がしかるべく収まるように、骨盤が変形・収縮したが、そのせいで、人類の出産はゴリラやチンパンジーとくらべて難事業となった。つまり、直立歩行に移行するため、ヒトは高い代償を支払った。
トゥルカナ湖は、東部アフリカの大地溝帯に位置している。そこで発見されたトゥルカナ・ボーイは頭蓋の容積が880㏄もある(現代人は1400㏄)。脳の容積が拡大し、手を使うようになっている。年齢は11歳前後、骨盤が縮小しているから、半・樹上生活から、完全に地上生活に移行していたとみられる。
女性が毛の少ない男性を好むようになる過程と、より優れた汗腺を発達させるために毛を失う傾向は、同時併行して進んだ。
ネアンデルタール人の化石には、相当な数の骨折の痕跡が認められる。傷を負うのは日常茶飯事だったということ。ええっ、これは知りませんでした。
中央ヨーロッパと西アジアに生息していたネアンデルタール人は、最多でも7万人は超えなかった。
ネアンデルタール人が食べていたのは、主として肉、ほとんど肉だけだった。
ネアンデルタール人は、貝殻や鳥の羽で体を飾っていた。
私たちヒトは、アフリカに起源をもつ。化石も、考古学的な発掘物も、みな、そのように伝えている。人類、みな兄弟、というのは、実は本当のことなんですよね。それを知ったら、肌や髪の毛の色で差別するなんて、とんでもないことだということです。
(2024年10月刊。2250円)
休日、午後から梅の実をもぎとりました。高いところは脚立を立て、それでも手の届かないところは叩いて落とします。今年は豊作でバケツに2杯分とれました。
昨年は全然でした。波があります。
今、庭には黄ショウブが一面に咲いて見事です。フェンスには紅白のクレマチスも咲いてくれています。
今年はアスパラガスはダメでした。ジャガイモが花を咲かしていますので、やがて収穫できるでしょう。ブルーベリーの花も咲いています。五月の青葉を吹く風は心地良いです。
2025年5月 6日
エッシャー完全解読
(霧山昴)
著者 近藤 滋 、 出版 みすず書房
なぜ不可能が可能に見えるのか、こんなサブタイトルがついています。なるほど、エッシャーの絵って不思議ですよね。一見すると、何の変哲もない精密画なのですが、よくよく見ると、不思議だらけです。どんどん階段を上にのぼっているかと思うと、いつのまにか下に進んでいます。そして、川の水が滝のように流れ落ちているのですが、その落ちた水が、どんどん上にあがっていて、再び滝になって落ちていきます。まったくありえません。
人間の眼は、いかに錯覚にとらわれているか、それを何より証明するものです。
エッシャーのだまし絵は見飽きることがありません。著者は、それがなぜなのか、科学的に究めています。すごいです。
著者がエッシャーのだまし絵に出会ったのは中学生のとき。少年マガジンの表紙(1970年2月8日号)に「物見の塔」があったそうです。この「塔」の絵も不思議なものです。建物のなかにあった梯子(はしご)を人間がのぼっていますが、いつのまにか建物の外に出ているのです。ありえません。
そして、1階と3(2?)階の向きがまるで違うのに、違和感がありません。
エッシャーの絵は自然で写真的に見えるのに、全体としては不可能建築になっている。
エッシャーはアメリカの雑誌「タイム」に取りあげられ、一躍、人気作家になった。1954年のこと。
エッシャー自身は学校では数学が苦手で、いつも落第点をとっていた。今と違ってコンピューターを活用できるわけではないので、エッシャーは手作業でトリック絵を描きあげていった。
エッシャーの風景画は、その対象をきわめて正確に写しとっている。
エッシャーは、どう考えても存在しえない構造の建築物を、限りなく自然に描くことで、実在しうるものと錯覚させることを狙ったのだろう。
エッシャーのトリックは次の三つから成る。
①原則として、線遠近法の決まりごとは厳格に順守する。
②見る人が錯覚を起こすように建物の構造を変える。
③違和感の原因になる構造を、建物以外のアイテムでごまかす。
エッシャーは、自分では「デッサンが下手だ」と言ったが、それは、存在しないものを空想で描くことは出来ないという意味。
エッシャーの絵を一人で黙って見つめているだけで、画面中にたくさんトリックがあることに気付かせない。でも、どこか変だなと思って、よくよく見ていると、トリックがあることが分かってくる。
エッシャーの絵をもう一度よくよく見ることにしましょう。楽しい本でした。
(2025年1月刊。2700円+税)
2025年5月 5日
ひろい海にぼくたちは生きている
(霧山昴)
著者 長倉 洋海 、 出版 ありす館
この著者(写真家)の写真と文章には、いつも感服しています。子どもたちの目がキラキラ輝いているのに心が惹かれます。
今回の子どもたちは基本的に一日中、海上で生活しています。東南アジアにスールー海というのがあるそうです。初めて知りました。インドネシアでしょうか、ボルネオでしょうか...。フィリピンではなさそうです。
陸に上がるのは、とった魚を売りに行くときだけ。固い地面を歩くのは不思議な感じがするというほど、海上生活が中心です。舟の上にすべてがある。料理も食事も、みんな舟の上。
赤ん坊が生まれると、すぐ海に入れる。まず、泳ぎを覚えるため。とれた魚を町で売って、また海に戻っていく。
島に生えるヤシの木と魚で、自給自足の生活を営む人々。ヤシの木は、実だけでなく、殻も葉も幹も、すべて役に立つ。ヤシ殻からロープをつくる。とった魚は、みんなで分けあう。
島には、電気もガスも、水道もない。冷蔵庫もない。足りなくなったら魚もヤシもまた取ればいい。水は、雨水を水槽に貯めておく。
子どもたちは、学校に通う。ヤシガニは青色で、手の平よりも大きい。ヤシの実は、ラグビーボールの大きさだ。
青い空と広い海のなかで、子どもたちが屈託のない笑顔を見せている。この素敵な笑顔がずっとずっと続いていくことを願うばかりです。
今回も素晴らしい写真を見せてもらって、ありがとうと著者に声をかけたい気持ちで一杯になりました。
(2024年12月刊。1980円)
2025年4月21日
マンガ認知症
(霧山昴)
著者 ニコ・ニコルソン、佐藤 眞一 、 出版 ちくま新書
ずいぶん前のことですが、叔母が認知症になりました。子どものいない叔母でしたので、イトコが養子になって同居して面倒をみるようになりました。ところが、叔母は、イトコが「お金を盗った」と騒ぎ始めたのです。イトコが叔母のお金を盗るはずはありませんし、盗る必要なんかないのです。そうか、認知症の物盗られ妄想って、こんな状況を言うんだなと思い当たりました。
弁護士として、遺産相続のときに、故人の物盗られ妄想を信じている相続人が真顔で主張するというケースを扱いました。身近な人は真実が分かっても、遠くの人には妄想が真実に見えてしまうという厄介な状況でした。
いったい、認知症の人の物盗られ妄想はなぜ起きるのか、不思議でした。
そもそも認知症とは、①なんらかの脳の疾患によって、①認知機能が障害され、②それによって生活機能が障害されているという三つがそろったときの症状だ。認知症は症状であって、そんな病気があるわけではない。
認知症の予備軍をふくめると、今の日本には1000万人いるとみられている。
認知症の診断はとても難しい。老化による物忘れは認知症ではない。
記憶検査のとき、ヒントを与えられて答えることが出来たら、認知症ではないので運転免許の更新は認められる。
さて、物盗られ妄想は、なぜ起きる...。自分がお金を置いた場所を忘れてしまう。でも、自分のせいだとは認めたくない。その結果、自分を納得させるための虚偽の記憶をつくってしまう。事実と創造の区別が出来なくなり、身近な人に疑いをかけてしまう。
人間は、自分が忘れたとか失敗したとか、自己否定につながることは、素直に認められないもの。自己防衛で、嘘の記憶をつくってしまう。「作話(さくわ)」だ。
認知症の人は、基本的に孤独の中で生きている。周囲の人と心を通わせるのが難しくなっていくので、不安や恐怖で一杯になった結果、自己防衛でするしかないと思うようになってしまう。
その対策3ヶ条。①「お金は大事だよね」と同意しつつ、探すように促す。②介護者が疑われないよう、本人に見つけてもらう。③あまりに興奮しているときは声をかけず、鎮まるまで距離をとる。いやあ、これって実に難しいですよね...。
認知症になると、他人(ひと)の心を察する力も失われていくので、なかなか真心は伝わらない。
認知症の人が同じことを何度も訊いてくるのは...。覚えられず、分からないままで不安だから。訊いたら、教えてもらって安心できるから...。「さっきも訊いたでは」と返すのは避けたほうがよい。
アルツハイマー型認知症だと、もっとも覚えにくいのは、数分から10分ほど前の記憶。
私は毎朝フランス語の聞き取りをしていますが、わずか1分半ほどの文章を暗記できません。本当に困っています。中学2年生のとき、英語の教科書を1章丸ごと暗記して教師にほめられたことを今でも覚えていますが、そんな芸当は今や無理なんです。
認知症の人は、本来の展望ができなくなっている。計画を覚え、思い出すことが難しい。認知症の人が同じものを大量に買ってしまうのは、「あれ買ったかな?」という不安感から、買っておいたほうがいいとの判断にもとづく行動と考えられる。
認知症の人が突然に怒り出すのは、脳の前頭葉が委縮するという脳機能の問題と、自分のプライドを守るために他者を攻撃してしまう、という心理的な問題から生じている。
夕暮れ症候群。夕方になると、「家に帰りたい」という人がいる。これは朝から活動してきた脳が疲れてしまうことによるもの。
認知症の人は昔の記憶はよく覚えているので、そこから会話を始める。自慢を聞いたり、懐かしい童謡を一緒に歌ったりする。
認知症の人は、子どもと同じように、その場その場しか考えていない。今にしか生きていない。
認知症の人は、鏡にうつっているのが自分だと分からず、他人だと思って話しかける。
体験にもとづいた展開ですし、マンガもあって、とても分かりやすい本でした。あなたに一読を強くおすすめします。
(2022年3月刊。880円+税)
2025年4月18日
続・日本軍兵士
(霧山昴)
著者 吉田 裕 、 出版 中公新書
アジア・太平洋戦争の敗戦までに230万人の日本軍兵士が死亡した。その多くは戦闘による死ではなく、病気による死(戦病死)だった。また、大量の海没死(船舶の沈没による死)もあった。
日本軍は直接戦闘に使われる兵器・装備、すなわち正面装備の整備・充実を最優先したため、兵站(へいたん)や情報、衛生医療、休養を著しく軽視した。
腹が減っては、イクサは出来ない。日本軍は、こんな基本をすっかり忘れ、精神一到、何事が成らざらん。そればかりでした。まさしく単細胞そのもののトップ集団でした。
1941年、国家予算に占める軍事予算の割合は日本は75%、アメリカは47%だった。
日本敗戦時、陸軍では全兵員の2.4%が将校、9.2%が下士官、88.4%が兵士。
日清戦争のとき、全戦没者に占める戦病死者の割合は9割に近かった。ところが、日露戦争では、それが26%にまで低下した。これは伝染病による死者が激減し、凍傷も減少したことによる。軍事衛生・軍事医学の近代化の成果でもあった。
ところが、日中戦争が始まった1941年には、戦病死者の割合が50%をこえた。1941年の主要疾病は、マラリアが第1位で3万5千人、次に脚気(かっけ)が5千人、第3位が結核の2千人。脚気が増えたのは、軍隊の給養が急速に悪化したことによる。栄養失調と同じ。
日本敗戦後に亡くなった兵士が18万人もいる。戦場の栄養不足のため、克服されたはずの脚気が復活し、戦争栄養失調症が大流行した。
日本軍は兵站を無視して、食料は現地調達主義をとっていた。中国軍は日本軍に何も渡さないようにして撤退していったので、戦場には食べるものがなかった。
米が完全に主食になるのは意外に遅く、戦後の1950年代後半のこと。兵舎に入って主食の白米を食べられるのは、一般の兵士にとって大変魅力的なものだった。軍隊に入って、初めて白米を食べたという兵士も少なくなかった。これはこれは、意外でした...。
1933(昭和8年)に入営した兵士の半数近くは、パン食の経験がなかった。なので、兵舎でパン食はなかなか普及しなかった。
日本は陸海軍とも歯科医療を軽視した。ところが、アメリカ陸軍には、第一次大戦前から歯科軍医がいた。第二次大戦中、1944年には、1万5千人もの歯科将校がいた。いやあ、これは違いますね。歯痛に悩む兵士が満足に戦えるはずはありません。私は「8020」を目ざして、年に2回、歯科検診を受けています。
イギリス軍では、兵隊に月1回の歯科検診を義務づけていた。日本軍の立ち遅れは明らかです。
日本軍は、中国戦線で高級将校の戦死傷者が思いのほか多数にのぼった。宇垣一成はこの事実を知り、その原因が、部下の兵士が戦闘意欲に乏しいため将校が前に出ざるをえなくなったことによると嘆いている。
日本兵は過労、ほとんど睡眠がとれず、老衰病のようにして死んでいった。また、精神病患者が増大した。
中国戦線に派遣された日本軍兵士は、その多くが家庭をもつ「中年兵士」だった。そして、彼らは戦争目的が不明確なまま、厳しい戦場の環境の下で、長期の従軍を余儀なくされると、自暴自棄で殺伐とした空気が生まれた。これが日本軍による戦争犯罪をつくる土壌の一つとなった。長期間の従軍の結果、軍紀の弛緩が目立ちはじめた。
身体検査規則が改正(緩和)されると、知的障害のある兵士が入営してきた。こうした兵士は、軍務に適応できずに、自殺したり逃亡したりする例が少なくなかった。
日本軍の前線での救命治療の中心は止血であり、輸血はほとんど普及しなかった。
たしかに、日本軍が輸血している光景というのは全然見たことがありません。この面でも遅れていたのですね...。
南方でもっとも恐るべきは敵よりもマラリヤである。栄養失調によって体力が衰えると、ダメージは大きかった。
軍医の重要な仕事の一つは詐病(さびょう。インチキ病気)の摘発だった。いやあ、これはお互い、たまりませんよね。
日本陸軍の機械化・自動車は立ち遅れた。1936年の自動車生産台数は、日本が1万台なのに対して、アメリカは446万台、イギリス46万台、ドイツ27万台。これは圧倒的に負けてますね。トラックでみると、日本が1945年までの8年間で11万5千台なのに対して、アメリカは245万台と、ケタ違いに多い。
日本軍兵士には、十分な軍靴も支えられなかった。中国人から掠奪した布製の靴や草履をはいていた。これに対してアメリカ軍は、軍靴を4回も改良している。そもそも日本軍兵士には、靴をはいた経験のある兵士は2割でしかなかった。
こうやってみていくと、日本軍兵士がいかに劣悪な環境の下で戦わされていたのか、あまりに明らかで、これで勝てるはずがないと妙に確信させられました。
日本軍なるものの実態を知るうえで、必須の本です。
(2025年2月刊。990円)
2025年4月14日
どこからお話ししましょうか
(霧山昴)
著者 柳家 小三治 、 出版 岩波書店
このごろ落語を聴くことはちっともありませんが、落語はとても好きです。尊敬する山田洋次監督も子どものとき落語大全書を読みふけっていたそうです。映画「男はつらいよ」は落語のペーソスをベースにした展開ですよね。万が一、目が悪くなって本が読めなくなったら、オーディオブックスで落語を聴くつもりです。心をほっこりさせ、豊かな気分に浸ることができるからです。
落語協会の会長をつとめ人間国宝にもなった著者は40代のころはオートバイに乗って北海道を周遊していたとのこと。また、クラシック音楽を好むそうです。忘れられない映画として「バベットの晩餐(ばんさん)会」が紹介されているのには、我が意を得たりと思いました。私は映画館でこの映画を観ましたし、本も買って読みました。すばらしい映画です。観ていない人はぜひDVDを借りて観て下さい。
人間を理解できなきゃ、落語はできない。落語は、人生の、社会の縮図ですから。
著者は落語のせりふがなかなか覚えられないそうです。言葉で覚えるというより、了見で覚えていく。登場人物の気持ちになって、その人の発言として覚える。登場人物の気持ちに、すっかり沿えないと、せりふは出てこない。むなしいせりふは言えない。せりふが、ただなま覚えになっちゃったら、それは私としては言えない。せりふを覚えるってことは、私にとって至難のわざ。名人でも、そうなんですね...。
うまくやろうとしない。でも、それがとても難しい。下手なまんまでいいのかっていうと、そうじゃない。
人間が分かんなきゃ、落語にならない。
落語の面白さは、歌とか声帯模写とは違って、我慢がいる。我慢しながら、歯を食いしばりながら、頑張る。
落語をくり返しやっていると、慣れて、飽きてきます。それが表に出ると、お客さんもつまらなくなっちゃう。そこで、落語を面白くやるコツ。師匠の柳家小さんは、初めて聞くお客さんにしゃべるつもりで落語をやれと言った。客もよく知ってる。はなし手もよく知ってる。だけど、噺(はなし)の中に出てくる登場人物は、この先どうなるのか、何も知らない。そう気がつくと勇気が出てくる。そう思ってやると、いつもやってる噺ではなくなる、なぞることをしなくなる。しゃべるっていうより、その人にまずなるというわけです。なーるほど、ですね。
著者は高校生のとき、昼休みにクラスで独演会をやっていたそうです。お弁当はその前、3時間目の休みのときに済ましておきました。クラスのみんなは弁当を食べながらゲラゲラ笑っていたとのこと。さすが、すごいですね。
そして、高校3年生のときは、ラジオの「しろうと寄席」に出て、15週、勝ち抜いたそうです。いやあ、たいしたものです。さすが、です。
世の中が進んでくればくるほど、人間の本来のおろかしさバカバカしさに気づかされたとき、人はみんな心底、腹がよじれるほど笑いたがるもの...。
客を飽き飽きさせてはいけない。いくら面白くても...。最初から盛り上げてしまうと、自分もくたびれてくるし、客もくたびれる。そりゃあ、まずい。ふむふむ、なるほど、なるほど。
落語っていうシンプル芸は、いろんなものを極力おさえて、お客さんを感じさせ、誘導していって、最後にほっと安堵(あんど)感を感じさせる。これは、他の芸能にはないもの。
いやはや、さすがは人間国宝になるだけの人の言葉です。腹にズシンと響きました。
(2019年12月刊。1650円)
2025年4月 5日
ユマニチュード入門
(霧山昴)
著者 イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ、本田美和子 、 出版 医学書院
認知症ケアの新しい技法として注目を集めているものを紹介した本です。
イラストがついていますので、とても分かりやすく、スラスラと読めました。10年前に発刊された本ですが、決して古くはなっていないと思います。
人間は物事に関する概念を有し、ユーモアをもち、笑い、服を着ている。また化粧をして、家族や社会と交流するなどの社会性と理性をもっている。これが人間であることの特性、つまり人間らしさ。これらの特性を欠いてしまえば、私たちは他の動物との差がなくなってしまう。
人間の、動物の部分である基本的欲求に関してのみケアを行う人は「人間を専門とする獣医」でしかない。
ユマニチュードは、強制ケアをゼロにすることを目指す。
ユマニチュードは精神論ではない。ユマニチュードは、自分も他者も「人間という種に属する存在である」という特性を互いに認識しあうための、一連のケアの哲学と技法。
人間は、他者によって認められることが、人間の尊厳の源である。人間の尊厳を取り戻すためには、見る、話す、触れる、立つことへの援助が必要。
見る。...水平に目を合わせることで「平等」を、正面から見ることで「正直・信頼」を、顔を近づけることで「優しさ・親密さ」を、見つめる時間を長くとることで「友情・愛情」を示すメッセージとなる。
「見る」には、0.5秒以上のアイコンタクトが必要。目が合ったら2秒以内に話しかける。
話す。...声のトーンは、あくまで優しく、歌うように、穏やかに...。常に話しかける。前向きな言葉で話しかける。
触れる。...広い面積で、ゆっくりと、優しく。
立つ。...骨に荷重をかけることで、骨粗しょう症を防ぐ。立位のための筋肉を使うことで筋力の低下を防ぐ。40秒立っていられたら、立位でケアができる。
出会いから別れまで、5つのステップを踏む。①出会いの準備、②ケアの準備、③知覚の連結、④感情の固定、⑤再会の約束。
本人が嫌がったときは、絶対に引く。
やや大げさに表現するのは効果的。
とても実践的な、認知症の人に対するケアの仕方が満載でした。でも、これって認知症の人だけに有効というのではなく、弁護士の前にいる、相談に来た人に対しても使える技法だと思います。
(2014年8月刊。2200円)
2025年2月 8日
うんこの世界
(霧山昴)
著者 アダム・ハート 、 出版 晶文社
子どもたちに大人気の「うんこドリル」の類の本ではありません。腸内細菌と健康について真面目に研究成果を紹介している本です。
うんこの固形物の3分の1、最大60%が細菌。
炎症性腸疾患(IBD)は増加傾向にある。
石鹸で手を洗えば下痢性疾患を40%も減らせる可能性がある。
細菌性胃腸炎は、たいてい、感染してから症状が現れるまでに1日ほどかかる。
衛生の観点から最善なのはペーパータオル。
目下の大問題は、最近の進化を通じた抗生物質耐性の獲得。
ピロリ菌は、40~50%の人の胃で見つかる。たいてい、子どものころに獲得している。そして、ピロリ菌の保菌者のうち、潰瘍を発症する人は10~15%ほどにすぎない。
小腸は科学的消化と吸収を担っている。ここはとくに細菌のたまり場というわけではない。小腸にいる細菌数は1ミリリットルあたり1万個もいない。小腸にいる細菌が増えすぎると、栄養の吸収がうまくいかなくなり、問題を引き起こす。
大腸は小腸の3倍の幅があり、消化系の最後の部分。大腸の役割は、水分を吸収し、残ったものをきれいに整ったうんこにまとめることにある。
腸内の最近は消化を助けてくれる。たとえば、人間に吸収できるブドウ糖などの単糖に分解してくれる。また、粘液でよくみられる複雑な分岐構造をもつ炭水化物も分解できる。最終生成物としてブドウ糖ができれば、細胞はすぐにそれを利用できるので、人間にとってはありがたい。
腸内細菌の消化活動の大部分は、糖分解発酵と呼ばれるプロセスにより、さまざまな種類の炭水化物を短鎖脂肪酸に変換することに関係している。
ビタミンは、ごく微量でも体の機能に欠かせない働きをする重要な物質。しかし、人間は体内でビタミンを生成することはできない。ところが腸内細菌が、ビタミンをつくってくれる。
細菌は、食物に含まれる重要な金属を吸収しやすくしてくれる。カルシウム、マグネシウム、鉄など...。
細菌は、食物を消化し、金属吸収を助け、ビタミンをつくるだけでなく、有害な病原性細菌の増殖を抑えるうえでも役に立っている。
腸内細菌の多様性と存在量は、人によって驚くほど異なっている。腸内細菌と免疫系は、かなり密接かつ重要な接触をもっている。腸内細菌は、その生息場所で免疫系と密接にかかわりあっている。
肥満は1980年に比べて倍増している。世界人口の65%は食料不足より過食のせいで死亡する人のほうが多い国に住んでいる。20歳以上の成人の35%は過体重で、11%は肥満。4000万人をこえる5歳未満の子どもが過体重。子どもの肥満は虐待の一形態。
腸内細菌とヒトの精神状態とは興味深くつながっている。
妊娠中に長期にわたって高熱を経験した女性の産んだ子どもは、最大7倍の確率で自閉症になる。
高級ヨーグルトを飲んでも、効果はない。その効果は実証されていない。
要は、細菌の群衆がバランスよく生育し、維持されていることが宿主であるヒトの健康につながる、ということ。この本を読んでスッキリしました。
(2024年10月刊。2300円+税)
2025年2月 3日
腸と脳の科学
(霧山昴)
著者 坪井 貴司 、 出版 講談社ブルーバックス新書
現代日本人は、世界でも屈指の平均寿命の長さを誇っている。しかし、健康寿命(健康上の問題がなく日常生活を送れる期間)は、平均寿命よりも10年短い。その原因は、がん、糖尿病、肥満そしてアルツハイマー型認知症などにある。
怒りや不安、そして安心といった情動がかき立てられるような出来事が起こると、腸の活動が変化する。
脳にあるニューロンとグリア細胞と同じものが腸管神経系にも存在し、腸の蠕動(ぜんどう)運動などを自ら考えて調節するために機能している。腸の蠕動運動自体は、腸管神経系によって独立に調節されていて、ヒトの意思で自由に止めたり、あるいは動かしたりすることは出来ない。
脳は交感神経や迷走神経を介して腸管神経系に指令を与え、機能を調節することができる。
日本人の10~15%が過敏性腸症候群にかかっている。この過敏性腸症候群の患者では、副腎(ふくじん)は質刺激ホルモン放出ホルモンの影響で腸管の求心性迷走神経が過敏になっているため、ほんのわずかなストレスや情動によって便通異常が起こる。
腸は、腸内分泌細胞から分泌する消化管ホルモンや腸から脳へのつながっている求心性迷走神経を介して脳へ情報を伝えている。
脳腸相関とは腸と脳が相互に情報をやりとりしながら、お互いに影響を及ぼしあっているという概念。
腸内常在微生物叢(そう)を腸内フローラともいい、本書では腸内マイクロバイオ―タと呼ぶ。腸内マイクロバイオ―タは、ヒト自身が消化・吸収できない、さまざまな物質を分解している。腸内マイクロバイオ―タにはビタミンB類やビタミンKなどを産生するものがいる。腸内マイクロバイオ―タが産生した短鎖脂肪酸を体内のエネルギー源として利用し、ビタミンKには血液を凝問させるために利用している。
セロトニンやGABAといった神経伝達物質は、腸管神経系の活動を調節するために用いられている。住む国や地域、さらには人種によって腸内マイクロバイオ―タは大きく変化する。
腸内マイクロバイオ―タのうち、20%が善玉菌で、10%が悪玉菌、残りの70%が日和見菌。
腸は、体内で最大のホルモンを分泌する内分泌腺。
腸を整えるには、毎日、バランスの良い内容の食事をとり、ストレスと上手につきあい、運動をして、しっかり睡眠をとることが大事。安易に健康食品やサプリメントに頼らないこと。
腸って本当に大切なんですね、脳と直結してるっていうのは、私の実感にもあいます。
(2024年12月刊。1210円)