弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2019年6月11日

裁判の書

(霧山昴)
著者 三宅 正太郎 、 出版  日本評論社

戦前(1942年)に発刊された古典的名著が新装・復刊しました。それで古本屋で買った本は捨てました。
裁判の精神は正義の体現にある。
私も至言だと思いますが、正義の体現には、勇気がいります。上を見て、下を見て、そして横を見ながら、そろそろと前でなく後ろへ一歩を踏み出す裁判官があまりに多いと思います。それは、上に立つ最高裁判所自身が、最近は「ヒラメ裁判官」が多いと嘆いていることによっても明らかです。
忌避は、裁判官がその事件について偏頗(へんぱ)をする恐れがあるというだけでなく、裁判官としての資格を否認されたも同然のこと。
私は弁護士になって2年目のころ、一般民事裁判で担当裁判官を忌避しました。あまりに形式論理だけを振りかざすのに納得できなかったからです。
つい最近は、福岡地裁の若手裁判官を忌避申立寸前までいきました。欺されたほうが悪いという思い込みで審理をすすめ、ペラペラ中味のない論理を口先で展開するので、あなたには裁判官になる資格がないと言いたかったのです。その事件では、私の見幕におされたのか、少しは欺された側のことも考えているポーズをとり始めましたので、その裁判官への忌避申立はせず、なんとか和解で終了させました。
いったい、全国の裁判所でいま、どれだけ忌避の申立があっているのでしょうか・・・。誰か教えてください。
裁判官が事件の骨格ばかりを気にして、これに血も肉もつけないようでは、裁判の味が出ない。裁判官たる者は、裁判に常に潤いのあるように心遣いを致すべきである。
裁判に潤いのあるような訴訟運営をしている裁判官には、とんとお目にかかったことがありません。
ある裁判が法律上まちがっていないということは、あたかも競馬場で馬がコースの外に出ないで走っているというだけのことで、その裁判が正しいということにはならない。
裁判をするには、静粛にばかりこもってはいけない。人間の全生涯は、つばぜりあいの連続である。
裁判官には好奇心が必要だ。出来るだけ、見たがり、聞きたがる性分にあるほうがいい。文学の愛好は、この好奇心を助ける。
もし裁判官がいたずらに保守の名に隠れて、義を見て為さざるならば、それは大きな職務の曠廃(こうはい)だ。裁判官は、まめましく自分が事件に働きかけて、はつらつと新しい境地を開拓する気風をもちたいものだ。
著者は治安維持法事件を担当し、無罪判決を書いた。そして、不敬罪についても無罪としている。
なるほど、気骨ある人でしたね。青法協会員の裁判官が全国どこにも、一人もいないという現実は、底冷えを感じさせます。とても古い本ですが、いま改めて全国の裁判所の内外で広く読まれるべきものとして、強く一読をおすすめします。
(2019年5月刊。1200円+税)

2019年5月17日

「自由都市」の灯をかかげて半世紀

(霧山昴)
著者 堺総合法律事務所 、 出版  左同

堺総合法律事務所が50周年を迎え、記念誌を発刊しました。同事務所が堺・泉州の地に誕生したのは1969年春のことです。このとき、私はまだ大学3年生でした。
所員の一人が、NHKの「プロフェッショナル」に主人公として登場した(2009年)村田浩治弁護士です。労働弁護士としての活動がNHKの特集番組となって光があてられたのは画期的です。そして、自由法曹団の本部事務局次長として、井上耕史弁護士、次いで辰巳創史弁護士が活躍しました。どちらも、クレジット・サラ金、商工ローン問題でも大活躍しています。
さらにこの人こそ堺総合というべきなのが、平山正和弁護士です。NHKの再現ドラマ「逆転人生・奇跡の逆転無罪判決」にも登場しています。コンビニ強盗事件の犯人として逮捕されたミュージシャンの青年の無罪を母親の執念の努力とともに勝ちとったのです。
以下、平山弁護士のエッセーを紹介します。平山正和弁護士のエッセーは出色です。そのタイトルは「70代は黄金期?洟垂れ小僧?」です。泉州の地・堺で弁護士生活50年を迎え、「今も青年弁護士当時とほとんど変わることなく(と自分で考えている)」現役で、弁護士活動を元気に続けています。
「意欲と気力、体力が続く限り引退という言葉はありません。私ながら職業として弁護士を選んだこと、働く人々とともに活動する弁護士を選択したことを、おおいに得したと実感し」ているのです。問題は、では、どうやって、平山弁護士はそれを可能にしたのか、です。
実は、平山弁護士は42歳の厄年に油断大敵、原因不明のままインシュリンがまったく出なくなるというⅠ型糖尿病を発症して今日に至っているのです。ですから、インシュリン注射は欠かせません。そして、食事療法のおかげで「30年たっても合併症がないとはおかしい」と主治医が頭をひねって不思議がるのです。
たとえば、お昼は野菜たっぷりの塩分なしの健康(愛妻)弁当を30年以上も続けています。決まった時間に、どこでも食べる。たまには移動のタクシーのなかで食べて、運転手から驚かれます。
野菜・海藻・キノコはカロリーがないので、いくら食べてもよく、大量に食べるので、糖尿病の食事療法をするとお腹が空くというのはまったくの誤りだと平山弁護士はキッパリ断言します。おかげで70歳をこえた平山弁護士の頭髪は黒々、ふさふさ、額もはげあがっていません。
70歳になった私は、濃さと硬さが自慢だった頭髪が薄く、弱々しくなってしまい、今せっせと1日2回、養毛剤をすりこんで回復しようと、はかないあがきをしています。
それでは、平山弁護士の一日の生活をみてみましょう。1日8時間の睡眠を確保。アイフォンのクラシック音楽で目覚めます。朝食は30分かけて自分でつくります。自分で鋭く研いだ包丁で、玉ねぎ、ニンジン、ショウガ、ピーマンをみじん切りにして水にさらして辛味を逃がし、リンゴ、かまぼこ、チーズを刻んで入れ、ヨーグルトをかけて味つけし、大きなお椀一杯のサラダをつくります。調味料もドレッシングも不要。ご飯は茶碗半分ほどに納豆、黒ニンニク、とろろ昆布、ジャコをかけて、30分かけて食べるのです。
朝食後はストレッチ。開脚ベターに挑戦します。これに30分かけます。こんな「朝活」の1時間のあと、事務所では、毎日、夜8時まで疲れを知らないで一日を過ごします。
外に出て歩くときは、意識してフルスピードで大股で歩きます。電車に乗ったら、空いていても座らず、立ったまま、つま先立ち。テニスのステップを踏みながら本を読みます。
平山弁護士は42歳のとき、堺市長選に立候補して、市長になりそこねました。
そして読書量は、わずか年100冊でしかなく、その少なさに平山弁護士は愕然としています。私は、この30年以上、年に500冊を下まわったことはありません。そこだけが、平山弁護士に勝っているところです。
他人様の生活と権利、財産を守るために、そして権力に立ち向かう活動に全精力を傾けてたたかうわけですから、弁護士の活動は脳を活性化し、身体も動かして「健康寿命」の伸長におおいに効果がある。社会的弱者の用心棒、また牧師か坊さんの人生相談のような弁護士活動なので、「健康寿命」が続くかぎり弁護士の「現役活動寿命」も続く。平山弁護士は、こう考えています。
私も、平山弁護士のあとに続くよう、無理なくがんばります。
(2019年5月刊。非売品)

2019年5月15日

「核の時代」と憲法9条

(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版  日本評論社

私たちは現在、核兵器や原発という制御不能なものとの共存を強いられている。
核エネルギーは「神の火」ではなく、「地獄の業火」だ。私たちは核地雷原の上で生息しているようなもの。にもかかわらず、核兵器や原発を脅しの道具や金もうけの手段としている連中がのさばっている。
つい先日も、日本経団連会長(原発をイギリスに輸出しようとして失敗した日立出身です)が、日本には原発が必要だと堂々と恥ずかし気もなく高言していました。恐ろしい現実です。3.11のあと原発反対の声は広く深くなっているとはいえ、まだまだ原発停止したらマンションのエレベーターが停まってしまうんじゃないかしら・・・、なんていう日本人が決して少なくないのも現実です。
著者は、私と同じ団塊世代。埼玉・所沢で、この40年間、「くらしに憲法を生かそう」をスローガンとして弁護士活動をしてきました。同じ事務所の村山志穂弁護士によると、事件処理に関しては、ガチンコ対決、つまり白黒つけるというより、仲裁型の事件処理が多いようだということです。所沢簡裁の調停委員として、調停協会の会長も最近までつとめていたそうです。
この本を読んで初めて知り、驚いたことは、第二次大戦終了後まもなくの1946年1月24日の幣原喜重郎首相とマッカ-サー連合国最高司令官の二人だけの会談の内容です。終戦直後のマッカーサーは、今から思うと信じられないようなことを断言していたのです。
「戦争を時代遅れの手段として廃止することは私の夢だった。原子爆弾の完成で、私の戦争を嫌悪する気持ちは当然のことながら最高度に高まった」
これを聞いた幣原首相は、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、こう応答した。
「世界は私たちを非現実的な夢想家と笑いあざけるかもしれない。しかし、百年後には私たちは予言者と呼ばれます」
いやあ、すばらしい対話です。これを知っただけでも、この本を読んだ甲斐がありました。
さらに、同じ年(1946年)10月16日、マッカーサー元帥は昭和天皇とも会談します。そのときマッカーサーは、こう述べました。
「もっとも驚くべきことは、世界の人々が戦争は世界を破滅に導くことを、十分認識していないことです。戦争は、もはや不可能です。戦争をなくすのは、戦争を放棄する以外に方法はありません。日本がそれを実行しました。50年後には、日本が道徳的に勇猛かつ賢明であったと立証されるでしょう。100年後には、世界の道徳的指導者になったことが悟られるでありましょう」
こんな素晴らしいことを言っていたマッカーサーが、朝鮮戦争のときには原爆使用を言いだして罷免されるのですから、歴史は一筋縄ではいきません。
アメリカのトランプ大統領は世界の不安要因の一つだと私は思いますが、アメリカ国内の支持率は46%だといいます。恐ろしいことです。そのトランプ大統領は、「アメリカは核兵器を保有しているに、なぜ使用できないのか」と外交専門家に、1時間のうちに3回も同じ質問を繰り返したそうです。安倍首相が100%盲従しているトランプ大統領の実体は危険にみちみちているとしか言いようがありません。
原爆も原発も、核エネルギーの利用という点で共通している。核エネルギーの利用は、大量の「死の灰」を発生させる、人類は、その「死の灰」、すなわち放射性物質と対抗する手段をもっていない。放射性物質は、軍事利用であれ、平和利用であれ、人間に襲いかかってくる。原爆被爆者は、「死の灰」が人間に何をもたらすかを、身をもって示している。
著者は、最近の米朝会談や南北首脳会談について、日本のマスコミが、おしなべてその積極的意義を語らず、声明の内容が抽象的だとか非難して、その成果が水泡に帰するのを待っているかのような冷たい態度をとっていることを厳しく批判しています。私も、まったく同感です。2度の南北首脳会談を日本人はもっと高く評価し、それを日本政府は後押しするよう努めるべきです。そして、アメリカと北朝鮮の対話が深化して、朝鮮半島に完全な平和が定着するよう、もっと力を尽くすべきなのです。それが実現してしまえば、イージス・アショアは不要ですし、F35だって147機の「爆買い」なんて、とんでもないバカげたことだというのが明々白々となります。
この本は、著者が自由法曹団通信など、いわば身内に語りかけたものをまとめたものですので、一般向けのわかりやすい本になっているとは必ずしも思われません。とくに、それぞれの論稿に執筆年月日が注記してあるのは目障りです。これは貴重な資料だと途中から粛然とした思いになって、最後まで一気に読み通しました。お疲れさまでした。
(2019年5月刊。1900円+税)

2019年5月10日

あの頃、ボクらは少年院にいた

(霧山昴)
著者 セカンドチャンス!編 、 出版  新科学出版社

少年少女時代にヤンチャをして、少年院に入っていた人たちが、今は必死にがんばっているという話です。読んでいて胸が熱くなりました。非行に走った原因はさまざまですが、親との関係も大きな原因となっています。
少年院の出身者が再犯して少年院や大人の刑事施設に再入院する率は3割と言われています。しかし、それは7割の人は、なんとか捕まるようなこともせずに暮らしているということです。そこを私たちは信じたいものです。
少年院では、更生する気はまったくなかったけれど、資格取得のための勉強だけはがんばった。一年間、何も身につけないよりは、いつか役に立つだろうと思い、暇さえあれば勉強した。おかげで資格も8個もっている。
いま考えると、十代のころは社会すべてが敵で、親さえも信用していなかった。捕まって初めて親のありがたさに気がついた。あれだけ迷惑かけたのに、一度も見捨てずに母は本気でぶつかってくれた。立ち直ることができたのは、多くの周りの支えがあったから・・・。
父は暴力団員、母は風俗嬢。両親が仕事からイライラして帰ってくると、殴られ蹴られの日々。生きていく意味がないと思う毎日だった。親の虐待やネグレクトが知れて、児童相談所に保護されて面会に来たときの母親の言葉。
「おまえみたいな子ども、産まんけりゃ良かったわ。疫病神なんて、火事を出したときに焼け死んでしまえばこんなことにならんですんだのによう。なんで、こんな出来損ないに人生を壊されなあかんのか・・・」
いやはや辛いですね。産みの母親からこう言われたら・・・。
少年院出身者たちを励ますセカンドチャンスは、2009年1月に設立された。すでに10年の実績がある。2011年には福岡で初めての交流会をやった。今では、「セカンドチャンス!女子」という女子の会も始まっている。
この本のなかに、かつて自分を少年院に送った裁判官にお礼を言いたくて会いに行った話が紹介されています。
本当にあの出会いはうれしかった。その裁判官は、審判の席で、すごく心配してくれていて、感じが良かった。真剣に、「もうあなた、いい加減にせんと、人生大変なことになってますよ」と言われた。ああ、いい人だなあと感じて、この裁判官の名前を憶えておこうと思った。
最近、会いに行くと、その山田裁判官は弁護士になっていた。視力がほとんどなくなっていたけれど、裁判官を40年やっていて、会いに来てくれた人は初めてなので、すごくうれしいと言ってとても喜んでくれた。
いい話ですね。司法にもこうやって心を通わせる可能性があるのです・・・。
このセカンドチャンスには、杉浦ひとみ弁護士がずっと関わっています。すごいことです。
セカンドチャンスの基本ポリシーは正直、平等、尊敬です。
少年院出身者が人生をやり直したい、犯罪をやめてまっとうに生(行)きたいと本気で願ったとき、それを温かく支える社会環境を早くつくりあげたいものです。
私は、いま少年院に2回も入った27歳の青年の常習窃盗事件を担当しています。彼が、この本にあるように心を入れかえて愚直に歩み続けてくれることを改めて願いました。
(2019年3月刊。1500円+税)

2019年5月 4日

東大卒筋肉弁護士の超効率勉強法

(霧山昴)
著者 小林 航太 、 出版  主婦と生活社

私はテレビを見ませんので、実際には知りませんが、NHKの筋トレ番組『みんなで筋肉体操』に出ていて、紅白歌合戦(私は高校生のとき、「総白痴化番組」だというコメントを読んで以来、みるのをやめています)にも出演したという有名な筋肉ムキムキ弁護士が、その勉強法を語っています。
神奈川の名門・栄光学園から現役で東大に入学したものの、入学後は燃え尽き症候群に陥って、引きこもりに近い生活を4年間すごし、大学生活6年間。そして、法科大学院では、未修コース3年間を経て、一発で司法試験に合格したのでした。
その東大受験と司法試験受験で実践した勉強法のエキスが紹介されています。いずれも、私もまったく異論のない、きわめて合理的な勉強法です。そして、筋トレです。
間違ったトレーニングをいくら一生けん命に続けても、ほしい筋肉はつかない。司法試験では、文章力、作文力がなければ合格できない。
勉強も筋トレも、カギは習慣とすること。
勉強は、言うまでもなく、自分との勝負だ。勉強とは、すなわち効率を追求するゲームでもある。
東大文系の合格ラインは全科目総得点の5割強。つまり6割とれたら合格できる。司法試験も同じだ。
何時間、勉強するかより、まず1日の生活リズムをつくるほうが大切だ。そして、意識をできる限り勉強に向けない。
夜は12時に寝る。毎日、6時間は眠る。
何を訊かれているのかを察知する知識量が必要だ。
ほれぼれする筋肉のかたまりの肉体美をもつ弁護士です。といっても、私にはマネできそうもありません。
(2019年2月刊。1300円+税)

2019年4月17日

最高裁に告ぐ

(霧山昴)
著者 岡口 基一 、 出版  岩波書店

タイトルがいかにも挑戦的なので、どんなに過激な本なのか、思わず手にしたくなる本でしたが、読んでみると、しごく穏当な主張が冷静なタッチで展開されています。その意味では、タイトルはいささか独走している気がしました。
むしろ、このまま今の最高裁に日本の司法をまかせて大丈夫なのか、「王様」化した最高裁は世の中の要請にこたえていないのではないのか、そんな趣旨のタイトルにしたらどうか、ついそう思ったことでした。
著者は「バッシングを畏れて世間に迎合する判決を下すようになったら司法は終わりである」としています。本当にそのとおりなのですが、正確には迎合する先は「世間」ではなくて、安倍内閣を先頭とする権力ではないでしょうか・・・。
原発裁判もはじめとして、あまりにも権力(自公政権と電力会社・原子力ムラ)べったりの司法判断が続いていて、嫌になってしまいます。
全国裁判官懇話会が開かれていたのは2007年までのこと。もう10年以上も裁判官の自主的な集まりはない。そして、1970年代以降、最高裁判事は官僚派の裁判官(そのほとんどは裁判実務をしていない)が大勢を占め、社会秩序重視の判決が多くなっている。
日本国民は司法にあまり関心をもっていない。その理由として、最高裁は本当の意味で国家の基本に関わるような判断をしないこと、国民生活に広く影響を与えるような問題について積極的な判断を行うこともあまりないことがあげられる。そうなんですよね、司法の存在感は薄いし、ますます薄れています。
著者は最高裁があまりに多くの事件をかかえて超多忙だという実情を指摘していますが、それにしても最近の最高裁判決の質が劣化していることを鋭く糾弾しています。要するに、憲法違反としながら、憲法の条文を明記せずに「明らか」という強調語で逃げていたり、集会の自由や表現の自由が問題となったケースの判決で従来の最高裁判例との整合性があるのか、また判決文に理由が明示がされていないということなどです。
東京高裁の林道晴長官、そして同高裁の吉崎佳弥事務局長は、二人して著者に対して脅迫・強要行為を東京高裁長官室で50分にわたって続けた。これらはパワハラにも該当する。
このように著者は指摘しています。
また、最高裁は今回、著者を戒告処分に付したわけですが、そのとき、著者が過去に厳重注意処分を受けたことも理由としてあげていることも大きな問題です。著者も、その弁護団も、この点について大いに問題にしています。つまり、「前科」ではないのに「前科」があるかのように不利益判断したわけで、これは最高裁が著者と弁護団からの釈明申立を認めず、事実上「1回結審」したことの問題点でもあります。
民事訴訟の裁判官が「王様」になるには、次の3つの方法がある。その1、当事者のした主張に答えない。その2、そもそも当事者に主張をさせない。その3、当事者がした主張にデタラメな理由をもって答える。
著者は、下級審の民事裁判官は、この3つの方法のいずれも実行できないとしています。本当でしょうか・・・。私は、福岡地裁でも福岡高裁でも、この3つをいずれも経験して、煮え湯を飲まされました。よほど、担当裁判官(まだ若い人です)を忌避してやりたいと思いましたが、あと一歩のところで思いとどまりました。それが良かったのか、本人のためにも忌避すべきだったのではないか、今も迷っています。
司法の現実を知るうえで、弁護士はもちろんのこと、司法に少しでも関心のある人にはぜひ読んでほしい本です。
(2019年4月刊。1700円+税)

2019年4月16日

裁判官が答える裁判のギモン

(霧山昴)
著者 日本裁判官ネットワーク 、 出版  岩波ブックレット

現職裁判官の自主的組織である裁判官ネットワークがフツーの人の裁判に関する疑問について、とても分かりやすく解説したブックレットです。わずか100頁ほどの小冊子ですが、市民の誰でもが抱いている疑問が28問とりあげられています。そのなかには、裁判官の日常生活や最近話題のSNSに関する質問もあって、興味をそそられます。
私が弁護士になる前の司法修習生のころには「宅調」といって、裁判官が裁判所に出ないで自宅で判決を書く日が認められていました。たしか週に2日は認められていたと思います。最近では「宅調」という制度は廃止されたと思っていたら、この冊子では「最近は減ってきたよう」だとありますので、制度としてはまだ存続しているのでしょうか・・・。
それから夏休みです。正しくは「夏期休廷期間」というようですが、3週間とれることになっています。実際には、この期間を難事件の判決起案日にあてることが多くて、完全な休みにはならないとのこと。私も、そうだろうと思います。
岡口基一仙台高裁判事(その前は東京高裁判事)のツィッターが有名で、最高裁判所は戒告処分に付しました。私は、この戒告処分には賛成できません。裁判官の市民的自由はもっと大切にされていいと考えているからです。
それに何より、もっとひどいことをしている裁判官は他にたくさんいる現実がありますので、岡口判事のしたツィッター程度で目くじらをたてるなら、ほかにも懲戒免職相当という判事は多数いると思うのです。その典型がもう故人ではありますが、元最高裁長官の田中耕太郎です。私もいつも呼び捨てにします。だって、最高裁での審理状況を実質当事者であるアメリカ政府、その代表者ともいうべき大使に報告し、その指示を仰いでいたという、とんでもない男なんですよ。まさしく元長官の名誉を剥奪すべき人物です。ところが、そのことが客観的事実として判明してなお、最高裁は何もしていなのです。こんなひどい話はありません。プンプンプンです。
ネットワーク会員の竹内浩史大阪高裁判事はブログ「弁護士任官どどいつ集」を発信しています。権力に向って平気でモノを言うような、型破りの判事がもっと増えてほしいです。
裁判官は本当に合議しているのか、裁判長が結論を決めているのではないか、裁判長の意見を忖度(そんたく)しているのではないか、私をふくめて多くの人が疑問を抱いています。この本では、最近は、活発に自分の意見を述べる左陪席(若手)裁判官が増えているとしています。
これが本当なら、喜ばしいことですが、本当に大丈夫でしょうか・・・。
刑事裁判で裁判員裁判が始まって、刑事裁判は少しはいい方向に向かっているという積極評価がなされています。私も同じ意見です。とは言っても、残念ながら裁判員裁判を担当したことはありません。殺人罪で逮捕された被疑者が嘱託殺人罪で起訴されたからです。
痴漢していないのに犯人に間違われそうになったとき、逮捕されないように現場を立ち去るのがいいかどうかは、刑事専門の弁護士でも意見が分かれているとのことです。私は、できるだけ足早に遠ざかるのがいいと考えていますが、それすら困難なときは、周囲を見わたして、自分の無実を証明するための協力を呼びかけるのがいいというアイデアが紹介されています。単純に逃げたほうがいいというのは誤りだし、走って逃げだすのはもってのほかだと書かれています。なるほど、そうだろうなと思います。でも、現実は難しいでしょうね・・・。
裁判所と裁判官が、もっと国民に開けた存在であるためには、かつての青法協裁判官部会のような自主的組織が必要だと思いますし、裁判官ネットワークの会員がどんどん増え、この冊子のような情報発信を国民にむかってするべきだと思います。
あなたもぜひ手にとってお読みください。
(2019年4月刊。660円+税)

2019年3月19日

労働弁護士50年

(霧山昴)
著者 高木 輝雄 、 出版  かもがわ出版

名古屋に生まれ育ち、大学も名古屋、そして弁護士としても一貫して名古屋で活動してきた高木輝雄弁護士に後輩の弁護士がインタビューしたものが一冊の本にまとめられています。話し言葉ですし、インタビュアーの解説もあって大変読みやすく、私は機中で一気に読み終えました。
司法修習は20期で、同期には江田五月、横路孝弘そして菊池紘・自由法曹団元団長などがいる。当時は青法協が非常に活発で、修習生の半分以上が青法協の会員だった。
弁護士になってすぐ弾圧事件にとりくみ、打合せして帰宅するのは午前2時。それから尋問の準備をしたあと、4時に寝て、朝6時には起きる。
うひゃあ、す、すごいです。とても私にはマネできません。すべての時間を仕事に注入したのでした。
次は、四日市公害訴訟。このとき、疫学的因果関係が認められました。
次の全港湾事件は、日韓条約反対のストやデモをして、業務命令違反で組合役員8人が解雇された。裁判所は、政治的な問題がからむと非常に弱い。司法の独立は大切なものだと考えて司法の世界に入ったけれど、結局のところ、司法は立法や行政に頭が上がらないことを実感した。
レストランのコックに対して営業職への出向が命じられて拒否したところ、業務命令に反したというので解雇された。このとき就労請求を求めたら、裁判所が認容した。コックは業務をやっていくなかでコックとしての能力を向上させるものという特別性を訴えた。このころは解雇の事前差し止めの仮処分申請をして、認められることがあった。
東海道新幹線が開通したのは1964年(昭和39年)、私が高校1年生のときです。大学生のときは新幹線は高値の花で、寝台特急みずほや急行などを利用して九州へ帰っていました。
沿線住民があまりの騒音・振動に耐えかねて裁判を起こした。一審だけでも3回ほど現地で検証した。そして、国労が現場で減速走行してみせるというように協力してくれた。沿線の住民がワァーって歓声をあげると、運転士がパッパッパッーと汽笛を鳴らして応じる。
いやはや、すごいことですよね、これって・・・。今では、まったく考えもしません。
法廷に緊張感があり、傍聴席から裁判長に対して意見をいうと、強く受けとめている気配があった。このころ、著者は「喧嘩太郎」とか「瞬間湯沸かし器」と言われていた。
この裁判のあと、JR東海とは1年に1回協議をしているが、もう30年以上は続いている。これってすごいこと、すごすぎますね・・・。
新幹線訴訟のときも午前2時まで作業していて、毎日2時間ほどしか眠れなかった。
こうなると、過労死寸前ですね・・・、笑いごとではありません。よく身体がもちました。
運動は楽しくなきゃいけない。義務だけではダメ。本当にそのとおりです。
著者は今76歳。ますますお元気にご活躍し、お過ごしください。
(2019年1月刊。1600円+税)

2019年3月15日

60歳の壁

(霧山昴)
著者 植田 統 、 出版  朝日新書

すごい人です。大学を出て長くサラリーマン生活をしていた人が、50歳を間近にして、夜間ロースクールに通って司法試験に合格し、54歳で弁護士を開業したのです。
東大医学部在学中の医学生が司法試験に合格したと聞いて、すごい、天才的だなと思いました。新潟県知事だった人も同じ経歴でしたね。若いってすばらしいと思いましたが、この本の著者は50歳で司法試験にチャレンジして合格したというのですから、その大変さが想像を絶します。
著者は弁護士になって良かったといいます。
自分の性格にあっている。自分ひとりで判断できる。案件ごとに特殊性があり、そのたびに勉強しなければいけないけれど、それが面白い。
そして、60差になって考えたのです。60歳の壁がある。この60歳の壁を打ち破れる人は少ない。でも、打ち破れる人がいる。どんな人なのか・・・。
人とのつながりがあるかどうか、社会に必要とされていると感じているかどうか、これが幸福感を左右する。このポイントは、お金もうけを続けることではなく、人や社会との関わりを保っていくこと。お金は、その結果だと考えたほうがいい。
60歳の壁を越えた人は・・・。
一、組織に頼らず、自分ひとりで生きる覚悟をもっている。今やらなくて、あとで後悔したらどうしよう。だから、今やる。
二、人とのつながりを大切にして、人生を切り開いている。
三、決断力があり、実行力がある。
四、勉強熱心で、毎日、新聞を読み、本を買って読む。
五、明るく健康で、いかにも元気そう。
いやあ、私もだいたい合格点もらえそうです・・・。
年齢(とし)をとっても、知能や記憶力は低下しない。要は、意欲があるかどうかの問題なのだ。
うんうん、そうなんだ。よくぞ、言ってくれましたよ・・・。
新しい人脈をつくる。ただ、名刺交換するだけでは何の役にも立たない。じっと待つ必要がある。商売は信頼関係がないとできない。
ふむふむ、なるほど、そうだよね・・・。
新しいものに挑戦していく。ガラケーをもっているようではダメ。
トホホ・・・です。こればかりは仕方ありません。
得意分野をしぼりこんで、専門分野を決めること。どこかの分野でナンバーワンの人は、他の仕事の依頼も来る。特徴がないのが一番ダメ。
ふむふむ、私も、いちおう特徴はあるんですけど・・・。
きっちり勉強している人は、見た目もきっちりしている。
うーん、これは、これから、気をつけましょ・・・。
あせると逃げられる。ゆったりしていると、なぜかうまくいく。
うむうむ、たしかにそうなんですよね・・・。
早い、安い、うまい。弁護士にとって、「安い」は避けたい。でも「早い」と「うまい」は必要。「早い」のはクライアントから一番評価される。
著者は、とても合理的な生き方で貫いてきたようです。大いに見習いたいものです。私も、80歳まで現役の弁護士として、なんとかがんばるつもりです。
(2018年11月刊。790円+税)

2019年3月14日

裁判官は劣化しているのか

(霧山昴)
著者 岡口 基一 、 出版  羽鳥書店

すごいタイトルです。なにしろ、現職裁判官が自ら問いかけているのですから・・・。
そして、弁護士生活45年の私の体験からして、明らかにイエス、劣化している、残念ながら断言します。いえ、まだ一部に尊敬できる裁判官がいることは事実です。しかし、全体としての裁判官の劣化は今や隠しようがありません。
問題なのは、当の裁判官たちは、自分たちが劣化しているという自覚をまったく欠いていることです。多くの裁判官たちは自分は優れているという自意識過剰状態に陥ったまま、ひたすら上を気にしながら目の前の裁判業務をこなすのに汲々としています。
なぜ、私がそのように言い切るのかというと、原発裁判に典型的にあらわれています。3,11で原発苛酷事故、メルトダウンが起きているのに、あたかも原発は安全性を備えているかの幻想に依然としてとらわれた判決・決定を平然と書いている裁判官がほとんどです。信じがたい知的水準の劣化です。そして、そのような間違った判決を書いても裁判所内部で恥ずかしいと思わずに生きていける職場環境に今の裁判所があるという事実です。
著者は、この本で次のように指摘しています。
今の裁判官は、最初から、裁判所当局に嫌がられるような動きをしようともしない。
今の裁判官は司法の本質論、その役割論について学ぶことがほとんどない。
むしろ、現在では、裁判官のなかで、この手の話はタブーになっていて、職場でも飲み会でも話題にならない。
最近の若者は、前とちがって政治的な話自体をあまりしないし、リベラルな政治思想を口にすることを避けたがる。
民主主義が正常に機能しているかを審査し、それでも救えない少数者の権利を救済するのが裁判所の役割だと抱負を述べて最高裁判事になった人(泉徳治元最高裁判事)もいるわけですが、そのことが裁判官の常識になっているとはとても言えないという悲しい現実があります。
それを著者は端的に指摘しています。
裁判官が200人以上もいる東京地方裁判所で著者が見聞した事実です。
エリートコースに完全に乗った裁判官、完全には乗っていない裁判官、全然乗っていない3種類がいて、それが混ざってギスギスしている。あからさまに実力者にすり寄ろうとする裁判官が少なからずいる。いやはや、そう聞くと、なるほどそうなんだよね、と思いつつ、嫌になってしまいます。
そして、若手裁判官は、「議論が苦手なコピペ裁判官」にならざるを得ない状況に置かれている。著者が若手裁判官だったころは、裁判所内部で先輩裁判官の飲み会が連日のようにあっていて、また書記官からもいろいろと教えられていた。しかし、今や、そのような飲み会を絶無となり、先輩が後輩に「智」を伝達していくシステムが断たれてしまった。
まあ、この点は、弁護士界の内部でもそうなりつつあるのが現状です。若手育成システムは一応つくられていますが・・・。
私は著者のFBを毎日のように眺めていて、いろいろ教えられるところが大きくて感謝しています。ただ、著者の強烈な個性のため反発が強いのも事実です。こんな裁判官の裁判なんて受けたくないと高言する弁護士も少なくはありません。でも、自称変人の私からすると、少しばかり変人で嫌われ者こそが世の中を変えていく、つまり変革の推進役なのです。その思いからすると、著者程度の変人が裁判所にいなくて、みな上ばかり向いて上を気にするだけのヒラメ裁判官たちだけだったら、あまりにもむなしく、絶望するばかりです。その意味からも、今回の最高裁や国会の著者への仕打ちには反対せざるをえません。
要は、もっと裁判所内に自由にモノが言える空気をつくり、少数者の権利を保護するためにこそ裁判所はあるという正論が堂々と通用し、実践できるようにしたいものです。
著者の引き続きの健闘を心から期待します。
あなたも、ぜひ手にとって読んでください。160頁ほどの薄い本なので、一気に読めます。
(2019年2月刊。1800円+税)

前の10件 11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー