弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2018年6月22日

「憲法の良識」


(霧山昴)
著者 長谷部 恭男 、 出版  朝日新書

安保法制がまだ法案の段階で、国会に与党推薦の憲法学者として登場した著者が、安倍首相の改憲案を平易なコトバでトコトン批判し尽くした新書です。
議論の精緻さ、厳密さよりも、ごくごくシンプルな説明をこころがけたというだけあって、なるほど、とても分かりやすいものになっています。
憲法は、国としてのあり方、基本原理という「国のかたち」を定めているもの。
安倍「改憲」は、祖父(岸信介)から受け継いだという自分の思いを実現するためのものであって、国の利益のためではない。公私混同もはなはだしい。
安倍政権は、集団的自衛権の行使は許されないとしてきた従来の政府解釈を変更したが、その根拠はないし、政府自体が根拠のないことを自白している。
明治憲法に兵役の義務と納税の義務が定められていたが、美濃部達吉は、これに法的な意味はまったくないとした。義務かどうかは法律で定めれば義務になる。ただそれだけで、憲法に書くようなものではない。
憲法に「これは義務です」と書き込むことに意味はない。
明治憲法は、君主が人民に押しつけた典型的な「押しつけ憲法」であり、ドイツからの直輸入品である。
憲法9条は非常識だという人は、9条を非常識なものとして理解するから非常識なのであって、良識にそって解釈すれば、非常識なものではない。それは解釈する側の考え方の問題である。
明治憲法こそ「押しつけ憲法」だという指摘には、はっと心を打たれました。
(2018年5月刊。720円+税)

2018年6月21日

世界を切り拓くビジネス・ローヤ―


(霧山昴)
著者 中村 宏之 、 出版  中央公論新社

西村あさひ法律事務所に所属する弁護士たちを紹介した本です。
私はビジネス・ローヤーになろうと思ったことは一度もありませんでしたし、今もありません。
私が弁護士になったのは、ふつうに生きる市井(しせい)の人々のなかで、何か自分なりに役立つことが出来たらいいな、そしてそれが社会進歩の方向で一歩でも前に進むことにつながったらいいなと思ったからでした。
だいいち、ビジネス・ローヤーの「24時間、たたかえますか」式のモーレツ弁護士活動は、ご免こうむりたいです。いま、我が家から歩いて5分のところにホタルが飛び舞っています。少し前は、庭で新ジャガを掘り上げ、美味しいポテトサラダをいただきました。四季折々を実感させてくれる田舎での生活は心が癒されます。
それでも、ビジネス・ローヤーと田舎の人権派弁護士は、もちろん全然別世界で活動しているわけですが、共通するところも少なくないことを、この本を読んでしっかり認識しました。
西村あさひ法律事務所に所属する弁護士は500人をこえる。これは日本最大の法律事務所だ。片田舎にある私の事務所でも、西村あさひと対決することがあります。それほど日本全国にアンテナを張りめぐらしているわけです。
事務所の基本理念は明文化されている。その第1条は、「法の支配を礎とする、豊かで公正な社会の実現」。
西村あさひは、企業の事業再生、倒産関連で圧倒的な存在となっている。
パートナーシップの配分は収支共同(ロックステップ)。これは、いわば財布を一つにしているということ。パートナー(100人)会議があり、パートナー30人から成る経営会議があり、5人のパートナーからなる執行委員会がある。そして、毎年30~40人の新人弁護士を採用している。海外拠点も、9ケ所にあり、大阪・名古屋・福岡に地方事務所を置いている。
ビジネス・ローヤーは英語ができないと、どうしようもない。
ああ、これで私には入所資格がありません・・・。
弁護士業のすばらしいところは、プロフェッショナルとして、お金に左右されることなく、言うべきことが言える点である。
この点は、私も、まったく同感です。
常識の意味を考えることが大切。合理的でない常識でも、何かしら合理的な理由が存在しているはず。その常識を超えるサービスをクライエントに提供する。
交渉の場に出る前、どう出るのかをよく考える。相手や舞台を変えることも検証するし、ときには一対一(サシ)で議論することにもチャレンジする。
弁護士が天職だと感じる人は、やっていて飽きない。やっていて楽しく、面白い。いろんな人と話ができる・・・。
私も弁護士を天職、天の配剤と考えています。
弁護士の仕事に必要なものは、思いやりだ。これは、真に相手の立場にたてるかどうかも検討しなければいけない。いろんな関係者のことを考慮して、最善の選択肢を考えないといけない。
必ずしも人は理屈だけでは動かない。人間力、人としての物の見方や考え方の総合力が問われる。総合力を発揮して、より良い解決なり、よりよい同意を依頼者のためにするのが弁護士の仕事だ。
基本的に弁護士は一つのインフラなので、日本企業が海外で仕事をするときの用心棒、ビジネスパートナーであり、サポーターでもある。弁護士の「個の力」も大切だが、法律事務所の全体の組織力を上げないと、欧米の事務所には対抗できない。
事業再生を専門とする弁護士の特徴は、ほかの分野に比べて、判断することが求められる局面が多いことにある。想定外の問題が次々に噴き出していく。それを前提として解決をどうやって勝ち取るか・・・。
①若いうちは、まず正論を考えろ、②細かいところまでいちいち相談するな、③債権者は敵ではない。こんな文句(フレーズ)が受け継がれています。
弁護士の仕事は、とても面白く、まったく飽きない。やり甲斐があり、交渉や戦略を立ててのぞむのは当然のこと・・・。なるほど、まったくそのとおりです。
(2016年4月刊。1400円+税)

2018年6月13日

刑務所しか居場所がない人たち


(霧山昴)
著者 山本 譲司 、 出版  大月書店

この本を読むと、現代日本社会が、いかに弱者に冷たいものになっているか、つくづく実感させられます。
「ネトウヨ」の皆さんなど少なくない人が、自己責任を声高に言いつのりますが、病気やケガは本人の心がけだけでどうにかなるものではありません。
社会とのコミュニケーションがうまく取れない人は、孤立してしまい、絶望のあまり自死するか犯罪に走りがちです。そして、犯罪に走った人たちの吹きだまりになっているのが刑務所です。いったんここに入ると、簡単には抜け出すことができません。
刑務所を、悪いやつらを閉じこめて、罪を償わせる場だと考えている人は多い。しかし、その現実を誤解している。いまや、まるで福祉施設みたいな世界になっている。本来は助けが必要なのに、冷たい社会のなかで生きづらさをかかえた人、そんな人たちを受け入れて、守ってやっている場になっている。
いま、日本では、犯罪は激減している。たとえば、殺人事件(未遂をふくむ)は920件(2017年)。10年前と比べて270件も少ない。しかも、その半分は家族内の介護殺人によるもの。殺人犯は受刑者2万5千人のうち218人。少年事件も激減している。2016年に3万1千人の検挙者は、10年前の4分の1でしかない。いまや全国の少年鑑別所はガラガラ状態になっている。犯罪全体でも285万件(2002年)が、91万件(2017年)へと、15年間で3分の1以下に減った。
知的障害のある受刑者は再犯率が高く、平均で3.8回も服役している。しかも、65歳以上では、5回以上が7%である。この人たちにとって、帰るところは刑務所だけ、刑務所がおうち(ホームタウン)になっている。
刑務所が1年につかう医療費は、2006年当時、受刑者が7万人をこえていて、32億円。ところが、10年たって受刑者は5万人を切ってしまったが、なぜか医療費は60億円と2倍近くになってしまった。
著者自身が国会議員のときには考えもしなかった現実にしっかり目を向けあっています。自分が服役した経験もふまえていますので、とても説得力があります。
素直にさっと問題点がつかめます。日本社会の現実を知りたい人には、おすすめの本です。
(2018年5月刊。1500円+税)

2018年6月10日

老いぼれ記者魂

(霧山昴)
著者 早瀬 圭一 、 出版  幻戯書房

昭和48年(1973年)3月、青山学院大学の春木教授は教え子の女子大生に対する強姦罪で逮捕された。私は、このとき司法修習生として、横浜にいました。かなりインパクトのある事件として覚えています。「被害者」の女子大生は、この本によると私と同学年のようです。
 女子大生はアメリカ留学を夢見て春木教授に近づいています。二人の間に性行為があったことは争いがなく、強姦があったのか、合意による性行為なのかが争点の事件です。ところが、不思議なことに3回あった事件のうち、最後の3回目だけは無罪とされたのでした。もちろん、それもありえないわけではないでしょうが、では1回目も2回目も、本当に合意ない性交渉だったのか・・・。この点について、この本は執拗に当時の関係者に迫って真相を明らかにしようとするのです。
これは実刑となって出獄してきた春木教授の執念でもありました。当然のことながら元「被害者」は取材を拒否します。でも、そこに、何か不自然さがある・・・。著者はあくまで真相を求めて、歩きまわります。さすがは元新聞記者(ブンヤ)です。
この事件は当時の青山学院大学内の権力闘争を反映しているようです。春木教授を引きずりおろそうというグループがあったのでした。
被害者の女子大生は、法廷で春木教授から直接質問されたとき、こう応えました。「ケダモノの声なんて聞きたくもないです」。
この裁判で異例なのは、一審で論告も求刑も終わったあとに、なんと裁判所が被害女性を尋問しているということです。
そして、春木教授のせいで人生を破滅させられたはずの被害女性は、中尾栄一代議士(自民党)の私設秘書として活動していたのでした。この本を読むかぎり、たしかに被害者とされる女子大生の言動には、あまりにも不可解なものが多いように思いました。
それでも、春木元教授は今から24年も前に亡くなっています。にもかかわらず、事件の真相に迫ろうという記者魂の迫力に圧倒されました。
(2018年4月刊。2400円+税)

2018年5月24日

刑務所の風景


(霧山昴)
著者 浜井 浩一 、 出版  日本評論社

大学教授の著者が、その前に刑務所の矯正職員としての3年間の勤務によって認識した状況をまとめた興味深い本です。著者が刑務所で勤務したのは2000年4月からの3年間ですので、現在とは少し状況が異なります。
たとえば、当時は過剰収容が大きな問題となっていました。要するに、どこの刑務所も定員オーバーに悩まされていました。この点は、今では解消されています。
ところが、収容者の高齢化にともなう介護問題は当時に比べてはるかに深刻になっています。刑務所は、受刑者を選べず、受刑者が何か問題を起こしても、外に追い出すことはできない。
刑務所には、「経理夫」なる存在が刑務所を支えている。元教員や元公務員は、有能であっても刑務所内の経理夫には向かないことが大きい。
刑務所内で、「経理要員」として働くためには、特別な資質は必要としない。その要件はごく単純。健康であり、60歳未満、普通レベルの知的能力を有すること。暴力団に所属していないこと。ところが受刑者のほとんどが、作業をするうえで支障となるハンディキャップをもっている。
増加する受刑者の多くは、労働力として一般社会で需要がなくなった者でもある。刑務所の収容者の高齢化は、一般社会をはるかに上回るスピードで進行し、それにともない刑務所で死亡する受刑者も急増している。刑務所は、社会をうつし出す鏡である。
アメリカには、福祉予算の比率が低く、弱者を切り捨てる不寛容な社会(州)ほど、刑務所人口比が高いという研究がある。
収容者は、毎日、同じ時間に、同じ場所で、同じことを繰り返すのみ。彼らにとって、一日一日は長くても、ふり返ると、そこには何の変化もないから、時間が止まったかのように感じる。
刑務所生活に適応した人々のなかには、家畜同様に扱われ、外ではいきていけない。
刑務所では、食事は、収容者の最大の関心事である。私も弁護士会による刑務所視察に加わり、食事を試食したことが何回かありますが、なかなか美味しいと実感しました。
収容者の妄想も、その内容は多様である。刑務所の独居にいる限り、夢を見続けるのかもしれない。
刑務所と少年院とには本質的な違いがある。少年院では、少年を信頼し、信用することが共感の基本的な心構えでもある。これに対して、刑務所では受刑者を信用しないことが刑務官の基本的な心構えである。
刑務所とは、どのような世界なのか、よく分かる本です。
(2010年4月刊。1900円+税)

2018年5月23日

治安維持法と共謀罪

(霧山昴)
著者 内田 博文 、 出版  岩波新書

アベ政権は明治150年を手放しで礼賛して、祝賀行事を大々的にしたいようです。
でも、明治維新から終戦まで、日本は繰り返し戦争をしてきました。「平和な国・ニッポン」のブランドは戦後に生まれ、なんとか定着したものです。
アベ政権の言うとおりに戦前に回帰したら、まさしく軍部独裁の暗い、人権無視の政治に変わることでしょう。
治安維持法が制定されたのは、大正14年(1925年)。治安維持令と治安維持法とでは内容が大きく異なっている。治安維持令は、言論等規制である。これに対して治安維持法は結社規制法だった。
治安維持法は1925年(大正14年)4月に公布され、5月より施行された。このとき、治安警察法も存続させる運動を展開した。
東京弁護士会は、1934年(S9年)に臨時総会を開いて、治安維持法の改正に賛成した。
戦時体制がすすむ中で、個人の権利主義は反国家的であるという風潮が強まり、自然に民事裁判は減少していった。刑事裁判についても、被疑者・被告人になったとき、個人の権利主張をしていると、反国家的であるのと同じだとして敵視する風潮が強まった。こうして弁護士の業務は目立って減り、活動範囲が狭まった。
共謀罪法が施行され、国家に異議申立することが事実上抑制されている。
戦前の治安維持法は共産党対策を名目として全面改正され、民主主義運動や自由主義運動、反戦運動の取締りに猛威をふるった。
テロ対策を口実として共謀罪が再び猛威をふるう危険がある。
戦前と現代日本とをリンクさせながら、共謀罪法の恐ろしさを明らかにした新書です。
(2017年12月刊。840円+税)

2018年5月18日

法の番人として生きるー大森政輔回顧録

(霧山昴)
著者 牧原 出 、 出版  岩波書店

著者は青法協の会員裁判官でした。今も、安倍首相の集団的自衛権の解釈は憲法違反だと断言します。
著者は灘中・高から京都大学法学部に進学しました。学問の自由を戦った京大法学部にあこがれたのでした。京大法学部では社会主義に大きな関心をもち、自治会活動にも参加します。そして、司法試験を目ざして在学中に合格します。
司法修習生になったら、当然のように青法協に入りました。青法協は、市民に足を置く良心的な法律家の集団と思われていて、青法協に入る意欲のないような法律家は良識に欠ける存在だと思われていた。実際、最高裁のなかの所付判事補の多くが優秀であり、青法協の会員でした。
 学園紛争、70年安保ぐらいから、青法協会員だというのは、よほど過激な者だということになったようで、非常に残念。
私は、著者が青法協を脱会したことを責めるつもりはまったくありませんが、青法協会員だった最高裁のエリート裁判官たちがこぞって脱会したあと、裁判所内に自由闊達な雰囲気がなくなり、ヒラメ裁判官だらけになってしまったことについては、厳しく指摘してほしいと思いました。
著者が裁判官になるときの面接で、「政治活動はしないだろうな」という質問を受けたといいます。とんでもない質問ではないでしょうか。今は、こんな質問なんかする必要がない状況ですが、それをつくり出したのが、このような質問をする司法当局だと思います。
最高裁にいた若い局付判事補はほとんどが青法協の会員だった。若い時代には日本国憲法を擁護する意識をもつのが通常で、その意識のない若い裁判官は腰抜けだと考えられていた。結局、著者は、司法反動の嵐のなかで配達証明付の脱会届を送るのです。
岡山に赴任したときには、事務総局から青法協を逃げ出した男だという前評判で迎えられた。それでも岡山のあと東京に戻れなかったのは、青法協脱退をぐずぐずして抵抗したからだという理由があげられています。ひどい話です。
そのあと、法務省へ出向します。さらに内閣法制局への出向です。
安倍内閣の集団的自衛権の憲法解釈変更は明らかに暴挙だというのが著者の考えです。
舌先三寸で、黒を白と言いくるめられたら何でもできると思い上がった人が総理になるということほど恐ろしいことはない。このように著者は言い切ります。胸のすく思いです。
わが国を取り巻く安全保障環境の変化を考慮しても、憲法9条の改正がない限りは、集団的自衛権の行使は、今後とも憲法9条の下で許容できる余地はない。内閣の権限をこえたもので、とうてい認められない。
気骨あふれる裁判官の語るオーラル・ヒストリーは興味深いものがあり、一気に読了しました。
(2018年2月刊。2800円+税)

2018年5月17日

ほどよく距離を置きなさい


(霧山昴)
著者 湯川 久子 、 出版  サンマーク出版

著者は九州で第一号の女性弁護士として活躍してきました。90歳の今も現役の弁護士です。事件を扱うときには稲村鈴代弁護士と共同作業のようですから、心配は無用です。
弁護士生活61年という体験をふまえていますので、その言葉には重みがあります。
先日、たまたま赤坂近くのけやき通りで著者に出会い、ほんの少しだけ言葉をかわしました。腰を痛めて能のほうはやめて、座ってできる謡(うたい)だけにしているとのことですが、足取りはしっかりしていて、とても90歳をこえているとは思えない元気の良さでした。
相談に来て目の前に座った人がうつむいてボソボソと力なく話しはじめたときには、こう言う。「顔を上げて、私の目を見てお話ししなさい」
すると、顔を上げ、目に光が戻ってくる。声のトーンが変わり、背筋が伸びてくる。問題をかかえた姿から、問題と向きあう姿勢に変わった瞬間だ。顔を上げ、前を向くだけで、未来を見る姿勢になる。
本当にそうなんです。逃げの姿勢から、物事に向きあい、乗りこえていく。これが求められています。
弁護士の事務所は、悩める人たちにとって、その心の病気の治療室のようなものである。
これまた、まったく同感です。
離婚問題をかかえたとき、長引けば長引くほど、人生の再起は遅れ、再起するためのエネルギーも失われていく。
たった1回だけの人生です。大切に扱いたいものです。
和解は、させられるときには納得いかないけれど、主体的に和解を選ぶようにする。発想を転換させるのですね・・・。
「話す」ことは「離す」こと。
話していくと、自分というものが、客観的に見えてくるようになるのです。
子どもは成長する過程で百粒をこえる喜びと幸せを親に与えてくれる。子どものことで傷ついた親は百粒の涙を流す。子どものことで苦労した親は、人として成長し、人にやさしくなる。
数多くの熟年離婚を見てきて、我慢の先に幸せはないと痛感する。
私は子どものために離婚をガマンしてきたという言葉を聞かされると、それは、子どもこそ気の毒だったと思います。もっとはやく親が別れてくれていたら、たとえ片親であっても笑顔の絶えない、明るい生活を過ごせたはずなのです。それを親の都合で子どもから奪いながら、子どもにあんたのせいだと責任をおしつけるなんて、親としてすべきことではありません。
こころに余裕がある人は、他人に寛大になれる。他人の幸せを妬んだり、うらやんだりすることもない。未来を向いて、今を楽しんでいると、幸福度は、ますます高まっていく。そのためには、いくつになっても好奇心をもち、新たな挑戦をしてみることです。
長生きは、ごほうびの時間だと考えている著者に、ますますのご健勝を心から祈念します。10万部も売れているとのこと。これまたすばらしいです。
(2017年11月刊。1300円+税)

2018年5月15日

つくられた恐怖の点滴殺人事件

(霧山昴)
著者 阿部 泰雄 ・ 山口 正紀 、 出版  現代人文社

私の弁護士生活も45年となりましたが、残念なことに勇気ある裁判官、真実を直視しようとする気骨ある裁判官が本当に少ないと実感します。たまに出会うと感激ものです。
2001年に仙台で起きた「筋弛緩剤点滴殺人事件」が、実は何の科学的根拠もない警察による見込み捜査にもとづくものであり、警察とマスコミのつくりあげた「犯罪」だったことを明らかにした本です。
亡くなった小学6年生の女児は、その症状から筋弛緩剤中毒ではなく、別の急性脳症(ミトコンドリア病)だったというのです。ところが、医療の素人である裁判所が専門医の鑑定結果を受け入れないとは、いったいどういうことなのでしょう・・・。
そして、鑑定資料が警察鑑定によって全量消費されてしまって、残っていないというのにも驚かされます。これでは、追試ができません。警察による証拠隠し(いん滅)としか言いようがありません。
有罪が確定した守大助氏の父親は警察官でしたが、定年退職までつとめあげ、今では息子の無罪を訴えて、夫婦で全国をまわっているとのこと。すばらしいことです。
守大助氏は当初「自白」していますが、これを重視すべきではないのに、裁判所は鬼の首でもとったかのように考えています。まったくの間違いです。古今東西、やってない人が「自白」するのは、いくらでもあることです。その「自白」が客観的証拠と矛盾しないのかどうか、慎重に裁判所は検証していかねばなりません。
事件からすでに17年がたっています。裁判所には無罪の扉をぜひ開けてほしいと思います。私と同期の阿部泰雄弁護士の奮闘には心から敬意を表し、多くの人に一読をおすすめします。
(2016年12月刊。1700円+税)

2018年5月10日

天文館強姦えん罪事件報告書

(霧山昴)
著者 伊藤 俊介 ・ 西田 隆二 ・ 野平 康博ほか 、 非売品

天文館事件が福岡高裁高崎支部で無罪判決が出て、検察官の控訴がなく確定したあと、控訴審弁護団がその教訓を座談会を通じて明らかにしたものです。私はゴールデンウィーク中は自宅に籠っていましたので、一気に読了しました。
控訴審(裁判長・岡田信、増尾崇・安部利幸裁判官)の無罪判決は30頁もあって詳細をきわめていて、読むとなるほどと説得力があります。それにひきかえ、一審で有罪とした判決文は9頁しかなく、拙劣としか言いようがありません(裁判長・安永武央、植田類・竹中輝順裁判官)。この3人の裁判官の名前はしっかり記憶しておくことにします。
一審判決は「典型的な路上強姦の事案」だとしながら、しかも路上に2回も倒されたという被害女性の着衣にも人体にも何ら損傷がなかったことを検察官も認めているのに、「客観的事実と矛盾」しないとしているのです。でも、まあ、これは許される事実認定の幅なのかもしれません。さらに重大なのは、路上での強姦行為が「45秒間」で成立したかのような事実認定をしたり、行動手順の時間経過を裁判所が勝手に入れかえたうえで「客観的に不可能」とまでは言えないとしているのです。そして、きわめつけは、被害女性から検出された精液が被告人のものとは認められていないのに、被告人を強姦罪で有罪としたのです。信じられません。開いた口がふさがりませんでした。
この点、控訴審はあらためてDNA鑑定をした結果、被告人とは別の男性の精子が検出され、被告人のものは検出されていないとしています。そして、これは、警察の鑑定結果が被告人のものではなかったことから、虚偽の報告をしてごまかしたのではないかと指摘しています。モリ・カケ事案においてアベ政権がやったことと同じですね。権力(警察と検察庁)がウソとごまかしをしてはいけません。
控訴審判決は精子のDNA鑑定で被告人のものが検出されなかったので、それだけで無罪にできるところを、前述したように、さらに他の論点まで触れて、被告人の無実を完璧に明らかにしています。ついでに、和久本圭介検察官(この人の名前も覚えておきます)が、こっそり鑑定したことを厳しく弾劾しています。
弁護団の座談会は47頁もあり、やや未整理で冗長なところもありますが、それだけに臨場感をもって苦労話を追体験できます。
そもそも鹿児島一の繁華街である天文館で、たとえ夜中の2時であり、裏の路地であっても、路上強姦が果たして可能なものなのか・・・。弁護士たちはその時間に現場に立ってみます。そして、街頭や店舗の監視カメラの映像を求めて聞き込みに歩くのです。なるほど、弁護人の無罪立証のためにはそこまでしなくてはいけないのですね・・・。今村核弁護士をテーマとしたNHKの「ブレイブ」を思い出しました。
それにしても、逮捕されてから保釈が認められるまで、被告人が2年4ヶ月も拘留されていたというのは裁判所は本当はひどいです。DNA鑑定で被告人とは別の男性の精子が出たことが分かってからかのことです。いま、モリトモ事件でカゴイケ夫妻が半年以上も拘置所に入れられています。逃亡も証拠隠滅もまったく心配ないのに、裁判所が保釈を認めないのです。人質司法というより、政治におもねる裁判所を許せません。広島で民商の女性事務局員が否認したら1年以上も拘留されていたことがありました。裁判所は、自分の頭で考えるべきですし、過ちを素直に認めるべきだと思います。本件で一審の安永武央裁判官たちは無罪確定のあと少しは反省しているのでしょうか・・・。
裁判所に青法協会員がいなくなり、裁判官懇話会が消滅してしまって久しくなります。真面目な裁判官は、どうやって励ましあっているのでしょうか・・・。大いに心配です。
いい冊子でした。DNA鑑定の実際を知ることができるなど、実務的にも大変勉強になる報告書です。弁護士のみなさん、ぜひ手にとって読んでみてください。
(2018年4月刊。無料)

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