弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年10月 9日
最高裁判所長官 石田 和外
司法
(霧山昴)
著者 西川 伸一 、 出版 岩波書店
最高裁判所のなかで史上最低・最悪というのは、なんといっても田中耕太郎です。このコーナーで何度も紹介していますが、裁判(砂川事件)の実質当事者であるアメリカ政府と駐日大使を通じてこっそり接解し、最高裁の合議の秘密をもたらしたうえ、アメリカ政府の指示どおりに判決するようにもっていったのです(アメリカの公文書館に証拠があるのを日本人ジャーナリストそして学者が発見しました)。
この石田和外は、最悪二番手になります。青法協を迫害し、日本の司法をズタズタにしてしまいました。その後遺症は、今も司法(とくに裁判所)に顕著です。あまりに効果がありすぎて、その後の最高裁判官が、今やヒラメ裁判官(上ばかり見て気にしながら判決を書くという、まったく気骨のない裁判官)ばかりになってしまったと公式に嘆くほどになりました。
1971年4月、宮本康昭判事補の再任が拒否された。大変なことです。青法協会員の裁判官であった宮本再任拒否は、石田長官の下で周到に計画され、実行された。
ちなみに、宮本判事補は判事として再任されなくても、簡裁判事のほうは身分が残っていたことから、しばらく裁判所で仕事を続けました。その任期満了のあと、弁護士に登録し、司法改革問題に取り組み、裁判所改革における第一人者として活躍しました。法テラスにも関わり、後進の養成にあたり、今も東京で元気に弁護士を続けています。つい最近も自分の生い立ちと再任拒否当時の生々しい状況を活写した本を刊行されました。
続いて起きたのが、阪口徳雄司法修習生の罷免処分です。1971年4月のことです。私が弁護士になる3年前で、私はこのころ司法試験の受験生でした。
この本で、阪口修習生の罷免処分を決めたとされている最高裁判官会議の議事録がないことが確認されています。石田長官が、臨時に召集したうえで、議事録は作成しないよう命じたらしいのです。これは明らかに違法です。成立要件を満たしていません。
あとから追及される根拠となる紙の資源は一切残さず、阪口罷免ありきの、石田の凶暴なまでの「リーダーシップ」が発揮されたということ。いやあ、これは恐ろしいことです。
阪口修習生が「演壇用マイクを無断で抜き取」ったとか、「マイクをわしづかみに」したとか、まったく事実に反する国会答弁(矢口洪一・人事局長)が紹介されています。この矢口洪一も、後に最高裁判官となり、司法反動を強引に進めました。罷免された阪口徳雄さんは弁護士になって、大阪で大活躍されていましたが、先日、亡くなられました(82歳)。
石田長官の負(マイナス)の功績としては、最高裁判事の構成をリベラル派優勢から保守派優勢に変えてしまったということもあげられる。弁護士枠が5人から4人に減らされてしまったのです。
もっとも、最近の弁護士出身の最高裁判事は、ことなかれ主義、大企業・国家権力追随型ばかりで、まったく覇気が感じられません。五大事務所出身でほとんど占められていることの蔽害です。
最高裁長官は13人連続で裁判官出身者が占めている。しかも、全員が「裁判をしない裁判官」だ。なかでも、私の同期でもある寺田逸郎にいたっては、ずっと法務省に出向していたから、もはや裁判官ですらない。
最高裁の内部統制に服しないとどうなるか...。「見せしめ」にされる。そのターゲットは、宮本さん、阪口さんに続いて、寺西和史判事、藤山雅行判事そして、近くは岡口基一元判事。
残念ながら、今や裁判所のなかは、「ヒラメ判事」そして委縮判事が多く、しかも、そのことに自覚のない判事がほとんどになっています。たまに、気骨のある判事にあたると、おっ、まだ絶滅危惧種がここにいた...と感激してしまう状況です。なんとかしたいものです。
(2025年6月刊。2900円+税)