弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年9月30日
内務省
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 内務省研究会 、 出版 講談社現代新書
かなり前のことですが、私の大学同級生が某官庁のナンバー2になったと聞いて会いに出かけました。そのときの四方山話のなかに、彼がひょいと机の中から大きくない名簿を取り出して私に見せてくれました。内務省出身者だけが掲載されている名簿です。もちろん、今、内務省なんて官庁はありません。現在の警察庁・総務省・国土交通省・厚生労働者に所属する官僚たちの名簿です。彼は自治省出身でしたから、地方自治体へ出向していたこともあります。
「ほら、こうやって、今でも旧内務省官僚は横のつながりを持っているんだ。ともかく官僚は情報が決め手だからね...」
驚きました。官僚の世界の深淵をのぞき見た思いでした。
内務省は、明治のはじめ、1831(明治6)年11月から、1947(昭和22)年12月まで、74年間、「省庁の中の省庁」として官僚の世界に君臨していた。現代には比肩するものがない、空前絶後の巨大官庁。とりわけ、警察行政を所管していたことから、権力を用いて国民の権利や自由を抑制するものとして内務省はあった。
内務省の廃止は、消滅ではなく、発展的な解体だった。内務省出身者は、解体によって新設された各省で指導的な地位についた。そして、彼らを網羅する名簿がつくられ、人的な結びつきは維持された。戦後の官僚機構のトップである内閣官房副長官は、代々、内務省関係省庁から選ばれている。
内務省は発足当初から大蔵省と激しい権力闘争を展開してきた。内務省は、大蔵省の干渉のため、単独で自らの意思を決定できない省庁としてスタートを切らざるをえなかった。
大隈重信は、絶えず内務省行政に干渉しようと画策した。その大隈は1881(明治14)年10月に参議を辞任して退場した。内務省は大々的な選挙干渉をすすめた。巡査が戸別訪問し、民権党候補を誹謗した。
第二次大戦中、東条英機は首相のほか、陸相、参謀総長そして内相を兼任した。東条の意図は、内相として警察をおさえることで、国内の主戦論を取り締まること、陸相として軍人をおさえること、軍内の抑抗をおさえることにあった。
知見を大いに広げることのできた本でした。
(2025年4月刊。1650円)