弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年9月26日

自由民権創成史(下)

日本史(明治)

(霧山昴)
著者 宮地 正人 、 出版 岩波書店

 明治の世になってからも、それまでの常職を喪失したのに、従前のまま秩禄をもらっていた全国の士族と家族は前途に不安を抱いていた。そこで、士族の存在意義を示すべく対外出兵で証明しようと考えた。それが台湾出兵であり、征韓論だった。
 ところが、岩倉も大久保利通も、士族を国家の軍事力として編成するのはきわめて危険であり、なんとしても回避すべきだと考えた。それより、統一された官僚制軍隊を基礎とした中央集権的日本国家を樹立することが日本完全独立の前提だとした。国家財政支出の3分の1から4分の1を占め、まったく生産的でない士族に対する家禄・賞典禄の支給を一刻も早く打ち切ること、その分を近代国家創出づくりにまわさなければならない。そのように大久保たちは確信していた。
 佐賀県士族の蜂起は、大久保内務卿の狙いどおり、江藤ら賊徒討伐のかっこうの大義名分となった。このとき、すでに大久保は全国的電信網をつくりあげていて、即応体制が出来ていた。
 明治6年6月、福岡県では大一揆が勃発した。
 明治7年(1874)年1月、愛国公党が結成された。
 明治8年2月、大阪で愛国社が設立された。
 明治8年1~2月の大阪会議には、木戸・大久保・板垣が参加し、注目された。
 明治9年8月、支給を廃止し、それを公債として6年後から抽選で、30年で償還していくことにした。すると、士族の収入は断然小さくなった。
 明治9年、地租改正反対運動が全国で展開した。
明治10年6月、立志社は初めて演説会を開催した。このころ、すでに西南戦争で西郷軍の敗北は明らかになっていた。
 そして、西南戦争が始まり、西郷軍が敗北した。それによって、政治党派としての士族民権主流派は消滅した。残るは平民による民権派。町村レベルの富農と自作農そして自小作農層までの組織化と結社化が課題となった。平民民権運動は、華士族の秩禄支給全廃を主張していたので、士族民権運動とは共同行動が出来なかった。しかし、秩禄が廃止されると、その障害はなくなった。国会開設を求める国民的大運動が展開可能になったわけである。
 広い視野で明治前期をとらえることが出来る本です。
(2024年12月刊。4400円)

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