弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年10月 8日
自由な発想で同時代をとらえる
社会
(霧山昴)
著者 花伝社創立40周年記念誌編集委員会 、 出版 花伝社
40年前、社長1人で電話も机も一つだけで出発した出版社が40年たち、スタッフ11人、うち4人が20歳台、そして3事務所に分かれて、毎月6点も発刊している。花伝社の刊行点数は、まもなく1000冊を突破する。日本全国に3000社あるという出版社のなかでは小さいけれど、大きな存在感をもっている。
全国の市町村の4分の1には書店がなく、書店は1万軒を下まわろうとしている。しかし、本を読む人が減ったわけではない。取次店を通して本を買って読む人が減っているだけ。40年前は、新刊が年に3万点だったが、今では7万点から8万点になろうとしている。
この10年、花伝社の新しい柱は、海外コミック。『本来のアラブ人』シリーズは、私も読みました。海外ではA4判なのをA5判につくりかえるのが大変のようです。でも、たしかに、A4判には慣れていませんので、読み辛いです。
花伝社編集部には、事後編集会議なるものがあるという。これは珍しい。「やってみなければ分からない」という出版ビジネスの本質にあわせて、検証して知恵をしぼって、みんなの共通財産として残すという発想。これはすごいことですよね。
編集担当の社員が次のように書いています。
花伝社に勤めて、「言葉を尽くす」ことをあきらめない人々の営みを間近に見ることになった。それは、笑ってしまうほど泥臭く、面倒な工程だった。しかし、分かりあうためには言葉を重ねるしかない。
社長の平田勝さんは、元全学連委員長で、東大に8年間も籍を置いている。その間に、東大闘争に大きく関わった。中国で文化大革命が本格始動する直前の1965年8月、中国との日中青年大交流の一員として訪中し、毛沢東や周恩来と握手したという歴史的経験をしている。このときの記念写真には、あとで打倒される劉少奇、彭真、賀竜たちが毛沢東や鄧小平と一緒にうつっているとのこと。信じられません。
40歳となった花伝社はもはや若くはない。だけど、これからの出版社だ。
この記念誌の冒頭に「花伝社と私」という私の文章が置かれ、花伝社の発足以来、次々に出版していただいたことを感謝を込めて紹介している。それにしても、残念なことは、私の本がちっとも売れていないこと。父の戦前の貧乏学生の話の本(「まだ見たきものあり」)は訂正・追加したいのに、大量の在庫をかかえて重版に至っていない。なんとかして重版にこぎつけたい。花伝社としても、10万部を売り尽くしたというベストセラー本はまだないらしい。私の目標(モットー)は、「目ざせ、1万部」だ。私も、まだあきらめてはいない。
(2025年10月刊。非売品)