弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会

2025年7月23日

土地は誰のものか


(霧山昴)
著者 五十嵐 敬喜 、 出版 岩波新書

 2014年、空き家等対策特別措置法が制定された。日本全体で空き家は2018年時点で849万戸あり、空き家率は13.6%。今後、空き家はますます増えて、まもなく1000万戸に達するとみられている。
 たしかに私の住む住宅団地にも空き家が何軒もあります。すぐ下の隣家も老夫婦が亡くなられて何年も空き家です。
空き家が倒壊する危険のある家屋でありながら解体されずに放置されているとき、所有者が承諾しないため強制取り壊しとなる行政代執行は、全国で年14件、所有者が不明のための略式代執行は年間40件ほど。つまり、ほとんど危険家屋も放置されているわけです。
私の住む街でも、前より減りましたが、いかにも危険だ、台風が来たら通行人等に危険を及ぼす心配がある空き家がまだまだあります。
 2018年、所有者不明土地の利用円滑化特別措置法が制定された。「所有者不明」とは、所有者がすぐには分からないのが3分の2、所有者は判明しても連絡がとれないのが3分の1.
 今、私は所有名義人の相続人が多数いて、うち1人はアメリカ在住、もう1人は生死不明(大正生まれなので、恐らく死亡していると思われるものの、戸籍上は存命だけど、その家族は不明)というケースをかかえて四苦八苦しています。
 このような「所有者不明の土地」は、410万ヘクタールあり、日本全体の10%を占める。これは九州と沖縄を足したほどの面積。これが2040年には720万ヘクタールに増えると予測されている。これは北海道と同じ面積。
 相続した土地の国庫帰属制度がある。2021年に制定された。ところが、とても要件が厳しく、厳重な審査を経なければいけないので、利用(申立)も認容も、とても少ない。
 重要施設周辺の利用状況調査と利用規制等に関する法律が2021年に制定されている。これは自衛隊の基地周辺に外国人や外国法人が土地購入するのを防ぐというもの。この法律については、立法事実(その必要性)の欠如、そして、構成要件があいまい(たとえば「機能を阻害する行為」というのはどんなものか不明)なので、日弁連は反対する会長声明を出した。
 マンションの老朽化が進んでいる。空洞化と老朽化が進むと、マンションは、いずれ廃墟になってしまう。
 タワーマンションだって、やがて老朽化したとき、莫大な修理・修繕費を住民が負担できず、速く逃げ出したものが勝ちということになることでしょう。
日本では、土地と建物がそれぞれ所有者の異なることは多い。なので、借地権で建物を所有するのは、あたりまえのこと。
 ところが、諸外国では、土地と建物とは原則として一体の不動産とみられている。
 ヨーロッパでは石造りの建物は、内装はしばしば変更されるが外観は何百年も継続している。そこには、土地と建物との分離という発想は生まれにくい。
 フランスに行ったとき、パリの石造りのプチホテル、そして、オンフルールという港町のホテルに泊まったとき、外装は何百年もたった石造りだけど、内装は近代的で便利なものでした。
日本では木造の建物は30年から50年で取りこわされる。築100年という建物には、滅多にお目にかからない。
 イギリスの「グリーンベルト」は、都市の膨張を防ぐために、都市の周辺を緑地帯で囲む計画があって、実施されている。日本では、ほとんど無規制のまま都市化の波が周辺の農地を覆い尽くしていますよね。
 また、日本では、地域の中に児童相談所や保育園・老健施設が建設される。そして、葬祭場が立地するとなると、猛烈な建設反対運動が起きる。これは、何より自分の所有する土地の「商品」としての価値が下がることに対する反発。
 そこで、著者は、「現代総有」という考えを提唱しています。簡単なことではありませんが、日本人も土地所有について、改めて考え直す必要があると痛感します。
それにしても、マンションという商品は、購入したとたんに「死」が始まるという指摘には、はっとさせられました。マンションの建て替えは、現行区分所有権のもとでは、ほとんど不可能なことを多くの人が気がついていない。それとも途中で売り逃げしたらいいとタカをくくっているのか...。でも、それも簡単に、誰でもやれることではないだろうに...。
 幸い、私は庭つきの家に住んで、ガーデニングも野菜づくりも楽しめていますが、考えさせられる新書でした。
(2022年2月刊。990円)

2025年7月21日

王者の挑戦

(霧山昴)
著者 戸部田 誠 、 出版 集英社

 「少年ジャンプ+」の10年戦記というサブタイトルの本です。
 「ジャンプ」は1988(昭和63年)に500万部を突破し、1994年に、なんと653万部を記録した。信じられない発部数です。
 「少年ジャンプ」の創刊は1968(昭和43)年のこと。私が大学2年生のときです。
 1959(昭和34)年に「週刊少年マガジン」(講談社)と「週刊少年サンデー」(小学館)が創刊されました。私が小学5年生(11歳)のときです。小売酒屋の息子である私は親から買ってもらえず(おこづかいなるものはもらっていませんでした)、小学校の正門前に医院を構える医者の息子(同じクラスでした)が購読しているのをまわし読みさせてもらっていました。大学生のときは駒場寮という寮生600人という巨大な寮で生活していましたので、買う必要はなく、回ってくるマンガ雑誌によみふけっていました。とりわけ「あしたのジョー」が大人気でした。また、「ガロ」というマンガ雑誌も愛好家には、もてはやされていました。白土三平の「カムイ外伝」や「忍者武芸帖」などです。
 現在は電子コミックスの時代。出版不況が叫ばれるなか、コミックス(マンガ)は、電子と紙媒体とあわせると、「週刊少年ジャンプ」653万部時代並みの売り上げがある。今では、マンガが世界中で同時に読まれる時代。欧米やアジアだけでなく、南米や中東でも読まれている。
 「MANGA plus」は、2019年に1月にスタートした国外向けのオンラインマンガプラットフォーム。今では、「ジャンプ」「ジャンプ+」のマンガが、日本と同じタイミングで配信されている。英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、タイ語、インドネシア語、ロシア語、ベトナム語の9言語で配信。ダウンロード数3500頁に迫り、アクティブユーザーは650万人。日本と同時配信にこだわった。当初は、北米、インドネシア、タイ、フランスの読者が多かったけれど、最近はブラジル、インドが勢いよく増えている。
 ネット上の海賊版サイトが存在し、悩まされている。しかし、これも競合だと考えたらよい。海賊版は読みやすいし、速い。なぜ速いかというと、データ保護の必要がなく、保護しないから...。うむむ、なーるほどですよね...。
 「抜け道」は確かにある。しかし、厳格にするためシステムを煩雑にすると、ユーザーの使い勝手を悪くしてしまう。
 2019年4月、「初回全話無料」ということでスタートしたのが良かった。全話完全無料にしてしまうと、いつでも何度でも読み返せてしまうため、物として所有するという価値以外でコミックスを買う意味がなくなってしまう。
ユーザーにとって、面白いか、使いやすいか、がすべてだ。
 2014年、紙のコミックス(マンガ)は2256億円の売上で電子コミックスは887億円。ところが、2017年には、紙が1666億円に対して電子は1747億円と逆転した。そして2022年には、電子は677億円になった。出版不況のなかでも、電子の登場によってコミックス市場は大きく拡大した。
 「少年ジャンプ+」は2014年9月にスタート。1年で100万ダウンロードを目標としてスタートしたのに、創刊してわすか20日間で達成した。紙の「ジャンプ」は厳選した20作品ほどしか掲載できないのに対して、電子の「ジャンプ+」は、無限、いくら連載してもいい。
ネット社会の無限の広がり、可能性、そして恐ろしさを伝えてくれる本でもありました。
 法曹の社会でのAIの活用も、同じような状況になるのでしょうね...。私は、とてもついていけそうにありません。トホホ...。
(2025年6月刊。1980円)

 参政党の候補者が恐ろしいことを叫んでいます。「日本も核武装すべきだ。これがもっとも安上がりで、最も安全を強化する」と言ったのです。核戦争になったら、日本も、この地球全体が破滅してしまいます。「安上がり」だなんて、とんでもありません。
 ノーベル平和賞を日本の被団協(被爆者の団体です。核兵器をなくそうと頑張っておられます)が受賞したのは、核兵器は人類と共存できないことを真剣に訴えていることが評価されたからです。
 参政党への一票は、日本と地球を破滅することにつながります。

2025年7月20日

中谷クンの面影


(霧山昴)
著者 中野 慶 、 出版 かもがわ出版

 読み進めていくうちに不思議な、フワリフワリと漂うような感触に陥ってしまいました。
主人公は一家の主婦であり、夫がいて、娘と孫がいる。孫は可愛い。娘は母親に頼りつつも、母親べったりではないどころか、ときに冷ややか。むしろ父である夫と共同戦線を張ったりする。孫は3歳なのでひたすら可愛いが、何をするか分からないので、一瞬たりとも目が離せない。
 主人公は66歳。東京で生まれ、武蔵野に住み続け、中学教師も定年まで勤めあげた。孫の世話に明け暮れているある日、幼ななじみの中谷クンがボリビアに移住したというニュースが飛び込んできた。中学の同窓会の案内状が来ている。参加申し込みの締め切りが迫っている。どうしようか、決断できない。
 私も中学の同窓会に出たことが一度だけあります、もう20年以上も前のことです。中学校の同窓会は出ようという気になりましたが、高校の同窓会には出る気がせず、ずっとずっと出席しませんでした。なにしろ、保守反動の市政を牛耳っている連中が大きな顔をしているのを日頃うとましく感じているので、とてもつきあいたくなんかありません。といいつつ、2年ほど前、ごく親しい人から自分も出るので一緒に出ようと誘われて昼間の会合に出席しました。高校のときは、生徒会の活動を2年ほどしていました(会長を総代と呼び、休憩時間にタスキをかけて学校中を選挙運動してまわったのです。無事に当選しました)ので、その同窓会には、誘われていそいそと参加しました。でも、誘ってくれた尊敬すべき先輩が亡くなったので、こちらは、もう次はないと思います。
 この本の主人公は、中学の同窓会は大好きだったとしています。活躍ぶりをぐいぐい誇示する人にも反発は感じない。女性たちも打ち解けている。今は、仕事などよりも、健康法と病歴に話題が集中する。ところが、今回は、なぜか主人公は億劫(おっくう)なのです。
 そして、同窓生の一人が中谷クンなのです。ボリビアに移住したという。その中谷クンから20年前に、小説をもらったまま呼んでいなかった。それを探し出して久しぶりに読んでいくのです。
 中谷クンの本の主人公の男の子(中学生)はアトピー性皮膚炎に悩んでいる。そして、夏休みに母親と一緒に広島へ行き、被爆者から話を聞いた。被爆者は、ケロイドのあとがかゆくて大変だったと訴える。
しかし、すべての被爆者がかゆみを感じていたわけではない、火傷(やけど)の程度にもよる。かゆくて辛かったのに、なぜ被爆者は、それを話そうとしなかったのか。アトピー性皮膚炎で苦しんでいる男の子は、問いを投げかける。
 被爆者がケロイドの箇所にかゆみを感じたのは、被爆して数ヶ月もあとのこと。だから、原爆にあった日を語るとき、かゆみのことは登場しない。結局、中谷クンの本は、現代の中学生が、かゆみという皮膚の感覚を通じて被爆者に出会う物語だ。
創造する人は、酷評を受忍すべき。無視されるよりは、ありがたいから。
 でも、私は、けちょんけちょんにけなされるくらいなら、黙って無視してほしい。心が折れそうになったら、困るから...。
中谷クンは、被爆の惨状を克明に描いて子どもに突きつけようとはしなかった。そうなんですよね、難しいところですね。原爆による死体の惨状をえんえんと描写する、その映像を流すことは、かえって、目をそらしてしまうかもしれません。あまりにも現実が恐ろしすぎるからです...。ナチスの絶滅収容所の惨状を描いた映像や写真をあまり見ないのは、そんな「配慮」があるからかもしれません。
この本の最後は、ノーベル平和賞受賞式の夜です。私も、ノルウェーのオスロ市庁舎の大広間を見学したことがあります。ここで、被団協の代表委員の田中さんが堂々とスピーチしたのです。本当にすばらしいスピーチでした。そして、ノルウェーのノーベル賞選考委員会の委員長のスピーチも心打つものでした。
選考委員会のヨルゲン・ヴァトネ・フリードネス会長は、受賞スピーチの中で次のように述べ、賛辞を送った。
「あなた方は被害者であることに甘んじませんでした。あなた方はむしろ自らを生存者として定義しました。大国が核武装へと世界を導くなか、あなた方は立ち上がり、かけがえのない証人として自身の体験を世界と分かちあう選択をしたのです。暗闇の中で光をみつけ、将来への道を模索する、それは希望を与える行為です。個人的な体験談、啓発活動、核兵器の拡散と使用に対する切実な警告、あなた方は数々の活動を通じて、数十年間にもわたり世界中で反核運動を生み出し、その結束を固めることに貢献してこられました。私たちが筆舌に尽くしがたいものを語り、考えられないことを考え、核兵器によって起こされる想像を絶する痛みや苦しみを、自分のものとして実感する手助けをしてくださっています。あなた方は決して諦めませんでした。あなた方は抵抗し続ける力の象徴です。あなた方は世界が必要としている光なのです」
(2025年7月刊。1870円)

 参議院の選挙のなかで、参政党が「終末期医療の全額負担化」を公約としています。それを読んで、私は心が凍る思いでした。病気にかかったら、さっさと死ねといわんばかりの冷酷さです。
 自民・公明の政府は医療予算をバッサリ削って、全国どこの病院も赤字をかかえて困っています。軍事費のほうはトランプの言いなりに際限なく増やしていますが、こちらのほうこそバッサリ削るべきです。
 冷酷・無惨な参政党が国会で議席を占めるなんて許せません。

2025年7月16日

ウィーブが日本を救う


(霧山昴)
著者 ノア・スミス 、 出版 日経BP

 日本の停滞は2008年に始まった。2008年こそ転換点だ。日本の実質賃金は1996年から、ずっと下がりっぱなし。超大企業の内部留保金はずっとずっと増えているのですから、賃金は増やせるはずなのです。政府も連合も、いったい何をしているんですか...。
 この本は、日本には発展途上国としての強みと利点があるとしています。かつて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だと言って、浮かれている一部の日本人がいましたが、今や日本を一流国だと考えている日本人がどれだけいるでしょうか...。
 日本国内の市場は縮小している。だって、実質賃金が下がれば、購買意欲が減退するのは必至です。そして、日本の生産性は低水準。だって、非正規社員をどんどん増やしていけば、企業の生産性が高まるはずもないでしょう。
 ウィーブ(weeb)というコトバを私は知りませんでした。Weeaboo(ウィーアブー)を短縮したコトバです。日本文化に首ったけの非日本人を指す。かつては、過剰に日本に執心している人たちを指す侮蔑語だったが、今では侮蔑語としては使われていない(そうです)。かつてOTAKU(オタク)と呼ばれていたのが、ウィーブと呼ばれるようになった(とのことです)。
 日本政府に欠けている政策が2つある。その一は、より良い福祉国家への政策。日本の社会福祉支出は中程度の水準でしかない。そうですよね。生活保護の給付を政府(厚労者)が合理的根拠なく切り下げたことに対して、あの最高裁も是正を命じたほどです。そして、自民・公明・維新・そして国民民主は医療制度の切り捨てを公約にしています。ひどすぎます。国民皆保険をやめて、アメリカのように金持ちだけが助かる保険会社本位のシステムにしたいようです。
著者は、もう一つとして貧困緩和をあげています。いやあ、鋭い指摘です。まったく同感です。誰もが安心して生活できるような社会にするためには生活保護の拡充が必要だと思います。生活が苦しいときに保護を受けるのは、市民として当然の権利なのです。参政党やら国民民主が外国人は生活保護を受けてはいけないようなことを公約に掲げていますが、排外主義ですし、根本的に間違っています。
この本は、日本は治安はいいし、食べものはおいしいし、みんなが移り住みたくなる国だとベタほめしていますが、その反面、日本の生活水準は低すぎる、日本人は今、静かに隠れた貧困に苦しんでいると、きちんとした指摘もしています。見るところは見ているのです。日本の相対的貧困率は、ヨーロッパよりも高い。
 購買力平価での日本の1人あたりGDPは、アメリカの64%、フランスの87%、韓国の92%と、先進国では下の方に位置している。それでも、日本では薬物乱用、10代の妊娠、犯罪は極めて少ない。生活水準が年々低下し続け、労働時間がのび続けているように、静かに犠牲が払われている。
 日本は、それほど幸せでも、気楽でもない国に感じられる。まったく、そのとおりです。
東京をふくむ首都圏には16万軒のレストランがある。パリには1万3千軒、ニューヨーク都市圏には2万5千軒。いやあ、そんなに多くの飲食店があるのですか...、知りませんでした。
 雑居ビルは、いかにも雑念としていて、日本特有の状況ですが、著者は、すごく好意的です。まあ、ともかく日本だと、ほとんどの店で安心して飲み食いできますよね(たまに、ボッタクリの店があり、気をつけないといけないことはありますが...)。
 日本の良さを生かしつつ、さらに貧困対策、そして福祉政策を充実させたいものです。それにしても、すぐに賃金の大幅アップが必要です。大企業の内部留保の巨大さには信じられない思いです。共産党が消費税をすぐ5%に下げること、その財源として、この内部留保金に目をつけているのに大賛成です。赤字国債なんかに頼ってはいけません。
(2025年3月刊。2860円)

参政党は日本人の納めた税金は日本のために使えと主張しています。でも、日本に住んで税金を納めているのは日本人だけではありません。多くの外国人が働いて、税金を負担しています。
 外国人の犯罪が多いということはありませんし、外国人が生活保護をたくさん受けているので、日本人が困っているという事実もありません。生活が苦しくなったら、日本人だろうと外国人だろうと生活保護を受けて生活できるようにするのは当然のことです。
 参政党の主張は、前提からして大きな間違いです。

2025年7月15日

桐生市事件


(霧山昴)
著者 小林 美穂子・小松田 健一 、 出版 地平社

 こんな不名誉なことで、オラが街の名前が全国に知れ渡るなんて、ちょっと恥ずかしい限りですよね。いえ、私とは何の関わりもありません。
 群馬県桐生市の生活保護行政は常軌を逸しています。だって、生活保護を受けている人に、月7万円をそのまま渡さず、毎日1000円だけ手渡すというんです。保護課の職員って、そんなにヒマなんでしょうか...(ヒマなはずはありません)。保護受給者の更生を指導・監督するためというんですが、これではあまりに人格を無視しています。 
 保護受給者の母子世帯は2011年度に27世帯だったのが、2021年度は、わずか2世帯。これまた信じられません。桐生市の保護利用者は2011年度の1163人が、2022年度は半分の547人。 生活保護率は全国的に増加傾向にあるのに、桐生市では下降の一途をたどっている。今どき、そんなはずはありませんよね。
 桐生市の保護課には就労支援相談員がいて、うち4人は警察官OB。しかも、その元警察官について、市は「マル暴経験者」を希望しているとのこと。いやはや、なんということでしょう。
 この警察官OBが新規の面談に同席し、家庭訪問にも同行するというのです。怖い話です。これでは、まるで保護受給者は元組員ばかりだといわんばかりではありませんか...。桐生市の予断と偏見はきわだっています。
 桐生市では、生活保護を申請しても認められるのは半分以下でしかない。また、保護の却下・取下げ率が他市に比べてズバぬけて多い。辞退廃止数は年に12件、全体66件の18%を占める。他市では3%ほどなのに...。
 ところで、桐生市といったら、昔は繊維産業で栄えていました。その後は、パチンコ台メーカーの「平和」や「西陣」でも有名です。でも、パチンコも、以前ほどではなくなりました。年金支給日しか店内のにぎわいはなく、若者がパチンコをしなくなりました。ネットなどのゲームがありますから、無理もありません。
 桐生市の保護課の職員は大変だったんじゃないかと想像します。ともかく保護受給者を減らすというのを至上命令としていたのでしょう。これは、市長や福祉部長・課長の体質によるのですよね、きっと。北九州市でも同じようなことがありました。「おにぎり食べたい」と餓死した人が出た事件です。厚労省本省から北九州市に乗り込んできた幹部が陣頭指揮をとって水際作戦を敢行していたと聞きました。
 こんな福祉の現場で働いていたら、ストレスがたまって大変でしょう。だって目の前にいる人の生活や人権を守るのではなく、切り捨てようというのですから、仕事に喜びを感じられるわけがありません。あとは、「サド的な喜び」を感じるのかもしれませんが、それは人間性の喪失と紙一重でしょう。
これだけ騒がれたのですから、桐生市の生活保護行政が抜本的に改善されていることをひたすら願います。
 生活が苦しくなったとき、生活保護を受けるのは憲法で認められた権利なのです。堂々と胸を張って申請しましょう。そして、市も速やかに受理して支給開始してほしいと思います。
(2025年5月刊。1980円)

 参政党の新憲法構想案の「国民」にも、本当に驚かされます。国民は、父または母が日本人であること、日本語を母国語とすること、日本を大切にする心を有することを要件として法律で定めるというのです。
 いやはや信じられません。「日本を大切にする心」を持っているかどうか、いったい誰が、そうやって判定するというのでしょうか。秋葉原事件のような無差別殺傷事件を起こした人は、今の金持ちだけが優遇されるような日本社会に恨みを持っていたのだと思います。残念ながら、きっと少なくないことでしょう。
 そんな人をも優しく包摂して、犯罪に走らないようにすることが求められていると思いますが、参政党は、そんな人は国外に追放してしまえとでもいうのでしょうか。怖すぎる発想です。

2025年7月 9日

未来をはじめる


(霧山昴)
著者 宇野 重規 、 出版 東京大学出版会

 東大の政治思想史の教授である著者が東京の女子高生(中学生含む)を相手に5回にわたって政治学を講義したものが再現されています。なので、そもそも難しい政治学の理論が難しいまま展開されることもなく、とても分かりやすい本になっています。
政治思想史が専門ですから、当然にマルクスも社会主義も登場します。
 現在の若者(大学生を含む)には、マルクス主義とか社会主義というと、すぐに「良くないもの」という否定的なイメージがもたれている。しかし、人々の間の不平等を何とかしたい、むしろ不平等はますます拡大しているのが現実ではないか、と著者は指摘します。どうやったら社会における不平等は是正されるかを考えている人が社会主義なのだから、あまりに一面的な社会主義の理解は、この機会に考え直したほうがよいと著者は提案しています。まったく同感です。
つい最近の新聞に、世界の歳富裕層1%は2015年からの10年間に4895兆円(33兆9千億ドル)の富を得たという国際NGOオックスファムの報告書が紹介されていました。
最富裕層1%は、下位95%の人々が持つ富の合計よりも多くの富を保有している。最富裕層が10年間に得た富は、世界の貧困を22回も解消できる規模になっているそうです。トマ・ピケティによると、現在の不平等の水準は、20世紀初頭ほどの水準にまで逆戻りしている。いやはや、資本主義の行き詰まりもまた明らかですね。それをトランプのようなやり方で解消・脱出できるはずもありません。
 日本人のなかに公務員は多すぎる、もっと減らせと声高に言いつのる人が少なくありません。でも、実際には、国際比較でみると、日本は公務員がとても少ない。福祉や教育の現場では、公務員がどんどん減らされて困っているのが現実です。それは司法の分野でも同じです。
 逆に、増えすぎているのは大軍拡予算です。自衛隊員のほうはずっと前から定員を充足していません。
著者は、教育や医療といった基本的なニーズは社会がある程度サポートすべきだとしています。大賛成です。年寄りと若者の対立をあおりたてる政党がありますが、政治の役割を理解していない、根本的に考えが間違っています。高齢者の福祉予算を若者に負担させるべきだというのは、出発的から間違っているのです。世代間でバランスをとる必要なんてありません。
 アメリカでは救急車を気安く呼ぶことは許されない。お金をとられるから。すべて営利企業である保険会社を利用せざるをえない仕組みです。日本の国民皆保険は守るべきなのです。ヨーロッパは日本よりもっと進んでいます。イギリス人は日本に来て、病院の窓口でお金を支払わされるのに驚くのです。
 ジャン・ジャック・ルソーが登場します。弁護士である私からすると、ルソーって、「人間不平等起源論」、「社会契約論」「エミール」といった政治思想の歴史に今も名を残す偉大な思想家なのですが、著者に言わせると、困った人、迷惑な人でもあるというのです。思わずひっくり返るほど驚きました。ルソーのことを何も知りませんでした。恥ずかしい限りです。
 ルソーは女性関係もにぎやかで、たくさんの子どもをつくったものの、みんな孤児に送り込み、自分は一人も育てあげてはいない。ただ、ルソー自身が可哀想な人で、母親は早く死に、父親もどこかへ消えていなくなり、早くから天涯孤独で生活したというのです。
 選挙の意義についても語られています。アメリカでは、アル・ゴアもヒラリー・クリントンも得票数では勝っていたのに大統領にはなれなかった。フランスではルペンが当選する可能性があったけれど、2回制の決戦投票システムだから極右のルペンは当選できなかった。
日本の小選挙区制では民意が本当に反映させているのか疑問だ。それにしても、若者の投票率の低さは問題。あきらめてはいけない。
著者の提起した問題をしっかり受けとめ、しっかり議論に参加している女子高生たちの姿を知ると、日本の若者も捨てたものじゃないと、希望も見えてくる本になっています。こんな大人と若者との対話が、もっともっと今の日本には必要だと思わせる本でもありました。
(2018年12月刊。1760円)

2025年7月 8日

10年先の憲法へ


(霧山昴)
著者 太田 啓子 、 出版 太郎次郎社エディダス

 申し訳ありませんが、私はテレビを見ませんので、NHKの朝ドラ『虎に翼』も『あんぱん』も見ていません。ところが、弁護士である著者は子育てしながらも朝と昼、2回も見ていたそうです。そして、「とても幸福な朝ドラ体験だった」といいます。
 朝ドラが終了した翌日、主人公のモデル・三淵嘉子夫妻が過ごしていた小田原市にある別荘・甘柑(かんかん)荘保存会から声がかかって、「憲法カフェ」の講師として話したのでした。この本は、その時の講演をベースにしていますので、とても分かりやすいものになっています。
 この本の後半に「ホモソーシャル」という私の知らない用語が登場します。女性を排除した男性どうしの絆(きずな)を指します。女性は、あくまで男性同士の関係性を構築するための「ネタ」であって、その関係性からは排除されてしまっている。そもそもホモソーシャルとは女性軽視(ミソジニー)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)をベースにした男性同士の強固な結びつき、および男たちによる社会の占有をいう。つまり、女性を自分たちと同じように社会を担う一員とは考えず、また同じように物事を考え、同じようにさまざまなことを感じながら生きている存在だとは見ない。ふむふむ、そう言われたら、自分のことを棚上げして言うと、そんな男集団ってありますよね...。
男らしさの三つの要素は、優越志向、権力志向、所有志向。
 一種の権力志向に「嫌知らず」があるそうです。「嫌知らず」というのは、女性や子どもが「それは嫌だ」「やめてほしい」と言っているのに、それが伝わらず、同じことを繰り返す男性の行動を指す。
 『虎に翼』に登場した「優三」について、著者はケア力の高い男性だとみています。他の人のニーズを汲(く)み、理解して、自分ができることで、それに応えようとする、そんな行動をナチュラルに出来る人。
寅子のモデルの三淵嘉子は、家庭裁判所で少年事件を担当するとき、「もっと聞かせて」と少年によく言っていたそうです。長く弁護士をしている私は、この言葉を聞いて、ガーンと頭を一つ殴られてしまった気がしました。
 というのも、弁護士として、いかに書面を書いて、主張を展開し、まとめることばかり気をとられ、目の前の依頼者や相談者に対して、「もっと聞かせて」なんて頼むことはほとんどありません。目の前の裁判官が「もっと聞かせて」と言いながら身を乗りてきたとき、少なくない少年たちが心を開いて、自分のみに起きたことを話し始めるのではないでしょうか...。
 出涸(でが)らし、という言葉も出てきます。弁護士生活50年以上、パソコンを扱えず、判例献策をインターネット上ですることもできない(なので、すぐ身近な若手弁護士に頼みます)私なんど、この出涸らしの典型でしょう。でも、出涸らしには出涸らしによる良さもあると確信しています。
 「おかしい、と声を上げた人の声は決して消えない。その声が、いつか誰かの力になる日が、きっと来る。私の声だって、みんなの声だって、決して消えない」
 いやあ、いいセリフですよね。今日の少数意見が明日は多数意見になることを信じて歩いていくのです。
この本のタイトルって、どんな意味なのかな...と思っていると、最後にネタ明かしがありました。『虎に翼』の主題歌の歌詞に「100年先も」というフレーズがあるのですね。
 三淵嘉子は日本で初めて司法試験(高等文官司法科試験)に合格した3人の女性のうちの1人です。私の父は、その3年前に同じく司法科試験を受験しましたが、残念ながら不合格。1回であきらめて郷里に戻りました。法政大学出身で、「大学は出たけれど...」という映画がつくられるほど、当時の日本は不景気でした。父は合格したら検察官になるつもりだったと言いました。ええっ。と私は驚きました。
 でも、当時は、治安維持法違反で特高警察に捕まった被告人を法廷で弁護したら、それ自体が目的遂行罪なる、訳の分からない罪名で弁護士までも逮捕されて刑務所に追いやられていました。そのうえ、「赤化判事」として、現職の裁判官が自主的に勉強会をしたとか、共産党にカンパしたくらいで逮捕されたのです。このあたりの詳しい状況を知りたい人は、ぜひ、『まだ見たきものあり』(花伝社、1650円)を読んでください。
 憲法13条は、「すべて国民は個人として尊重される」と定めています。そして、憲法12条は、国は不断の努力によって、自由と権利を保持しなければならないとしています。このとき、国民とは、日本に住む外国人も当然に含まれます。健康で文化的な生活を営む権利は、日本に住むすべての人のもっとも基本的な権利なのです。いい本でした。
(2025年4月刊。1540円)

 日曜日、少し厚さもやわらいだ夕方から庭に出ました。熱中症にならないよう、日陰での作業から始めます。ひんぱんに小休止して水分を補給しました。
 今、庭一面に黄色い花(名前が分かりません)が咲き誇っています。3月ころ、白い花を咲かせていました。
 ブルーベリーが色づいていましたので、指でもぎりました。小さなカップ一杯とれたので、夕食のデザートにします。
 目が覚めるような真紅の朝顔が咲いています。夏に朝顔は欠かせません。
 外国人排斥を叫び、明治憲法に戻れという参政党が支持を伸ばしているといいます。信じられません。まるで戦前の亡霊です。
 若い人や女性が支持しているというのですが、ヘイトスピーチは、いずれ自分にはね返ってきます。ぜひ考え直してほしいです。みんな同じ人間なんですから...。

2025年7月 6日

砂の器・映画の魔性


(霧山昴)
著者 樋口 尚文 、 出版 筑摩書房

 映画大好き人間(フランス語ではシネフィルと言います)の私にとって、日本映画の最高傑作は『七人の侍』であり、それに次ぐのが、この『砂の器』ではないかと考えています。もちろん、他にも『二十四の瞳』だとか、『生きる』というのもありますが...。
 この本は『砂の器』に関してあらゆる角度から総括したものと思えます。すごいです。製作現場の裏話まで、当時のノートまで掘り起こして裏づけています。
著者の主張が最後に要約されていますので、それを紹介します。
 松本清張の作品のなかでは問題も多い長大な原作を脚本家にして製作者でもある橋本忍が大胆な「奇想」でまるで別物に改変し、それゆえの無理の多いところを野村芳太郎監督の「緻密」が細心にカバーしたところに生まれた、非常に奇異なるベンチャー映画である。
 作り手の稀有な「奇想」と「緻密」の掛け算が生んだメロドラマ性は、そこに傾けられた熱気の迫力もあいまって、日本人独特の心性に強く訴えかける特異な映画に仕上がった。
 中国の映画監督との対談もあり、中国の映画監督に対して『砂の器』は大きな影響を与えたし、中国でも大好評だったようですが、『七人の侍』ほど国際的には評価されていないようだと知ると、少しばかり残念に思いました。
 この本には、『砂の器』で子役(「秀夫」役)だった人(春日和秀氏)が登場します。子役を15歳でやめたあと、自動車関連の仕事をしていて、自分が『砂の器』で子役をしたことを妻子にも言っていなかったというのです。
 『砂の器』に出演したのは小学1年から2年生までのことで、この1年間はほとんど学校にも行っていないとのこと(今では考えられません)。
 セリフはないけれど、目力(めぢから)がすごいという評判をとっています。そして、額にひどい傷ができるような転がり方をロケ地で実際にさせられたそうです。加藤剛は、その傷を隠そうとしています。そして青森の竜飛(たっぴ)崎でのロケのときは厳寒のなかで加藤喜に抱かれて携帯カイロのようにされていたというのです。
 この『砂の器』は、松竹の城戸四郎社長が製作に反対して13年間も「お蔵入り」をして、「橋本プロ」の企画して、ようやく陽の目を見ることができたのでした。
 映画が完成して上映されたのは1974(昭和49)年10月のこと。私はこの年4月に弁護士になっていますので、恐らく川崎か東京の映画館で見たように思います。大評判になりました。泣かずにはおれない映画です。しかも号泣です。老若男女の幅広い客層で、映画後半には場内のそこかしこで観客の嗚咽(おえつ)が聞こえ、終映後のロビーには満足と称賛の声があふれていた。この年の映画配給収入の第3位となる7億円を売り上げた。
この映画の肝(きも)のひとつが出雲にある亀嵩(かめだか)地方が東北のズーズー弁と同じということです。その意味で亀嵩駅が登場するわけですが、実は本当の亀嵩駅は全然使われておらず、近隣の液の風景をパッチワークのように描き出したとのこと。すごいですね、さすが映画です。
女優の島田陽子は清純派として有名だったわけです(当時21歳)が。加藤剛とのベッドシーンでは、「気持ちをちゃんと作ってください」と監督から指示されたとのこと。大変なプレッシャーです。そして、ヌードになるとき、監督に申し入れたとのこと。「私があまりに胸がないので、お見せするのに忍びないと思って...」。すると、野村監督は、「こんなに幸薄い女性の胸が大きかったらおかしいでしょう」と言い返したとのこと。いやはや、なるほど、そうかもしれません。
 ぜひまた、『砂の器』を観てみたくなりました。
(2025年6月刊。2750円)

2025年7月 3日

エヌビディアの流儀


(霧山昴)
著者 テイ・キム 、 出版 ダイヤモンド社

 TSMCにしろ、このエヌビディアにしろ、台湾系アメリカ人が興(おこ)した企業なのですね。日頃、IT関係に疎(うと)い私でも、エヌビディアという世界的超大企業の存在は知っていましたので、その内情を少しばかりのぞいてみたくて読んでみました。
 エヌビディアは、大きくなるにつれ、生き残るためには未来になるべく多くの保険をかけることが肝要だと考えた。エヌビディアが競合他社と一線を画すのは、長期的な実験や投資に前向きであり、その自由な活動を収益化に結びつける能力が高いこと。
 目先の利益だけを追い求めるのではなく、ちょっと先まで考え、今はムダに思えることでもやってみるという姿勢が肝要なんですよね。最近の日本企業に欠けている視点のように思います。いかにも視野の狭い企業人が大学の研究にまで口を出して、今すぐもうかるものにばかり目を向けさせようとするのです。それでは先が伸びません。
 ChatGPTは、公開してわずか2ヶ月で月間アクティブユーザーが1億人を突破した。これは史上もっとも急成長した消費者向けアプリ。
 2023年に生成AIの需要が爆発的に伸びたとき、生成AIを完全にサポートする準備が整っていたハードウェア・メーカーはエヌビディアだけだった。
 エヌビディアには社員を引き留める柔軟な報酬制度がある。社員は入社時に証券口座を受けとり、入社1年目の終わりに初回の株式報酬の4分の1を受けとる。4年たって株式を満額行使できるようになってすぐ退社するのを防ぐため、エヌビディアは、毎年、追加で株式を付与している。これによって、社員が会社に残る理由はますます増えていく。
 そして、特別な評価に値すると認めた社員に対しては、年次の勤務評定を待たず、いつでも社員に直接様式を付与する。このような、エヌビディアの実力主義的で柔軟で機敏な報酬制度は、きわめて低い離職率に一役買っている。エヌビディアの離職率3%未満は、業界平均の13%を大きく下回っている。
 エヌビディアは弱肉強食の競争文化が生まれるのを積極的に防いでいる。
 「ひとりで負ける者はいない」というのが哲学。困ったら、積極的に応援を求めることが奨励されている。ふむふむ、これはいいことですよね。
 エヌビディアは大学を支援するだけでなく、学生たちも支援している。いちばん大事なのは、改善しようとする姿勢。
 エヌビディアの会議は、ホワイトボードを活用する。全員がまっさらなホワイトボードから始め、過去を忘れて現在、重要なことだけに集中する。ホワイトボードを使うときは、厳密さと透明性の両方が自然に求められる。ホワイトボードの前に立つたび、一から始めなければならないので、自分の考えをなるべく詳しく明快に説明する必要がある。
 存在感を保ち続けるためには、投資するしかない。投資を止めたとたん、淘汰されてしまう。成功にとって大事なのは忍耐力。人格は、挫折が逆境を乗り越えてこそ磨かれる。
 エヌビディアという会社の名前は、開発中のNVIチップに敬意を表したもの。
 少しだけエヌビディアというIT超大企業の内幕を知ることができました。
(2025年2月刊。2400円+税)

2025年6月27日

ウンコノミクス


(霧山昴)
著者 山口 亮子 、 出版 インターナショナル新書

 人間が排出するウンコの国際比較。1日にアメリカ人は150グラム、イギリス人は100グラム。日本人は200グラムで、中国人は210グラム、インド人は300グラム。ケニア人はなんと520グラム。ところが戦前の日本人は400グラムだったので、半減している。
 日本人は85歳まで生きると、生涯に6.2トンの排出することになる。アフリカ象1頭分だ。そして、日本人は1億2400万人いるので、毎日2万5千トンを排出している。
 100万都市だった江戸では人糞尿は取引されていて、年間2万両になった。今の8~12億円。
 リンは重要な肥料。日本は中国から輸入している。
 ウンコは、肥料の3要素(リン酸、カリウム、窒素)のうち、窒素とリン酸を豊富に含んでいる。日本はリン酸アンモニウム(リン安(あん))の90%を中国から輸入している。
 リン鉱石は特定の地域に偏在している。中国とモロッコ、エジプトの3ヶ国で8割を占める。
 リンは工業用にも使われる。電気自動車のバッテリーにはリン酸鉄リチウムイオン電池が使われる。
 汚水処理場で発生した最終的な汚泥は、全量焼却している。
 著者はウンコ由来の肥料を生産し、活用することを提唱しています。たしかに、全量焼却するよりは、よほど健全かつ合理的でしょう。
 すでに下水汚泥はヨーロッパでは活用されているのです。フランスでは、畑にも牧草地にも、下水汚泥を散布するなどして、8割も農業に利用しているそうです。日本も考える必要があります。「台湾有事」とか言って、中国を敵視していますが、日本は中国に、リンとリン酸についてはすっかり依存しているのです。戦争なんて出来ませんよ。してはいけません。
 ウンコを核にした資源の循環が提起されています。画期的な提案です。この提案がホンモノになることを心より祈念します。
(2025年4月刊。950円+税)

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