弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年9月 5日

昭和20年生まれからキミたちへ

社会


(霧山昴)
著者 落合 恵子 ・ 松島 トモ子ほか 、 出版 世界書院

 今、80歳の人たちが語っています。大学生のころは、80歳なんて「カビの生えたような、モーロク爺さん、しわくちゃ婆さん」というイメージでしたが、どうしてどうして、そんなものじゃありません。この本には登場しませんが、新聞連載のときは、同じ世代の吉永小百合も登場しています。どうですか、あの元気ハツラツとした、輝く美しさ。80歳だから「しわくちゃ婆さん」なんて、とんでもありませんよね。
 でも、1945年生まれは、日本敗戦前後の生まれですから、生死に関わる大変過酷な状況を生き抜いたのです。松島トモ子は、満州の奉天(現瀋陽)で生まれた。
 日本へ引き揚げる前、現地の中国人から赤ちゃん(松島トモ子)を売ってほしいと懇願されたそうです。帰国するまでに死んでしまうから、生きてるうちに売って、生きのびさせたほうがよいだろうと言われたそうです。実際、幼い子どもたちが次々に死んでいったのでした。
 岡田尚さん(神奈川で弁護士)は両親が教員として赴任していた中清南道生まれた。生後10ヶ月のとき、母親が闇船を探しまわって見つけて日本に戻ることができた。それでも栄養失調気味のため、母親は生きて連れ帰れないと心配したとのこと。
日本敗戦の年(1945年)は、出生数が167万人でしかない。戦前の1943年が225万人、戦後の1947年が268万人と比べると、はるかに少ない。明らかに戦争のせいだ。
 落合恵子の母は、未婚の母として、生まれた娘を必死で育てた。しかし、物心ついた娘は、母が清掃の仕事をしているのが恥ずかしくて、「辞めて」と頼んだ。すると、母は清掃の仕事場に娘を連れていって、「なぜ辞めてほしいのか、ちゃんと理由を説明しなさい」と問いただした。いやあ、これはたいしたものですね。母親の必死の思いがよく伝わってきます。
 元外交官の東郷和彦の話も胸を打ちます。その祖父は、戦犯にもなった外交官の東郷茂徳で、獄中死しています。
 時の政府の言いなり、拡声器の役割しかしない外交官ばかりのなかで、東郷和彦は軍事力の強化で中国に対するのではなく、平和外交の積極的な展開が必要だと強調しています。まったく同感です。また、難民支援に日本はもっと積極的に取り組むべきだとします。これまた同感至極です。
 福岡の生んだ偉人・中村哲医師のやってきた人道的活動を日本政府も取り組むべきことも強調しています。日本にも、こんな骨のある外交官がいるのですね。うれしくなりました。
 なお、以上の人名に「さん」とか敬称をつけないのは、たとえば日本では松本清張について、「さん」とも「先生」ともつけずに呼び捨てするように、あまりにも有名人の場合には呼び捨てにする慣行に従ったまでです。
 なので、熊本県玉名出身で私の親しい岡田尚弁護士には、超有名人とまではいかないので、「さん」をつけたのです。その岡田さんから送ってもらいました。お互い元気にもう少しがんばりましょうね。

(2025年8月刊。1650円)

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