弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年8月12日

日本被団協と出会う

社会


(霧山昴)
著者 大塚 茂 、 出版 旬報社

 2024年12月10日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)はノーベル平和賞を受賞し、代表社員の田中照巳(てるみ)氏がスピーチをしました。とても92歳という高齢者とは思えない、しっかりした足取りで演壇に立ち、明瞭な訴えそのものでした。
田中氏は長崎で、13歳のときに被爆しましたが、奇跡的に無傷でした。爆心地から3キロしか離れていない自宅にいたのです。このとき、田中氏は、被爆直後の長崎市内を歩いて、惨状を目の当たりにしました。
 「そのときに目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。...たとえ戦争といえども、こんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけない。そのとき強く感じたのです」
 広島市民35万人のうちの14万人、長崎市民24万人のうちの7万人が年末までに亡くなりました。今、日本全国にいる被爆者は10万人を下まわり、平均年齢は86歳をこえる。なので、全国にあった被爆者組織が今では35団体にまで減っている。
 原爆を落としたアメリカ軍の将軍は、被爆の真相を覆い隠した。「死ぬべき者は死んでしまい、9月上旬現在、原爆放射能のために苦しんでいるものはいない」と言い放った。許し難い暴言であり、嘘八百です。
日本人が原爆被爆の悲惨な真相を知ったのは、1952年8月に「アサヒグラフ」が原爆被爆の特集号を出したから。この特集号は、なんと70万部も発行された。被害の惨状を知った日本人は大変ショックを受けたのでした。それから原水爆禁止運動が始まりました。
 しかし、被爆者が自らの被爆体験を語るのは、容易なことではなかった。たとえば、家の下敷きになって動けなくなった母親に火の手が迫っているのを「見捨て」て逃げ出した子どもは、とてもそんな体験を語れるはずがない...。被爆体験はとてもデリケートな問題であって、何年、何十年たっても気持ちの整理のつかない人は少なくなかった。
 そして、体験者が高齢化して人数が減るなか、継承者をつくっていこうという取り組みが進められています。この本のサブタイトルは、「私たちは継承者になれるか」なのです。被爆を自らは体験していなくても、原爆被爆の悲惨な状況を語り伝えることは出来る。私も、そう思います。
 「原爆は、人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許さない悪魔の兵器である」
 先日の参院選のとき、参政党の候補者(当選したので、今は国会議員)が、「日本も核兵器を持つべきだ。安上がりの兵器なんだから」と主張しました。原爆被爆の恐ろしさを知らない、いかにも軽薄な主張です。参政党という得体のしれない極右政党が国会のなかで大きな顔をしていくのかと思うと、身の震える、凍える思いがします。
 日本政府は、今なお核兵器禁止条約に加盟していません。アメリカの核の傘に入っていたほうがいいと考えているのです。でも、アメリカが日本を守ってくれるなんて、単なる幻想でしかありません。トランプ大統領の嘘の多いハッタリばかりの発言が何より証明してくれています。それより、9条をもつ平和憲法を世界中に広めましょう。
 著者から贈呈していただきました。とてもいい本をありがとうございます。
(2025年8月刊。1870円)

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