弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
生物
2011年1月31日
捕食者なき世界
著者 ウィリアム・ソウルゼンバーグ、 出版 文芸春秋
シャチはいるかの仲間で飛びぬけて巨大で破壊力がある。体長9メートル、牙を持つクジラだ。6トンの巨体を時速50キロで進む。ときにはホッキョクグマも食べる。体長15センチのニシンから18メートルあるシロナガスクジラまで海で泳ぐものは何でも襲う。平均して、1日に自分の体重の5%の量を食べる。あるシャチの胃には14頭のアザラシと13頭のネズミイルカの残骸が入っていた。
捕食者を締め出すと、高くつく。森林野生動物も犠牲になる。オオカミを追い出すと、鳥や植物など多くのものを失うことになる。なぜなら、オオカミが自然を管理しているから。
肉食動物がいなくなり、ハンターが締め出され、草食動物にとって唯一の危険因子が自動車だけになった森は、どこも深刻なダメージを受けた。 上位の捕獲者が消えた環境では、それより小さな下位の捕食者の国が勢力を伸ばし、10倍にも数を増やして好き勝手をするようになる。
サハラ以南のアフリカではヒヒが大量に増殖し、目にあまる略奪を繰り広げている。ライオンやヒョウがいなくなった広い地球を、化け物じみたヒヒの集団が占領しはじめた。いつでもどこへでも行けるようになったヒヒたちは、アフリカの作物泥棒兼殺し屋となり、人間の女や子どもを襲って食料を奪い、家を壊して侵入し、膨大な数の家畜や野生動物を殺している。うへーっ、これって怖いですね。
オオカミが多いほどヘラジカは少なくなり、年輪の幅は広くなる。オオカミの個体数が多い年には、森林が育つ。オオカミは森林の力になる。そうなんですね。
鳥獣保護区域に設定され、シカの狩猟は禁じられ、シカを捕食する動物はことごとく殺された。25年間で、6000頭もの肉食動物が殺された。800頭のピューマと、オオカミ30頭もふくまれていた。その結果、シカは4000頭が10万頭にふくれあがった。そうなるとシカは全部を食い尽くし、飢えて死ぬか、病気で死ぬしかない。シカを増やすために捕食動物を皆殺しにすることは、いかに愚かかということである。大型の捕食者が消えるということは、生物世界が不毛になるということを意味する。
うふーっ、人間ってこんなにも考えの足りない、身勝手な存在だったんですね。森には、トラがいて、ライオンがいて、またオオカミがいてこそ安定した生態系が保全されるということを改めて認識させられました。シカやきつねがいるだけでは、かえって森も滅びてしまうことになるなんて、私の考えつかないことでした。だって、熊のいる森の中なんて恐ろしくて入っていけませんからからね。でも、これこそが人間の身勝手さなのですね。森は人間のためにだけにあるわけではないということをすっかり忘れていました。私のボンクラ頭をガツーンと殴られた気がする本でした。
(2010年9月刊。1900円+税)
2011年1月17日
動物たちの地球大移動
著者 ベン・ホアー 、 悠書館 出版
この本を読むと、地球って広いようで意外に狭いものなんだなと思わせます。だって、キョクアジサシという小鳥は、毎年4万キロメートルもの往復旅行をするっていうんですよ。1年のうちに、北極と南極の夏を両方とも経験する固体がいるというのです。そ、そんな馬鹿な。うひゃあ、し、信じられません・・・・。同じような小鳥が他にもたくさんいるのです。
スグロアメリカムシクイは高度5000メートルを飛んで、カナダなどから越冬地の南アメリカへ片道4000~8000キロメートルを渡る。高いところを飛ぶのは、順風をえるため。そして、胸筋が酷使されてオーバーヒートしないように冷気で冷やすため。この旅に備えて、旅行前にせっせと食べるから普段は11グラムの体重が20グラムまで増える。この余分な脂肪は、旅のあいだに燃焼し尽くされる。うへーっ、そうなんですね。
ご存知のツバメも、もちろん渡り鳥ですが、すでに紀元前4世紀にアリストテレスが渡り鳥だと確認したのだそうです。どうやって確認したのでしょうか。中世ヨーロッパでは、ツバメは泥のなかで冬眠していると思われていたというのです。ツバメは北欧からアフリカ南部まで10週間かけている。平均すると一日150キロメートルだが、実はツバメはしばらく休んでは発作的に進むことを繰り返す。ただし、春になって北へ向かうときには子育てが待っているので、約2倍の速さで北進し、同じコースを5~6週間で着く。これもすごいですよね。
小鳥よりももっと小さい蝶も大移動します。たとえば、今や有名なオオカバマダラです。
オオカバマダラは、最大4750キロメートルも飛行する。無風状態では1000キロメートルを休まずに自力移動できる。数千万頭から成る蝶の群れが飛んでいく様子はオレンジ色の流れとなる。一日に130キロメートルすすむ。
学者は、このような大移動を調べるため、たとえば体重1,5グラムのギンヤンマ(トンボ)になんと300ミリグラムの電子追跡装置をトンボの胸部下面に取り付けるというのです。すごい技術ですよね。
海中にいるもヨシキリザメもすごいですよ。きわめて鋭敏な嗅覚があるので、泳ぎながら継続的に水を調べ、水に溶けた科学的物質のにおいの濃淡から行き先を判断している。このサメは、イカを捕らえるために、よく潜水し、350メートルも潜る。水を鉛直方向に泳ぐことから、電磁気を感知する能力を使って、磁方位を知るのに役立てている。
陸上を移動する動物たちの写真もあります。広大なアフリカのサバンナ(太平洋)を一列になってすすんでいくウィルドビーストがいます。圧倒される大群です。
カリブー、ウィルドビースト、ハクガンのような平原の動物たちは、突然、子どもをどっと増やし、獲物の数で捕食動物を圧倒する。捕食動物が消費できる獲物の数には限度があるので、結果的に子どもの多くが生き残れる。
少々高価な本ですが、手にとって眺めていると、日頃の悩みがいかにちっぽけなものかを気が付かせてくれる写真集と考えたら、決して高くはありませんよ。せめて、図書館で手にとって眺めてみてくださいね
(2010年1月刊。8000円+税)
2010年12月27日
オスは生きているムダなのか
著者 池田 清彦、 角川選書 出版
なんとも刺激的なタイトルです。オスである私としては、生きているムダだなんて言われると釈然としません・・・・。
メスだけが繁殖する脊椎動物がいる。オスは繁殖のために必ず存在しなければならないわけではない。ほかの生物を見ても、メスしかいない生物はたくさん存在する。メスしかいない生物はいても、オスしかいない生物はいない。これは子どもを産む性をメスと定義するから、当然のことではある。
北海道の奥尻島の溜池にいるフナは、ほとんどがクローンである。その99%はメス。ところが、0.4%のメスだけが、0.4%のオスの精子をつかって有性生殖をしている。なぜ、ごくわずかのフナが有性生殖しているのか。それは種のセキュリティを担保するため。クローンのフナは、何か環境が変わったときには絶滅する危険がある。
生物のすむ環境はDNAの損傷がたまるような環境だ。紫外線、放射線、薬物など、遺伝子を損傷させる物質にさらされて生きている。DNAの損傷をどう修復するかは重要だ。性の基本的な機能は、DNAが減数分裂してリシャッフルされるときに若返ることにある。性があることによって遺伝子が修復され、また多様性が担保される。
日本の山野のあちこちに見かけるヒガンバナは、中国から輸入されて1000年あまりしかたっていないクローンだ。単為生殖をしているから、あと数万年(!)もしたら、滅びてしまうだろう。竹も基本的にクローンで生きている。100年前後の寿命が尽きるころになると、一斉に花をつけて死ぬ。日本にある竹林の一部をアメリカに植えても、同じ時期に花をつけて死ぬ。
高等動物の寿命は、神経細胞の寿命と一致している。神経をつくる幹細胞が分裂して神経細胞になると、その後はもう分裂しない。分裂しなければ、リニューアルできない。ただひたすら老化していく一方だ。それが人間の場合は120年くらいだと分かっている。
1986年当時、100歳以上の人は日本に2000人いた。ところが、いまはなんと4万人いる。ただし、男性は数千人でしかない。うむむ、女性は強し・・・・、です。
一般に生物の世界では、オスは種付け以外には役に立たない。すべてのオスは消耗品みたいなものだ。ああ、無情です。ひどいものです。オスを消耗品と決めつけるなんて・・・・。
ネオテニー(幼形成熟)が進むと寿命が延びる。体が幼いまま成熟するから、時間がどんどん引き延ばされる。体が早く大人になると、それだけ早く寿命が尽きる。幼い時間をなるべく長くすると、寿命が延びるのだ。
今から28億年前、地球に磁場が出来た。磁場ができると、宇宙線をブロックすることができる。宇宙線はDNAを破壊するから、それまでは生物が海の表面に浮いてくるとDNAが壊れて、たいてい死んでしまった。ところが、地球に磁場ができたので、海の表面や地表に生物がたくさん出てくることができるようになった。うへーっ、そういうことだったんですか・・・・。
非分裂細胞はガンにならない。心臓はめったにガンにならないし、神経細胞もガンにはならない。再生、つまり分裂を何回も繰り返すと、ガンになりやすくなる。
人間の場合、生まれたばかりの子どもは男が多い。その後、男は成長するまでに死亡する割合が女より高く、繁殖期を迎えるころに、男女比は1対1となる。
「男は現象、女は実体」(多田富雄)「女は実体、男は情報」(池田清彦)
人間がチンパンジーに比べて頭が良くなったのは、ゆっくり成長して、子どもの形質をもったまま大きくなったことが原因の一つだ。それは人間の寿命が延びたこととも関係している。人の言語は、男と女の騙しあいの結果、発達したという説がある。私も、この説にかなり傾きます。
とても面白く最後まで一気に読みとおしました
(2010年9月刊。1400円+税)
2010年12月20日
土の科学
著者 久馬 一剛、 PHPサイエンス・ワールド新書 出版
世界の土が紹介されています。動物や鳥が土をなめたり、食べたりするのはテレビで見て知ってはいましたが、人間も土を食べるところがあるのですね。私にとって、日曜日の午後からの庭づくりは土に触れあう貴重な機会です。昔の子どものころの泥んこ遊びを思い出して気分転換に絶大なる効果があります。不耕起農法というものがあり、とても良いということですが、私はせっせと庭を耕し、EM菌を混ぜた生ゴミ処理の産物を庭に投入し、またコンポストで落ち葉や枯れ草を肥料にしたものを混ぜ込んでいます。おかげで庭の土は黒々、ふかふかしています。そのためミミズは繁盛し、モグラが縦横に地下に道を掘り、ヘビが庭を徘徊しています。ヘビとの共存は困難な課題です。
日本の水田面積は、昭和40年ころには300万ヘクタールをこえ、国土の総面積の9%を占めていた。ところが、今では、イネの作付面積は200万ヘクタールにまで減少している。日本の米消費量は減少し、100年前に1人1年間に130キログラムになっている。
稲作技術は進歩して、単位面積当たりのイネ収量は2倍をこえた。
イネを畑で連作すると、やはり障害が起きる。しかし、水田は、水を張る湛水時と水を落として畑の状態にするというように交替でつかうため、連作障害の原因となる病原性生物がはびこるのを妨げている。そのため水田の稲作に連作障害は起きない。
うへーっ、そういうことだったんですね。今、わが家のすぐ下の田んぼは作り手が老齢のために耕作が放棄されてしまい、水を入れて水田になることはなくなって残念です。夏の蛙の大合唱が開かれなくなりました。うるさくて閉口してはいたのですけど、蛙がいなくなってしまうと寂しいものです・・・・。
畑も畠も、いずれも日本でつくられた国家であり、中国の漢字にはなかった。
アフリカのタンザニアでは、妊婦が土を食べている。日本でも昔、同じように妊婦が土を食べていた。タンザニアの市場で売られている土は白色と茶色の二つあるようです。写真が紹介されています。
たまには、土を知ってみるのもいいかと思って読んでみました。面白かったですよ。
(2010年7月刊。800円+税)
2010年12月13日
クラゲさん
著者 片柳 沙織・コーピス、 ピエ・ブックス 出版
ふんわり海中を漂うクラゲたちの見事なまでに華麗な姿を捉えた写真集です。
「くらげに悩みありません」と書かれていますが、この写真集を手に取って眺めていると、その夢幻の世界に吸い込まれていく、今かかえている悩みなど忘れ去ってしまうこと必定です。
クラゲは魚でも植物でもなく、イソギンチャクやサンゴの親戚でもある動物である。
クラゲには脳も臓も、特別な呼吸器官もない。そして、前後左右の区別もなく、骨もない。しかし、かさの縁などに平衡胞(へいこうほう)という平衡感覚を司る器官があり、これでクラゲ自身が自分の傾きを感知し、修正する。
クラゲに脳はなくても、嫌いなエサは食べない。いちど取り込んでも吐き出してしまう。だから、味覚も嗅覚もある。
クラゲの寿命は1年のものもあれば、1ヶ月、1週間いや数時間しか生きていないのもいる。ところが、弱って水底に沈み、バラバラに溶けたあと、そこからもう一度ポリプがつくられ、クラゲを再生するベニクラゲがいる。これは若返るクラゲ、不老不死のクラゲと言える。
クラゲは、10億年前から存在しており、その形は現在とほとんど変わらない。
世界に3000種のクラゲがいて、日本では300種が確認されている。大きさは1ミリにみたないものから、2メートル、重さ150キログラムというものまでいる。
クラゲのふわふわとした動きには、体全体に栄養を行きわたらせる働きがある。体の比重が海水より少し大きいので、じっとしていると沈んでしまう。流れに乗ることで、エサをとらえたり、栄養を身体中に送ることができる。
ノーベル賞の研究材料となったオワンクラゲの写真ももちろんあります。
カラフルで、さまざまな形のクラゲをじっと眺めていると、たしかに彼らには悩みなんてないんだろうなと思えてきます。それにしても、なんという奇妙奇天烈な形でしょうか。このデッサンには脱帽です。
(2010年8月刊。1800円+税)
2010年11月22日
貧乏人が犬を飼っていいのか?
著者 吉澤 英生、 三五館 出版
私は犬派です。猫派ではありません。これは、幼いころから我が家にずっと犬がいたからだと思います。猫は飼ったことがありません。子どもたちが小さいころ、柴犬を飼っていました。申し訳ないことに、管理が悪くてジステンバーで死なせてしまいました。罪滅ぼしに、今も納骨堂に愛犬マックスの遺骨を納めて、たまにお参りします。夫婦二人きりになった今は、あちこち旅行をしたいから、犬を飼うのは我慢しています。
この本を読んで、犬を飼うとはどういうことなのか改めて認識させられました。もっと早くに読んでおくべきだったと反省しました。
日本で飼われている犬は1232万頭(2009年)。1994年は907万頭だったから、1.35倍も増えている。保健所が殺処分している犬は1970年代には100万頭をこえていたが、今は8万頭にまで減った。私の子どものころは、犬捕りの車が街中をまわっていました。ゴミ収集車のように犬を集めていたのです。もちろん、殺処分するのです。なんだか野犬って可哀想だなあと見ていました。
小学一年生のとき、同じ市内で引っ越しをしたとき、家財道具を積んだトラックのうしろを走ってきた愛犬がいつのまにかはぐれてしまって、大泣きした覚えがあります。茶色の大型犬でした。写真が残っていますが、長い毛の優しい目つきの犬でした。
「癒されたいから、犬を飼いたいんですけど・・・・」
経験上、犬を癒しの道具のように思っている人に限って、用がなくなると、犬を捨ててしまう人が多い。癒しとは、一緒につくりあげていくものなんだから、初めから犬に「癒されたい」なんて要求するのは間違っている。そんなワガママに犬をつきあわせないでほしい。うむむ、そうなんですか・・・・まいりました。
犬に服を着せる必要なんかない。ましてや、靴下なんて、最悪。典型的な「ニセモノの犬好き」でしかない。犬の足元を覆うと、滑ってしまって、うまく立てなかったり、すべったりする怖れがある。
犬は本来、プライドの高い動物なのである。プライドのない犬は、いじけている。あるいは、空威張りしている。プライドの高い犬は褒められ慣れている。だから、犬をきれいに保って、「あなたは可愛いねえ」と誉めながら育てることが大切だ。
犬のプライドを保つのに何より重要なのは、飼い主の気持ちである。プライドのない人が犬を飼っていて、犬にだけプライドを求めるのは無茶というほかない。犬は、飼い主が世界で一番えらくて、二番目は自分だと思っている。自分の飼い主は誇り高い人物で、その人に飼われているからこそ、自分もまた誇りを子って生きられる。これが、犬にとっての理想の生き方である。
犬は飼い主が朝、家を出ていくと、再び会えるとは思っていない。だから、夕方、飼い主が帰ってくると、うれしくて、うれしくて、飛び跳ねて喜ぶ。生き別れて数十年も連絡の途絶えていた家族が帰ってきたときの感情に近い。
反面、犬は非常にしたたかである。「ごめんなさい」「かわいそう」という気持ちを持つと、それは必ず犬にも伝わる。犬はしたたかなものだから、すぐさまつけあがる。「あっ、これは何をやっても許されるな」と思って飼い主をなめてかかる。飼い主がなめられたら終わり。これは飼い主にとっても、犬にとっても実に不孝なことである。たとえ犬を間違って蹴ってしまったとしても、「ごめん」と謝るのではなく、しらんぷりする。「そんなところにいたおまえ(犬)が悪い」という態度を平然ととる。そして、二度とあやまって蹴らないようにする。犬に謝ってはダメ。
犬が悪さをしたとき、我慢する飼い主がとても多い。しかし、それは間違い。我慢するのは、人間ではなく犬の役割。犬には我慢するという役割がある。犬は小さいときに我慢することを覚えさせないといけない。耳掃除や爪切り、そして体を拭いたり、ブラシをかけたり、そのときにはおとなしくしていること。そこで犬が嫌がるそぶりを見せても、途中でやめてはいけない。犬は自分を成長させてくれる人を尊敬して好きになる。賞罰をはっきりつけて、怒るときには怒る、可愛がるときには徹底して可愛がる人のほうになつく傾向がある。
犬を叱るのは非常に難しい。叱るときにやってはいけないのが、中途半端に叩くこと。
何回も叩くのも良くない。やるなら一発だけ手がつけられないくらい逆上しているふりをして叩くのが一番効果的だった。
犬をショーウィンドーに入れて展示すると、常に人の目にさらされるので、犬は大変なストレスをかかえてしまう。
犬を抱いたとき、動きが素早くて食欲旺盛で、抱いたとき、しっかりした固い感じがする犬ならいい。ふにゃっとしてたら、生命がないということである。犬は母親を見てから買うこと。犬の性質は母親に負うところが多く、もし母親を見せられないような犬であれば買ってはいけない。
犬は犬以上でも、犬以下でもない。欠点のない犬はいない。
犬が生涯で一番の不安は、お産のとき、やはり誰かにそばにいてほしいと思うことがあるのだろう。
著者は、自分の店をペット・ショップとは呼びません。ペットショップと犬屋とは異なる。著者の青山ケネルではショーウィンドーのない本屋として有名である。
犬について、本質的なところを知りました。タイトルはともかくとして、内容はすごくいい本でした。
(2010年9月刊。1400円+税)
日曜日、年に二度の一大難行苦行がおわりました。フランス語検定試験(準一級)を受けたのです。もう10年以上も受け続けていますので、これまでの過去問を2回繰り返して復習し、「傾向と対策」もみっちり勉強しました。緊張の3時間が終わり、大学の構内を歩くときにはすでに薄暗くなっていて、落ち葉を踏みしめながら帰路につきました。大甘の自己採点によると76点(120点満点)ですから、口頭試問に進めると思います。
毎朝のNHKラジオ講座は「カルメン」です。朝から魔性の女性に心ひかれる男性の気分にすっかり浸っています。
2010年11月 1日
ミミズの話
著者 エイミィ・スチュワート、 飛鳥新社 出版
日曜大工ならぬ、日曜ガーデナーの私にとって、日曜日の午後からの庭いじりは無上の喜びです。買った当時は石ころだらけだった庭も、今ではふかふか黒々とした土で覆われています。EMボカシを利用した生ごみ処理の産物をたくさん混ぜこんでいますので、ミミズも大発生します。ですから、モグラもいますし、それを狙ってでしょうか、ヘビも庭に棲みついています。モグラと顔を合わせることは滅多にありませんが、ヘビのほうは年に何回か出会ってしまい、お互いすぐにこそこそと逃げ隠れします。今までのところ、最近のクマのような被害に、は遭っていませんが、蛇にだけ噛まれたくはありませんよ・・・・。
ミミズを手にしたときぬるぬるしたものを感じる。これは、ミミズがストレスを受けたときに出す粘液である。うへーっ、ミミズもストレスを感じるのですか・・・・。
1エーカーの土地に、ダーウィンは5万匹以上のミミズがいるとしたが、今日では100万匹と推計されている。ナイル川流域のミミズは、1エーカーあたり1000トンにもなる糞を堆積し、エジプトの農地を驚くほど肥沃な土地にするのに貢献している。土壌の表層10センチは、毎年、ミミズの消化管を通過する。
シマミミズの寿命は2~3年。シマミミズが1年間に産む卵包の数は10数個から数百個とされている。通常は、1個の卵包から2、3匹の幼ミミズが生まれる。
地下で起きていることの大部分の鍵を握っているのはミミズである。ミミズがちっぽけでか弱い生きものだなんて、とんでもない。実は、ミミズの領分である地下の世界では、ミミズは最大級の生きもの。言ってみれば、ゾウ、クジラ、巨大なのである。
ミミズは土壌圏の微小動物によって引き起こされる寄生虫性の細菌の病気にかかることはほとんどない。これって、考えてみたら不思議なことですよね。
ミミズが恐れるのは、鳥、モグラ、マウス、ラットといった動物である。
ミミズは皮膚で呼吸し、眠らない。ミミズにも原始的な脳がある。
ミミズは生殖器近くにある短くて頑丈な剛毛を使い、交接相手をしっかりと捕らえあう。さらに、ねばねばの粘液を多量に分泌することによって、お互いの身体を固定しやすくする。ミミズの交接の完了には数時間かかるが、この間、ミミズは周囲の環境にまったく無頓着になる。ミミズの性的欲望は光の恐怖をしばらく忘れさせるほどに強い。うむむ、なんとなんと、これには恐れ入り屋の鬼子母神ですよ。
ミミズは体節を30回も40回も切断されても、なお再生することができる。頭部、中央部、尾部をそれぞれ別のミミズから取ってきて、その順に縫合すると、1匹のミミズになる。
ふえーっ、こ、これって、まるでロボットではありませんか・・・・。驚きましたね。
ミミズのからだの全長にわたって、各体節に潜在的な生殖細胞が存在しているおかげで、生殖器官を完全に切除しても、また再生させることが可能なのである。
ミミズにも好き嫌いがある。オレンジやタマネギの皮はミミズは絶対に口をつけない。
森にミミズが入ってくると、ハタネズミやトガリネズミがいなくなって、マウスが増えてくる。ミミズのせいで、地表性の鳥や動物が森から追い出されてしまう。
高窒素の化学肥料はミミズにとって、きわめて有害である。だから、ゴルフ場に使用すると、芝生は青々とするし、大ミミズは死んでくれて、一石二鳥である・・・・。
土壌の撹乱ほどミミズが嫌うことはない。不耕起栽培はミミズを元気に活動させる。
ミミズは、土壌中の物質を何でも取り込んでしまう驚くべき能力を備えている。高濃度のDDTを体内組織に取り込んでもなお生きていられる。ところが、そんなミミズの特性によって、ミミズを食べた小鳥が被害にあった。ミミズは住環境に、なかなかうるさい。
ミミズという身近な生き物を多角的な視点から捉えた面白い本です。
(2010年月刊。1700円+税)
今月はフランス語検定試験(仏検)を受けます(準1級)ので、目下、過去問を見直しているところです。語学は日々やっていないとすぐに忘却の彼方へ散っていきます。毎朝、仏作文、聞きとり(ディクテ)そして音読をしています。ボケ防止には最高です。
2010年10月30日
深海のとっても変わった生きもの
著者 藤原 義弘、 幻冬舎 出版
海の底に、こんなにも変わった色と形をした魚たちが棲んでいるのかと、びっくり驚天です。たとえば、水深270メートルの海底に生きるベニハゼは、暗いはずなのに、派手なピンク色でアピールしています。
海底に沈んだクジラの骨の中には、ホネクイハナムシ、エビやカニ、ホシムシその他の生き物たちの棲み家になっている。海底のクジラの骨には、小さなクリスマスのようにツリガネムシがまとわりついている。クジラの遺骸は、生物の少ない深海では、大変なごちそうなのだ。スタウナギ、カニが肉を食べ、骨はホネクイハナムシ、ヒラノマクラなどが利用するなど、たくさんの生命を支えている。
長いアシをもつムンナは、まるで地上のカマキリ。長い手足は、カマキリが海底を歩いているとしか思えません。
海底には、猛毒の硫化水素を含み、300度にもなる熱水噴出効孔がある。そこに、なんと多くの生物が寄り集まっている。アルビンガイもその一つ。
深海では、赤い光が届きにくいため、赤いものは黒く見える。だから、赤い色をした生き物が多い。赤は深海では目立たない。
とっても奇妙な形をしていて、不思議な色をしている生き物が、こんなに深海の海底でうごめいて生きているとは、まったくの驚きです。
どうやって撮ったのかしらん、と思うような傑作の深海底生物の写真集です。
どうぞ、あなたも手にとって眺めてみて下さい。楽しい写真集ですよ。
(2010年6月刊。1300円+税)
2010年10月18日
となりのツキノワグマ
著者 宮崎 学、 出版 新樹社
動物写真家が長野の山で、たくさんのクマを発見。ツキノワグマって、こんなにもフツーに山にいるのですね。九州にだっていないはずはない。著者がそう言っているのを知った何日かあと、宮崎の森の奥深くでクマを目撃したという記事を新聞で見つけました。九州のクマは絶滅したと言われて久しいのですが、どうやら、そうでもないようです。
無人カメラをクマの通り道に仕掛けておいて写真を撮るのです。クマたちがフラッシュを浴びてびっくりした様子も面白いですよ。
両耳に赤と黄色のタグをつけたクマが、その年に生まれた子ぐまを連れて里にやってきた。タグをつけているということは、親グマは、お仕置きされて里にはおりてこないはずだったのです。それなのに、相変わらず里の近くに定住しているのです。クマの通り道にカメラを設置しておくと、好奇心旺盛なクマからカメラは倒されていた。そこで、その様子を別のカメラで撮ることにした。これが面白いのです。まるでカメラを構えたカメラマンのようなクマの立ち姿まであります。
クマの好みも十人十色。蜂蜜が大好きなクマがいれば、そうでないクマもいる。ニジマスの養殖場で弱ったニジマスを獲っていくクマもいる。
クマ同士は、お互いに無駄な接触を避けるため、人の耳には聞こえない超音波を出して交信している。そして、弱い方は危険を察知し、立ち去るなり、木に登るなりする。クマが移動中に口を細くあけているのは、低周波を出しながら自分の存在を知らせているのだ。
クマの個体としての寿命は、野生下では20年ほど。しかし、えさの面でもすみか(洞窟)の面でも強く木に依存しているクマは、種のレベルでは木や森の時間軸にあわせて動かなければ、生きていけない。クマが冬期穴に利用する樹洞は、できるまでに100年以上の期間を要する。そこで、クマは本能的に、未来の子孫に向けて、樹洞づくりを始める。
少なくとも長野県では、20年前に比べて、ツキノワグマは著しく増えている。近い将来にクマが絶滅する心配はない。
中央アルプスの全景を写した写真があります。そこに無数といえるほどにクマが出没した地点が表示されています。長野県はクマだけでなく、人間だって、大いに住みたい地域です。そこにたくさんのクマが棲みついているというのです。びっくりしてしまいます。
私にとってクマは動物園で会うことがあるくらいの生き物なのですが、これほど人里近くに居住しているというのですから、すっかり認識を改めました。
クマの写真が生きいきと、躍動感にあふれています。
(2010年7月刊。2200円+税)
宮崎県の西都市に出張してきました。西都原古墳群で有名なところです。今回は残念ながら古墳群の見学はできませんでしたが、すごい数の大きな古墳群が密集しています。これを見ると、なるほど、日向(ひむか)の土地こそ天孫降臨したところ、日本文明発祥の地だと確信させられます。まだ見ていない人は是非一度出かけてみてください。
西都に日弁連のひまわり公設事務所がオープンし、その開所式に参加しました。実は、6月に予定されていたのですが、例の口蹄疫騒動で延期されてしまったのです。
所長の水田弁護士は、福岡のあさかぜ事務所で1年半のキャリアを積んでいます。温厚かつ熱心な弁護士ですので、弁護士の少ない地元の要請に必ずこたえてくれるものと確信しています。
2010年10月12日
銀狼王
著者 熊谷 達也、 集英社 出版
開拓期の北海道。老猟師は、幻の狼を追う・・・・。両者の誇りをかけた緊迫の5日間。これはサブ・タイトルとして書かれた文句です。猟師が雪の中、狼を追い続けてさまよい、ついに狼の群れに遭遇します。狼王は、連れの狼が撃たれて倒れたとき・・・・。手に汗にぎる、迫真の対決です。すごいですね、この著者の生々しい描写力には、いたく感服してしまいました。
老猟師といいますから、60代か70代だろうと思っていると、とんでもない、わずか50歳でしかないのです。これで老猟師とは可哀想です。と、いつのまにか61歳になってしまった私は思います。
北海道において、ヒグマやオオカミ猟は、とれた獲物の毛皮や肉でもたらされる利益だけでなく、直接、現金を得る手段となる。鹿狩りと違って、捕獲に対する手当がお上から出るのだ。10年前に、狼と羆それぞれ一頭につき2円から始まった捕獲手当は、すぐに狼が7円、羆が5円に引き上げられ、5年前に羆が1頭3円に下がったものの、狼は逆に1頭につき10円の手当がつくようになった。
オオカミを追うほうが、ヒグマをとるより、はるかに楽しい。本物の狩りというのは、獣と人間との知恵比べである。
北海道の冬を甘く見てはならない。しかも、ここは、標高1000メートルはある山の中だ。いったん気温が下がりだすと、どこまで凍てつくか、分かったものではない。歩き続ければ、体温の低下は防ぐことができる。実際、牧場に飼われてはいても、西洋馬と違って、厩舎をあてがってもらえない道産馬は真冬になると、夜は一晩中歩き続けて身体を温め、昼に睡眠をとることで、厳しい冬を乗り切る。
食えるときにたっぷり食っておくのが、山歩きを続けるときの鉄則である。無理に我慢すると、肝心なときに力が出ないばかりか、悪くすると、食い物をたっぷり持っている状態で行き倒れになることもある。
鈍重そうに見えて、その実、ヒグマは驚くほどに知恵が回る。ヒグマに限らず、野ウサギなどもそうだが、穴に入るときには、必ずといってよいほど、留め足をつかって身の安全を図ろうとする。つまり、自分がつけた足跡を忠実に踏んで後ずさり、そこからひょいと脇にそれる。経験の浅い猟師には、追っていた足跡が突如として途切れたかのようにみえるので、獲物そのものが消えてしまったかのような錯覚をおこし、痕跡を見失ってしまう。
また、穴に入る前に、必ず沢を渡るヒグマもいる。沢に入ることで、雪につけてきた足跡が途切れ、これまた駆け出しの猟師は途方に暮れることになる。
狼の奇妙な習性は、もともと自分たちの獲物になる鹿のような動物ではない相手、たとえば人間などに出くわしたとき、気づかれないようにして、しばらくそのあとを追い続けるという習性がある。そして、逃走にかかったとみるや、すぐさま追跡に転じるのも、これまた狼の習性の一つである。いや、狼だけでなく、ヒグマやツキノワグマもそうだ。背を見せて逃げる相手を追いかけるのは、彼らの本能である。
狼は、つがいになった連れあいに対して、人間以上に情が深い。銃で仕留めたメス・オオカミから離れようとしないオス・オオカミを何の苦もなく仕留めたことがあった。
間近で見る、美しい銀色の毛並みをもったオス・オオカミは獣の王者の風格にあふれていた。後ろ足で立てば、間違いなく、大人の背丈をこえるだろう。虎やライオンとだって遜色のないだろう体軀の銀狼には、犬の親戚などではなく、猛獣そのものの威圧感がある。言葉では尽くせぬ威厳に圧倒される。
すごい小説です。こんなに迫力のある小説を一度は書いてみたいとモノカキ志向の私は思ったことでした。
(2010年6月刊。1400円+税)