弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

生物

2011年5月 8日

すべての生命に出会えてよかった

著者  桃井 和馬   、 出版  日本キリスト教団出版局 
 
 世界中の、140ヶ国に出かけて取材を続ける写真家による貴重な写真レポートです。
地球には、ひとつだって無駄な存在はない。すべての生命、すべての出会い、すべてはすべて連なっている。だから、無意味に死んではいけない。だから、人が人を殺してもいけない。
生きとし生けるものの躍動感がよく伝わってくる写真が続きます。そして、世界の人々の表情豊かなスナップ写真があります。白一色の凍れる世界で吹雪に耐える白鳥たちは、次に来る春をひたすら耐えて待っているようです。ぐっすり眠りこけているアシカの寝顔は、夢見るしあわせな時間をよくぞ表象しています。そして、ライオンの赤ちゃんが大人のメスライオンの群れのなかで気持ちよさそうに寝入っています。
 ツバルの少女のきらきらと光輝く瞳がとくに印象的です。未来は青年のもの。いや、未来は子どもたちのものなんです。青年、そして子どもたちの豊かな未来をきちんと保障するのは、大人とりわけ年寄り(私も当然その一員です)の責任です。子どもは、いつくしみと愛情に溢れている。ホント、そうでなければいません。
 この写真集は、フォトジャーナリストとして、世界各地で紛争を追い求めてきた著者によるものです。
 自然という、複雑で大きなメカニズムの一部として生かされている人間、そうであるなら、同じ宗教や民族の中で争うことも、宗教や民族で殺しあうのもあまりに空しい。
 自然と、生き物と、子どもたちと、そして壮年や老人の生き生きとした姿がよくも撮られています。奥の深い写真集でした。
(2010年10月刊。1800円+税)

2011年4月24日

ラッコ

著者   久保 敬親 、 出版   新日本出版社
 
 野生のラッコの可愛いらしい写真が満載の写真絵本です。
 ラッコって、もともとの日本では見ることができなかった動物なんですね。昔からいるものとばかり思っていました。ところが、最近になって、北海道東部の海岸近くに現れるようになったのです。
岸辺に近い海でプカプカと気持ちよさそうに2頭のラッコが仲良く浮かんでいます。つぶらな黒い瞳が魅力的です。そして小さな身体を柔軟に丸めてしまいます。鼻はぺしゃんこの三角形です。
 コンブの海で、あおむけになって寝っころがります。ラッコの足(後ろ足)は、ひれ状になっていて、泳ぐのに最適の形をしている。そして前足は肉が厚くて、爪の出し入れが自由に出来るので、食べ物を持ったり、岩に登ったりもできる。
 ラッコの下毛(したげ)は、密にはえていて、あいだに空気の層をつくっていて体温を保つことができる。
 ラッコの大好物はウニ。カニもホタテも大好き。ええーっ、それじゃあ人間の食べ物をとってしまうんじゃない。ラッコの敵は人間かも・・・。そう思いました。実際、しなやかで、質のよい毛皮を持つラッコは人間からどんどん殺され、絶滅が心配されていたほどです。
海辺に浮かぶラッコを現地で見たくなる楽しい写真絵本です。
 この本の著者は、たくさんの写真集を発刊していて、実は我が家に何冊もあるのでした。『エゾヒグマ』(山とう渓谷社)、『大雪山の動物たち』『キタキツネとの出会い』『シマリスの四季』(以上、新日本出版社)です。どれも、動物たちの、大自然のなかで伸び伸び、そして生き生きと躍動感あふれる素晴らしい写真です。見るだけで心あたたまる写真を、いつも本当にありがとうございます。
(2010年6月刊。1500円+税)

2011年4月18日

鯨人

著者   石川 梵、 出版   集英社新書
 
 銛(もり)一本で、鯨(くじら)に挑むインドネシアの島民を現地に溶け込んで取材した日々を生き生きと再現した衝撃的な本です。その漁のすさまじさは手に汗を握ります。が、それに至るまでのなんと気の長い日々でしょう・・・。ひたすら鯨の来るのを待つのです。じっとじっと海の上でそして地上で見張るのです。その悠長さには、とてもつきあってはおれません。
 インドネシアは赤道をまたぎ、1万7500ほどの大小さまざまな島からなる人口2億人をこえる海の大国である。沖縄本島ほどの大きさのレンバタ島の南端にラマレラ村がある。ラマは土地、レラは太陽という意味。つまり、太陽の土地だ。ラマレラは人口2000人足らずの小さな鯨漁の村。水道もなければガスもない。調理には山で集めた薪の火を使い、夜になると、村は鯨の脂でランプを灯す。といっても、これは現在のことではありません。著者が泊まり込んでいた1997年当時の話です。
 ジンベイザメを仕留める。ジンベイザメは、プランクを食すおとなしいサメ。天敵もいないので、水面でいつものんびり泳いでいる。全長10メートルをこえるジンベイザメは、船体を水中に引き込む力がある。鯨とちがって水上で呼吸する必要のないサメは、銛を打ち込まれると、どこまでも深く船を海中に引き込む。うへーっ、怖いですね。
 マンタ漁には、鯨漁に匹敵するほどの危険がともなう。マンタの振り回す巨大な翼は危険で、直撃すると人を即死させる破壊力がある。うひゃうひゃ、これまた怖い話です。
 鯨の漁期は、毎年5月から8月。捕れて年に10頭。捕れるときは3、4頭まとめてということもあるので、チャンスは少ない。
長く海を眺めていると、時間の感覚が麻痺していく。鯨人にとっては、それが一生続く。
ラマレラの人々は、海の上で1キロ先のマンタの飛翔も見逃さない。目は、鯨漁に従事するラマファの命だ。鯨の急所は尾ビレの付け根の30センチほどの狭い範囲で、そこに動脈がある。揺れる船の上から最高のタイミングで狭い急所に銛を打ち込まなければいけない。
大型のマッコウクジラの巨大な頭には、2000リットルもの脳油が詰まっている。脳油の融点は29度と低い。この脳油を冷やしたり温めたりして身体の比重を変え、浮上や潜水をする。浮かぶときは、深海の水で冷やされ、固く、高密度になっている脳油を温めるため、脳油器官をめぐる毛細血管に大量の血液を流し込む。鯨の体温は33度なので、脳油は溶け、密度が薄くなる。頭の比重が軽くなったマッコウクジラは、頭を上にするだけで浮上する。海面に出たマッコウクジラは、そこで30分ほど呼吸する。血液により温められた脳油は、このとき液体状だ。潜るときには海水を鼻孔から脳油器官に導く鼻道へ吸い込み、脳油を急速に冷やす。冷たい海水により脳油は固形状になり、密度が上昇する。今度は比重が重くなった頭を下げれば自然に潜水していくという仕組みだ。うむむ、なるほど、うまい仕組みです。
マッコウクジラは、肺や血液だけでなく、筋肉のなかに多量の酸素を貯えられる。だから潜水中でも筋肉に貯えた酸素を体内に供給できるわけだ。しかし、どうして深海3000メートルの水深に鯨の体が耐えられるのか、実はまだ謎だ。
銛を打ち込まれたマッコウクジラは、SOSを発し、必死に仲間を呼んで助けを求める。
鯨一頭捕れたら、村民が2ヶ月しのいでいける。手に入れた肉は、干し肉にして、女たちが市に持っていき、野菜や生活必需品と交換する。残りの肉も乾燥させて保存し、交換する。鯨の解体は時間がかかる。血の一滴、脊髄や歯に至るまで村民に分配される。血は鯨を煮込むときのソースとして、歯は指輪などの装飾品に用いられ、脂身を干したときに出る油は家庭の灯火として利用される。鯨の油はマイナス40度になっても凍らないので、ロケットの潤滑油として今も利用されている。骨を除く鯨のすべてが、くまなく利用される。ところが、ラマレラの民の胃袋に鯨肉はほとんど入らない。たんぱく源というより通貨のようにラマレラの民の生活を支える。
圧巻は、鯨を打ち込まれた鯨の目を写真に撮ろうというシーンです。
鯨の目は赤く血走り、食われてたまるかというように、いきり立っている。鯨の眼から発する炎のような怒りが全身に伝わってきた。すごいですね。同じ哺乳類ですからね・・・。
鯨は本来やさしい動物で、遊泳中にダイバーが視界に入ると、尾ビレがぶつからないように避けてくれる。それなのに、なぜ非情にも殺すのだと怒っているのです。
自分たちは、食うために必死に鯨と戦う。鯨も生きるために必死に抵抗する。どちらが勝つか、それは神様の決めること。鯨は友人なのだ。
今では、このラマレラもかなり変貌したことが「あとがき」で紹介されています。そうなんでしょうね・・・。
(2011年2月刊。780円+税)

2011年4月16日

うなドン

著者  青山 潤、    出版  講談社
 
 『アフリカにょろり旅』の著者がウナギを求めて歩いた苦難の旅を面白おかしく書きつづっていて、とても読ませます。これでも学者なのか、それともルポライター(旅行作家)なのかと疑ってしまうほど抱腹絶倒のウナギ探訪体験記です。すごいものです。若さでしょうね。タヒチ島のジャングルの中まで踏み分け、イタリアのマフィアの別宅に侵入してしまうのですから・・・。苦労、苦難、苦闘の連続の日々なのです。
 ウナギは全世界に18種類しかいない。それを全部集めることが出来たら、それだけで博士号がとれる。そんな話で勇躍、まずはインドネシアに乗り込みます。しかし英語もまともに話せず、ましてやインドネシアの言葉なんかもちろんダメ。そんな日本人青年が、よくぞインドネシアでウナギを探そうと思ったものです。
 現地の若者たちに取り囲まれて絶体絶命の大ピンチになります。そんなときは、カタコト英語ではダメ。威勢よく日本語でタンカを切るのです。
必死の思いで確保した貴重なウナギをどうするか。生のままでは税関ではねられる。やがて思いついたのは塩漬け。5キロの塩を買い込んで塩の中に放り込んだ。なーるほど、ですね。
イスラム教徒のなかで生活しているうちにラマダン期に突入。昼間は水も食料もダメ。著者は夜までダメだと思いこんでついに栄養失調で倒れる寸前となって、その家を脱走。そして、あとになって人々は夜にちゃんと食べているのを知ったのでした。
世界のウナギ18種類のうち、ほとんどは赤道熱帯域に生息し、日本やヨーロッパのような温帯域に棲むのは5種類のみ。熱帯のウナギについては、ほとんど何も分かっていない実情である。
インド洋のウナギを探し出かけるときには海賊に襲われる心配もあったのでした。
いやはや、熱帯のウナギの生まれる場所を突きとめた学者グループの苦労を平和な日本にいながら偲ぶことができる興味深い本です。
(2011年2月刊。1600円+税)

2011年4月 3日

クジラ・イルカ生態写真図鑑

著者  水口 博也、    出版 講談社ブルーバックス
 
 クジラとイルカの楽しい生態写真集です。天草のイルカ・ウォッチングにはまだ行っていませんので、この写真集を見て、ぜひ近いうちに行ってみたいと思いました。
 哺乳類のクジラは陸上生活から海に生活場所を戻した。海で暮らすようになって、クジラは早い時期に後肢が退化し、前肢は胸びれに形を変えた。体全体が流線形になり、最後部に水を蹴って泳ぐための力強い尾びれを発達させた。
 クジラは浅海だけではなく、中心層(水深200~1000メートル)にいるエサを求めて潜る。マッコウクジラは1時間近くも潜れる。
 クジラは血液中だけでなく、全身の筋肉にふくまれるタンパク質ミオグロビンにたっぷり酸素をためられるので、こんな長時間の潜水が可能になった。
 水中は空気に比べて、はるかに音をよく伝える。そして、水中は視界が悪い。そのため、クジラは多彩な鳴音を利用してコミュニケーションをとる。それで聴覚を発達させた。
 ザトウクジラは海面に尾びれを出すので、それで個体を識別する。クジラの観察も科学的になされているのですね。
 そして、クジラやイルカは遊ぶ動物である。イルカはサーフィンを楽しむ行動を見せる。波乗りをして遊んでいる。
 クジラとも遊ぶし、人間とも遊ぶ。自分の吐き出す息で白い泡の渦を楽しんだり、なかなかに芸術家である。海中で泡を吐き出してオキアミを集めるクジラもいる。
 人間だけが遊ぶことを楽しむ動物ではないこともよく分かる写真集・図鑑でもあります。
(2010年12月刊。1280円+税)

2011年3月14日

スズメはなぜ人里が好きなのか

著者  大田 眞也、  出版  弦書房
 日本のスズメは、1990年ごろの半分以下、1960年代に比べると10分の1にまで減ってしまった。そうですよね、すごく減ってしまいましたね。我が家の庭のスズメも、軒下のスズメも、めっきり少なくなってしまいました。この本は身近な存在であるスズメをよくよく観察して、豊富な写真とあわせて、その生態が細かく紹介されています。
スズメは田んぼの稲などを食べる害鳥のように思われている。そのため、中国では文化大革命のときに、スズメを全国一斉に駆除した。その結果、中国の農村は百年来の大凶作に見舞われた。それというのも、スズメは春から初夏にかけて繁忙期には農作物の有害虫を大量に食べてくれている。そのおかげで、秋の実りも保証されている。だから、実りの時季だけをみて、有害鳥と決めつけて大量に駆除するのは愚かな行為でしかない。ふむふむ、スズメは益鳥でもあるのですね・・・。
スズメは雑食性であり、穀物だけでなく昆虫類も食べている。スズメは年に2回、ときに3回繁殖する。スズメの食性による農林業上の経済効果は計り知れない。
スズメが人里に住むのは、人間よりも怖いカラスやタカ、ハヤブサ、そしてモズなどのような天敵が多いため、苦肉の策として人の懐に飛び込んで、その威を借りて営巣している。つまり、人間を用心棒がわりに利用してヒナを育てている。だから、人の出入りが必要だし、それもなるだけ多いほうがいいのだ。
スズメは、一夫二妻も多く、雄は早く孵化したヒナを育てる。そこで母親のメスは、競争相手のメスの巣に入りこんで、盗み出しては壊滅的なダメージを与えようとする。これは、スズメの子殺しです。巣立ったスズメのヒナの4分の3は、1年以内に死んでいる。
スズメのオスは生まれ故郷に留まるのに対して、メスは生まれ故郷を離れて分散して繁殖する傾向がある。これによって、近親交配が避けられる。スズメのオスとメスの番関係は1年契約である。
スズメは野生では2~3年生き、上手に飼育すると10年以上も生きる。
スズメのルーツも人間と同じくアフリカにある。うへーっ、スズメってこんなところまで人間と似ているのですね。
身近なスズメの生態がよくよく観察されている面白い本です。それにしても夕方になると駅前の街路樹に無数のスズメが集まってうるさいのですが、いったい彼らは何を話しているのでしょうか・・・。スズメの会話を翻訳してくれたら、とても面白いと思いますよ。誰かやってくれませんかね。きっと他人が聞いたら何ともない他愛のない話で盛り上がっているだけなのでしょうね。
 
(2010年10月刊。1900円+税)
 
 大変な地震でした。被災者の皆様に対して心よりお見舞い申し上げます。地震そのものもすごい破壊力をもっていますが、津波の恐ろしさを映像を通じてまざまざと見せつけられました。家や車が怪獣映画のミニチュアセットのように押し流されていく様子に身震いしました。さらに、原子力発電所の安全神話がやっぱりあてにならなかったわけで、地震国日本に原発はふさわしくないと痛感します。
 被災者の皆様へ一刻も早く救援活動の手が届くことを祈念しています。
 庭にサクランボの花が咲きはじめました。

2011年2月28日

クマチカ昆虫記

著者 熊田 千佳慕 、 求龍堂  出版 
 
絵本ファーブル昆虫記のための勉強帖というサブ・タイトルのついた楽しい昆虫記です。地道な虫の勉強が支えた驚異的な細密画だと紹介されていましが、単に細かいところまで描けているというのではありません。生命力を感じさせる躍動感が絵から見事に感じ取れるのです。ぜひぜひ、実物を手にとって眺めてみてください。
 それにしても、ここに紹介されている昆虫のさまざまな生態もまた驚異的です。大自然のなせる技は、神秘的としか言いようがありません。それを観察し、文章にした著者も、普ファーブル同様、偉いものです。
 ミツカドセンチコガネ(糞虫)は、春のはじめか秋の終わりころ、メスが場所をえらんで巣づくりをはじめる。ある程度まで巣穴が掘れたころ、オスが訪ねてくる。二匹も三匹も。メスは、その中からオスをえらぶ。そして長いあいだ共に生活する。
 キンイロオサムシは、結婚が終わると、メスがオスを食べる。メスはオスより少し大きい。オスは抵抗もしないでメスに食べられる。ええーっ、なんということでしょう。カマキリのオスはなんとか逃げ出しているようなのですが・・・・。
 ベッコウバチは、クモ狩りがとてもうまい。はじめにクモを怒らせて、その前足をあげさせ、ひらいた毒のキバとキバのあいだにさっと飛び込み、毒針を刺して相手をしとめる。このやり方で、自分の何倍もあるクモをしとめる。いやはや、すごい狩りですね。
 ミツバチハナスガリの母バチは、自分の食事としてはミツバチを殺し、そのミツを吸いとってしまい、ミツバチは捨てる。タマゴは死んだミツバチの胸に産みつける。ミツは幼虫にとって生命とりになる。だから母バチは狩りのとき、ミツバチからミツを全部抜きとってしまう。ハチの仲間はみな花のミツを舐めて生きているが、このハチは、自分の食事のために生き餌を漁る。ミツも舐めるが、生き血も吸う。なんとなんと、こんなところまで観察して明らかにしているとは・・・・。その観察力には脱帽、いえ降参です。
(2010年11月刊。1800円+税)

2011年2月21日

たかがハチ、されどミツバチ

著者 桑畑純一 、出版 鉱脈社 
 団塊の世代の著者が定年過ぎてから日本ミツバチを飼い始めたのです。さてさて、うまくいくことやら…。ところがどっこい、うまくいったようです。たくさんのミツバチたちが楽しく生き生きと働いている様子が写真で伝わってきます。
 ハチの寿命は60日。人間と比べると一日を一年として働いている。60日が定年であり、還暦であり、また寿命でもある。ハチは一日たりとも無駄にはできない。
 休む間もなく一日中働いても、ハチは生き生きと楽しそうである。天気の良い日には活発に何回でも外に出かけるが、雨の日や寒い日には機嫌が悪い。ミツバチは集団で生活し、社会を構成する賢い昆虫である。
 ハチの分封。女王バチが半分の仲間を引き連れて、巣から出ていく。この一大事業も、実は女王バチが引き連れていくのではなく、働きバチが新しい女王バチにすみかを譲って出ていくことを旧女王バチに催促している。
 人間にとっての経済効率は西洋ミツバチの方が優れている。 しかし、日本ミツバチは性質がおとなしく、寒さに強く、病気にも強い。ただ、住み心地が悪いと逃亡する。できるだけ箱にさわらず、刺激を与えないのが第一。
 ハチ毒はガンの予防効果があるという。養蜂業者のガン発生率は他業種に比べてとても少ない。うひゃあ、そうなんですか。ハチに刺されても痛いだけではなくて、いいことがあるんですね。
 日本ミツバチの蜜は、西洋ミツバチとは比べものにならないくらいのに濃くて美味である。 日本ミツバチは西洋ミツバチが特定の花から蜜を集めるのに対して、百花蜜と言われるように木の花を主として何の花からでも集めてくる。昼間は蜜を集め、夜は集めたばかりの水分の多い蜜を、羽を振るわして糖度を上げる作業に従事している。
 日本ミツバチの行動範囲は2キロから3キロほど。一匹の日本ミツバチが一生に集める量は、小さじ一杯程度でしかない。
 ミツバチ社会は徹底した年功序列で、リストラもない終身雇用社会である。働きバチは生まれてから20日のあいだは幼虫、さなぎとして巣穴で暮らし、先輩働きバチの運んでくる蜜や花粉をもらって、その保護のもとに成長していく。
20日を過ぎると、巣穴から出てきて、一人前のハチの格好をしているが、すぐには巣箱から出ることはしない。まずは巣穴を掃除し、巣穴にいる赤ちゃん世話をする。そのあと蜜を倉庫に貯める倉庫係、そのあと門番の役目をする。門番は敵を見分けて、戦わなければならない。そして、ついに蜜や花粉を集める外勤となり、働きバチとして一生を終える。働きバチは一匹だけ飼ってもすぐに元気がなくなりせいぜい2、3日しか生きていけない。ハチって、あくまでも集団の中でしか生きていけない生き物なんですね。
わが家の庭にも、たくさんのミツバチがやって来ますが、日本ミツバチなのか、残念ながら見分けがつきません。でも、ミツバチが花をめぐってせっせと働いている姿は見飽きることがありません。
(2010年3月刊。952円+税)

2011年2月14日

ある小さなスズメの記録

著者 クレア・キップス、  文芸春秋  出版 
 
 不思議なスズメの話です。戦前のイギリスで実際にあった物語なのです。芸をするスズメ、トイレット・トレーニングを受けたわけでもないのに室内でベッドを汚さないスズメ、そして歌うスズメの話というのです。まさか、まさかの連続です。
 1940年7月1日、自宅の玄関前に生まれて数時間後、丸裸で目も見えていない瀕死の仔スズメを発見。まさか助かるまいと思いつつ、温かいフランネルに包んで介抱すると、やがて生き返った。ところが、この仔スズメは、右翼が正常でなく、飛べないのです。左足も正常ではありませんでした。だから、著者はスズメを飼い始めます。なんと、12年間も・・・・。ええっ、スズメって犬と同じほど長生きするのですね。私は、スズメの寿命は2年から3年だと思っていました・・・・。
 スズメは著者(女性)のベッドで同じ羽毛布団のなかで眠ります。首のところにぴったり寄り添って寝るのです。そして、ベッドを汚すことはしませんでした。
 賢い鳥は、決して自分の巣を汚さない。いやはや、すごいことです。
 スズメは著者の言ったことを、その声の調子でだいたい理解していた。
 鳥は嗅覚を持たないと言われているが、このスズメはタマネギの風味だけはひどく嫌がった。
 スズメのお気に入りのおもちゃは、ヘアピンとトランプの札、マッチ棒だった。何時間もそれを籠の中で運んで回っていった。
 スズメは、人々の前で芸を披露した。著者とヘアピンで綱引きをする。くちばしでヘアピンをしっかりとくわえて力の限り引っぱる。トランプのカードをくちばしにくわえて、10回ほど、落とすこともなくぐるぐると回し続ける。
 スズメにはクラレンスという名前がつけられた。しかし、スズメは坊や(BOY)という呼びかけのときだけ返事するのだった。自分の名前も本人が選んだというわけです。
 スズメは歌を歌った。荘重で印象的な出だしに始まり、次第に調子を力強くしていき、やがて火を吐くように熱烈なクライマックスへと高まっていく。八分音符のリトルで始まり、その後高く甘く、哀切に満ちた音色が続く。
 スズメは心臓の病気をもち、便秘になった。そして、治療薬の変わりにシャンパンを飲ませられた。ティースプーンに入ったシャンパンを少しも嫌がらずに飲んだ。うひゃあ、なんとなんと、そんなことが・・・・。
 12歳になってから、このスズメは老衰によって死亡しました。すごいスズメがいたのですよね・・・・。わが家に棲みついているスズメは、最近あまり姿を見せなくなり、心配しています。スズメの棲める純和風の家が少なくなったことも影響しているとのことです。それにしても面白いスズメがいたものですね。
 
(2010年12月刊。1429円+税)

 先週の水曜日、日比谷公園を歩いてきました。バラの木が剪定され裸になっていました。花の少ない季節で、葉ボタンと黄色のパンジーの花くらいしかありません。大型カメラを構え、池のあたりを狙って風景写真をとろうとしている男性を何人も見かけました。カメラ同好会の人たちなんでしょうね。そのそばに猫が寝そべって陽だまりを楽しんでいました。
 ミュプレヒコールが聞こえてきました。年金の切り下げ反対という威勢のいい女性の声です。本当にそうですよね。消費税率の値上げが既定方針のようにすすめられていますが、年金こそ引き上げてほしいものです。年金受給年齢が近づいてきた私も同じように叫びたいと思いました。年金者組合の人たちが叫びながらデモ行進に出かけるところでした。

2011年2月 7日

生物の進化大図鑑

著者  マイケル・J・ベントン、 河出書房新社  出版 
 
 文字どおりの大図鑑です。地球上に生物が誕生し、恐竜が反映するようになって、隠れすむようにして生息していた哺乳類がやがて大きな顔をしはじめ、人類がアフリカに生まれ全世界へ旅だっていく。その全過程が写真と図版で克明に解説されています。私は正月休みに、じっくり眺めて楽しみました。1万円もする高価な本ですが、正月3日間どこにも出かけませんでしたので、それを思えば安いものです。
 アメリカの恐竜発掘現場の写真があります。二人の男性が骨にしがみついて発掘作業中なのですが、人間は足の骨の一本分ほどでしかありません。恐竜の巨大さを如実に示す写真です。
 カンブリア紀には、奇妙奇天烈な生物のオンパレードです。突き出た5つの眼を頭に持ち、口のあたりからにょろっとヘビのようなものが出たオパビニアという生物(節足動物)が海中にいました。失礼ながら、とても笑える姿です。
 ペルム紀には史上最大の大量絶滅があった。火山の噴火による海洋と大気の有毒化の結果、海洋種の95%、陸生種の70%が死滅した。ええっ、これって恐竜絶滅のことかしらんと思ったところ、まだ恐竜が本格的に出現する前のことでした。
 ペルム紀前期にいたディメトロドンは、恐竜そのものではないようですが、背中に大型の帆を持ったワニのような形をしています。赤く塗られていますので、いかにも恐ろしげです。この赤い色には根拠があるのでしょうか。化石に色素は残らないように思いますが・・・・。
 恐竜が出現したのは、三畳紀後期の2億3000万年前のこと。ペルム紀末の有毒な大気が平常に戻って生態系が安定化するなかで、恐竜のような大型のグループがあらわれてきた。
 今ではよく知られているように、とりは恐竜の一部の末裔です。でも、可愛い鳥を見ていて、あれが巨大恐竜の仲間だとは、ちょっと想像できませんよね。
カバに似たディキノドン類であるプラケリアは2000キログラムもありました。なんと2トンです。
 それに対して哺乳類の生まれはじめは、なんと全身9センチ足らずのネズミによく似た動物でした。私たち人間の違い祖先がネズミだったなんて・・・・。ちなみに私はネズミ年の生まれです。それで、いつもチョロチョロ動いていると、小さいころから言われ続けてきました。
 ジュラ紀はまさしく恐竜の世紀です。アロサウルスは身長にして1メートル、体重1800キログラム、恐ろしい捕食動物でした。こんなのに追いかけられたら、それだけで命が縮まりそうです。
始祖鳥はジュラ紀後期。体長30センチ。翼の風切羽なども化石に跡が残っている。
 グラキオサウルスは、高さ23メートル。その重さの大部分は、巨大前肢で支えられていた。アフリカ・タンザニアで発見されたケントロサウルスは、剣竜類にふさわしく、背中に光ったとげを9本も持っていた。
 白亜紀は恐竜の進化の頂点だった。そして、恐竜は絶滅した。6500万年前、大きな小惑星がメキシコのユカタン半島を直撃した。この衝撃が津波や酸性雨のような環境の混乱の連鎖反応を呼びおこして、恐竜の終わりを推進した。
 大小さまざまの恐竜の化石が写真で紹介され、また恐竜の雄姿の想像図があり、ここらの頁を眺めているだけでも楽しく時間を過ごせます。映画『ジュラシックパーク』を思い出します。でも、その隣で一緒になんか生活したくありませんよね。
 頭にコブがあるので有名なパキケファロサウルスは、このコブを利用して、オス同士が戦ったのだと思っていましたが、この本によると、その首はケンカを支えるだけの強さはないので、それはありあないことだとされています。
そして、人類の起源です。アフリカが人類発祥の地であることは定説です。そこから、ヨーロッパにも、アジアにも放散していったというわけです。しかも不思議なことに、ネアンデルタール人も、クロマニョン人も、同じようにアフリカ起源だというのです。ネアンデルタール人がクロマニョン人に進化していったわけではないというのが、なんだか不思議でなりません。
 あなたもぜひ一度この大図鑑を手にとって眺めてみて下さい。この世は面白い生物にみちていたのです。いえ、過去形ではなく、現在進行形です。

(2010年10月刊。9500円+税)

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