弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年11月27日

コムソモリスク第二収容所

ヨーロッパ

著者   富田 武 、 出版   東洋書店 

 戦後のシベリア抑留の実像に迫ったブックレットです。
 シベリア抑留については、いろんな研究書や体験記が公刊されていますし、映像としても見られるようになりました。このブックレットは、そこに欠けている視点があるのではないかと指摘していて、なるほどと思いました。
 収容所の食事がいかに粗末だったかがいつも語られている。しかし、1946年から47年にかけては、ソ連でも広範な飢饉を体験していた。一般の食事も配給制下で貧弱だった。むしろ、捕虜から大量の死者を出せば国際的威信にかかわるため、地方当局は必至に食糧確保策をとっていたのも事実だった。
 コムソモリスク収容所のあったアムール流域の工業都市の人口は1945年8月に20万人。冬期の寒さは厳しく、12月に入ると零下30度、1~2月の厳冬期には零下40度を下回ることもある。
 1945年8月、ソ連最高機関たる国家防衛委員会は、日本軍捕虜を50万人選別することを決定した。このとき、ソ連はすでに240万人ものドイツ人捕虜を領内に留置・移送して、生産や都市の復興の労働力として使役していた。
 日本の関東軍首脳は、ソ連に対して、対米英戦争和平の仲介を依頼すべく近藤文麿を派遣するための要綱に「賠償として、一部の労力を提供することに同意する」としていた。要するに、関東軍は日本兵の労務提供を申し出ていたというのです。
 労働力としての日本兵捕虜について、ソ連内の各地方州、共和国から追加要請があっていた。
 日本人捕虜の調査対象30万人の19.5%は体力が衰え、6%が病気になった。1945年から46年に冬に酷寒と飢え、重労働で多数の死者が出た。全抑留期間の死亡者6万人の80%にのぼった。
 1946年4月に、極東・シベリアの捕虜5万人を中央アジアに移送する命令が出た。
 同年5月、ソ連領内の病弱な捕虜2万人を北朝鮮内の健康な捕虜2万2千人と交換するという命令が出された。
捕虜収容所の維持費が捕虜による生産高を上回る赤字が続き、黒字になるのはようやく1949年であった。
日本人捕虜収容所では、最初から反ファシスト委員会が存在したのではない。1947年後半から、反動的な将校団の影響力が著しく低下した。将校は労働力が免除され、それでいて給食は質量とも兵士以上だった。
 1950年4月、日本人捕虜51万人の日本への送還が完了した。捕虜総数は64万人(日本人61万人)、うち死者6万2千人だった。最初の冬の半年間で4万6千人が死亡した。
 最後に、ロシア政府はシベリア抑留関連文書を日本政府に引き渡す義務があること、日本政府と外務省は、ロシア政府に対して堂々と要求すべきだと著者は強調しています。まったく同感です。わずか60頁あまりの薄いブックレットですが、シベリア抑留の実情を知るうえで、欠かせないものと思いました。
(2012年10月刊。800円+税)

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2012年11月26日

亀のひみつ

生き物

著者   田中 美穂 、 出版   WAVE出版 

 亀を飼うのも大変のようです。亀って、じっとしているものとばかり思っていましたが、意外にあちこち動きまわる生き物のようです。
 亀は意外なことに、歩くのも泳ぐのも速い、運動量の多い生き物である。
 亀は好奇心旺盛で、遊び好きの生き物だ。
 家に飼っている猫が大好きで、猫の気配を感じると全速力で猫に向かって駆けていく。
亀は意外にかしこくて、愛嬌もある生き物だ。しかし、デリカシーはないため、互いの空気を察しあって生きている猫たちには、あまり好かれていない。だから、容易に猫に気づかれないように、潜んでじっと待っている。猫も機嫌がいいと、しばらくは亀の相手をしてやる。
 亀は迂回はあまりせず、直進するのが基本。しかし、亀は不思議に方向感覚が冴えている。亀ははじめから頭を隠した状態でも動くことができる。
 亀は、薄暗くて狭くて暖かい場所が落ち着く。
 亀はソーラーパワーで動いているような生き物なので、なくてはならないのが太陽のあたる場所。亀にとって、エサと同じか、それ以上に大切なのが日光浴。亀は、この甲羅干しによって紫外線を吸収して必要な栄養分を活性化させている。
亀は、基本的に夜に眠る。水の中でも布団のなかでも眠れる。まぶたは、下から上に向かって閉じる。
亀のあくびは、平和でのんびりした光景の典型。
 亀には歯がなくて、鳥と同じくちばしがある。基本的に丸のみする。亀は雑食性なので、ミミズや小魚、リンゴなどを食べる。ミミズが一番人気。しかし、飼育下では、亀は食べすぎて太りすぎることがあるので要注意。
 多くの亀は、性決定のための性染色体をもたず、卵がかえるまでのある一定時期にさらされる温度によって性別が決まる。生みつけられた場所が日当たりのよいあたたかい場所ならメスが、木陰などの低めの場所ならオスが生まれてくる。
 うひゃあっ、そ、そんなことってあるんですか・・・。おどろきますよね。
 大人の亀なら1週間くらい、いやひと月くらいは何も食べないで生きられる。徹底的に代謝を低くすることで生きのびてきた生き物だからこその技。
 子亀は、1歳になるまで生きのびられる個体はわずか。とても弱くデリケートな生き物。
起きていたら水の中でおぼれることもあるのに、冬眠中は何ヶ月も一度も水面に顔を出さずにおぼれない。
 たくさんの種類の亀を写真で知ることもできる楽しい本です。
(2012年10月刊。1600円+税)

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2012年11月25日

李鴻章

中国

著者   岡本 隆司 、 出版   岩波新書  

 日清戦争のあと、日本の下関で開かれていた日中協議の最中、中国の全権使節・李鴻章は、若き(26歳)日本人壮土からピストルで顔面を撃たれた。しかし、弾丸の摘出もせず、顔面に包帯を巻いたまま、日本との協議を続けた。そのとき、73歳、なんという生命力であり、胆力の持ち主でしょうか・・・。
 怜悧(れいり)にして、奇智(きち)あり。常に放逸不羈(ふき)。無頓着に、その言わんと欲するところを言い放つ。
 李鴻章は、1840年、18歳で、科拳の第一段階である学校入試に合格した。
 李鴻章は25歳のとき、上から数えて15位で進士となった。かなりの速さだ。自信と自負の強い人物に成長した。
 清朝は、もともと華夷一体、多種族が共存する政権であった。
日本軍の台湾出兵によって、清朝の危機感は著しく高まった。
 中国民衆が心ならずも日本に譲歩することになったのは、軍備が空虚だったからだ・・・。
 李鴻章は、1860年代から、清朝きっての知日派だった。李鴻章は、中国の現況に失望すればするほど、日本に対する関心を高め、畏敬の念すら抱いていた。
 李鴻章という人物を見直すことになる本でした。
(2011年11月刊。760円+税)

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2012年11月24日

山伏と僕

人間

著者   坂本 大三郎 、 出版   リトルモア  

 東北は山形県の山中で山伏になったという体験記です。
 九州にも英彦山(ひこさん)には山伏がいるようですね。
舞台は山形の羽黒山(はぐろさん)です。近くに月山(がっさん)や湯殿山もあります。
 山伏といっても、ふだんは普通の生活をして、修行のときだけ山にこもって山伏になるのです。
山伏は自分の葬式をあげ、自分を死者と考えて山に入る。
 山に入れば、みんな同じ仲間。どうして山伏になったのかという質問は昔はタブーになっていた。
山伏をしたから人間が皆謙虚になるということでもないようです。逆に修行に耐えたことで偉いと過信し、俗世間で騙す人もいるとのことです。人間の業(ごう)の深さを思い知りますね。
 修行中、ケータイの使用は禁止。テレビも見られない。パソコンなんて論外。
返事は、「はい」ではなく、「承(う)けたもう」のみ。
山伏の白装束は自分たちが死者となったことを、頭にかぶる白い宝冠は、胎児が母体のなかでかぶっている胞衣(えな。胎盤)を意味している。山伏の白装束が死者を意味しているって、初めて知りました。
 修行中に断食する。これは際限なく物を欲しがり、どんなに物を集めても満たされない「餓鬼」の状態を味わう行である。
護摩とは、サンスクリット語で焼くことを意味するホーマの音訳である。
 なーるほど、そうだったんですか・・・。
修行のなかで、勤行するときには、般若心経を唱える。何十回、何百回と般若心経を唱える。真暗闇の山中を歩いていくというのは恐ろしい限りです。著者の勇気に敬意を表したくなりました。
(2012年7月刊。1300円+税)

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2012年11月23日

落花は枝に還らずとも (上) (下)

日本史(明治)

著者   中村 彰彦 、 出版   中公文庫 

 会津藩士、秋月悌次郎の一生を追った本です。会津藩が幕末の京都でどんな動きをしていたのか、白虎隊に象徴される戊辰戦争の実情、そして明治になってからの会津藩士の歩みなど、興味深く読みすすめていきました。
ところが、会津藩士の中核として活躍した秋月悌次郎が、なんと明治になってから熊本で高校教師になっていたのを知って、腰が抜けそうになりました。
 熊本の高校生たちに風格ある漢文教師として慕われていたというのです。幕末といっても、そんなに遠い世界のことではなかったんだなと、このエピソードを知って改めて認識を改めたことでした。
 そして、この秋月悌次郎が熊本の五高で教えていたときの同僚の教授に末広厳太郎がいたというのです。民法学の大家であり、東大セルツメントの創始者でもある末広厳太郎が登場してくるとは夢にも思いませんでした。
 明治33年1月、77歳で息をひきとった秋月悌次郎は、若き日には「日本一の学生」といわれ、松平容保の京都守護職就任に際しては会津藩公用方として活躍した。会津藩の開城降伏式を宰領した。熊本で教育者になってからは、ラフカディオ・ハーンに「神のような人」とまで言われた。
 2005年に、この本で新田次郎文学賞を受賞したとのことですが、私と同世代の著者の調査力と筆力には、ただただ圧倒されるばかりです。
(2008年1月刊。762円+税)

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ともにがんばりましょう

社会

著者   塩田 武士 、 出版   講談社 

 戦後日本社会で、今ほど労働組合の影が薄いときはないのではないでしょうか・・・。
 戦後、総評は絶大な力をもっていました。労働者の生活と権利を守る砦として労働組合が確固として存在として存在していました。これに対して、同盟というのは、会社の労務担当がつくったものという認識が一般的であり、スト破りというイメージがつきまとっていたと思います。総評と同盟が一体化して連合となってから、労働組合と会社とは平和共存というイメージでとらえられるようになり、闘争というフンイキが消えてしまいました。フランスでは、今でもストライキもデモ行進もあたりまえの光景です。なにしろ警察官や裁判官にまで組合があり、デモ行進するのですから・・・
 ストライキがあり、集会やデモ行進が普通にあっていました。私が大学生のころ、40年前は順法闘争というのもあって、東京の国電(山手線など)は、時間遅延があたりまえでした。みんな困っていましたが、ストライキだから仕方がないというあきらめもありました。
 そして、1週間も続いたスト権ストが最後の仇花(あだばな)のように、ストライキはなくなり、今や死語と化してしまったようです。ところが、この本は、労働組合とは何をするものなのか、会社との団交はどうすすめられていくのかについて、教科書のような展開です。
 ええーっ、労働組合が今日では小説の題材(テーマ)となるほど珍しいものになってしまったんだなと思ったことです。
 でも、書かれている内容は、しごくあたりまえのことばかりです。黙っていたら経営の論理がまかり通ってしまい、労働者の権利なんて、まるで無視されてしまう。労働組合は今でも大いに役立つ存在なのだということを、しっかり実感させてくれます。
 多くの労働者の矛盾する要求をいかにまとめあげていくか。経営者側の論理を団交のなかで、いかにして論破するのか。見事なストーリー展開で思わずガンバレと拍手を送りたくなります。
 著者が神戸新聞社に勤めていたときの体験をもとにした小説だと思いました。
 労働組合をよみがえらせたいと考えている人に、とくに一読をおすすめします。
(2012年7月刊。1500円+税)

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2012年11月22日

山田洋次と寅さんの世界

社会

著者   吉村 英夫 、 出版   大月書店 

 かつて、お盆と正月には家族そろって寅さん映画をみていました。年に2回の楽しみでした。よくも年に2回、マンネリズムとの批判をものともせず、つくれるものだと山田洋次監督に驚嘆していました。映画第一作の前のテレビ作品はみていませんが、第一作は大学の学園祭(五月祭)のときにみました。大教室に学生があふれ、みんなで大笑いしたことを覚えています。ゲバルトに明け暮れていた学園に平和が戻ったことを実感させてくれる貴重なひとときでした。
 生きづらい世の中である。住みにくいご時世である。だが、悲観論だけでは、何も生まれない。そうなんです。だからこそ、喜劇をみて笑い飛ばしたいのです。
 山田洋次は、テレビドラマの演出をしない。小さい画面に多人数を映すのは難しく、アップを多用しなければならない。そして、アップの人物の表情や気分しか観客は理解できない。だから、私はテレビを見ません。やっぱり映画館の大スクリーンでみたいのです。
 山田洋次は、怒る寅、なだめる博、悲しげなさくらを観客は自由に選択して見てほしいのだ。映画こそが生き甲斐の映画バカ。それが山田洋次である。
山田には、すべてが映画の題材にみえる。どうドラマにするかと考える。
山田は素材ゼロからオリジナルを創造するタイプではない。小説や新聞の三面記事から想像を広げていく型の作家である。
 物腰柔らかく謙虚な山田洋次は、同時にしたたかで一筋縄ではいかない。老獪とも言えそうなほどの老練さ、そういう幅と奥行きも持っている。
 寅さんシリーズが長大なものとなって内容的にも興行的にも成功したのは、松竹の大船撮影所のシステムが機能していたから。スタッフが専属で、毎回、同じ山田組で仕事ができて、出演者もほぼレギュラーだから、山田洋次は、キャメラの高羽哲夫をはじめ、息のあったチームをつくりあげることができた。このスタッフが山田洋次を支えた。社員スタッフが定年になってからも山田組に馳せ参じるシステムは、21世紀には大手の映画会社でも不可能になった。
 寅さん映画の観客動員総数は8000万人。第8作以降、常にトップ10位までに入っていた。観客の内在的要求にこたえ、マンネリズム批判までも普遍性に昇華させてシリーズのハイレベルを持ち続けた山田洋次・渥美清コンビの創造力と想像力、そして努力は測りしれない。
山田組はひとつの家族のようにして映画を作りあげていった。質の良さを直感した人たちが、テレビの前から家を出て、暗黙の劇場にまで足を運んだ。
 寅さん映画は正月映画として27年間連続続けた。
 齢80を迎えてなおも青年の魂と、ろうたけた知力を持つこの希有の映画作家は、さらに無縁社会の克服が国家百年の宿願であることを語り続けるだろう。酷薄な社会に立ち向かう力は、個の確立を前提とした家族ないし共同体的なものにならざるをえない。
 寅さん映画を、また映画館の大きなスクリーンでみてみたいと思いました。近く、「新東京物語」が上映されるようです。今から、楽しみにしています。
 寅さん映画ファンにはたまらない本です。
(2012年9月刊。1800円+税)

 月曜日、日比谷公園に行きました。ツワブキの黄色い花がたくさん咲いているなと思っていると、銀杏の木も見事な黄金色です。さらに、園内で菊花展が開かれていました。それはなんとも言えない姿形の素晴らしさに息を呑むばかりでした。丹精込めて育てている姿が目に浮かんできます。

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2012年11月21日

日本の国境問題

社会

著者   孫崎 享 、 出版   ちくま新書 

 尖閣不況が日本にやってきました。私のマチにあるリゾートホテルは中国系資本が経営しています。大量の中国人客が日本人客が日本に来ることをあてこんで、それまで韓国系資本だったのを買収したのです。ところが、尖閣列島で中国とのトラブルが表面化して以降、中国客がパッタリ来なくなりました。閑古鳥の鳴くホテルでは、リストラが始まり、身売り話が出ています。
ところが、右寄り週刊誌では、「日中もし戦ったら、どちらが勝つか」などという馬鹿げた特集を大々的に組んでいます。編集者が正気だとは思えません。自分の雑誌が売れたら日本がどうなってもかまわないという無責任さには、呆れるというより腹が立つばかりです。
 著者は、国境紛争は長い目で考える必要がある。むしろ紛争を一時的にタナ上げするのも解決法の一つ、何十年もかかって、ようやく解決できたらいいと息長く考えるべきものだ。つまり、平和的な話し合いこそ大切だと強調しています。まったく同感です。
そして、尖閣諸島が日本の領土だという根拠は、実は乏しいのだと著者は主張しています。
 琉球が日本領でない時期に、尖閣諸島が日本領だったとは言えない。尖閣諸島が日本領になるのは、日本が琉球王国を強制的に廃止して、琉球藩を置いた1872年以降のこと。
 領土問題は国際紛争である。日本が正しいと思っているだけでは紛争は解決しない。領土問題は、単に「領土」の帰属をどうするかという司法的問題にとどまらない。領土問題は、二国間関係の大きな流れを反映し、ときに冷静化し、ときに対立が全面に出る。 中国人にとって、尖閣諸島は台湾の一部だ。リスクが自分の身に降りかかる恐れがあるとき、人は簡単に過激なナショナリズムに走らない。いたずらにナショナリズムを煽れば自分たちが死ぬ。
歴史的にみれば、多くの国で国境紛争を緊張させることによって国内的基盤を強化しようとする人物は現れる。そして、不幸なときには戦争になる。
 国境問題で合意に達するには容易なことではない。中国とソ連のあいだの国境紛争(珍宝島)では、事件発生後、解決するまで22年もかかっている。
 領土問題で重要なのは、一時的な解決ではない。両国の納得する状況をつくることである。それが出来ないうちは、領土問題が紛争に発展しない仕組み、合意をつくることである。
 アルザス・ロレーヌの国境紛争でドイツは奪われたものを奪いかえす道を選択しなかった。ドイツは国家目的を変更し、自国領土の維持を量重要視するという古典的な生き方から、自己の影響力をいかに拡大するかに切り替えた。失った領土は求めない、その代わりヨーロッパの一員となって、その指導的立場を勝ちとることを国家目標とした。
 中国と言っても一枚岩ではない。中国にも、一方で軍事力で奪取しようというグループがいる。他方、紛争を避けたいというグループもいる。日本は中国の後者のグループといかにして互いに理解しあい、協力関係を強化するかが重要だ。
 アーミテージは、尖閣問題で日本人の感情をあおろうとしている。日本が対中国に強硬政策をとるようにしむけているのだ。尖閣諸島という問題を利用して、日米軍事同盟を強化しようとしているわけだ。日中の武力紛争に巻きこまれようとすると、アメリカは必ず身を引く。日本のためにアメリカが行動することはありえない。
 平和的手段は、一見すると頼りない。しかし、有効に機能されれば、もっとも効果的な手段となる。武力紛争にもちこまないという意識をもちつつ、それぞれの分野で協力を推進することが平和維持の担保になる。
そうですよね。大変示唆に富んだ内容でした。
(2012年10月刊。760円+税)

 日曜日、恒例のフランス語検定試験(準一級)を受けました。この2週間はその受験勉強に大変でした。車中読書はやめて、「傾向と対策」そしてフランス語単語集を読みふけり、カンを取り戻すのに必死でした。
 試験当日も朝早く起きて、一生けん命にフランス語に浸りました。午後3時ころに始まった試験が夕方5時半に終わったときには、ぐったり疲れてしまいました。
 自己採点で81点(120点満点)。まだ7割をとるのは難しい実力です。それでも、やれやれでした。

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2012年11月20日

「最先端技術の枠を尽くした原発」労働

社会

著者   樋口健二・渡辺博之ほか 、 出版   学習の友社 

 原発には、労働者を送り込めば送り込むだけ儲かる仕組みがある。これに目をつけたのが暴力団だ。
 原発労働は、差別の上に成り立っている。下請け、孫請け、人出し業につながっている。人出し業の下に、農漁民、寄せ場、失業した都市労働者などがつながる。そして、人出し業のなかに暴力団が巣くっている。労働者からピンはねができるから。
 原発からは、作業員一人あたり危険手当こみで5~7万円が支払われている。これが順次ピンはねされて、人出し業のところでは3万円くらいになる。
 福島のJヴィレッジに1日あたり1300~3000人の作業員がいる。ところが、恐ろしくなって逃げ出す労働者が少なくないので、人数が足りなくなる。そこで、暴力団にお金を渡して連れてきてもらうしかない。
 原発の定期検査のときには、1日で1500人の作業員が原発のなかに入る。福島原発事故の収束のためには、のべ数十万人の労働者を動員しなければならない。
労働者の年間被曝線量は50ミリシーベルト。100ミリシーベルトを浴び続けたら、10年後には間違いなく死ぬだろう。いま、東京・神田の放射線従事者中央登録センターには45万人が登録されている。このように、原発は、人間の問題なのだ。
 東電が定期検査するとき、元請会社になるのは東電が出資している子会社である、東電工業、東京エネシス、東電環境という東電3社と呼ばれる会社。ここは、東電職員の天下り先にもなっていて、御三家と呼ばれる。
 一次下請け会社の労働者の日当は2万円、二次、三次下請け会社の労働者は1万5000円程度。派遣された労働者は1万2000円~6000円というもの。多重下請け、多重派遣構造のなかで、末端労働者は、8~9割もの中間搾取がなされている。
 原発は海外に売るときには1基3000~4000億円だが、国内では1基5000~6000億円になる。
 元請けは、三井、三菱、日立の3社が本体をつくっている。
 危ない原発労働、それでも誰かにやってもらわないといけない原発の後始末作業のおぞましい実態です。東電など、本社会社は、これらの事実を見て見ぬふりをしてきたのでしょう。許せませんよね。
 100頁もない、薄っぺらなブックレットですが、ずしりとした人間の重みを感じました。
(2012年6月刊。762円+税)

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2012年11月19日

イノシシ母ちゃんにドキドキ

生き物

著者   菊屋 奈良義 、 出版   白水社 

 害獣と、みられがちなイノシシの生態をよくよく観察し、面白おかしくつづった生態観察報告です。野生のイノシシたちが見せてくれる生態写真とともにユーモアたっぷりに活写されています。
 イノシシの平均寿命は6年のようです。1歳になるかどうかのころに、早くも母になって出産します。知りませんでした。
 それにしても、ウリ防、ウリンコたちの可愛らしいことったら、ありゃしません。ウリンコたちは、それぞれの乳首を誰が吸うのか決まっている。
母ちゃんがウリンコのおしりをひょいと鼻でつつくと、そのウリンコはコロリと横になります。母ちゃんはウリンコの全身をなめつくすのです。それも、ウリンコ全員を平等になめてやります。
 そして、ウリンコたちがウリンコの模様の消えたころ、今度は母ちゃんを全員でなめまわします。それは、お別れの儀式でもあるのです。次の日、母ちゃんは子どもたちを激しく追い出し行動を始めるのでした。
 イノシシは前向きだけでなく、上手にあと下がりする。猪突猛進は後退もできるのです。
 イノシシはやさしい野生動物であり、人を怖がっていて、賢い子育てをする母である。
イノシシは草や根っこを食べる。個体によっていろいろ好みが異なる。
8ヵ月ほどの養育期間で母親から1人前と決めつけられると、母親のもとから追い出される。
 イノシシはピーマンは食べず、大根もあまり食べない。イノシシの声は聞き分けられる。
 ブフォン・・・じゃまだ
 ブフフォン・・・来るな
 ブフンフォン・・・警戒しろよ
 ブブブフォンンン・・・帰るぞ
 ウフォン・・・そろそろ出てこい
 ギャフフン・・・わかった
 ギャアッ・・・痛ぇ
 ブブ・・・おいで、おいで。こっちじゃよ
 グァフフン・・・逃げろ
 イノシシの母ちゃん軍団には、父ちゃんイノシシがいない。オスは子育てにはまったく関与しないのです。
 イノシシは「攻撃するぞ!」という勢いを見せる。猪突猛進。さも怖い動物であるかのように見せて、実は自分が怖くて逃げ出す機会をつくっている。相手が一瞬ひるんだすきに、パッと身を翻して走り去る。
 身近なイノシシの生態を長いあいだじっくり観察していると、いろんな発見があるものなんですね
(2012年10月刊。1800円+税)

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2012年11月18日

日本の笑い

日本史(江戸)

著者    コロナ・ブックス 、 出版    平凡社 

 伊藤若沖が布袋(ほてい)さんを描いています。いかにも、ふくよかな布袋さんたちです。芭蕉翁が大阪で51歳のとき亡くなった状況を描いた絵もあります。
 旅で病んで夢は枯野をかけ廻る。
その遺言を知りませんでした。死んだら木曾義仲公の側に葬ってほしいというものでした。それで大津市にある義仲寺(ぎちゅうじ)の義仲の墓のとなりに葬られているそうです。
 英(はなぶさ)一蝶の「一休和尚 酔臥図」もすごいですよ。よく描けています。
世の中は、起きて稼いで、寝て喰って、あとは死ぬのを待つばかり。
 さすが、人生の達人ですね。耳鳥斉という、宮武外骨も岡本一平もあこがれた、漫画の元祖のセンスよい絵も紹介されています。日本のコミックは歴史があることを十二分に納得させる絵です。
 「北斎漫画」にも圧倒されます。4頁にわたって「デブ」の画があり、さらに次の4頁に「ヤセ」の百態が描かれています。
 さすがの北斎です。どちらにも嫌みがなく、思わずほほえんでしまいます。人間の内面にまで踏み込んでいるからでしょうか・・・。
 日本人のマンガの伝統が決して浅いものではないことを、しっかり再確認させられる画集でした。
(2011年12月刊。1800円+税)

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2012年11月17日

義烈千秋、天狗党西へ

日本史(江戸)

著者    伊東 潤 、 出版    新潮社 

 幕末の動乱の時代、水戸藩の内紛を母胎として天狗党が生まれ、ついに京都へ駆けのぼろうとします。しかし、ときの将軍・徳川慶喜の動揺によって、哀れ切り捨てられてしまうのでした。
 水戸藩の家中騒動から、天狗党の決起。そして京都を目ざして苦難のたたかいを続ける姿が生き生きと描かれています。著者の筆力には驚嘆するばかりです。
 堂々400頁をこえる本書には、天狗党の面々の息づかいがあふれ、まさに迫真の描写が続きます。まるで、実況中継しているようで、手に汗を握ってしまいました。
 幕末、真剣に考えて生きる人々の迷い、動揺、そして行動が、これでもか、これでもかと詳細に描写されていて、読むほうまで胸がふさがれるほど息苦しくなります。
天狗党は、最終的に350人以上も処刑(斬罪)され、ほぼ同数が追放などの処分を受けた。
 ところが、明治になって逆転し、反天狗党が敗退して、首謀者は処刑された。
同郷の人血で血を洗う殺しあいをしたようです。復讐と報復の連鎖があったのでした。
 攘夷といい、尊皇といい、幕末期の志士たちの選択はとても難しかったようです。そのなかでも選択はせざるをえないわけです。それを誤ったときには、自らの生命を捨てるしかありませんでした。
 プロの作家の描写力には、いつものことながら、かなわないなあと溜息が出るばかりです。
(2012年3月刊。2200円+税)

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2012年11月16日

悪いやつを弁護する

司法

著者   アレックス・マックブライド 、 出版   亜紀書房 

 イギリスの弁護士が書いた本です。イギリスの司法制度は日本とかなり違うのですが、日本とよく似ているところが多いのには驚かされます。
 イギリスの法曹資格には、バリスタ(法廷弁護士)とソリシタ(事務弁護士)の2種類がある。
 法廷でモーツァルトのようなかつらを被って弁護するのはバリスタで、ソリシタには弁論技はなく、バリスタの補佐役をつとめる。
 最近、この区別がなくなったように聞きましたが、この本では、厳然と区分されていることで話はすすみます。著者は刑事訴訟のバリスタです。
バリスタを目ざす者は、ロースクールを卒業したあと、面接や試験を経てチェンバー(バリスタの組合)の一つに見習いとして採用されなくてはならない。見習いとして薄給でこき使われる1年間の実務研修のあと、テナント(チェンバーに永久的に所属できる身分)になるには、大変な狭き門を通らなければならない。
法廷で当意即妙、丁々発止の弁論を行うバリスタの特質は政治家に求められる特質でもあるため、イギリスではバリスタ出身の政治家が多い。サッチャーとブレアは、ともにバリスタ出身である。
 バリスタが誰かを弁護するには、その人の言い分を受け入れなくてはならない。心でも頭でも受け入れるのだ。それは心理的な、そして倫理上のトリックである。彼らの立場になって、考え、信じる。たとえ、それがむかつくほどひどい話であっても。
バリスタの勝算は小さく、自分の技量だけを頼りに不安な確実性の中で生きている。だからこそ、勝算は自分を高めてくれる。勝利すると、抜群に気分がいい。そして、それなしでは生きられなくなる。勝利中毒になってしまうのだ。
 刑事訴訟のルールの絶対的な目的は「刑事事件が公正に扱われる」ことにある。この目的の重要な原則は、裁判のプロセスが、「罪なき者を無罪放免し、罪を犯した者を有罪にすること」である。罪なく者を無罪放免することと、罪を犯した者を有罪にすることのどちらかより重要だろうか。刑事司法制度は、この二つのうち、どちらかを選ばなくてはならない。
陪審員が有罪とするには、"おそらく"ではなく、確信する必要がある。
 陪審裁判には、派手で天文学的な報酬が得られる商法関連の事件(争議)にはない重要性や神秘性がある。陪審員なくして、真のドラマは生まれない。
 刑事裁判の法廷が面白いのは、さまざまな人間の姿こそが、そこでやりとりされる通貨だからだ。そこでは、半面の心理、悲劇、悲運、哀れな嘘、救いようのない愚かさ、底なしの強欲や、自己抑制の喪失が丹念に調べあげられる。
イギリスで刑事裁判が陪審裁判となるのは、過去200年のあいだに90%から今日の2%にまで低下した。有罪答弁すれば、陪審裁判ではなくなり、最大で量刑の3分の1が減らされる。
 著者が陪審裁判を好むのは、裁判官にはない独立性があるから。陪審員には、生活が陪審の仕事にかかっていないし、一生の仕事になる可能性もない。だから、批判や冷笑を受ける心配がなく判断できる。陪審員の頭はフレッシュで過去の経験にとらわれず、事実のみで判断できる。そして、何より法律家と異なり、法律の条文にとらわれていない。
 イギリスで刑務所人口が増え続けた過去10年間に、再犯率は下がるどころか、12%も上昇した。刑務所に入っている人間のほとんどが社会の割れ目から滑り落ちた最下層出身である。
 あまりにも日本と共通することに驚嘆するばかりです。
(2012年6月刊。2300円+税)

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2012年11月15日

そこに僕らは居合わせた

ドイツ

著者   グードルン・パウセヴァング 、 出版   みすず書房 

 ナチス・ドイツ時代の社会の醜い実情をも語り伝えるべきだということで書かれた本です。人間の弱さと強みを見つめるということです。全体主義の狂気にフツーの人々がのみこまれていったのでした。今の日本で、ハシモト、イシハラに共通するところがある気がしてなりません。
ユダヤ人家族が強制連行されていく。そのことを知った近所の人々は、すぐにのりこむのです。ユダヤ人一家は連行されるとき、ちょうど昼食をとろうとしていたようです。のりこんだ家族は、そのまま、おいしく他人の昼食をいただくのでした。
 それは、私たちのために用意された食事ではなかった。なのに、みんな、いつものように母に従った。
 学校で、子どもたちはユダヤ人について、教師から次のように教えられていた。
 ユダヤ人は、実直なドイツ人を食い物にしたり騙したりする悪い奴らだ。ユダヤ人は友情を知らないので、つきあってはならない。ユダヤ人は嘘つきなので、信用してはならない。ユダヤ人はたちが悪いので、どんな目にあっても同情してはならない。ユダヤ人は鉤鼻(かぎばな)をしているので、見分けがつく。
 挿絵つきの少年少女向け物語集には、ユダヤ人によるあらゆる悪事が列挙されていた。少年少女に、ユダヤ人に対する敵対心を植えつけ、反ユダヤ主義者を育てるという明確な意図のもとに書かれた本である。
 村の人々は、ユダヤ人の営む商店で、ツケで買い物し始めた。はじめは、みんなためらっていた。しかし、そのうち、みんなツケを利用するようになった。
 村人は、商店が破産していく様子を、冷静かつ満足そうにみていた。そして、ついに本当に行き詰まり、店を売りに出した。示された買値は、本来の値段の10分の1だった。
 戦後、村人は、そんなことをしたということを話すことはなく平穏に生きた。誰かが、戦前の話をしようとすると、みんなでやめさせた。
 こんな暗い歴史でも語り継いでいく必要があると著者は語っています。私も同感です。それは決して自虐史観というのではありません。自らのルーツを全面的にみつめるうえで欠かせないということです。いい本でした。
(2012年7月刊。2500円+税)

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2012年11月14日

憲法九条裁判闘争史

司法

著者   内藤 功 、 出版   かもがわ出版 

 知的好奇心を大いに刺激し、満足させる本です。若手弁護士が大先輩の内藤弁護士から聞き出すという仕掛けが見事に成功しています。難しい話を面白く、分かりやすく語るという狙いが見事にあたりました。そのおかげで、伊達判決の意義がよく理解できます。
砂川事件が起きたのは1957年9月のこと、立川にあった米軍基地の滑走路延長のための工事に反対運動が起きて23人の労働者と学生が逮捕され、そのうち7人が安保条約にもとづく行政協定に伴う刑事特例法2条違反で起訴された。
 この一審判決を書いた伊達秋雄判事は、満州国で裁判官をやっていた。そして、最高裁判所で調査官もしていた。その伊達裁判長が原告の申請でもなく、職権で外務省条約局長を証人喚問した。裁判長は原告弁護団より一般見識が上だった。伊達裁判長は『世界』をよく読んでいたようだ。
 日本政府がお金を出し、予算を出し、施設を提供し、物資を提供し、労務を提供しているからこそ、米軍が駐留していられるのだから、駐留米軍は憲法9条において日本が保持している軍隊にあたる。
ところが、この伊達判決を田中耕太郎・最高裁長官たちがひっくり返した。
 田中耕太郎は、1950年と1951年、裁判所時報の年頭あいさつのなかで、中国やソ連は恐るべき国際ギャング勢力だと言っていた。田中耕太郎が駐日アメリカ大使に裁判の秘密を漏らしていたこと、その指示を受けていたことは、前に本の紹介のなかで明らかにしています。本当に許せない、でたらめな裁判官です。
 日本本土にある自衛隊の基地がアメリカ軍と共用関係にある。つまり、日本の自衛隊基地は全部がアメリカ軍の基地と化しつつある。その意味で、日本にあるアメリカ軍基地は実質的にこの10年来増えている。アメリカ軍だけの専用基地はふえていないけれど・・・。
 これがいまの安保の変質、量的、質的変化の実態である。日本人は、自衛隊を日本独自の軍事組織と思い込んでいるけれど、それは間違いである。
 アメリカにとって対等な日米同盟というのは、日本の軍隊が外国へ行って、アメリカの青年が死ぬかわりに、日本の青年に血を流してくれるように頼みたいということ。
 日本全国にアメリカ軍がいて、しかも、自衛隊がアメリカ軍と一体化しているということは、日本は世界一位の軍隊をかかえているということではないのか・・・。
 軍隊の強さをはかるには、兵器だけを見てはいけない。兵器だけで、軍隊が動くわけではない。それを動かす人間はどうなっているのか、隊員が本当に戦闘のモチベーションをもっているか。戦争目的、軍隊としての堅確な意志をもっているかどうかが戦力の要素を左右する。
 日本の自衛隊は従属的な軍隊なので、堅確な意思はもっていなかった。自衛隊とアメリカ軍の装備だけを比べてみても本質は分からない。
 航空自衛隊の戦闘機の純国産はアメリカが許さない。故障したとき、部品がなくなったときに、日本はアメリカに頼らざるをえない。戦闘機を握るか握らないかというのは、日本の自衛隊の急所を支配する。また、日本のイージス艦の主要部分、コンピューターの主要部分はアメリカ製のもの。自衛隊の本質は、アメリカ軍との従属性、一体性にある。
 自衛隊は、単独で海外攻撃する正面装備はそろっているが、それを単独でやり抜く仕組みにはない。その装備が生かされるのは、アメリカ軍との共同、アメリカ軍と一緒という仕組みのなかである。
 反米の方向に行く皇国史観は、アメリカが許さない。
陸上自衛隊は、イラク派兵以降、米国陸軍との一体化がすすんでいる。と同時に、アメリカ海兵隊との連携、一体化を目ざしていて、少し複雑な両面をもっている。いまでは、日本の自衛隊だけが先進国のなかで唯一、アメリカに深く従属する軍隊である。
 日本の自衛隊は、アメリカ軍の作戦指導に従うしかない。世界戦略と世界軍事情報の力で劣るので日本の自衛隊は従うほかない。アメリカ軍の情報・アドバイスによって自衛隊はコントロールされ、作業指導されている。
 航空自衛隊の任務は、アメリカ軍基地からアメリカ空軍が発進していくのを守ること。日本の都市を守ることではない。
遠藤三郎・元陸軍中将は戦争は、なぜ、誰が起こすものなのか。結局、軍需産業が原因だということを強調した。兵器をたくさん作るためには兵器を消耗した方がいいので、兵器をつかう戦争が必要になる。だから、軍需産業、民間会社の利潤を目的とする企業が兵器を作っていたのでは、戦争はなくならない。
 アイゼンハワーも大統領を辞めるときに、国を誤るのは軍需産業と軍人の複合体であると述べた。
 憲法は何の役にも立たないとか、憲法9条は無力だとか言われることがあるが、絶対にそうは思わない。憲法の存在と、その憲法を守ってたたかってきた運動、憲法意識の普及と定着というものが自衛隊の太平洋統合軍構想や日米同盟の強化を阻止し、遅滞させてきた力なのだ。
 砂川・恵庭・長沼・百里闘争は憲法を武器にした生命と暮らしを守るたたかいなのだ。逆にいうと、自衛隊反対というのを最初から真っ正面に揚げて突進したたたかいではなかった。
 裁判は一つの学校である。弁護士としての道場。ここが腕をみがく稽古場になる。
 憲法がある限り、この論争は絶対に勝つ。だから相手は憲法論争を極力避けるわけだ。避けないで、憲法の土俵の上に引き上げて論争する。
裁判官は、我々が思うほど、記録を読まない。前の記録を整理して読もうという気持ちはない。今回の法廷をいかに早くすますか、と考えている人が案外多い。そこで、毎回、一から整理して話してやる。書面で、杓子定規ではなく、ナマの言葉で強調すると印象に残る。くどいくらい話す。そうやってポイントに誘導していく。裁判官に一番大切なところに着目してもらう。裁判官は、ともすると逃げ腰になる。そこで、原告を勝たせる肚を決めさせることが必要である。
 傍聴している原告団や支援者に到達点と展望をいつも示す必要がある。そうやって裁判の意義を徹底する。法廷の中で聞くとまた一般と印象深い。
 防衛省は、本当に「人殺し」できる軍隊、兵隊をつくりたいと考えている。このとき、自衛隊は災害救助、人を救う、人を活かす仕事をやるべきだ、人を殺す仕事なんてやってはいけないという方向に国民世論が動いたら困ることになる。
 自衛隊と隊員を本当に活かしてやりたい。若い隊員を外国の人との「殺しあい」の戦場になんか絶対に送りたくない。
 私、自衛隊員を愛す。故に、憲法九条を守る。
よい言葉ですね。広めたいものです。いろいろ、大変示唆に富んだ話が盛りだくさんでした。
(2012年10月刊。3000円+税)

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2012年11月13日

民主党の原点

社会

著者   鳩山 由起夫・高野孟 、 出版   花伝社 

 民主党政権が誕生したとき、これで日本の政治が少しはまともになり、人間本位の政治に向かうと期待した国民は多かったと思います。
 ところが、残念なことに、今の民主党・野田政権は自民党・野田派としか言いようがありません。そして、この本で、他ならぬ鳩山由紀夫が同じことを言っているのです。
 消費増税、原発再稼働、TPPそしてオスプレイ。この4つとも、自民党政権なら賛成だろうが、本来の民主党ならば、すべて慎重でなければならない。だから、自民党・野田派と言われることになる。
 今の野田内閣はあまりにも自民党に近寄りすぎている。せっかく政権交代して、自民党政治と決別するはずだった民主党が、なぜか自民党のほうばかりを向いて政策を遂行しようとしているのが、大変に気がかりだ。その最たるものが消費税の増税だ。民主党と自民・公明が歩み寄り、3年前に民主党のマニフェストで約束した後期高齢者医療制度の廃止や最低保障年金制度の導入も棚上げし、事実上、撤退してしまった。
 もし、消費税が5%あがったら、マチの中小企業の3分の1は倒産するだろう。これが現実なのだ。
 原発については、もともと推進派だったが、今なお福島第一原発の事故がどういう原因で起きたのか判明していないとき、政府が原発再稼働を決めるのは、どうにも理屈に合わない。
 日本の領土の中にアメリカの軍隊がずっと居続けて、未来永劫、守られ続けていくと考えるのは、すなわち一国の領土の中に他国の軍隊が駐留し続けることによって日本の安全が守られると考えるのは、世界史のなかでも、きわめて異常な姿だ。
 普天間問題で立ちはだかった壁に対して勝利をつかむことができなかったことは、力不足で申し訳なかった。
 思いやり予算が、財政の厳しいアメリカにとって大変な魅力であるのは間違いない。アメリカに対して、ただいつも従順に従うばかりではなく、言うべきときにはノーというのが真の友情だ。
 イラク戦争のとき、小泉首相(当時)が、自衛隊を派遣したのは、歴史的に誤りだった。しかし、日本政府はいまなおその間違いを認めていない。
 私は鳩山由紀夫を支持するつもりはまったくないのですが、その言っていることはかなりあたっている、正しいと共感しました。
80頁あまりの薄くて読みやすい小冊子です。ぜひ、あなたも手にとってみて下さい。
(2012年9月刊。800円+税)

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2012年11月12日

セミたちの夏

生き物

著者   向井 学 、 出版   小学館 

 夏にあれほどうるさく鳴いていたセミも、今は昔。大人のセミたちは死に、子どもたちははるか地中に潜んでいます。では、地中のセミはどんなにしているのでしょうか・・・。この本は、私の長年の疑問を写真で明らかにしてくれました。
 セミの生態写真集です。あのうるさいセミの鳴き声は、みんなオスのセミが、「ぼくはここにいるよー」、そして、「寄っといでよ。おヨメさん募集中なんだよ」と誇示しているのです。
セミは、はりのような尖った口をかたい幹に突き刺して木の汁を吸っている。
 そして、木の汁を吸おうと、おしっこを出す。それも、5分に1回も・・・。
セミは、油断していると、カマキリや鳥に食べられてしまう。
 セミがうまく交尾できるチャンスはあまり多くはない。セミの成虫が地上で生きているのは、わずか2週間だけ。
 メスは、8月のお盆が過ぎたころ、卵を木の幹の表面に産みつける。2ミリほどの細長い小さな卵を300個ほど・・・。雨がたくさん降る梅雨のころ、木の枝の中の卵から、小さなセミの幼虫が顔を出す。そして、地面にぼとぼと落ちていく。ところが、地面にはアリたちが待ちかまえている。ほとんどの幼虫が地中に潜り込む前に食べられてしまう。
幸い土中に潜り込んだ幼虫は、木の根っこを目ざして掘りすすむ。そして、木の根にたどり着くと、木の根の汁を吸いはじめる。
 4齢幼虫にまで達すると、たくさん汁の出る根っこを探してトンネル掘りをする。5齢幼虫になると、からだが白からあめ色になる。
 6年目の夏、土中からはい出してきて、木にのぼる。そして、成虫へと羽化する。夜の8時から9時のあたり羽化のピーク、夜明けと同時に飛び立っていく。
 これが全部、写真で紹介されています。素晴らしい写真集でした。
(2012年7月刊。1300円+税)

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2012年11月11日

税務署の裏側

社会

著者   松嶋 洋 、 出版    東洋経済新報社 

 消費税値上げをマスコミが政府と一体となって強引におしすすめて成立させました。小選挙区制そして郵政民営化のときとまるで同じです。でも、税金って、持てるものと大企業にはどこまでも甘く、持てない者そして中小零細企業には限りなく苛烈なものなのです。これを徴収する側にいた人が実感をもって明らかにしています。
 税務署に4年半つとめ、今は税理士になっている著者は次のように断言しています。
税務署で見たのは、数多くの「不公平」だった。税務署の実体は、正義感あふれる組織という印象からかけ離れている。
 税務署員のホンネは税金をとるために税務調査をやるというもの。最低でも、年収の3倍の税金をとって来るべきだ。
税務署員がもっとも嫌うのは、税務調査をしても何も間違いが発見されないという事態。この「申告是認」を税務署員の恥とする文化がある。だから、税務署が是認通知を発送することはほとんどない。
 納税者に対しては書面を求めるが、税務署は自分は書面を出さない。
実調率(確定申告した人が税務調査に入られる割合)は1%にすぎない。
 重要事案審議会(重審)の実態は、有能な職員を税務署長等の幹部職員にお披露目し、今後の人事に活かすという意味が大きい。
 税務調査に対処するとき、税理士がリスクを負わないと顧客を満足させる提案はできない。しかし、税務署に長くつとめたOB税理士は、過大評価する傾向がある。
 署長経験者の税理士が対応すると、税務署は道理を引っ込ませることが多い。税務署OB税理士は、実は限られた税法知識しかもっていない人がほとんど。
 税務署の内情って、昔も今も変わってないんだなと思ったことでした。
(2012年7月刊。1500円+税)

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2012年11月10日

ちいさいひと 1

社会

著者   夾竹桃ジン 、 出版   小学館 

 青葉児童相談所物語というマンガ本です。あまりによく出来ているので、ついつい涙が抑えきれなくなりました。
 幼い子どもたちが虐待(ネグレクト)されています。でも、親がそれを認めようとしません。そこに、児童相談所の新米児童福祉司が登場します。
 子どもたちは、ひたすら親をあてにしています。でも、若い親は夜の仕事に忙しく、また、大人の世界の交際にかまけて、子どもたちは放ったらかし。
 食べるものも食べられず、まったく無視されてしまいます。親の親は、それを見て見ぬふりするばかりです・・・。
 そのあいだにも、子どもたちはどんどん衰弱していきます。食事どころか、満足な医療も受けられずに放置され、死ぬ寸前・・・・。
 近所の人々は異変を感じますが、誰も何か行動するわけでもありません。男親が子どもに厳しいせっかんをしても、母親は子どもにガマンさせるだけ。何も悪くないのに子どもは自分が悪いからと言い聞かせています。そんなとき、ついに児童相談所の出番です。
 こんな実情を知ると、一律に公務員を減らしたら、子どもの生命・健康も守れないということに、よくよく思い至ることができます。
 残念ながら、こんな現実が日本中にありふれていると弁護士生活40年近くになる私は痛感します。
 本当によく出来たマンガ本です。ぜひ、手にとって読んでください。
(2011年11月刊。419円+税)

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2012年11月 9日

督促OL修行日記

社会


著者   榎本 まみ 、 出版   文芸春秋 

 ブラック企業で働かされているような辛い仕事も、長く続けると世の中と人間が見えてくるという話です。とてもしんどい話を面白く読ませてくれる本でした。
 サブタイトルに日本一つらい職場で生き抜く技術とあります。
 一日中、テレコールする。しかも、お金をもたない人を相手に、お金を支払えという電話をかけまくるのです。考えただけでも、いやな仕事ですよね。
 キャッシング専門の督促部署に配属された。1時間に少なくとも60本の電話をかける。
 体重が半年で10キロ減。ストレスが原因のニキビが火傷でもしたかのように顔じゅうにできた。
 毎月、誰かが職場を去っていく。心を病んでしまう人も多い。会社に行くことは、イコール怒鳴られに行くこと。
朝8時から電話をかけはじめる。そのためには朝7時に出社して準備を始める。夜9時すぎて電話をかけれなくなったら、今度は督促状を発送する作業が待っている。
 朝7時から夜11時まで会社に閉じこめられる。
入金の約束をした客が守る確率は6割。4割は約束を破る。
 恐怖心、義務感そして罪悪感の三つをうまく刺激して返済してもらう。そのためには約束の日時・場所・金額を相手の口から言ってもらうことが重要である。
 「お金を返して」と言うのではなく、「何日に払えるの?」と尋ねる。それとも、「いくらだったら払えるの?」と質問を変えてみる。これで、相手とのフンイキを悪くせずに入金の督促ができる。
 いきなり客に怒鳴られてビクッと体が固まったら、その瞬間、思いっきり足をつねる。もしくは、小指をもう一方の足で踏んでけるなどして、下半身を刺激する。痛いと感じると同時に、怒鳴られたショックによる金縛りは解ける。そこから客へ反撃することができる。
 足には本当の気分があらわれやすい。不安な人は足が落ち着かない。
ゴールデンタイムは、朝の8時と夜の8時台。
 怒っている客には、溜めずに発散させてやる。落ち着いたところで、入金の目途をきくとうまくいく。
 論理タイプの客から回収するためには、決してうえから督促しないこと。相手のプライドをみたすことが攻略のカギ。
 クレジットカードのコールセンターに所属するオペレーター300人は、朝、昼、夜のシフトで勤務し、1日4万件の電話をかける。回収するのは月170億円、年に2000億円。
 うひゃあ、す、すごい金額ですね。
オペレーターは、パートやアルバイトという非正規雇用で働いている。コールセンターの離職率は高く、30人が採用されても研修を終えるときに20人、配属されて2ヵ月で10人になる。
 一人で1日に200件から300件の電話をかける。どんなに理不尽な要求であっても、オペレーターは感情的に反論することは許されない。自分が悪くなくても謝らなければいけない。
 ゆっくりしゃべると、穏やかなフンイキで交渉することができる。
 督促やコールセンターの仕事は「感情労働」と呼ばれる。感情労働は、自分の感情を抑制することでお金を得る。「心を売る」と同じこと。代表的な感情労働として、航空機の客室乗務員と募金人がある。
 感情労働する人は、たとえ客に一方的に罵倒雑言を浴びせかけられたとしても、反論せず黙ってそれに耐え、相手のプライドを満たし満足させることを求められる。
 感情労働は、心の疲労の問題が深刻となる。感情労働による心の疲労は、一日寝たからといって解消される保証はない。こうして心に疲労を蓄積させた結果、感情労働をする人が心を痛む確率はほかの労働よりも高い。
 テレコール、とくに督促テレコールという非人間的労働を乗り切ったフツーの女の子の、たくましい体験記でした。人間の社会の現実を知る本として、興味深い内容になっています。
(2012年10月刊。1150円+税)

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2012年11月 8日

脱原子力国家への道

社会

著者   吉岡 斉 、 出版   岩波新書 

 3.11のあともなお、脱原発への道が一直線でなくジグザグしているのが信じられません。日本経団連とアメリカが日本の脱原発を妨げている主要な勢力なのでしょうが、少なくない国民が脱原発に踏み切れていないのも残念ながら現実です。
 日本政府は福島原発事故が起きるまで、きわめて積極的な原子力発電拡散政策をとってきた。それは国家計画にもとづいて電力業界に原発拡大を進めさせるとともに、原発拡大という国策への協力の見返りとして手厚い保護を電力業界に与えるという、封建時代の主従関係を彷彿させるものであり、原子力施設の立地地域の自治体に対しても巨額の金銭的見返りが与えられてきた。
 福島原発事故の経済的損失として数十兆円が追加されることが確実となった。この事故によって原発の発電原価は当初見積の2倍、火力発電の2倍となる。
日米原子力同盟の民事利用面における特徴は、日米の原子力メーカーが密接な相互依存関係を結んでおり、製造面ではアメリカのメーカーは日本メーカーに強く依存している。もし、日本で脱原発シナリオが進行すれば、日本メーカーは原子力から撤退するかもしれない。しかし、アメリカのメーカーは単独では原子炉を製造する能力を失っているので、日本の撤退は重大な打撃になる。つまり、日本の脱原発は、ドミノ倒しのように、アメリカでの脱原発への波及する可能性が高い。
 だから、アメリカ政府は日本の脱原発を必至に止めさせようとしているのですね。まさに、自分たちの利益のためなのです。まあ、アメリカがいつもやっていることですが・・・。
 日本はアメリカの「核の傘」のしたにいるから安心だというのは、いささか被害妄想的だ。日本は北方から侵略の脅威にさらされている。その仮想敵国が核兵器を保有するなら、こちらも核兵器で対抗するしかない。しかし、こんな考えは、よくよく考えてみたらバカげている。
 どうせ脱原発は無理だろうと第三者的に語る者は、そのこと自体が脱原発を目ざす人々を黙殺する立場、つまり原発存続を擁護する立場に立つ。何もしないと言うこと自体が、原発存続にくみするのだ。そうなんですよね。よく考えてほしいところです。
 脱原発は決して不可能ではない。原子力は産業技術としては、決して誰の助けもなしに生きていけるような強靱な技術ではなく、むしろ国家の手厚い保護・支援なしには生きていけない脆弱な技術である。
過酷事故が福島第一原発だけですんだのは不幸中の幸いであった。福島第一原発以外の原発も危機一髪だったのである。
 福島第一原発事故から1年以上たってもまだ収束していない。原子炉の状態は安定しておらず、原子炉からの放射性物質の流出も止まっていない。原発周辺の広大な地域に莫大な放射性物質が飛び散っている。
原子炉災害はいったん起きたら、半永久的に収束しないものである。福島原発事故によって、チェルノブイリ級の超過酷事故は、世界で何度も起きるノーマル・アクシデントであることが立証された。
日本の原子力政策の特徴は原子力事業全体が民間事業も含めて、国家計画(国策)にもとづいて推進されてきたことである。「国策民営」体制は原子力発電事業についてのみ機能しているのではなく、電力事業全般に関しても機能している。いわば、原子力を「人質」として、両者が包括的な「国策民営」関係を構築し、維持してきたとみれる。学者とマスメディアを準主役メンバーに加えて、核の8面体構造と呼んでよい。
 アメリカにとって「日米原子力同盟」の解体は、もっとも信頼できるパートナーを失うことである。日米両者の関係はイコール・パートナーであり、アメリカが主として設計を日本が主として製造を担当している。日本で脱原発がすすめられると、日本メーカーも原子力ビジネスのリストラを推進することになる。そうなればアメリカの原子力ビジネスそのものが不可能となる。つまり、米国国内の原子力ビジネスだけでなく、海外展開も不可能となる。アメリカの原子力ビジネスにとって、「日米原子力同盟」はまさに生命線なのである。
 福島第一原発事故によって、原子力発電が優れているとされてきた安定供給性、環境保全性、経済性のいずれも否定されてしまった。
 原発の代替エネルギーを探すまでもなく、脱原発は今でも可能なのである。
 脱原発に安心して日本が踏み出せることをキッパリ断言した本です。
(2012年6月刊。1800円+税)

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2012年11月 7日

東電福島原発事故、総理大臣として考えたこと

社会

著者   菅 直人 、 出版   幻冬舎新書 

 福島第一原発事故がいかに恐ろしいものだったのかを、当時の菅首相が暴いています。今も日本人の多くがぬくぬくと暮らせているのは、まったくの幸運にすぎなかったこと、3.11の直後、日本の首都が壊滅状態となり、日本経済が完全に行き詰まる寸前だったのです。
 そして、首相が浜岡原発の操業を許さないと指示すると、法律上の明文の根拠はなくとも電力会社は操業できないという関係にあることも明らかにしています。だからこそ脱原発を叫んだ菅首相は、よってたかって首相の座から引きずりおろされてしまったのでした。
 誰が引きずりおろしたのか?
 それは、アメリカであり、日本の財界であり、その意を受けて動いた民主・自民などの政治家です。まだまだ隠されているところは多いのでしょうが、かなり真実を暴いているのではないかと思いながら読みすすめました。
 原発事故は、たとえば火力発電所の事故とは根本的に異なる。
 火力発電所の火災事故だったら、燃料タンクに引火しても、いつかは燃料が燃え尽き、事故は収束する。ところが、原発事故では、制御できなくなった原子炉を放置したら、時間がたつほど事態は悪化していく。燃料は燃え尽きず、放射性物質を放出し続ける。そして、放射性物質は風に乗って拡散していく。厄介なことに放射能の毒性は長く消えない。プルトニウムの半減期は2万4000年だ。いったん大量の放射性物質が出してしまうと、事故を収束させても、人間は近づけなく、まったくコントロールできない状態になってしまう。
 原発事故が発生してからの1週間は悪夢だった。福島原発事故の「最悪のシナリオ」では、半径250キロが人々を移転させる地域になる、そこには5000万人が居住している。
 もしも5000万人の人々が避難するというときには、想像も絶する困難と混乱が待ち受けていただろう。そして、これは、空想の話ではなく、紙一重で現実となった話なのだ。原発事故は、間違った文明の選択に酔って引きおこされた災害と言える。
 人間が核反応を利用するには根本的に無理があり、核エネルギーは人間の存在を脅かすものだ。現在の法体系では、基本的には、原発事故の収束を担うのは、民間の電力会社であり、政府の仕事は住民をどう避難させるかということになっている。原災法上、総理大臣である原子力災害対策本部長は東電へ指示できることになっている。原子力事故を収束させるための組織がないのは、事故は起きないことになっていたから。そんな組織をつくれば、政府は事故が起こると想定していることになり、原発事故にあたって障害になるという理由だ。
 福島第一原発には、6基とも手がつけられなくなったら、どうなるのか。ぼんやりとしていた地獄絵は、次第にはっきりとしたイメージになっていた。東電本店では、当時、福島第一原発の要員の大半を第二原発に避難させる計画が、トップの清水社長をふくむ幹部間で話し合われていたことは証拠が残っている。
 しかし、東電の作業員たちが避難してしまうと、無人と化した原発からは、大量の放射性物質が出続け、やがては東京にまで到達し、東電本店も避難地域にふくまれるだろう。
 原発事故の恐ろしさは、時間が解決してくれないことにある。時間がたてばたつほど、原発の状況は悪化するのだ。だから、撤退という選択肢はありえない。
 誰も望んだわけでなはないが、もはや戦争だった。原子炉との戦い、放射能との戦いなのだ。日本は放射能という見えない敵に占領されようとしていた、この戦争では、一時的に撤退し、戦列を立て直して、再び戦うという作戦をとれば、放射性物質の放出で占領が上界し、原子炉に近づくことは一層危険で、困難になる。そして、全面撤退は東日本の全滅を意味している。日本という国家の崩壊だ。
私たちは、幸運にも助かった。幸運だったという以外、統括のしようがない。そして、その幸運が今後もあるとは、とても思えない。
 中部電力に対して、稼働している原発を止めろと命令する権限は、内閣にはなかった。そのため「停止要請」という形をとったが、許認可事業である電力会社が要請を断る可能性はないと考えていた。実際、中部電力は浜岡原発の停止を決めた。
「イラ菅」と呼ばれていた首相ですが、原発の危険性は本当に身にしみたと思います。多くの日本人が読むべき本だと思いました。原発なんて本当にとんでもない存在です。
(2012年10月刊。860円+税)

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2012年11月 6日

震える学校

社会

著者   山脇 由貴子 、 出版   ポプラ社 

 本のタイトルは学校のホラー映画でも紹介されるようで、なんだかとっつきにくいのですが、読みはじめると、とても真剣に子どもたちのことを考えているのがビンビン伝わってくる本です。わずか120頁ほどの本ですが、たくさんの親と教師に読んでほしいと思ってことでした。
 教員も子どもたちからいじめられるのです。しかし、校長は教員がいじめの被害にあっていたなんて、大人として恥ずかしいことだし、ましてや教師なんだ・・・。今まで対処できなかった学校の責任だって問われることになる。それに、教師の質が悪いからだと責められても仕方がない。と言って、見て見ぬふりをしようとするのです。
現代のいじめは、教師すらもターゲットになりうる。ネット社会の匿名性が、「子どもから大人へ」のいじめを可能にしている。
 いじめの解決に大人が取り組みはじめたとき、子どもたちは、まず疑う、そして罵倒する。これが本音だ。
保護者から学校への苦情は増え続けている。学校と保護者のコミュニケーション不足で悪循環に陥っているケースが少なくない。苦情が頻発すると、学校は対処に追われる。ネガティブな言葉を浴びせかけられ、心身ともに疲弊し、早く「片付けたくなる」。謝って許してくれるのならと、むやみに謝る。すると今度は、今度は別の苦情が出る。「謝り方が悪い」「誠意が感じられない」。そのうち、教師の仕事が「教育」ではなくなり、「処理」業務に終始することになる。
 もともと対話のないところで一方が不満を言い出すと、あっという間に関係性は悪化してしまう。「子どものため」にできることは、一方的な要求や文句ではなく、話し合いと互いに協力することだ。
静まりかえった職員室の意味するものは何か?
 校長は現場の教師をかばっているように見えるが、実はかばっているのではない。問題を起こしたくない。問題として認めたくないだけ。何か問題が起きても放置される。教師は何もしない。それを生徒も保護者も、十分に体験していた。この学校は悪が悪としてまかり通ってしまっていた。思いはただひとつ、卒業までの我慢だ。
 教師は生徒に関心がない。教師同士は同僚ではなく、他人同士だ。だから職員室は静かだったのだ。生徒に関心がなければ、教員としてのつながりは持てないのだから当然だ。校長も、生徒にも教師にも関心がない。
 現代のいじめの典型的なパターンは、「いじめっ子」と「いじめられっ子」という固定した関係ではなく、いじめの被害者がしばらくすると加害者にまわる。加害者だった子が、今度は被害者になる。一度いじめが起こると、「傍観者」でいることは許されず、被害者以外は、全員が「加害者」となっていく。
 いじめがひどい学校ほどいじめのターゲットは次々に変わり、すべての子どもが、「今度は自分かもしれない」と怯えることになる。安心していられる子はいない。この構造こそが、子ども社会のいじめの現実である。
 インターネットとケータイは、子ども社会のコミュニケーションを二重構造化した。現実の対面的コミュニケーションは、常にネット世界の目に見えない悪意に脅かされている。
 多くの子どもは「親友にだけはホンネが言えない」と言う。どんなに親しげにふるまっていても、ネットでは悪口を言われているかもしれない。そんな不安が消えない。いつも怯えている。子どもたちは、人と人の心と心のつながりを信じられなくなっている。継続的で、安心できる人間関係がないのだ。だから、学校でいじめが起こっていても、子どもはどこにも頼る相手がいない。
いじめは異常な集団ヒステリーであり、善悪の判断は倒錯してしまっている。集団の中では善と悪とが完全に逆転し、子どもは時として、楽しんで、いじめを行う。人に対する痛みも、共感も、想像力も、善悪の判断も奪い去り、猛威をふるう。人間を非人間化するのが、いじめだ。
 だから、問題の当事者を排除するだけでは、いじめの本当の解決にはならない。大人社会の信頼の復興こそが、なによりもいじめ防波堤になる。
 改めて問題の本質と対処法を考えさせてくれる本でした。
(2012年9月刊。880円+税)

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2012年11月 5日

痲酔をめぐるミステリー

人間

著者   廣田 弘毅 、 出版   同人選書 

 全身麻酔は単なる眠りではない。呼吸や心循環系も抑制されている。つまり、眠っているだけではなく、息が止まって、血圧も下がっている。麻酔薬は、一般的な医薬品に比べて、安全域がきわめて狭い。麻酔機などの設備が整った場所で、熟練した麻酔医が使用してはじめて麻酔薬は「安全」と言える。
 全身麻酔のプロポフォールは鎮静目的。その投与中は血管痛といって、点滴の刺入部位が痛むことが多い。その血管痛をやわらげるために、局所麻酔薬リドカインを混ぜる。これは業界で常識となっている裏技だ。そこで、マイケルジャクソンの死は局所麻酔薬中毒による心停止の可能性がある。
麻酔薬には呼吸・循環抑制作用があるし、その作用には個人差がある。患者Aに効いた濃度が患者Bに効くとは限らない。吸入麻酔薬による眠りは、患者にとって、一瞬の出来事に感じられる。麻酔薬を投与されて「眠った」と思った次の瞬間に、「手術は終わりましたよ」という言葉を聞かされる。眠っていたという感覚がまったくない。これは30分の小手術でも、10時間の大手術でも同じで、患者は麻酔をかけられた瞬間に、手術終了後の世界にタイムスリップする。
 吸入麻酔薬は、興奮性シナプス伝達を抑制し、抑制性シナプス伝達を促進することにより、海馬の機能を完全にシャットダウンしてしまう。つまり、海馬における記憶の形成が起こらない。
 私が人間ドックに入って胃カメラを呑み込むときの状態が、まさにこれです。静脈に麻酔薬を注射されると、すとんと眠りに入り、胃カメラが抜かれたとたん目が覚めるのです。
 静脈麻酔薬プロフォール。チオペンタールからの覚醒は、「あー、よく寝た」という印象で、生理的な睡眠からの目覚めに似ている。静脈麻酔薬により、抑制性の神経伝達物質であるGABAが脳内で大量に放出されるためと考えられている。
 この静脈麻酔薬は麻酔ではない。しかし、投与された人は、スッキリ爽やかな目覚めが忘れられなくなる。吸入麻酔薬ハロタン、セボフルランでかける麻酔は安定感がある。興奮性シナプス伝達を抑制し、抑制性シナプス伝達を促進することで、ニューロンの興奮性をダブルブロックするからだ。十分な濃度の麻酔薬を投与していれば、不意な行動で手術に支障を来す心配がない。
 静脈麻酔薬プロポフォール、チオペンタールによる麻酔では強い刺激によって患者が覚醒する可能性があるので、注意が必要である。抑制性シナプスの亢進だけでは、不意な興奮性入力を抑えきれなくなる。
 安定な麻酔をとるか、眠りの質をとるか、麻酔科医は、臨床状況に応じて麻酔薬を使い分ける。
麻酔薬にもいろいろなものがあること、人間の身体とりわけ脳と眠りの関係について知らないことが盛りだくさんの本でした。
(2012年7月刊。1600円+税)

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2012年11月 4日

ヘルプマン vol.8

人間

著者   くさか 里樹 、 出版   講談社 

 マンガ本です。とても勉強になりました。介護現場の実情を知るための格好のテキストです。
申し訳ありませんが、私は介護の苦労をしていません。姉に全部やってもらいました。姉夫婦は大変だったと思います。それでも、介護問題については、弁護士として成年後見人になったりもしますし、依頼者には介護ヘルパーも多いので、このマンガ本によって認識を深めました。
認知症になった母親の介護を弟が放りだしてしまいます。そして、突然、母親を運んできてサラリーマン夫婦の兄一家に押しつけるのです。徘徊症の母親は大変です。どうにも扱いかねて、一家中がひっかきまわされるのです。
夫婦とも大切な勤めがあるので、簡単には会社を休めません。そこでヘルパーに助けを求めます。すると、登場してきたのは、なんとフィリピン人の若い女性。
フィリピン人は親を大切にします。でも、日本人とは生活習慣が異なるので、あつれきが生じて直ちにクビ。でも、次に来た日本人よりは、実はよほど良かったのでした。
 マンガなので、臭いのする汚れの場面もきれいな絵となり鼻をつまむ必要もなくさっと読めます。
 21巻シリーズですが、全巻読み通すつもりです。
(2011年12月刊。514円+税)

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2012年11月 3日

いま、憲法は「時代遅れ」か

司法

著者  樋口  陽一  、  出版   平凡社

 大日本帝国憲法を制定する前、当時の首相・伊藤博文が会議の席上、次のように述べた。
 「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」
 これに対して森有礼文部大臣が次のように反論した。
 「およそ権利なるものは、人民の天然所持するところにして、憲法により初めて与うられるものにあらず」
 両者とも、なかなかに鋭い指摘ですよね。どちらも間違いではないと私は思います。
 「君が代・日の丸」というシンボルは、それが国歌・国旗として扱われるのは、明治国家成立以降の人為の事柄である。ところが、それが、人為のものとして意識されずに、あたかも民族のアイデンティティの表現であるかのような、したがって、およそ変更不可能なものと扱われてきた。
 明治維新を担った政治家たちは、宗教が頼りにならないから、皇室を宗教のかわりに使おうというリアリズムがあった。
 アメリカでは、リベラルとは左派を指し、ヨーロッパではリベラルというと右派を指す。
 つまり、ヨーロッパでは、リベラルとは、もっぱら経済活動領域についての自由放任主義を指している。
 第一次世界大戦のあとのドイツでワイマール憲法末期に、議会が妥協と政治的な駆け引きの場となり、国民意思を統合できない状態に陥った。そこで、議会でやっているのは何のことか分からん、強力な行政権の長に運命をゆだねよう。それがヒットラーへの選挙民の喝采となった。いろいろな議論を切り捨てて強力な政治を遂行するという意味で、ポピュリズムと決断主義的との結合は、一般的な傾向となっている。
 これって、いま大阪で起きている「橋下」現象ですよね。
 「ねじれ」という表現は、正常でないというニュアンスがある。しかし、両院制を置いている以上、それは当然に起こりうる事態の一つであって、非正常ということでは決してない。
うむむ、なるほど、たしかにそうですよね。「ねじれ」イコール悪だと、いつのまにかマスコミに思い込まされてしまっていました。大いに反省します。
 「ねじれ」が悪いというのは、とにかくさっさと決めろということ。その意味で決断主義的である。プロフェッショナル攻撃と、素人を全面に立てた諮問会議、審議会支配が、政治過程を漂流させてきた。
 憲法制定権力ということで、人民が主権者なのだから、その人民が絶えず憲法を書き改める機能はだれによっても制限されないはずだという主張がある。しかし、硬性憲法の考え方は、国民といえども、自分の意のままに法秩序をその時々に変えるものではないのだという説明によって初めて理由づけられるのである。
 法科大学院(ロースクール)での講義をもとにしていますので、わずか200頁あまりで大変読みやすい憲法の本になっています。
(2011年5月刊。1500円+税)

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2012年11月 2日

心に入り込む技術

ドイツ

著者   レオ・マルティン 、 出版   阪急コミュニケーションズ 

 元ドイツの情報局がドイツ・マフィアにスパイを潜入させる工夫を語っています。人間の弱点を巧みについた心理作戦が駆使されていて、大変勉強になりました。
コミュニケーションには、必ず意図がある。何かを言う、または何かをするのは、相手にそれを伝えるためだ。思考は必ず身体に表れる。
人と出会うとき、人は、とても繊細なアンテナを使って、相手の内面と外面が一致しているかどうかをチェックする。言葉や表情がうわべだけではないかどうかを感じとる。思考と行動が一致していれば、その人は調和を発散する。それは相手に好感を与え、信頼感につながる。この人なら信頼して大丈夫。そう、青信号に変わるのだ。
 犯罪学における成功の秘訣の第一は、相手に対する心からの興味である。
 圧力や脅しや強要によって、実りのある長期的な関係を築くことは出来ない。おカネは動機としては、あまり効果がなく、長期的な動機にはなりえない。おカネで情報を買えば、むしろ害になる可能性が大きい。
 安心感、愛情、称賛・・・、これが、誰もが望む基本的な欲求だ。
接触の段階は、初めて視線が出会ったときに始まる。細部の細部まで計画された接触の瞬間に、自然で無意識な印象を与えるのが肝心だ。そして、気持ち楽にして、ほほ笑む。そうすれば楽しい会話がもっと魅力的になる。屈託のない誠実な笑顔を見れば、相手は警戒を解くだろう。
 会話の初めに避けたほうがいいのは、陳腐な決まり文句、笑顔、政治である。無味乾燥で、退屈で、ぎこちないので、気楽で軽い接触に向かない。
 あれこれ質問すると、相手はいぶかしく感じる。
 なるべく人の名前は記憶する。そして、会話をうまく進めるポイントの一つは、共通の体験だ。身体をやや前に乗り出し、視線を相手に向け、適宜うなずく。相手の言った内容をときどき自分の言葉で要約したり、質問を入れたりして、理解していることを表明する。
 人間関係の根底にある前提は責任だ。自分は頼りになるパートナーだと最初から示すこと。一度だけ、これ見よがしに見せるのではなく、繰り返し示す。
 信頼関係を築くためには、やると言ったことは必ず実行する、要求されなくても、進んで約束し、それを必ず守る。
 組織犯罪の世界にいる人間には感情の動きを失ってしまった人間が多い。この世界で暮らそうとすると、そうなってしまう。結果として、顕著なエゴイズムと権力欲、冷淡と無情につながる。大切なのはビジネスだけ。何を犠牲にしようとかまわない。商売の邪魔になるなら。人命すら価値をもたない。
 価値体系は一夜にしてできたのではない。経験とともに生育し、徐々に適応してきた。社会的な境界をこえるたびに、境界の壁は低くなる。
マフィアから復帰した人たちは、心を揺さぶる体験がその価値体系を根底から変えたことによる。子どもの誕生、重い病気、親しい人の死など・・・。これらが方向転換を促し、その結果として思いがけず再び犯罪組織の外で生活することになる。
 相手が嘘を言っているのではないかと薄々感じても、相手の面目をつぶさないように気をつける。相手を面と向かって非難して、袋小路に追いつめられたように感じさせても、得るものは何もない。
 情報局と協働する情報提供者は、緊張度が極度に高い領域で活動している。
 犯罪組織の波にもまれた筋金入りの人間ですら、裏切りは身にこたえるのだ。その罪悪感を理性で追い払うことはできない。そして、罪悪感には大きな不安が伴う。
 そこで、相手に質問を投げかけて、その後しばらく、そっとしておくのが、もっとも効果的な方法だ。
 信頼関係は一方通行では成立しない。互いに相手をよく知り、相手が何を保障してくれるかを理解することが前提となる。
スパイ獲得大作戦の手法なのでしょうが、人間心理をよく衝いていると驚嘆したことでした。
(2012年9月刊。1600円+税)

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2012年11月 1日

兄・かぞくのくに

朝鮮・韓国

著者   ヤン ヨンヒ 、 出版   小学館 

 切ない話です。映画は残念ながら見ていません。近くて遠い国、北朝鮮と日本とは案外、身近な関係にあります。
 戦後、朝鮮総連は地上の楽園の地である北朝鮮への帰国をすすめました。そして、日本政府は、「厄介者扱い」として、それを後押ししたのです。
 そして、北朝鮮は、実は地上の楽園どころか、今もって国民が腹一杯食べられるのが理想の国のままというのです。飽食の国、日本では想像もできない事態です。
 でも、そんな北朝鮮にも人々は真剣に生きているのです。
北朝鮮の国民は3つの階層に分けられる。一つ目は、北朝鮮の建国当時に労働者や貧農、愛国烈土の家族だったものや、朝鮮労働党員からなる「核心階層」。二つ目は、知識人、民族資本家、中農、商人からなる「動揺分子」。彼らは、「要監視対象者」として当局よりマークされる。三つ目は、「敵対分子」。解放前の地主やキリスト教信者、親日家や親米家がこれに入る。彼らは「特別監視対象者」だ。
 日本からの帰国者は、長く「動揺分子」と見なされてきた。自らも望み、祖国も望んでいると信じていた「帰国者」は、北朝鮮から見れば、資本主義の思想や堕落した生活を持ち込む反乱分子だった。ちょっとでもおかしな行動をとれば、即「敵対分子」のレッテルを貼られた。相互を監視しあわせることで、北朝鮮の人々のあいだでは、常に疑心暗鬼の感情がはびこっていた。
 出身成分が低い帰国者は結婚相手として人気がなかったが、経済的には激しい貧富の格差がある状況のなかで生きのびていかなくてはならないため、「日本から定期的な仕送りのある帰国者」は縁談に困らない。
 そして、キム・ジョンイルが帰国者である高英姫(コウ・ヨンヒ)を正妻に迎えたことはセンセーションを巻き起こした。
帰国者を帰国同胞といい、略して、「帰胞」、キポ。朝鮮語で「キポ」というと泡という意味。帰国者は泡のようにすぐ消える。すぐ消せる存在だ。自分たちが見下し、蔑むために「キポ」と呼んだ。そして、帰国者のほうは、北朝鮮より進んだ国から来たという自負がある。だから、現地の人のことを原住民の「原」といって、「ゲンちゃん」と呼んでバカにした。
 うむむ、なかなか人間感情というのは複雑で、錯綜していますよね。
北朝鮮に持ち込む品物に「メイド・イン・コリア」のタグがついていると即没収される。ところが、メイド・イン・USAもメイド・イン・ジャパンも許される。公式には韓国は最貧国ということになっていて、質のいい工業製品をつくっていることが、メイド・イン・コリアの品物を通じて公然の事実となることを北朝鮮当局が恐れての措置。もちろん、北朝鮮の人々も韓国が裕福な国であることは誰でも知っていること。
 日本から北朝鮮に行くには、朝鮮総連の許可がいる。少なくとも渡航希望の1ヵ月前に総連に申請を出さないといけない。費用は20~30万円、北朝鮮に家族のいる訪問者は1回、1人あたり総計100万円をもっていくのが相場だ。家族に渡すお金のほか、担当幹部に渡す袖の下(賄賂)がいる。万景峰号に100人乗っていくとして、1人段ボールを20個もっていくので、2000個の段ボールとなる。そして、荷物検査で一日つぶされる。
 北朝鮮では、住居は政府から支給される建物になっている。アパートが足りないため、独り暮らしは基本的に認められない。毎日、水が出るアパートはほとんど不可能に近い。
三人の兄たちが北朝鮮に渡り、妹だけが日本に残った。
 そのとき、兄たちは、歯向かえなかった。父に歯向かえなかった。あのとき、学校にも、組織にも、親にも歯向かえなかったばかりに、もはや絶対に歯向かうことが許されない地で生きていくことになった兄たち・・・。その兄は、決して愚痴らない。
本当に胸の締めつけられる思いです。妹の感じる切なさがじわーんと読み手の胸に迫ってきます。
 エリート校に入った子どもは、マスゲームの動員対象から外され勉学に専念できるというのをはじめて知りました。
(2012年7月刊。1600円+税)

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2012年11月30日

『清冽の炎』 第7巻

社会

著者 神水 理一郎  、 出版  花伝社

東大闘争とセルツメント活動について、ついに完結編が刊行されました。まずは、7巻のあらすじを少し詳しく紹介します。
北町セルツメントで活動していた元セツラーたちの同窓会が20年ぶりに北町近くで開かれた。みなまだ現役の教師であり、会社員や大学教授としてがんばっている。学生セルツメントで何をしていたのか、何を話しあっていたのか、20年前を振りかえった。佐助はあこがれのヒナコと元気に再会することができた。振られたという思いから固まっていた佐助の心がゆっくり温められていった。
 さらに9年がたち、卒業して30年目の北町セルツメントの同窓会は、かつて4泊5日の夏合宿をした、奥那須にある山奥の三斗小屋温泉で開かれた。このときは、9年前とは違って、そろそろ定年を意識する年齢になっていた。
 青垣の事件は一郎弁護士が心血を注いで、取り組んだものの、一審では有罪となってしまった。弁護団を拡充して控訴したものの棄却され、最高裁に上告することになった。裁判所は大手メーカーを頭から信用して被告人の言い分に耳を傾けようともしない。
 佐助は経済学部を卒業して定石どおり製造会社に入った。労務課に配属されると、意義の分かりにくい人事管理と接待に明け暮れるようになった。ある日、競合メーカーに入った芳村が来社した。あとで、芳村は佐助のことを隠れ党員だと密告した。労務課の毎日の業務がストレスとなって佐助は危うく病気になりかけた佐助は、ついに転身を決意した。司法試験の勉強を始めたものの、なかなか合格できない。ようやく合格して、佐助は東京・下町で弁護士として働くようになった。
 父を知らない一郎は、何とか父親の素性を知りたいと周囲に真剣に問いかけるが、なぜか皆よそよそしく、取りあおうとしない。
 最高裁が上告を認めず、ついに有罪が確定して、青垣は刑務所に入ることになった。他方、芳村は海外での大型商談がまとまり、ついに取締役の座を射止めることになった。
 大手の法律事務所につとめていた一郎は、人間を扱いたいと考えて、都内に個人事務所を開業した。そして、一緒についてきてくれたパラリーガルの美香に結婚を申し込んだ。美香の母親は元セツラーのヒナコで、一郎の母である美由紀とは都立高校の同級生だった。
 夫を事故でなくしたヒナコは佐助に法律相談をもちかけ、二人だけで話すようになったが、子どもたちの将来を壊してはいけない、そんな思いから一歩先にすすめることができない。佐助も、そんなヒナコの思いを受けとめ、またもやすれ違いに・・・。それでも、上空に清冽の炎が燃えている。
(2012年11月刊。1800円+税)

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2012年11月29日

40代からのガン予防法

社会

著者   神代 知明 、 出版   花伝社 

 還暦すぎた私が、今さら「40代からの・・・」ではありませんが、健康法も私の関心事の一つです。
 著者は、かつて「マック」に勤めていました。あんなものは、化学薬品を食べているようなものですよね。
かつて勤務していたハンバーガー店で、揚げ物用に1週間ほど使いつづけていた油は、ショートニングだった。ということは、その店のフライドポテトは、酸化油、トランス脂肪酸、過酸化脂質、アクリルアシドという、ガンリスクの四重奏(カルテット)ということ。
赤坂交差点のマックの店にいつも行列をつくっている人々をみるたびに、どうして、がんリスクを考えないのかと私は不思議に思います。
 ガンは予防が可能だ。予防に勝ものはない。
 ガンは遺伝するとよく言われるが、遺伝性のガンは多くてもせいぜい5%。ガンの家系というより、食事、内容や生活習慣、性格など、ガンを発症する原因を2代あるいは3代にわたって共有してしまった可能性の方が高い。
 ガンにも、治療の必要のないガンもある。むしろガン治療の副作用のほうが怖いことがある。日本でガンになる人の3.2%は、医療機関での検査被曝が原因で発ガンしたと推定されている。
 これを知って、人間ドッグのレントゲン検査は年に2回受けていたのをやめて、年に1回にしました。これでも多すぎるのかもしれません。
 沖縄が日本一の長寿県だったとき、その原因の一つが昆布の摂取量が日本一、全国平均の1.5倍というのがあった。ゴーヤーも島豆腐もオキナワモズクもいい。ところが、オキナワの県民が肉を食べ、ハンバーガーを大量に食べるようになると、オキナワの男性の平均寿命はトップから20位に転落してしまった。
 肉を食べたいのなら、食事全体の5%におさえる。そして、野菜を肉の倍ほど食べること。夜は12時までに寝ること。午前0時から2時までは、リンパ球が一番働く時間帯だ。リンパ球はがん細胞を攻撃してくれる。早い時間に眠っている人はそれだけ免疫力も機能して、ガンの予防につながる。
笑いはガンも抑制する。白血球の中のリンパ球にはがん細胞を攻撃する免疫細胞が存在する。その代表格。αNK細胞は、笑うことによって活性化する。そして、笑う以前に明るく楽しい気分を過ごすのが大切だ。
 無理なく、自然体で、明るく、笑いとともに生きること。肉類より野菜衷心の食生活、そして、夜はなるべく早く眠ること。
なんだか昔ながらの当たり前の健康法ですね。まあ、ガン予防と言っても別に目新しいものがあるのではないということなんでしょうね・・・。
(2012年3月刊。1500円+税)

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2012年11月28日

朝鮮人強制連行

日本史

著者   外村 大 、 出版   岩波新書 

 亡父が「三井」の労務係として戦前、朝鮮から朝鮮人を連行してきたことがあるだけに、この問題には目をそらすわけにはいきません。
戦前の朝鮮では、上からの教化はかなりの困難を伴っていた。ラジオは都市の富裕層が聞くだけ、新聞を読む人も少ないなかでマスメディアによる宣伝の効果はあまり期待できなかった。そこで、朝鮮総督府が主として依拠した情報宣伝の手段は講演会や、警官・官吏の主催する座談会・紙芝居だった。
 翼賛組織が整備されたあとも、朝鮮民衆の総力戦への積極的な協力はなかった。
 日本国内の炭鉱では、労働力不足であり、増産を担うべき十分な労働力を集めることができずにいた。炭鉱の労働条件が重化学工業などに比べて劣っていたからである。
 商工省は当初より朝鮮人の導入に賛成だった。しかし、内務省は1939年4月の時点でも賛成していなかった。戦後における失業問題や民族的葛藤からくる治安への影響を心配していたと推察される。
 朝鮮総督府は、送り出した朝鮮人を炭鉱労働として使うことに不満をもっていた。これは炭鉱の労務管理に不安を抱いたからだろう。しかし、消極論は、日本内地の炭鉱での労働力不足という現実の前に押しきられてしまった。
 朝鮮では、専門的な労務需給の行政機構が貧弱であり、結局、個別の企業が朝鮮総督府から許可を得て、地域社会に入って募集するという方法で動員計画の割当を充足しようとしていた。
これは亡父の語ったことに合致します。「三井」労務係として、まず京城にある総督府に行き、それから現地に行き、労働者を列車で連れてきたということでした。
 1939年度に関しては、積極的に募集に応じようとする朝鮮人が多数いた。これは、未曾有の旱害にあい、多くの離村希望者が出現していたことによる。
 これまた、亡父の語った話と同じです。無理矢理ひっぱってきたのではないと弁解していました。食べられない状況では日本に渡らざるをえなかったのです。
 新聞に広告をのせても、ラジオで宣伝しても、それは大部分の農民には届かない。字の読めない農民がたくさんいた。
 当局の政策を逆手にとって、日本内地に移動しようとする朝鮮人もいた。日本に動員されてきた朝鮮人の逃亡は少なくなかった。そして、労働争議や、日本人との衝突事件が多発した。
朝鮮人労務動員政策は。問題なしに生産力拡充や企業経営にプラスの効果をあげたとは言いがたい。動員計画によって日本内地に送り出された朝鮮人は、炭鉱に多く配置された。炭鉱に62%、金属鉱山に11%、そして、土木建築が18%、工場その他8%となっている。
 1940年9月の調査時点で6万5千人の朝鮮人のうち18.5%、1万2千人が逃走している。結局、70万人の朝鮮人が日本内地に配置された。
 戦後、1959年時点で、21万人が日本に残っていた。
在日の存在を考えるうえで欠かせない本だと思いました。
(2012年3月刊。820円+税)

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