弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年9月17日

東大生に教える日本史

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 本郷 和人 、 出版 文集新書

 私は高校生のころ日本史も世界史も大好きで、得意中の得意科目でした。歴史を暗記科目だと考えたことはありません。ともかく、時代の流れと次々に登場してくる人物の個性に心が惹かれていました。これは小学生のころに偉人の伝記を読みふけっていた、その延長線にあったと思います。
 著者は東大の高名な歴史学者です。教養学部の東大生に対して歴史のダイナミックな視点を提起しています。とっくに大学生ではない私も、知的好奇心をかきたてられました。
 織田信長はフツーの戦国大名ではなかった。このように著者は強調しています。武田信玄も上杉謙信も自分の居城からまったく動いていないし、動こうともしなかった。戦国大名というのは、天皇にも将軍にも頼らず、自分の実力(武力)だけで自分の国を支配している者をいう。ところが織田信長は、清洲城、小牧山城、岐阜城そして安土城へと本拠地を大規模に、頻繁に移した。そして、商業の中心地としての京都をおさえた。そこに信長の革新性がある。なるほど、と私は思いました。
 秀吉の全国統一はわずか8年で達成された。ところが、それは旧来の勢力を温存したままだった。秀吉は部下の武将について、戦場での働きよりも、デスクワークを重視していた。秀吉は兵站(へいたん)を重視した。加藤清正は秀吉の期待にこたえたことから20万石の大名となった。
 石田三成などの秀吉政権の五奉行は見事に行政系ばかり。うむむ、そうなんですね...。秀吉には徳川家康と違って「家」という意識が希薄だ。私も同感です。秀次とその関係する女性を皆殺しにするなど、「家」を大事にする気持ちが少しでもあれば、こんなことは絶対に出来なかったと思います。
 徳川家康は、秀吉とは正反対に、武功に厚く行政官に冷たかった。実務官僚には他家から人材を個人として登用し、ちょっとしたことで禄を減らした。そして、秀吉が気前の良さを売りとしていたのに対して、家康は、とてもケチだった。うむむ、そんな違いもあるのですか...。
 室町幕府の足利義満は自ら天皇になろうとしていたという有力な説があります。私も面白い説だと思うのですが、著者は否定します。義満は、すでに天皇を超える立場にあった、いわば治天の君(ちてんのきみ)的な存在だったから、あえて自ら天皇になる必要なんかなかったというのです。そうか、そうなのか...と思いました。
 そして、義満にとって「不幸」なのは、親子の仲が良くなかった息子の義持が義満の死後、次々に義満の政策を否定してしまったことでした。
 こんな授業を大学1年生とか2年生のときに受けていたら、そうか学問の世界は底が深い、まだまだ解明されていないことがたくさんあることを知って、勉強する意欲を大いにかきたてられることと思いました。申し訳ないことに、セツルメント活動に夢中になり、ほとんど授業を受けていません(もっとも、2年生の夏ころからは東大闘争が始まり、授業がなくなりました。当時の私は、それを喜んでいたのでした)。一読をおすすめします。
(2025年2月刊。990円)

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