弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年9月14日
江戸の食商い
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 権代 美恵子 、 出版 法政大学出版局
東京メトロの「三越前」駅の地下コンコースの壁面には、17メートルもの長大な、日本画「熙代(きだい)熙覧」を1.4倍した複製画があるそうです。ぜひ今度みてみましょう。
江戸時代の詳細な風俗絵巻です。登場人物だけでも1671人で、当時の問屋や商店が精密に描かれています。屋号や商標まで読みとれるというのですから、圧巻です。
江戸に住む人々のうち町人とは、幕府が認めたのは家持(いえもち)と家守(やもり)だけ。家守は家持が貸す家や土地の維持管理人なので、いわゆる大家。
宅地を借りて、そこに家を建てて住んでいるのは地借(じがり)人。家屋を借りて住む店借人(たながりにん)や借家人は町人とはみなされなかった。
家持には「町入用(ちょうにゅうよう)」という税金が課された。そして、町役人は町人のなかから選ばれた。町人地には、表店(おもてだな)と、裏店(うらだな)がある。
江戸で火事は日常茶飯事だったので、消火のたびに出動する方法として、破壊消火だった。それもあって、長屋は、あえて壊しくつくられていたので、室内には、ほとんどなにもなかった。
長屋で米を炊くのは、朝の1回だけ。そして、毎朝、同じ時間に振売りが来るので、それを買って朝食を仕度した。豆腐売りは、朝昼夜と3回も売ってまわった。
江戸時代、人々は夜は早く寝ていた。ローソクは1本200文もする、高価なものだった。行灯(あんどん)は菜種油も1合40文もする高価だった。
庶民は、毎日100文で買えるだけの米を買っていた。100文で米が1升買えたり、3合しか買えなかった。
当時、人々は1日4合の米を食べていた。江戸の人々が「江戸わずらい」にかかったのは、白米を常食していたから。
幕府は、毎日登場して政務をとる諸役人(2000人ほど)に対して昼飯を出す習わしがあった。いやあ、たまがりますね!
そして、この本によると、将軍家も大名家も、ほとんどの野菜を自給していた。また、江戸の幕臣たちも野菜は一般に栽培していた。ええっ、そ、そうなんですか...。
「四文屋」とは、四文均一の食商いの屋台のこと。
江戸に住む町民をはじめとする人々の日常生活を知ることができました。
(2025年6月刊。2750円)