弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年9月10日
不屈のひと。物語「女工哀史」
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 石田 陽子 、 出版 岩波書店
有名な 「女工哀史」を書いたのは細井和喜蔵。そして、細井に女工の実情を語り聞かせたのは、その妻(内縁)の堀トシヲ。堀トシヲは、19歳のとき、東京モスリン亀戸工場に女工として働いていた。そして、そこで労働組合に出会った。
日本労働総同盟友愛会の鈴木文治会長は、次のように女工たちに語りかけた。
「労働者は人格者である。決して機械ではない。個性の発達と社会の人格化のために、教養を受け得る社会組織と、生活の安定と、自己の境遇に対する支配権を要求する」
今日の日本で多くの人がスキマバイトをして毎日の生活をやりくりしています。そこでは人格が尊重されることなく、単なる機械のように働かされています。教養を身につける余裕どころか、生活の安定もなく、ひたすら企業に支配されるばかりです。
「外国人」のためにそうなったのではありません。営利しか念頭にない企業優先原理が生み出した病理現象です。
細井和喜蔵の出身地は京都の丹後半島の付け根にある与謝郡加悦(かや)町。13歳のとき大阪に出て工場で働き始めた。
堀トシヲが働きはじめたのは10歳5ヶ月のときで、岐阜県大垣市の織物工場。
細井和喜蔵は織布工場で働きながら、悲惨な労働実態を世に問うべく書き続けた。
1923(大正12)年9月1日、関東大震災が発生。警察と憲兵隊は「朝鮮人襲来」のデマを拡散し、民間人を扇動しつつ、自らも朝鮮人の虐殺を開始し、あわせて「主義者」として労働組合運動の活動家を根こそぎ検挙して、憲兵隊とともに大虐殺を敢行していった。
いやあ、本当にひどいものです。この朝鮮人虐殺(中国人も含まれますし、間違われて相当数の日本人も殺されています)は歴史的に証明された事実です。ところが、小池百合子・東京都知事は知らんぷりを決め込んだままです。ひどいものです。
細井和喜蔵は1925年8月、病死した。その後も「女工哀史」は売れたが、堀トシヲは内縁の妻ということで、印税はもらえないという。堀トシヲは高井信太郎とともに香川豊彦夫妻の下で働いた。
そして、日本敗戦後、高井信太郎も病死し、トシヲは、子どもたちを養うため、ヤミ商売を始めた。ヤミタバコ売り...。
ヤクザ(暴力団)とも、警察や裁判所とも対等にわたりあった。
次はニコヨン暮らし。ここでは自由労働組合づくりを進めた。このとき出色なのは、組合で映画を安くみれる取り組みをして喜ばれたということ。
ところが、自由労組にも第二組合が出来て、団結は切り崩された。
堀トシヲは高井トシヲとして、伊丹全日自労の委員長として活動した。
「女工哀史」の作者(細井和喜蔵)を支えた元紡績女工が今なお元気に活動している。それを知って、大学の先生が、堀(高井)トシヲの人生の歩みを聞き書きすることになった。
主要参考文献のトップに、高井としを「わたしの『女工哀史』」(岩波文庫)があげられています。私の知らない本でした。東洋モスリン亀戸工場で起きた壮絶なストライキのことを少しばかり調べて、父のことを書いた本(『まだ見たきものあり』花伝社)で紹介したのですが、認識不足というか、調査(探索)不足でした。さすが半藤一利氏の調査補助者として長く活動してきた著者ならではのきめこまかさに圧倒されてしまいました。
(2025年6月刊。2420円)