弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2025年4月20日

士業プロフェッショナル2025年版


(霧山昴)
著者 産経新聞生活情報センター 、 出版 ぎょうけい新聞社

 豊前(ぶぜん)市で法律事務所を構えて9年になる西村幸太郎弁護士が紹介されています。
 もとは豊前市には弁護士が1人もいない弁護士過疎地域の一つだった。そこに、西村弁護士が日弁連ひまわり基金法律事務所を開設したのは2016年10月のこと。
西村弁護士は司法過疎地へ弁護士を派遣する福岡市内のあさかぜ基金法律事務所で3年間の実地訓練を経て豊前市に移り住み開業した。
豊前市の人口は2万3千人、山の幸と海の幸は豊富だけど、大手企業は見あたらない。
 開業当初は、1ヶ月の売上が8万円だったが、西村弁護士は積極的に地域に出かけ、地道に顔を売る努を続けた結果、今では経営は安定している。縁もゆかりもない豊前だけど、西村弁護士は初めから骨をうずめる覚悟で豊前市に赴任した。今ではマイホームを構え、子どもたちも元気に育っている。弁護士事務所も地域のインフラの一つだと考えている。
ゼネラリストが営む地域密着型の事務所として西村弁護士が心がけているのは三つ。一つは人身傷害分野で、交通事故などを扱う。二つは終活、相続・遺言の分野。三つは、企業顧問。
 二つ目の終結については、積極的に高齢者向けにセミナー(講座)を開いている。そのためのテキスト(たとえば「自筆証書遺言のつくり方」)も発行している。
 三つ目の企業顧問についても企業法務をテーマとした冊子を作成している。西村弁護士のモットーは経営者が「本業に専念できる環境」をつくること。つまり、企業がトラブルをかかえてしまったらその対策に追われて、本業がおろそかになりかねない。そうならないよう、西村弁護士は予防法務の積極的な実践を心がけている。たとえば、「会社法・労働法の基礎地域と活用法」という冊子には、コンプライアンスのチェックシートがあり、丁寧に解説されている。
 西村弁護士はたくさんの資格を有している。経営心理士、国家資格キャリアコンサルタント、宅地建物取引士、終活カウンセラー協会認定終活講師、上級相続診断士、自分史活用アドバイザー。
 いやはや、すごいものです。よほど勉強好きなんですね。
 今後ますますの地域密着の活躍を心から期待します。
(2025年3月刊。1650円)

2025年4月19日

30代からの社会人合格者のリアル


(霧山昴)
著者 中央経済社編 、 出版 中央経済社

 司法試験・予備試験に社会人になってから挑戦し、合格した人たちの体験記です。これを読むと、ずい分と司法試験の様相は変わってしまったものだと実感します。
 それでも、合格の心がまえ自体は、いつだって同じだということも確認できます。目標をしっかりもち、どんな試験なのかを見定め、あとはひたすら集中して勉強するのです。過去問をやって、答案の文章が書けるのは、もっとも基本とすべきものであることは、昔も今も変わりません。それはネット受験になってからも変わるはずがありません。手で文章を書くのか、それとも手指の先で入力するかだけの違いです。
インターネットを通じて受験指導を個人的に受けられるというのを初めて知りました。たとえば、週1回、オンライン個別指導が受けられるのです。
 ある合格者は、予備試験の過去問を1日1通起案したそうです。365日、ずっとやり通したというのもすごいです。
 司法試験に「写経」と呼ばれる勉強方法があるというのも初めて知りました。ただし、これも機械的に答案を書き写してしまうだけだと、頭に何も残らないという危険があります。それでは時間のムダになってしまいます。
答案を分かりやすく、論理的に書くのは簡単なようで、実は訓練が必要なこと。たしかにそのとおりなんです。
 過去問を大量に解いて、時間感覚を身につける。これも大切なことです。時間切れになってはいけません。時間配分を徹底しなければ合格ラインに達することができません。
習慣化することが大切。そのとおりです。そして、この習慣をつくるには、はじめに努力するのが肝心です。
資格試験では「完璧」にこだわるのは大きなデメリット。まったく、そのとおりです。
社会人が勉強するなかで、もっとも大変なのはメンタルコントロール。これには、いささか異論があります。メンタルコントロールは、「ヒマ」な学生だって、実は「ヒマ」だからこそ大変なのです。忙しいと余計なことは考えるゆとりもないでしょう。でも「ヒマ」な学生は、小人閑居して不善をなすで、気が散ること、おびただしいのです。これが私の実感です。
 ただ、このように書いた女性はなんと、2人の子持ちの主婦。しかも、受験勉強を始めたとき2歳と4歳の子が、5年後の合格時には7歳と9歳でした。可愛いさかりの我が子2人をかかえて、よくぞ勉強時間を確保し、また集中したものです。感服するほかありません。
 この女性は、「やることに迷ったら、今一番やりたくない勉強をする」と決め、それを実行したのです。これはまた大変な意思の強さです。
 地方公務員をしながら、試験勉強をし続けた男性は、時間がないなか、効率よく勉強する工夫をしました。たとえばスキマ時間の活用です。
映画プロデューサーをしていた人が司法試験を一念発起して合格した、だなんて、信じられません。
旧司法試験に合格できず、大会社の法務部に13年間つとめたうえで、働きながら司法試験に挑戦して合格した男性がいます。40代、4児の父親です。この人が参考書として、弁護士職務基本規程をあげているのには驚かされました。こんなものが司法試験に必要だなんて、信じられません。この人は、週に15~20時間しか勉強できなかったそうです。それでも合格できるのですね。たいしたものです。
目ざすゴールはアウトプット。インプットは、そのための前提行為にすぎない。なーるほど、そうなんでしょうね。
 頭が良くても、努力を惜しみ、小手先で要領よくすます、素直・愚直になれない人が合格するのは難しいと語ります。まことにそのとおりだと私も思います。
 私にとって受験は50年以上も前のことですが、今どきの受験生の心境が知りたくて読んでみました。大いに勉強になりました。実は私の受験生活の実際を紹介した本(「小説・司法試験」花伝社)を刊行しているのです。電子書籍としても売られていて、ほんの少しですが、反応も少しはあります。良かったら、一度のぞいてみてください。
(2025年2月刊。2200円)

2025年4月 4日

労働者の権利と労働法における現代的課題


(霧山昴)
著者 井上幸夫・鴨田哲郎・小島周一 、 出版 旬報社

 堂々、570頁もの分厚さのハードカバーの本です。敬愛する徳住賢治弁護士の喜寿を祈念して発刊されました。冒頭に戦後の、今日に至るまでの労使紛争、労働争議の状況が徳住弁護士によって簡単にまとめられています。
 かつては日本でもストライキがしきりに起きていました。今や現代日本ではほとんど死語になってしまったストライキですが、労働争議が年に1万件を超していたのです。そして多くの争議団があり、集まって東京争議団としてまとまって闘い、大きな成果を上げていました。
東京争議団は、「勝利するための4つの基本」を定めた。第一に争議組合と争議団の団結の強化、第二に職場からの闘いの強化、第三に産業別、地域の仲間との団結と共闘の強化、第四に法廷闘争の強化。
 そして、勝つためには三つの必要条件がある。第一に要求を具体的に明確にする、第二に、情勢分析を明確にする、第三に闘う相手を明確にする。
戦後労働運動は、組合の団結力にもとづいて裁判闘争において重要な判例法理を確立させた。解雇権濫用法理。整理解雇法理、有期雇用雇止法理、安全配慮義務の法理、採用内定の法理。
 集団的労使紛争において労働弁護士は大いに闘い、重要な成果を勝ちとった。
 1975年の電業社事件では、組合員460人が賞与仮払仮処分を申請し、総額1億4千万円をこす仮処分決定を得た。
 職場では、「ころび屋」「当たり屋」の管理職が登場し、「刑事事件」が頻発した。これに対して労働者と労働弁護士は果敢に闘って、ついに裁判所に次々と無罪判決を出させた。
北平音響事件(1979年10月)では、申請人70人について整理解雇を無効とさせ、賃金総額500万円の仮払いの仮処分決定を得た。
 ところが、1975年11月の国鉄等の8日間のスト権ストが敗北すると、その後は公共部門のストは打てなくなってしまった。
 このスト権ストのとき、私は鎌倉・大船に住んでいて、川崎の職場まで京浜急行に乗って、いつもより2時間以上も余計にかけて出勤しました。裁判期日はみんな延期されたと思いますから、要するに様子をみながら事務所に出ただけのことです。
 1970年代の後半から、職場での組合活動を敵視し、抑圧する反対労組的な判決が続出するようになった。リボンを胸に着けて働くのは職務専念義務に反するなど、驚くべき反動的な判決が相次いだ。たかがスローガンを書いたリボンを胸につけたくらいで、それが職務専念義務に反するだなんて、そのバカバカしさに思わず笑ってしまいます。
1990年からバブルが崩壊して、日本経済は大変な状況になった。
 1993年1月、パイオニアの管理職35人が事実上の指名解雇された。それまで大手企業の管理職や正社員のリストラはなかったので、多くの国民が大きな衝撃を受けた。
 このころ、労働裁判が急増した。1990年に1000件だったのが、1995年に2300件、2000年には2700件、2005年には3000件と激増した。そして2006年から労働審判制度が始まると、2020年には7800件となった。
 ところが、労働争議のほうは、1974年の1万件超がピークで、1989年に1800件、2022年に270件と激減した。ピークの4分の1でしかない。
1990年以降は、個別労使紛争しかない状況にある。1989年、総評と同盟が解散し、連合が誕生した。
 ちなみに、労働裁判は、ヨーロッパでは今も相変わらず多い。ドイツ40万件、フランス17万件、イギリス10万件。これに対して1万件ほどでしかない日本は、あまりにも少ない。
 徳住弁護士は、団結力を基軸とする労働組合活動の再生が重要な課題になっていることを最後に強調しています。まことにもっとも、そのとおりだと私も思います。個別的な労使関係のなかで、労働者の権利意識を基軸として取り組みの強化が必要なことは、もちろんです。
 鵜飼良昭弁護士が「労働審判制度の誕生」という論稿を寄せています。鵜飼弁護士こそ労働審判制度の産みの親の一人です。というのも、司法制度改革審議会の意見書(2001年6月12日)にもとづき、その具体化のため、内閣に労働検討会が設置されましたが、座長の菅野和夫教授のもとで、鵜飼弁護士は、労働側の委員として、毎回の検討会を積極的にリードしていったのです。私は、このとき、担当の日弁連副会長として傍聴していました。鵜飼弁護士は、ともかく毎回、発言しました。どんなに消極論が出てきても、決してへこたれず、なんとか議論が前向きに進むように、あくまで粘るのです。毎回、その姿を身近に眺め、ひたすら感服しながら見守っていました。傍聴している私は拍手も野次を飛ばすことも出来ませんでした。
 このとき、裁判官委員は当初はきわめて消極的でした。そんな必要はないとか、素人が入ってもうまくいくわけがないという姿勢です。裁判官って、どうしてこんなに過剰なまでに自信満々なのか、私には不思議でなりませんでした。当時、東京地裁の労働部にいた山口幸雄判事(今は福岡で弁護士)は、途中で、方針変更したようです。もちろん、個人の判断とは考えられません。裁判所は消極論から、成立を妨げないというように方針転換したのです。
 そして、3回の審理で終わらせるという労働審判制度が始まったのでした。
司法制度改革は失敗だったと単純に決めつける人が、当時も今もいますが、私は、そのようなオールオアナッシングで物事を見ても何の意味もないと考えています。裁判員制度と労働審判制度は、司法改革がなかったら決して誕生しなかったことでしょう。これらを全否定してしまうのは許されません。
 「東京地裁労働部における最近の不当な判断について」を棗(なつめ)一郎弁護士が描いています。これまでの労働部の判決に反して、常識的な判断では考えられないような判決が次々に出ているようです。労働者や労働組合に対する偏見や思い込みに今の裁判官はとらわれているのではないかと指摘されています。深刻な事態です。ストライキのない日本で起きている悪循環の一つだと思います。
川人博弁護士が「過労死110番」の取り組みを紹介しています。宝塚歌劇団では、結局、大きな成果を上げています。それにしても華やかな舞台の裏に、前近代的な労使慣行が続いていたのは本当に残念なことでした。同じく、過労死問題では松丸正弁護士も論稿を寄せています。
 川人・松丸両弁護士は私と同じ世代で、徳住弁護士を含めて大学生時代から知己のある関係です。
 最後に徳住弁護士の人柄を少しだけ紹介します。熊本県八代市の生まれですので、福岡県に生まれ育った私とは同じ九州人です。そして、大学も弁護士も徳住弁護士は私より1学年・1期だけ上になります。
 徳住弁護士は日本労働弁護団の幹事長のあと会長もつとめています。東大ではロースクールの教授として労働法を教えました。
 熊本出身なのにスキー好きで、苗場に別荘までもっているそうです。うらやましい限りです。
 徳住弁護士は発想が柔軟で、アイデアマン。誰に対しても分け隔てなく接する人。その言葉のひとつひとつが生き生きとしていて、真剣な表情とにこやかな表情の切り替わりが印象的。ウィングの広さ、対応の柔軟さ。労働弁護士という言葉では語れない多面体の弁護士なので、まさしく快人二十面相!こんな人物紹介に思わず、ほほ笑んでしまいました。
 最後に、こんな分厚い本なのに、ないものねだりをあえてすれば、アメリカでは最近バイデン政権のときからストライキが増えていて、労働運送が活性化している面もあると聞きました。そんな日米労働事情の対比を通して、日本での労働運動を再び高揚させるための提言があれば良かったと思いました。
このような貴重な本をありがたくも贈呈していただき、ありがとうございました。徳住先生の今後ひき続きのご活躍を心より祈念します。
(2025年3月刊。7700円)

2025年4月 2日

たたかいの論理


(霧山昴)
著者 土肥 動嗣 、 出版 花伝社

 馬奈木昭雄弁護士オーラル・ヒストリーというサブタイトルの本です。
 久留米に事務所を構えている馬奈木弁護士は公害・環境問題で長く先頭に立って闘い、法理論の分野でも先進的な判例を次々に勝ち取り、日本社会を大きく揺り動かしてきました。
 この本は2019年から2023年までの4年間に20回ものインタビューをテープ起こしして、「久留米大学法学」に9回連載したものを加除修正して出来あがっています。なので、馬奈木弁護士が話しているのを直に聴いている気がしてきます。私自身は、何回も馬奈木弁護士本人から、いろんな場で話を聴いていますので、目新しい話はそんなにありませんが、このように順序立ててまとめられると、改めて大いに勉強になります。
国には初めから国民の安全保護義務がある。人格権の一番の中核をなすのは、もちろん生命身体の安全だけれど、それは人として尊厳を保ちながら法的権利主体として生活できるということ。「最低限の生活でいい」と考えるのは間違い。尊厳を保たない最低限度の生活なんてありえない。
 環境権をわざわざ法律に規定しないといけないという主張はバカバカしい。なんで憲法に書かないといけないのか。すでに憲法にきちんと書いてある。今さら書かないといけないというのは、憲法をよく分かっていない人。人格権は憲法に書いてあるに決まっている。
差止訴訟で勝つ要件は二つだけ。一つは、生命身体健康に被害が及ぶことを立証すること。もう一つは、現地で実際に止めていること。今まで勝った事件は、みんな、この二つの要件を満たしている。逆に、この要件を満たさない訴訟は勝てない。
反対運動の質問会では、司会を獲得する。司会を業者にやらせてはいけない。司会を獲得するテクニックはマイクを握って離さないこと。会場は住民の用意する公会堂。施設は住民が分かっている、マイクを絶対に渡さない。全部、住民がもっておく。
 馬奈木弁護士が産業廃棄物問題に取り組んでいたことは私も知っていましたが、次の言葉には驚きました。
 廃棄物をやっていた1990年代は、私が一番生き生きして取り組んでいた時代。2000年に入って、諫早干拓の開門裁判をやりだした。諫早も楽しかったけれど、諫早の楽しさはまた違うもの。廃棄物をやっていたときが、弁護士としての取り組みでは一番面白かった時代。危険性とは何かを正面から問いかけ、裁判所は曲がりなりにも答える。そんな時代だった。
 法律論としては、諫早での物権的請求権、権利とは何かというのが面白い。廃棄物では事実問題、危ないという事実とは何かを正面から向きあうことができた。私たちは、原発差止裁判では、それをつくりきっていない。
 筑後大堰(おおぜき)建設差止裁判も紹介されています。これは私も馬奈木弁護士に誘われて原告側弁護団の一員になりました。
 筑後川の平面流量は毎秒70トンから80トンある。この下流域の観光水利権を淡水(あお)取水という。筑後川と有明海の天然条件は干満の差が6~7メートルある。国は福岡都市圏の都市用水と工業用水として筑後川の水を取りたいと考えた。筑後大堰は、淡水取水を退治するための農業用の合口堰という位置づけ。毎秒60トンから70トンあった慣行水利権を左岸と右岸の両方あわせて23トンにまで抑え込んだ。これによって、新しく取水可能な水量が生み出された。つまり、筑後大堰が建設されたのは、農民から水利権を取り上げるため。
ところで、筑後川には江戸時代に生きた「五庄屋物語」がある。これは筑後川の豊富な水量を周囲の田圃に変えようとした感動的な話。
 水俣病にも、馬奈木弁護士はかかわっています。
 戦前、チッソは漁民とのあいだで補償協定を結んでいる。この協定の一番のポイントは、被害の発生を防止することが目的ではなく、今後も被害を出し続けることを漁民に認めさせる目的であるということ。
 水俣病にとって、安全とは何かという議論がある。それを国の基準を守ることとする。いやあ、これっておかしいでしょ。だって国の安全を定める基準というのは企業の存続優先であって、国民の生命・安全の優先など、まるで考慮していません。チッソの工場から廃液が海にたれ流されていて、それによって漁民をはじめ周辺住民に被害を及ぼしているのであったのに、廃液のなかの毒物が特定されないかぎり排水は原因ではない。というのは詭弁そのもの。基準を守ったらいいというけれど、現実に被害は出ている。
技術論争で被害者が勝てるわけがない。私たちが勝った裁判は裁判所が乗ってきた事件。
 私は予防原則は主張としても言葉でも言わない。日本の裁判所は予防原則という言葉を聞いた瞬間、即座に思考停止する。そんなのは日本の法制度にはない。問答無用。聞く耳をもたない。
 裁判所に聞く耳をもたないと言わせるアラジンの魔法のランプの言葉は、予防原則と環境権。ちなみに、予防原則とは、一定の危険があるものについては、安全性の証明を会社、開発者がやれ、というもの。
イタイイタイ病で激烈な病状を示したのは、全員が経産婦。これはカドミウムとカルシウムの構造が似ている。だから、骨のなかからカルシウムが抜けて、代わりにカドミウムが入ると、カルシウムの強さがないので、骨がボキボキ折れる。痛い痛いと泣き叫ぶ。寝返りをうっただけで骨が折れてしまう。カドミウムがカルシウムに一番多量に取ってかれる現象が出産。胎児に自分のカルシウムを与えると、不足する。カルシウムがなくなったところにカドミウムがどっと入ってくる。すると、骨の強さがないから、骨がボキボキ折れる。
 私たちは駅弁論争を展開した。駅弁で食中毒が出た。何が原因かは分からない。でも、駅弁の会社は分かっている。このとき、食品行政は、その会社の駅弁の全部を販売停止する、弁当のどのおかずか、どの菌が入っているか特定しなければ販売をしてよい、とはならない。おかずのなかのどの菌かを特定しなければ販売を許すなんて、バカなことはしない。
水俣病を防ぐためには、排水規制をしておけばよかった。原因物質を特定せよという議論は犯罪的。
 裁判を結審させ、判決をとるというのは、確実に勝つと社会的に明らかになっていて、マスコミも勝つと言っている、かつ、運動がもっとも充実したとき。判決で勝てると思っても、運動が充実していなければ、結審して判決をとってはいけない。
 国を絶対に勝たせるという確信をもって裁判に臨んでいる。裁判官に対して、そういう判決は書けないように、いかに取り組むのか...。それが弁護士にとっての課題。
勝った判決を思い返してみると、裁判官と心と心が触れ合った瞬間がある。裁判官に清水の舞台から飛び降りるだけの決意をさせる。どうしたら、その飛躍させることができるのか、どうやったらそんな場面をつくり出すことができるのか、それが弁護団の課題。
私たちは、裁判で負けたときの心配はしない。勝ったときの心配はしている。どうやって、勝ったときに追い打ちをかけることができ、一気に推し進めることができるのか...、と。
 裁判官が事実をごまかすようになった。これまでは、裁判官は正しい指摘には応じてきた。ところが、原告住民の指摘と証拠を無視し、国のごまかしにそのまま飛び乗ってしまう裁判官が出てきた。恐ろしいとしか言いようがない。
御用学者は、いつも、直ちに被害は出ないとごまかす。10年後、20年後のことは決して問題としない。
 裁判の目的は、責任の所在と、大きな被害の全体像を明らかにすること。
 裁判に何が何でも勝つために、とんでもないことを平気で主張し、実行するのが国の代理人。弁護士なら恥ずかしくて出来ないことを国の代理人が平然としてやる。そして、それが裁判官。自民党が代表している利益集団の利益を国の代理人(裁判官)が恥ずかしげもなく代表して主張する。
 弁護士は、演劇でいうと、脚本家であり、プロデューサーでもあり、ディレクターでもあり、場合によっては自分が舞台に立つ必要もある。出演者の1人として演出もしないといけない。ただ、1人で出来るわけではない。みんなの協働作業。そのためには、弁護団に加入して、大勢の仲間と議論し、集団で取り組む活動を続けていくことが大切。
馬奈木弁護士が縦横に語っている本です。ただ、聴き手の学者による補足や解説がないと理解しにくいところが少なくないと思いました。そこが少し残念でした。330頁もの大著ですが、弁護士として学ぶべきところの多い本として、一読をおすすめします。
(2024年10月刊。2800円+税)

2025年3月27日

裁判官、当職もっと本音が知りたいのです


(霧山昴)
著者 岡口基一・中村真ほか 、 出版 学陽書房

 九弁連主催の研修会で著者たちが語ったものが第一部となり、第二部として追加の座談会がもたれ、そこでの問答が紹介されています。とても実践的な内容で、すぐ今日から役に立ちますので、本書が発刊後たちまち増刷されたというのも納得です。
 裁判官には二つのタイプがあること、高裁(控訴審)の1回結審を前提として、控訴理由書をどう書くか、裁判官はどのように事件を処理しているのか、まさしく弁護士なら誰でも知りたいことが明らかにされています。
 私は長らく裁判官評価アンケートに関わっています。この回収率は単位会によってひどいアンバランスがあります。宮崎の9割、熊本の8割が突出していますが、福岡や北九州では2割に達しません(筑後部会だけは5割)。回答率が低い理由の一つに、担当裁判官の氏名を知らないので、アンケートに回答できないということがあげられます。自分の裁判を担当する裁判官の氏名を知らないということは、裁判官のタイプそして傾向も知らないということです。でも、裁判官の性向を知らず、自分の言いたいことを言ったら、あとは裁判官にすべておまかせというのはプロフェッショナルの弁護士としてあるまじきことなのです。ぜひ、裁判官評価アンケートにも協力してください。
 裁判官には、相対的真実派と実体的真実派の二つのタイプがある。これを見分けるには、日頃から裁判官について情報を共有すること。そうなんです。裁判官をよく見きわめる必要があるのです。「敵」を知らずして勝てるはずはありません。
 主張は要件事実でいき、立証はストーリーでいく。
準備書面にアンダーラインを引いておく必要はない。普通の文章を普通の感じで書くのが一番。読み慣れている書式が一番。といいつつ、この本は大事なところは、ゴシック(太字)になっています。
 攻撃的な表現の書面は裁判官は迷惑に感じるだけ。
書面は短いにこしたことはない。意味もなく長いのは時間のムダ。
 裁判官は1週間前に提出されると1回目はざっと見て、期日の前日にちゃんと読む。1週間前に提出されると、裁判官は考える時間が確保できる。期日の直前に提出する弁護士が今なお少なくありません。当日の朝に提出されることも珍しくはありません。私は1週間前の提出励行を心がけています。
裁判官は証拠はあまり見ないが、証拠説明書はしっかり見ている。
 裁判官は訴状でファーストインプレッションを持つ。そして、しばらくその心証に拘束される。
 とはいえ、証人尋問によって裁判官が心証を変えることはよくある。本人の顔を見て人柄を見抜く。尋問で、裁判官は自分の心証に間違いないかを検証している。
 陳述書で裁判官の心証をとり、尋問には頼らない。陳述書が始まったときは、私も大いに懐疑的でした。でも、今は活用しています。やはり、なんといっても便利なのです。
 裁判官にとって、当初の心証が変わらない事件は多い。
控訴審裁判官は、起案マシンのように毎日起案を強いられているので、基本的に控訴棄却、原判決維持で書きたいもの。
最終準備書面は、証拠評価であれば、裁判官は参考にする。新しい主張であれば時機に遅れたものとして、問題にもされない。
 裁判官は録音は聞かないが、短い動画なら見る。
 控訴審において、原判決の心証をいかに崩していくかも語られていて、いくつかのパターンが紹介されています。大変勉強になりました。
この本の作成にあたっては佐賀の半田望弁護士が大活躍しています。
(2025年3月刊。3300円)

2025年3月26日

日本弁護士総史


(霧山昴)
著者 安岡 崇志 、 出版 勁草書房

 江戸時代に公事師(くじし)がいて、公事宿(くじやど)があったことは小説にも描かれていて、今ではかなり知られていると思います。ところが、この公事師を幕府は禁止していたとか、不当に軽く低く評価する人がいます。私は、いろいろの文献を読んで江戸時代の裁判手続において、公事師・公事宿の果たした役割は決して軽視すべきものではないと考えています。この本も、私と考えが共通しているようで、安心しました。
 「公事宿・公事師は長い間、法制史・近世史の研究から打ち捨てられていた」
 しかし、今では、「江戸時代の公事師や公事宿があまねく存在し影響を及ぼしたことにより、19世紀最後の四半世紀に劇的な法の変化への道が開かれた」として、積極的に評価されるようになっているのです。そして、明治以降の日本の法制度は、江戸時代の法制度と明らかに連続面をもっているとまで指摘されています。日本人の心性が明治ご一新の前後で、まったく異なったなど言えるはずはないのです。
 そして、明治になって、初代の司法卿(法務大臣)になった江藤新平(佐賀戦争で敗れて大久保利通によって刑死)が民事訴訟に関する手続きを整備し、代言人に関する規則を定めました。
 明治の初めに代言人となった人々は、江戸時代の公事宿・公事師の流れをくむ人だったと考えられる。つまり、訴訟代理の実態は、江戸から明治への「地続き」でした。
代言人が誕生して3年半後の1876年2月、司法省は代言人規則を制定した。
 1876年に代言人の免許をとったのは、わずか174人。しかし、この当時民事訴訟(新受件数)は32万件もあった。つまり、無免許の代言人がほとんど代人として訴訟を請け負った。1880年7月、東京に代言人組合が誕生した。
 1890年7月の第1回衆議院議員選挙のとき、300人の当選者のうち25~31人が代言者だった。
1893年5月、弁護士法が施行され、代言人は弁護士登録し、弁護士会を設立した。
 代言人は、フランスの訴訟代理人の訳語として福沢諭吉が考え出したとされる造語。弁護士は、漢籍にもある古い「弁護」と「士」を組み合わせた半造語。
「三百代言」は下賤(げせん)な代言人を「三百」として、「安物」と見下したコトバ。
 1896年6月に結成された日本弁護士協会は任意団体だったが、職能団体として時代に先駆けた功績をいくつもあげている。あとになって、弁護士法施行後の明治期を「黄金時代」だったとされた。(島田武夫・1958年度日弁連会長)。
 1918年7月、富山県で半騒動が勃発したとき、日本弁護士協会は全国調査に乗り出し、総会で決議を採択した。
 1933年当時の弁護士について、「弁護士には家主が家を貸さない。米屋からも酒屋からも鼻つまみにされる。既に人心を失った」とされた。「三百追放」は実現したが、弁護士層全般が下り坂になってしまった。
 1929年、弁護士が背任、横領詐欺などで20人も逮捕された。1930年、日本弁護士協会が弁護士の経済状況をアンケート調査した。それによると、収入平均額は年2700円で、検事の平均俸給の8割程度だった。弁護士の6割近くが「弁護士純収入だけでは生活費をまかなえない」と回答した。金融恐慌の影響だとみられる。同時に、弁護士人口の過剰。毎年250人から350人増えていて、訴訟事件が減少していた。過当競争があり、非弁護士が暗躍していた。非弁取締の法律が1936年4月から施行された。
明治から終戦まで、弁護士がもっとも多かったのは1934年の7082人。翌1935年もほぼ同数の7075人。ところが、1936年に5976人に急減する。1937年から1938年にかけても945人減って、4866人になった。このように会員が減少したのは、①戦時の進行で国民の権利主張が圧迫され、弁護士の活動範囲が狭くなった。②満州国へ転出していった。③応召によって軍務についたほか、司政官となったなどがあげられる。
江戸時代の公事師、明治になってからの代言人、そして戦前の弁護士の実情がよく分かります。
(2024年12月刊。4400円)

 一気に春めいてきました。団地の桜も気がつくと3分咲きです。日曜日の朝、庭に出るとチューリップ1号が咲いています。午後に帰って庭に出ると、至るところにチューリップが咲いていました。一気に開花したようです。今年は地植えのヒヤシンスが見事に咲いてくれました。紅、ピンク、黄色の花が華麗に咲きほこっています。
 庭にジョウビタキがやってきました。そろそろお別れです。旅に出る挨拶に来てくれたようです。春はいいのですが、花粉症に悩まされ、目が痛く、鼻水したたるいい男なので、辛いです。

2025年3月18日

当山法律事務所40周年記念誌

(霧山昴)
著者 弁護士法人当山法律事務所 、 出版 非売品

 沖縄で活躍している当山(とうやま)尚幸弁護士は私と同じ団塊世代です。40周年記念誌が送られてきましたので、早速、法廷を待つあいだ、市民相談の隙間時間に読んでみました。それがまた、とても面白くて、区切りのよいところまで読み上げたいと、少しばかり相談者を待たせてしまいました。ゴメンナサイ!
 当山法律事務所の入っているテミスビル(自社ビルです)には私も行ったことがありますが、小高い丘に威風堂々としていて、当山弁護士そっくりの偉容です。
 当山法律事務所は、県庁前、リーガルプラザ、松尾公園テミスビルと返遷し、2021年に法人化した。当山弁護士は弁護士になったとき33歳、独立創業時は36歳だったが、昨年9月、喜寿を迎えた。奥様(恵子様)は、もと裁判所書記官であり、当山弁護士と結婚してから税理士そして司法書士の資格を取得した。
 当山弁護士の活動歴の紹介のなかで圧倒されたもの、私がとても真似できないと思ったものに、後進の養成法曹人材育成をライフワークとし、物心両面で支えてきたし、今も支えているということです。受験生に月10万円を半年間にわたって送り続け、琉球大学に当山フェローシップ(給付型奨学金)というシステムをつくって支給している。これは当山弁護士自身が沖縄から東京に出て苦しい受験生活を過ごしたという原体験にもとづいています。養鶏業をしていて楽ではない両親から月3万円の仕送りを受けていたのです。下宿の家賃は月7千円でした。
 当山法律研究室(虎の穴)の紹介も落とせません。当山法律事務所にいて朝9時から夜9時まで1日12時間勉強することを条件として月に10万円を支給するというものです。神戸で活躍している韓国出身の自承豪弁護士も出身者の一人で、北九州で弁護士をしていた我那覇東子さんも出身者です。
 さらに、当山法律事務所にかつて在籍していた弁護士、また弁護修習した弁護士や裁判官たち全員からメッセージが寄せられているのにも驚かされます。私の場合は双方にとって不本意な退所者が2人いて、その後は、まったく没交渉です。
当山弁護士は沖縄県の選管委員長ですが、これは本人自身が選挙に出る可能性がないことにもよります。父親の選挙での「悲惨な」体験があるのです。
その前に県の収用委員会の会長もつとめています。沖縄県の土地収用問題となると、米軍そして日本の防衛施設局が関係し、地権者は基地反対運動に組織化されているので、収用委員会は政治的に大きく注目される存在。会長は過激派から狙われ襲われる危険もあるというので、自宅の南北の側に、24時間立哨の警官が1ヶ月のあいだ配置されたとのこと。これは大変です。そして、公開審理では、「野次怒号のない円滑な審理」にすべく、関係者に協議を申し入れて実現。たいしたものです。
有村産業という負債300億円の会社更生法の保全管理人としての活動にも刮目(かつもく)しました。税務署が滞納金の差押をしてきた。これを解除しないと清算手続がすすまない。いったん決裂しかけたとき、考え直して、滞納金の10回分割支払いを提案し、税務署に承諾させた。これまたすごいです。粘り勝ちですね...。
 当山弁護士は2001年4月から1年間、沖縄弁護士会の会長をつとめた。私も同じころ福岡で役員をつとめていましたので、それ以来、当山弁護士とはお互いよく知っている関係なのです。
当山弁護士の反対尋問は、相手(敵性証人)に9割も言わせておいて、いい気になったところで不利な証拠をつきつけ、そこからそれまでの証言との矛盾を次々に指摘して、信用性を一枚一枚はいでいって、裁判所の相手の信用を完全にぶち壊してしまう。その迫力は聞いている味方もトラウマになるほどの強烈さがある。身近にいて震えるほどの鋭さでした。
 イソ弁が裁判の期日を間違っても、すぐにフォローして楽天的な方向にもっていき、カバーする。弁護士は間違えても、それを学んでいけばいいという楽観主義に徹している。
 当山弁護士はアメリカの弁護士倫理を翻訳しています。60歳のとき英語研修でハワイに2週間いて、満点で卒業したそうです。私はフランス語をずっとずっと勉強していますが、ちっとも上達せず、翻訳するなんて考えたこともありません。
 当山法律事務所にも税務調査が来ました。税務訴訟で全面勝訴したことの報復だろうとしています。ありうることです。そして、「おみやげ」なしで終わらせたそうです。えらいです。
 当山弁護士は、ゴルフ大好き人間ですが、「ゴルフなんて亡国の遊びを自分はしない」と言っていたことがあるそうです。人間は変わるものです。
この記念誌のハイライトは、本人抜きで率直に語りつくした座談会。ところが、当山弁護士の悪口がちっとも出てこないのは、やはり人徳ですね。「大里の赤マムシ」と恐れられる男性事務員(近藤哲司さん)の発言が出色です。
 最後に、当山弁護士の人柄について紹介します。
 お節介だ。不言実行の人。カラオケ大好き、裕次郎大好き。奥様メロメロの愛妻家。人望の人。公聴心を持ちつつ、経済的にも成功をおさめている稀有(けう)な弁護士。
 いやあ、こんな楽しく、実に豊かな内容の40周年記念誌(260頁)を読んで、なんだか心がほっこりしてきて、心も軽く、浮き浮きしてきます。沖縄タイムス社が編集協力しているとのことで、レイアウトも見事です。ありがとうございました。
(2024年7月刊。非売品)

2025年3月 4日

再審弁護人のベレー帽日記


(霧山昴)
著者 鴨志田 祐美 、 出版 創出版

 小柄な身体は闘志の魂(かたまり)のようです。私も何回か著者の話を聞きましたが、情熱がほとばしり出てくる、速射砲の展開に、心を射すくめられました。
 この本は雑誌『創』の2021年6月号から3年間のコラムをもとにしています。この3年間に、日本の再審と刑事司法をめぐって大きな動きがありました。こうやって振り返ってみると、まさに激動した時代だとひしひしと実感させられます。
 それにしても、2019年6月25日の最高裁判所の決定はひどい、ひどすぎます。せっかく大崎事件について地裁と高裁が認めた再審開始決定をとんでもない「事実」を認定して取り消したのです。許せません。
 著者は、この5人の裁判官を忘れてはいけないとして、実名をあげ、国民審査で罷免しようと呼びかけました。まったく同感です。小池裕、池上政幸、木澤克之、山口厚、深山卓也の5人です。しょうもない連中だと言うほかありません。被告人とされた3人が自白しているんだから有罪で間違いないという捜査機関と同じ思い込みから、科学的な鑑定を無視し、はねつけたのです。ひどいものです。
 そして、その後の再審請求について、ひどい最高裁決定をそのまま踏襲したような地裁決定が出されました。まさしくヒラメ裁判官です。勇気をもって自分の頭で考えようとしない裁判官が、いかに多いことか...。残念です。
 再審事件の審理について、いつも納得できないことは、検察官が手持ち証拠を全部出さないこと、隠していること、あるいは袴田再審事件のように証拠を警察が偽造しているのに、それを容認して平然としていることです。大崎事件でも、検察官は、もう未開示証拠はないと断言したのに、鹿児島地裁の冨田敦史裁判長が証拠開示を勧告したら、18本ものネガフィルムが新たに開示されたそうです。検察官は嘘をついたわけです。
 証拠は検察官の私物ではありません。公益の代表者として法廷で行動しているはずの検察官が自分に不利だと思った証拠を隠しもって提出しないということが許されていいはずはありません。
 再審法は改正されるべきです。証拠開示手続の明文化、そして再審開始決定に検察官は不服申立(抗告)が出来ないようにすべきです。
 著者はアーティストでもあります。ライブコンサートでピアノを弾き、歌っています。福岡で八尋光秀弁護士と一緒に、そして見事に再審無罪を勝ち取った桜井昌司さんと共演しています。すごいものです。再審法改正の実現まで、どうぞ健康に留意されて、引き続きのご奮闘を心より祈念しています。
 ここまで書いたあと、大崎事件でまたもや最高裁が再審しないと決定したことを知りました。本当にひどいです。学者出身の宇賀克也裁判官ひとり再審を認めるべきとしています。それだけが唯一の救いです。
(2025年1月刊。1870円)

2025年2月28日

企業法務弁護士入門


(霧山昴)
著者 松尾 剛行 、 出版 有斐閣

 今や企業法務が若い人に圧倒的な人気です。先日聞いた話では、東大ロースクール生は、40人のクラスで35人が企業法務を志望していて、五大事務所に内定しているそうです。もちろん私は企業法務を否定しませんし、日本社会に大いに必要だと考えています。それでも、企業法務以外に選択肢がないかのような昨今の風潮は残念でなりません。弁護士の仕事は地域的にも、仕事のうえでも、もっと多様なんです。それぞれ自分の人生をかけていきていて、弁護士をしている。そのことを法曹をこれから目ざそうとしている若い人に知ってほしいと切に願っています。
 そんな私が、なぜこの本を読んだのかというと、最近の企業法務の業務の実情を知りたかったからです。私の要望にしっかりこたえてくれる内容の本でした。
 企業法務弁護士になりたいという学生のもっているイメージは...。
 〇キラキラした仕事ができる
 〇一般民事を扱うより、仕事が楽そう
 〇感情論の比重の強い一般民事より合理的でロジックにもとづいて仕事ができる
 〇裁判所に行かず事務所で仕事ができる
 〇親族相続法や刑事法は扱わない
 これについて、企業法務を扱うべきベテラン弁護士である著者は誤解と過大評価があるとしています。
 キラキラ...仕事の実際は地味。
 楽な仕事...大きなプレッシャーを受ける
 合理的・ロジック...法務担当者の悩みを聞き、精神的なケアも必要
 事務所で仕事...面談しての仕事は欠かせない
 親族・相続、刑事を扱わない...社長の家族関係は扱うし、企業をめぐる犯罪を扱えなかったら困る
 著者の以上の回答は、いちいちうなづけるものばかりです。
 では、企業法務の特徴は何か...法務部門が行うリスク管理の過程に貢献し、組織としての意思決定に支援するところだと著者は考えている。
 なるほど、そうなのでしょう。
 企業法務であろうとなかろうと、弁護士実務は、正解のない問題に取り組むという特徴がある。誤りはあっても、唯一の正解というのはないのです。
 新人弁護士に欠けているものは、失敗の経験。なるほど、これは言いえて妙です。まったくそのとおりです。私も数々の恥ずかしい失敗を重ねてきました。
 弁護士業務ではバランスが重要、これまた、そのとおりです。仕事をすすめるうえでのバランス、利益衡量のバランス、仕事と家庭のバランス。いろんな面のバランスをうまくとっていかないと決して長続きしない。どこかに正解があるということはないので、自分なりに精一杯考え、必要なコミュニケーションをとり、周囲の人を巻き込んで正解をつくり上げていく。
 企業法務の弁護士であっても、私のような地方の一般民事・家事を扱う弁護士であっても、目の前には生身(なまみ)の人間がいることを忘れずに取り組むのです。
 弁護士にとって重要なものの一つに、人当たりの良いことがある。いつも明るく前向きにアドバイスすることで、法務担当者にとって相談したい弁護士になるべき。
 これは法務担当者には限りません。相談者が帰るときには明るい、晴れやかな顔をしているのが理想です。
 たとえば、「贈賄(ぞうわい)のリスクがあるから、やめなさい」と回答して終わってしまったら、法務担当者は次から相談に来ない。では、どうしたらリスクを回避できるか、一緒に悩みを共有して、打開策を探っていくべきなのです。
企業法務と刑事弁護は縁がないように見えるが、実はそうではないと著者は強調しています。著者自身が刑事弁護人として現役とのこと。私も、弁護士である限り、刑事弁護人の仕事は続けるつもりです。そのほとんどが国選弁護人ですけれど、やむをえません。
 従業員の横領、性犯罪そして取締役の背任・横領など、企業内外をめぐる刑事犯罪の発生は必至です。そのとき、私は刑事弁護はやってない、分からないという対処はもちろんありえます。しかし、企業にからむ捜査対応では刑事弁護人の経験を生かすことができるものです。もちろん、本格的な刑事弁護はその道のプロに依頼したほうがいいことは多いでしょうが、それでも刑事弁護人の経験の有無は大きな意味をもってくると私も思うのです。
 さすがの内容がぎっしり詰まっている本でした。
 最後にもう一回。弁護士の仕事は企業法務だけではありません。若い人たちに、地方で困っている人はたくさんいますし、いろんな新しい分野にぜひ進出していって開拓していってほしいと呼びかけたいと考えています。
(2023年11月刊。2300円+税)

2025年2月24日

弁護士の日々記


(霧山昴)
著者 前田 豊 、 出版 石風社

 福岡の弁護士である著者が20年前に弁護士会の役職にあったときの随想、そして最近の世相に思うことをまとめた本です。
 私は、白寿(99歳)を祝った著者の父親の被爆体験を初めて識りました。長崎で19歳のとき被爆したのです。三菱造船稲佐製材工場で働いていました。
 突然、空気中が溶接ガスの火花の色みたいになって爆風に飛ばされた。もう、これで死ぬのだと思った。何にも分からず、十数分くらいたったと思う。
 三菱長崎製鋼所のあたりでは、市民や学徒動員の負傷者でいっぱいだった。まさに、この世の地獄だった。大橋から下の浦上川を見ると、そこも傷を負った人たちでいっぱいだった。死体もごろごろしていた。
 救援列車に乗った。いったん乗って、降りて、戻ってくるのを待つと、超満員で汽車が戻ってきた。重傷者は、血止めの方法を教えれくれとか、殺してくれとか、苦しんでいる人が多くいた。車内はまさに地獄状態だった。やっとこさで乗り、列車の連結のところに立ちずくめで諫早駅まで行った。
 焼けたふんどしに裸足(はだし)姿で駅から2キロ歩いて、家に着いた。畳に腹ばいになったあとは、何にも分からない。翌日、体全体が痛む。頭の毛が燃えた悪いにおいがする。昼間はハエがたかる。夜は蚊が刺す。弟たちがウチワであおいでくれる。火傷(ヤケド)にはイノシシや穴熊の油を父が塗ってくれる。背が自分の死を待っている状態で過ごす。8ヶ月後、ようやく歩けるようになった。
そんな状態にあったのに、99歳まで長生きしているとは、まことに人生とは分からないものです。
 さて、随想のほうは20年前の司法をめぐる話題が豊富に提供されています。読んで、そうか20年前というと、裁判員裁判が始まったころなんだなと自覚させられました。
 そして、法テラスもこのころ(2006年10月)スタートしたのでした。いろいろ批判もあるのですが、それまでの法律扶助制度に比べたら、格段の前進であることは間違いありません。
 現在、天神中央公園にある貴賓(きひん)館に福岡控訴院(福岡高等裁判所の前身)があったことを初めて知りました。その後、赤坂近くの城内に移り、今は六本松にあります。
 著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
 それにしても、今の仙人姿は、どうなんでしょう...。相談に来た人に近寄りがたいという印象を与えていませんか。それとも奥様のお好みによるものなのでしょうか。
(2025年2月刊。1760円)

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