弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2025年10月 9日
最高裁判所長官 石田 和外
(霧山昴)
著者 西川 伸一 、 出版 岩波書店
最高裁判所のなかで史上最低・最悪というのは、なんといっても田中耕太郎です。このコーナーで何度も紹介していますが、裁判(砂川事件)の実質当事者であるアメリカ政府と駐日大使を通じてこっそり接解し、最高裁の合議の秘密をもたらしたうえ、アメリカ政府の指示どおりに判決するようにもっていったのです(アメリカの公文書館に証拠があるのを日本人ジャーナリストそして学者が発見しました)。
この石田和外は、最悪二番手になります。青法協を迫害し、日本の司法をズタズタにしてしまいました。その後遺症は、今も司法(とくに裁判所)に顕著です。あまりに効果がありすぎて、その後の最高裁判官が、今やヒラメ裁判官(上ばかり見て気にしながら判決を書くという、まったく気骨のない裁判官)ばかりになってしまったと公式に嘆くほどになりました。
1971年4月、宮本康昭判事補の再任が拒否された。大変なことです。青法協会員の裁判官であった宮本再任拒否は、石田長官の下で周到に計画され、実行された。
ちなみに、宮本判事補は判事として再任されなくても、簡裁判事のほうは身分が残っていたことから、しばらく裁判所で仕事を続けました。その任期満了のあと、弁護士に登録し、司法改革問題に取り組み、裁判所改革における第一人者として活躍しました。法テラスにも関わり、後進の養成にあたり、今も東京で元気に弁護士を続けています。つい最近も自分の生い立ちと再任拒否当時の生々しい状況を活写した本を刊行されました。
続いて起きたのが、阪口徳雄司法修習生の罷免処分です。1971年4月のことです。私が弁護士になる3年前で、私はこのころ司法試験の受験生でした。
この本で、阪口修習生の罷免処分を決めたとされている最高裁判官会議の議事録がないことが確認されています。石田長官が、臨時に召集したうえで、議事録は作成しないよう命じたらしいのです。これは明らかに違法です。成立要件を満たしていません。
あとから追及される根拠となる紙の資源は一切残さず、阪口罷免ありきの、石田の凶暴なまでの「リーダーシップ」が発揮されたということ。いやあ、これは恐ろしいことです。
阪口修習生が「演壇用マイクを無断で抜き取」ったとか、「マイクをわしづかみに」したとか、まったく事実に反する国会答弁(矢口洪一・人事局長)が紹介されています。この矢口洪一も、後に最高裁判官となり、司法反動を強引に進めました。罷免された阪口徳雄さんは弁護士になって、大阪で大活躍されていましたが、先日、亡くなられました(82歳)。
石田長官の負(マイナス)の功績としては、最高裁判事の構成をリベラル派優勢から保守派優勢に変えてしまったということもあげられる。弁護士枠が5人から4人に減らされてしまったのです。
もっとも、最近の弁護士出身の最高裁判事は、ことなかれ主義、大企業・国家権力追随型ばかりで、まったく覇気が感じられません。五大事務所出身でほとんど占められていることの蔽害です。
最高裁長官は13人連続で裁判官出身者が占めている。しかも、全員が「裁判をしない裁判官」だ。なかでも、私の同期でもある寺田逸郎にいたっては、ずっと法務省に出向していたから、もはや裁判官ですらない。
最高裁の内部統制に服しないとどうなるか...。「見せしめ」にされる。そのターゲットは、宮本さん、阪口さんに続いて、寺西和史判事、藤山雅行判事そして、近くは岡口基一元判事。
残念ながら、今や裁判所のなかは、「ヒラメ判事」そして委縮判事が多く、しかも、そのことに自覚のない判事がほとんどになっています。たまに、気骨のある判事にあたると、おっ、まだ絶滅危惧種がここにいた...と感激してしまう状況です。なんとかしたいものです。
(2025年6月刊。2900円+税)
2025年10月 2日
弁護士不足
(霧山昴)
著者 内田 貴 編著 、 出版 ちくま書店
いま、日本の弁護士は4万7千人。50年前、私が弁護士になったときは1万2千人だった(と思う)。それから4倍になった。
私の身近な弁護士(複数)に、弁護士を増やしすぎた、だから弁護士は喰えなくなった、質が落ちた(低下した)、司法改革は失敗だったと声高に相変わらず叫んでいる人がいる。
でも、現実は違うと思う。東京の五大法律事務所は1つの事務所で50人から80人の新人弁護士を高給(約1400万円と聞く)で採用している。また、カタカナ事務所もまた、90人ほどの新人を入れている。どちらも日本全国に支店を展開しつつある。その結果、福岡を除く九州各県は弁護士会への新規登録者がゼロ・ワン状態になっていて増えていない。
また、ビジネスローヤーばかりに目が向いていて、法テラスのスタッフ弁護士の応募が激減し、司法過疎地に設置するひまわり公設法律事務所の維持が危ぶまれている。そこに送り出すために九弁連が設立した「あさかぜ基金法律事務所」は新人弁護士が入らず、現に所属している弁護士は司法過疎地へ赴任するため、ついに近く解散・閉鎖することになった。
いま、地方自治体の法務担当、そして企業の所属弁護士(インハウス・ローヤーと呼ぶ)は、大いに増えた。ところが、この本によると、企業はもっともっと所属弁護士を増やしたいのに、応募がないという。この現実を踏まえるなら、私は決して弁護士が多すぎるとはいえないと思うのです。
では、弁護士は喰えなくなったのか・・・。そんなこと言っても、五大事務所の新人弁護士の初任給が1400万円だというのを知ったら、何をバカなこと言ってるの・・・と、世間から笑われるだけでしょう。
私は最近、司法試験の合格発表待ちのロースクール生(複数)と話して、地方の弁護士に対する誤解があるとこを改めて認識しました。地方の弁護士は、東京の五大事務所の弁護士と比べて、小さな家事事件ばかりやっていて、多様性がなく、儲かっていない。人口は減る一方なので、将来性も全くない。そんな思い込み(先入観)に凝り固まっていました。
もちろん、家事事件は多いです。夫婦間の離婚・DV・不倫、そして親権争い、遺言無効・遺産分割・遺留分侵害などは日常茶飯事、不動産をめぐる争いでは境界争い、相続人多数土地の名義変更・相続財産の国庫帰属・空き家・マンションの管理・処分問題。企業間の取引では特許(実用新案)も扱うことがあるし、実質は相続人間の争いであっても形の上では株主総会決議無効裁判となったりする。
暴力団事務所が近くにあるときその対処をどうするか、地方自治体か第3セクターによって無謀な大金を支出したときの住民訴訟さらには第三者委員会にかかわることも珍しくない。
精神病院に長く閉じ込められている人の叫びにこたえる活動、そしてもちろん刑事事件の被疑者・外国人の弁護活動も当時より少なくなったとはいえ、相変わらず多い。
いまどきの大学生は、「法学部に進学すると就職に不利」だと聞いているという。信じられない。私のころは「法学部出身はつぶしがきく(何でも出来る)」とみられていて、就職に有利だと思われていました。
これだけグローバルな取引が盛んになっているので、それを扱う国際的業務を担う渉外専門弁護士はもっと増えていいとありますが、それはそのとおりだと私も思います。福岡の法律事務所でも海外に支店を展開している事務所があるのは、やはり同業者として心強いことです。
この新書のうしろのほうに今は福島県いわき市で弁護士をしている松本三加弁護士が、地方にも弁護士が必要とされていることを明らかにしていますが、まったく同感です。
松本弁護士が北海道の紋別の公設事務所に赴任した(2001年)ときは、それこそ「松本三加現象」と呼ばれるほど地方が脚光をあびました。そして、松本弁護士は地方の弁護士には仕事がないとか、人口減少の地方には将来性がないなんてとんでもないことだと強調しています。地方でこそ弁護士が必要とされることを実感できる。これが「やり甲斐」になるとしています。まったくもって同感です。
(2025年9月刊。960円+税)
2025年9月11日
えん罪原因を調査せよ
(霧山昴)
著者 日弁連人権擁護委員会・指宿 信 、 出版 勁草書房
えん罪事件は残念ながら、今なお後を絶ちません。近いところでは、警視庁公安部が「犯罪」をでっち上げた大川原化工機事件があります。この事件では、裁判所の責任も極めて大きいと思います。なにしろ、ガンのため重病だということが分かっていながら、最後まで保釈を認めなかったため、被告人とされた無実の人は病死してしまったのです。許せない裁判官たちです。
本来、有罪の立証は検察官の役目です。ところが、日本の司法の現実は弁護側が無罪の立証をしなくてはいけません。
電車内で起きた痴漢えん罪事件を扱った映画『それでもボクはやっていない』で、弁護側が苦労してつくった「犯行状況再現ビデオ」を上映すると、ヨーロッパの人々は爆笑するというのです。そりゃあ、おかしいですよね。でも、無罪にするためには、それくらいの努力が必要なのです。映画監督の周防正行氏が冒頭のインタビューで明らかにしています。
被疑者の取調に弁護人が立会するのは日本では認められていません。ところが、お隣の韓国では、2007年に刑事訴訟法を改正し、翌2008年1月から弁護人立会権を認めて今日に至っています。先日も日本の弁護士たちが視察に行っていますが、韓国では弁護士立会はすっかりあたり前のこととして定着しているそうです。日本はまだまだです。せいぜい、廊下で待機しているくらいです。
韓国だけでなく、台湾でも認められているそうです。もちろん、アメリカでもイギリスでも認められています。そもそも、日本と違って諸外国では被疑者の取り調べ自体が短いのです。
それでは、どうするのか、しているのかというと、自白ではなく客観的な物証に頼るということです。とても、真っ当な考え方です。
DNA鑑定によってえん罪が明らかになった261件のうち、104件で真犯人が判明したそうです。アメリカの話です。アメリカには「イノセンス・プロジェクト」というグループがあり、DNA鑑定によって、無実を明らかにする取り組みを進めている。すでに292人が、その結果、無実が明らかになって釈放されたそうです。
つい最近、佐賀県警で、DNA鑑定を担当者がごまかしていたという記事が大きく報道されました。DNA鑑定の信頼性を揺るがしますよね。
アメリカのイリノイ州では、死刑囚について、DNA鑑定の結果、救われた人が13人もいるそうです。問題は、なぜ真犯人でない人が捕まり、ときに死刑判決に至ったりすることです。怖い話です。
さてそこで、えん罪をなくすためにはどうしたらよいのか...、です。この本ではえん罪事件の原因究明と、どうしたら防止できるか、について、えん罪原因調査究明委員会を設置する法律をつくることが提言されています。
これは、3.11原発大災害についての事故調査委員会が設立されていることに自信をもって提言されています。この委員会は国会の下に、独自性をもって権限を行使することが不可欠です。そのためには、法律で権限を明記しておき、予算措置も確保しておくことが必要です。資料を提出させ、証人喚問できるし、立入調査権も付与される必要があります。財政が十分であるからこそ、調査は十分に出来るのです。ぜひ実現したいものです。
この本には愛媛県警の「被疑者取調べ要領」というマニュアルが紹介されています。
粘りと執念をもって「絶対に落とす」という気迫が必要。
「否認被疑者は朝から晩まで調べ出して調べよ」。これには被疑者を「弱らせる」目的もある。ともかく、相手(被疑者)を自白させるまで粘り強く、がんばれというのです。
これによって被疑者が一刻も早く解放されたい一心から警察の描いたストーリーを我が物にして、それが「自白」調書になって、裁判官も騙されることにつながるわけです。やっていない人が嘘の「自白」をしてしまうのです。
えん罪を究明するのは、本来、法務省、検察庁の責任のはずですが、まったくやろうとしません。そこで、弁護士会はあきらめることなく、えん罪の原因究明のための第三者機関を国会の下に設置せよと要求しているわけです。
2012年9月の初版を、今回増補して刊行されています。この関係の日弁連の部会長として活躍している小池振一郎弁護士より送られてきましたので、ここにご紹介します。いつもありがとうございます。
(2025年8月刊。3520円)
2025年9月 4日
團藤重光日記(1978-1981)
(霧山昴)
著者 畠山 亮 ・ 福島 至(編著) 、 出版 日本評論社
私は司法試験を勉強するとき、刑法は団藤(ダンドー)の「刑法網要」上下の2冊を基本書としました。最終盤では、朝から読み始めて夜までに500頁もある部厚い本をなんとか読みあげることができました。結局、繰り返し4回ほど読んで自信をつけて試験に臨み、合格できました。弁護士になってからは読み返していませんが、今も本棚に愛読書として飾ってあります。団藤さんから授業を受けたという記憶はなく、刑法は藤木英雄でした。
団藤さんは最高裁判事となり、大阪空港訴訟も担当しています。政治が介入して大法廷に回付されたことを怒ったと日記に書いているというので、その部分を探したのですが、今までのところ探し当てていません。
最高裁判事というのは皇室とは親密な関係にあるようで、この本には、鴨狩りの様子とあわせて天皇以下の皇族との会話が何回も紹介されています。
私が驚いたのは、団藤さんが天皇に対して、「福江(長崎の五島列島の島)の裁判所には昔、脱獄囚が判事になっていたことがございました」と話しはじめ、天皇の反応が良かったので、詳しく話したということが紹介されていることです。これは一部に有名な実話です。判事になった脱獄囚というのは三池炭鉱が囚人を働かせていたときのことで、そこから脱走したということです。ところが、団藤さんは天皇に対して2つ間違った紹介をしているようです。
その一は、「執行猶予になり」としていますが、そうではありません。その二は、晩年を東京で暮らしていたとしていますが、これも間違いなのです。詳しくは、次に紹介するとおりです。
この日記で紹介されている脱獄囚で裁判官になったというのは、本名を渡辺魁といい、東京生まれだけど島原に育った。父親は島原藩士だった。魁は東京に出て一橋大学の前身の商法講習所で学び、三井物産長崎支店に勤めた。手形を扱っていたことから、支店長印を乱用して460円を横領したのが発覚し、懲役終身(無期懲役)となった。当時の巡査の初任給が6円なので、それなりの被害額だけど、それにしても無期懲役とは重すぎるとされています。
ところが魁は脱走に失敗して、三池炭鉱に送られて囚人として労働させられることになった。そして、1ヶ月もしないうちに三池炭鉱から脱走し、長崎で裁判所に勤める父親のところに行き、そこから、大阪、鳥取そして大分にまわって、そこで辻村庫太と名前を変えて裁判所に事務員として働くようになった。真面目に仕事をしているうちに見込まれ、書記官となり判事登用試験に合格して判事補になった。そして、長崎は五島列島の福江の裁判所で判事として活動するようになった。年俸600円の高給取り。ところが、世間は甘くない。偽名を見破って通報する人がいて、逮捕された。もちろん有罪になるわけだけど、判事として下した判決は有効なのか、本当に官文書偽造が成立するのかという難問をかかえている。そのためか、なんと非常上告では無罪となり、元々の懲役終身刑についても特赦の対象となって釈放された。団藤さんは、その後は東京に住んでいたらしいと書いているが、実は島原で印刷業などを営んで、ひっそりと暮らし、64歳で亡くなった。
魁は、戸籍は、寛永寺で彰義隊が官軍と戦ったときに孤児になったと嘘を言って新しくつくってもらったという。ウィキペディアには関連する本がいくつも紹介されています。そっちの話ばかりになりましたが、あまりに刻明な日記であることに驚きました。そして、執務時間中に、ゴルフの練習場に通ったりもしていたようです。団藤さんの私生活がよく分かりました。
(2025年2月刊。4400円)
2025年8月27日
雫の街、家裁調査官・庵原かのん
(霧山昴)
著者 乃南 アサ 、 出版 新潮社
先日、司法修習生と話していたら、弁護士になっても人間関係のドロドロした家事事件は扱いたくないと言い出して驚きました。だって、弁護士が扱うものは、家事だけでなく、民事も刑事もドロドロした人間関係の真只中に置かれて、より良き解決を目ざすものばかりだからです。私は企業法務を扱ったことはありませんが、そこでも多かれ少なかれ人間関係の泥沼と無縁のはずはありません。恐らく、その司法修習生の頭にあったのは「理論で勝負するビジネス・ローヤー」の姿だったことでしょう。でも、そんなのは幻想に過ぎません。
それはともかく今の若い人の多くは高給取りで安定したビジネス・ローヤー志向であることは間違いありません。初任給が1200万円の弁護士を一つの法律事務所だけで50人も80人も採用しているという現実があります。日本の超大企業にとって、法的サービスへの多少の出費は何ともないほど、超高収益を上げているのです。さらに、テレビやSNSを活用した大手法律事務所(カタカナ名です)が「躍進」しています。
今では官僚の供給資源としての法学部よりも高収入の保障されるコンサルタントへの早道である経済学部のほうが人気だと聞くと、なんだか寂しい限りです。
本書の主人公は家裁調査官。最近は、調査官の志望者も減っていると聞きます。まさしくドロドロした人間関係そのもののなかに首を、あるいは全身を突っこむ大変な職業だと知って、若い人から敬遠されているようです。私は、人間とはいかなる存在なのかを知ることの出来る面白くてやり甲斐のある仕事だと思うのですが...。
親権を父と母のどちらがとるか、親と子の面会交流はしたほうがいいのか、そのときの方法そして回数はどうするか、調査官が面接して裁判官に報告します。裁判官は、およそ調査官報告の内容どおりに判断します。
子どもの父親は誰か...。私が弁護士になったころは、顔写真を見て、どちらに似ているか、というのも重要な判断要素になっていました。DNA鑑定なんかなかった時代です。今ではほぼ100%の確率で判定されますし、費用も10万円以内になっています。それでも、昔も、顔を見ただけで、こりゃあ、親子だというケースがありました。なにしろ、顔がそっくりなのです。
私にも孫がいますが、孫の顔はどんどん変わっていくのを実感させられました。親の顔だけでなく、祖父母の顔までそっくりになることがあるのです。面白いものです。誰だって、自分の顔に似た子どもは可愛いものですからね...。
子どもの親権者をめぐる争いで、一番嫌な、困ったケースは、父と母が自分は引き取らない、引き取れないといって、相手に押しつけようとするものです。何回も体験しました。結局、両親がいるのに、施設に入れられます。もちろん、面会にも行きません。そんな施設を卒業した人の話を何人からも聞きました。やはり世間並みに親が欲しかったというのです。それはそうですよね、やっぱり...。
でも、毎日いがみあう両親の下で育つと、子どもは大変です。なんでもっと早く離婚しなかったのかと思ってしまいます。たいてい、経済力に自信のない女性(母親)が無理に我慢してしまうのです。そして、我慢しているのは子どものためだといいます。子どもは、それではたまりませんよね...。
考えさせられる人間ドラマのオンパレードでした。
(2023年6月刊。1850円+税)
2025年8月20日
概説・日本法制史
(霧山昴)
著者 出口 雄一・神野潔 ほか 、 出版 弘文堂
改めて日本法制史を読むと、知らないことがたくさんありました。
鎌倉時代の執権は、政所別当と侍所別当を兼ねる役職からなる。
鎌倉時代の訴訟は三問三答式。訴人(原告)が問注所(裁判所)に訴状と証拠書類の写し(具書案)を提出し、また訴人は論人(被告)に訴状を届ける。論人は、反論(陳状)を提出する。このやりとりは3度まで。そして両者の対決がある。訴人と論人が担当の奉行からの質問に答える。そして、裁許状(判決文)が作成される。現代日本の労働審判は3回期日で終わりですので、発想は似ている気がします。
戦国時代の刀狩令では、槍・弓・鉄砲は没収されず、刀、脇差ばかりが没収された。これは帯刀する権利を武士、奉公人で独占し、他の身分には許可制とする、身分政策だった。
江戸時代、村の百姓も脇差は差すことができ、村には野獣狩りのための鉄砲はたくさんあった。一揆のとき、百姓たちは鉄砲を使わないという暗黙のルールがあった。
江戸時代、三代将軍家老のときまで六人衆がいて、老中・若年寄制はまだなかった。六人衆が亡くなったとき、補充されず、老中と若年寄が制度として確立した。
幕末のころ、隠れ切支丹を幕府は取り締ったが、明治政府は開港・開国のなかで、キリスト教禁令を解除せざるをえなかった。ただし、明治政府がキリスト教の信仰を制限つきでありながら認めたのは、明治22(1889)年の大日本帝国憲法だった。それまで隠れ切支丹だった人々が大挙して長崎で出現したのです。同じことが久留米の先にも起きました。浮羽の先の今村地区です。明治になってから立派な教会堂が建設されました。改築されて、今も堂々とした教会堂として現存しています。
帝国憲法(明治憲法)は君主主権をうたっています。国民主権ではありません。先日の参院選で「躍進」した参政党の新日本憲法草案は、国民主権ではなく天皇主権に戻すというものです。今どき信じられない発想です。参政党の草案には、憲法が権力を縛るものだという発想がまったくありません。そして、日本国憲法で保障している、表現・言論の自由などの基本的人権の保障がほとんど抜け落ちています。恐ろしい内容です。そんなことを知らないで、ムードに流されて参政党に投票した国民が少なくなかったように思われます。
日本を名実ともに法治国家にして、人権がきちんと保障されるようにしたいものです。そのための不断の努力が求められています。
(2023年10月刊。3960円)
2025年8月 5日
検証・安保法制10年目の真相
(霧山昴)
著者 長谷部 恭男 ・棚橋 桂介 ・豊 秀一 、 出版 朝日新書
安保法制は憲法違反だ。このことを司法の場ではっきりさせようという裁判が全国各地で提起されました。私も福岡訴訟に少しばかり関わりました。
全国で25件の裁判が起こされ、原告は7700人、弁護士も1700人が代理人となった大型訴訟です。その中心的役割を担ったのは長崎出身の寺井一弘弁護士(故人)でした。日弁連事務総長、法テラス理事長もつとめています。
安保法制が憲法違反だということは、憲法学者、元法制局長官そして、元最高裁長官まで声をそろえて一致しています。山口繁、元最高裁長官は、朝日新聞のインタビューにこたえて、「少なくとも、集団的自衛権の行使を認める立法は違憲と言わねばならない」と明快に語りました。「違憲の疑いがある」という、あいまいな表現ではなかったのです。
国会審議のなかで、呼ばれた3人の憲法学者が、全員、安保法制は憲法違反だと断言しました。早稲田大学の長谷部恭男・笹田栄司、慶応大学の小林節名誉教授の3人です。内閣法制局の元長官として、宮崎礼壹(れいいち)、ほかに阪田雅裕氏なども違憲だと明確でした。
ほとんどの裁判所が憲法判断を示さなかったなかで、唯一、憲法判断したのが仙台高裁の小林久起(ひさき)裁判長でした。2023年12月5日の判決です。残念なことに、小林判事は定年も間近でしたが、翌2024年4月20日、突然に病死(致死性不整脈)されました。
集団的自衛権の行使を「部分的」に許容したとされる安保法制の合憲性について、中身に踏み込んで判断したのです。ところが、判決が原告の請求(控訴)を棄却するものであったことから、メディアは、安保法制の合憲性を認めたものとして報道されました。
しかし、長谷部教授は、単純にそう読んではいけないと指摘し、その理由を詳しく展開しているのが、この新書です。長谷部教授の詳しい解説の結論は、集団的自衛権を行使するのは、実のところほとんど不可能だということです。
他国が武力攻撃されたとき、それが日本国民の生命・自由・幸福追求に対する権利が根底から覆される場合、この場合だけが、集団的自衛権の行使が認められるものであるとし、その条件が厳格に守られる限り、明白に違憲とまでは言えない、ということ。しかし、実際問題として、この条件は、まず考えられないから、実質的には、集団的自衛権の行使は認められないと判決は言っているということ。そこで、集団的自衛権の行使を可能にする自衛隊法76条1項2号は、法令として意味をなさない、死んでいる、死文だ、使おうと思っても使えない条文だと小林判決は言っている。
したがって、長谷部教授は、小林判決は、原告団が求めたものは得られていると評価します。なので、この仙台高裁判決について、原告団が上告しないと決断したことも長谷部教授は是認し、同調しています。
小林判決の前、長谷部教授が法廷で証言するについては、裁判所のほうから訊きたいという声が上がったというのも異例のことでした。そのうえ、仙台高裁では小林裁判長は長谷部教授に対して、なんと30分間も延々と補充尋問したというのです。それは、先行する棚橋弁護士の尋問が下手で、ポイントを外していたからというものではありません。
長谷部教授を証人として採用する前、小林裁判長は、「この裁判では、司法の領域なのか政治の領域なのかについても争点となっているし...、裁判は原則的に口頭主義であって広く傍聴人も聞いてもらうという意義もあるから」と言明したとのことです。これはすごいですね。
小林裁判長は、我が国の国民が存立の危機に陥って、国民の生命・自由・幸福追求の権利が根底から覆されるという恐れが、他国への攻撃によって起こるということは、どうも考えられないと思ったのではないか...。
棚橋弁護士は、法廷にいて小林裁判長が判決文の要旨を読み上げるのを聞いていた。すると、小林裁判長は、傍聴人に語りかけるような感じで読み上げていったが、なかでも肝心なところは、特にゆっくり声を張り上げていたことを紹介しています。なるほど、小林裁判長は、傍聴人(記者も来ています)を通して、世間にアピールしようとしたんですね...。
そこで、長谷部教授は、この小林判決の全文に目を通したうえで、「裁判官として精一杯の判断をしたという印象だ」と朝日新聞のインタビューに答え、さらに、「政府にクギを刺した判決だ」ともコメントしています。政府に対して、厳格な条件を守りなさいよと言っている判決だというのです。
日本に対して本気で武力攻撃するつもりなら、弾道ミサイルを撃つような効率の悪い真似をするよりも、日本海岸の原発(原子力発電所)を二つ三つ壊してしまえば、それでもう日本はおしまい。これは長谷部教授の指摘ですが、まったく、そのとおりです。
小林判決をまさしく深堀しています。少しばかり難しい展開もありますが、今の司法を取り巻く状況のなかで、小林裁判長はギリギリの線まで考え、考え抜いたのではないか。この悩み事をふっ切って書いた判決だということのようで、私としては、もっと世間に分かりやすく、ズバッと、違憲だと断じてほしかったのですが...。
(2025年7月刊。990円)
2025年7月 4日
憲法事件を歩く
(霧山昴)
著者 渡辺 秀樹 、 出版 岩波書店
今の最高裁はひどいものです。安保法制が違憲であると全国で訴えた裁判は全部、上告棄却してしまいました。しかも、問答無用式で、何ら実体的真実を究明しようともしませんでした。そして、弁護士出身の裁判官など、さっぱり存在感がありません。彼らのほとんどはいわゆる五大法律事務所出身です。大企業と日頃つきあっていると、人権感覚がまるで摩耗してしまったのでしょう。残念でなりません。むしろ、検事(三浦守)と学者(宇賀克也)がなんとかがんばっているという感じです。
有名な砂川事件が起きたのは1956年7月のこと。1959年3月、東京地裁の伊達秋雄裁判長は、日本政府が米軍の駐留を許容しているのは「戦力の保持」に該当するので憲法違反だから、被告人は無罪としたのです。まさしく画期的な判決。これに慌てたアメリカは、日本政府に圧力をかけて飛躍上告させた。そして最高裁判官の田中耕太郎(あまりにおぞましい人物なので、当然のことながら呼び捨てします)は、駐日アメリカ大使と密談を重ねていて、合議の秘密をもらし、アメリカ政府の指示するとおりに動いたのでした。アメリカの国立公文書館に文書が残っていたのを日本人ジャーナリストが発掘したのです。そのことが明らかになってからも、裁判官たちは田中耕太郎をかばい続けていますので、結局、今の裁判官の多くも田中耕太郎と同類だということになります。
同種の恵庭事件のときは、最高裁が憲法判断せずに無罪判決で終わらせように指示したようです。遺族が証言しています。
長沼ナイキ訴訟のときは、当時の札幌地裁の所長である平賀健太が担当裁判官(福島重雄判事)に圧力をかけ、それが明るみに出て、大問題になりました。ところが、問題を起こした平賀所長ではなく、福島裁判官のほうが「偏向」だとして攻撃されたのでした。福島裁判官は、その後、冷遇されたけれど屈することなく、定年退官のあと弁護士になり2025年2月に94歳で亡くなった。
自衛隊をイラクに派遣するのは違憲だとする裁判で、名古屋高裁(青山那夫裁判長)は、理由中で明確に憲法違反と断じた。そして、平和的生存権を訴訟上の具体的な権利として認めた。
人間裁判として有名な朝日訴訟(原告は朝日茂)で東京地裁(浅沼武裁判長)は、憲法25条は人間に値する生活を可能にする程度のものでなければならないという、当然といえば当然の、画期的判決を出した。
この浅沼武裁判長は退官後弁護士となり、私も関わった灯油裁判の被告企業側の代理人として出廷してきていました。裁判のひきのばしを図った(と思った)ので、私は、「もっと勉強して裁判を早くやるように」と野次を飛ばしたことを思い出します。あとで先輩から、「あんたも勇気があるね」とほめられた(皮肉られた)ことを覚えています。
私が大学生のころ、そして司法修習生のころ、三菱樹脂事件がありました。東北大学法学部を卒業して入社したころ、試用期間満了前に「依願退職」するように告げられたのです。要は、大学生のとき生協で活動していたので、思想的に難があると思われたのです。
東京地裁も東京高裁も高野さんが勝訴したところ、宮沢俊義が会社側の見解にそった意見書を書いたため、最高裁は東京高裁に差し戻すとの判決を出した。これにくじけず運動したところ、和解が成立。高野さんは13年たって会社に戻り、その後は順調に昇進し、子会社の社長にまでなっています。よほど人柄が良かったのでしょう。私も何度か話を聞いたことがありましたが、誠実そのものの人だと実感しました。
私は刑事裁判のなかで憲法違反を主張したことがあります。戸別訪問罪です。欧米の選挙運動は戸別訪問を主体としています。庶民がお金をかけずにやれるのが戸別訪問ですから、買収・供応の温床になるという口実で禁止しているのはまったく間違いだと考えています。しかも、私の担当した事件は、市会議員が商店街に一軒一軒、手渡しで「講演会に来んかんも(来てください)」と言って歩いたというだけなのです。オープンな店でビラを配るのが「買収・供応の温床になる」なんて、夢にも考えられませんが、戸別訪問みなし罪として起訴されたのです。一審の福岡地裁柳川支部(平湯真人裁判官)は憲法違反と断じて無罪としました。残念なことに、その後、福岡高裁も最高裁も有罪(公民権停止なしの罰金刑)にしてしまいました。そのうえ、平湯裁判官は、その後も「支部まわり」を続けさせられました。途中退官して弁護士になってからは少年事件を専門分野の一つとして活躍されましたが、少し前に病死されました。
憲法をめぐる裁判をふり返った、意義ある本です。
(2025年4月刊。2500円+税)
2025年7月 2日
志と道程
(霧山昴)
著者 宮本 康昭 、 出版 判例時報社
裁判官としての再任を不当にも拒否された著者が満州から敗戦後に苦労して母と子3人で日本に帰国した体験を踏まえて、司法反動化の象徴でもあった再任拒否に至る状況をほとんど実名で紹介しています。改めて著者の人間としての芯の強さと再任拒否の不当性に思い至りました。裁判官としての著者のすごさは、転任するたびに旧任地の人々がたくさん見送りに駆けつけたことにあらわれています。
初任地の福岡から新潟地裁長岡支部へ転任したとき(1964年3月)、裁判所の職員だけでなく、大学の先輩後輩、家族、親戚、はては近所の人まで駆けつけて、旧博多駅のコンコースが見送りの人で埋まったというのです。
さらに、再任拒否されたあと、熊本簡裁の判事としてまだ身分が残っていて、著者が仕事で長岡支部に立ち寄ったとき(1972年ころのようです)、ときの支部長が「今日の午後は長岡の裁判所は休業にする」と宣言し、庁舎2階の大会議室に全職員が、電話交換手から守衛さんまで、全員が集まって、楽しい時間を過ごしたというのです。信じられません。考えられないことです。よほど印象深い支部長だったのでしょう。
青法協攻撃、司法反動化の米兵となったのが雑誌『全貌(ぜんぼう)』でした。薄っぺらな冊子ですが、このころ書店の片隅で売られていました。これに、「裁判所の共産党員」として青法協裁判官部会の裁判官の名簿を載せたのです。
この攻撃を受けて、青法協から分離独立しようという動きが出てきました。主唱者は町田顕(あとで最高裁長官になる)で、若い推進者が江田五月(あとで政治家に転身。私が横浜地裁で修習中に青法協の小さな勉強会にチューターとして役の裁判官としてきてもらったことがある)。このときまで、著者は町田顕を裁判官の活動の中での指導者だと考えていたとのこと。町田と江田の二人は、対決を回避して当面を糊塗することに頭を働かせるばかりのエリートの弱さだと著者は鋭く批判します。
最高裁の岸盛一事務総長は、裁判官が青法協を脱退するのを「業務命令」だとまで言って強引に推進した。それまで岸盛一はリベラル派の刑事裁判官だと評定があったのに、「なんという変わりよう。裁判官としては、これで終わったな」と、著者は思ったのでした。
青法協会員だった350人の裁判官は、脱退したかどうかで、その後はきれいに分かれた。「司法権力はエゲツなく、何十年たっても執拗だ」と著者は断言します。
脱会届を出した158人のうち、最高裁判事が6人(うち1人が長官)、高裁長官が12人、所長は64人。青法協に残った200人のうち、高裁長官になったのは2人だけ、地・家裁所長が3人。いやはや、歴然たる差別です。
著者に尾行がついたり、スパイ役をする裁判官までいたという話が出ています。尾行したのは素人のようですから、専門の公安刑事ではなく、裁判所の職員だったのでしょう。著者宅の電話も盗聴されていたようですが、これは高度の技術を要しますから、恐らく公安警察でしょうね。
再任拒否にあっても著者は泣き叫ぶこともなく、外から見ると、いかにも冷静沈着に行動しました。判事としての再任がなされなくても簡易判事として残れることが判明したら、その簡裁判事の仕事をまっとうしたのです。これは並みの人にできることではありません。どうして、そんなことが出来たのか。
その秘密がこの本の前半に詳しく語られています。著者の一家は戦前、中国東北部(満州)に渡り、日本敗戦時は9歳、父親はソ連軍からシベリアに連行されて、母と著者と妹2人が生命から日本に帰ってきたのでした。
父親は熊本県山鹿市出身で、満州では領事警察官でした。1945年8月9日、ソ連軍が満州に侵攻してきたとき、父親は著者たちに青酸カリの錠剤を渡した。そして、青酸カリを飲むゆとりがないときに備えて、小型の拳銃(コルト銃)を著者に渡して、「この拳銃で、まず母を、それから妹たち2人を、最後に自分を撃て」と命じたのです。これを受けても、著者に母や妹を射殺することに何ら罪悪感はなく、恐怖心もなかった。ただ、父の言ったとおりにできるかどうかだけが気がかりだった。いやはや、なんということでしょう。9歳ですよ。
それが、ソ連軍の侵攻が予定より遅れたことで、著者たちは死なずにすんだのでした。「ボクは9歳からが余生なんだよ」と著者は思ったというのです。
一度は捨てたこの命。ここまで思い定めたら、司法反動の嵐のなかで「クール」な対応をしたのは、ある意味で当然だったことでしょう...。すごい経験です。感動そのものでした。
世の中で忘れてはいけないことがあることを痛感させられる本でした。今後ひき続きのご活躍を祈念します。
(2025年6月刊。2420円)
2025年6月11日
司法が原発を止める
(霧山昴)
著者 井戸 謙一 ・ 樋口 英明 、 出版 旬報社
元裁判官の2人が原発に関わる裁判の現状と問題点、そして司法の果たすべき役割を対話のなかで鋭く指摘している本です。とても読みごたえがありました。現役の裁判官に読んでもらえたらいいんだけどな...と思いながら読みすすめました。
3.11まで原発は安全だと思い込んでいた。樋口さんはそう言います。今でも残念ながら少なくない日本人が原発は安全だと漠然と思い込んでいると私は考えています。
原発は建物の耐震性だけが問題ではない。配電や配管の耐震性も必要。本当にそうなんですよね。ともかく冷却水をずっと送り込まないといけないのが原発なんですからね...。
最高裁は裁判官を集めて、ディスカッションという名のレクチャーをした。それは、行政の基準を尊重すればいいというもの。
最高裁判所の判決でも、規制基準の内容の合理性を判断せよとも言っているのに、その基準の適用のほうだけを問題とする下級審判決が多いが、それは間違い。
基準の内容の合理性と適合判断の合理性の二つを判断しろというのが最高裁の判決なのに、一方は無視されている。これはおかしい。
規制基準は行政処分の審査基準なのだから、裁判所は、それに縛られることなく、それ自体の合理性を判断しなければいけないのに、それを怠っている裁判所がほとんど。
樋口判決は立証責任論がオリジナルであることと、説明が一般人にとても分かりやすいという二つの大きな特徴がある。
私も、まったく同感です。すらすらとよく分かる流れの判決文でした。
自分の書いた判決が他の原発にも波及して全部を止めてしまうことになると思うと、裁判官には大きな勇気が必要となる。よほど肝のすわった人でないと、原発を止める理屈を判決文に書くのは難しい。残念ながら、多くの裁判官にはそこまでの勇気がなく、なんとかごまかして逃げようとします。
先日の東京高裁の東電役員の責任を不問に付した逆転判決もそうでした。いろいろへ理屈をつけて、自分の責任のがれをする裁判官が圧倒的に多いのが現実です。
裁判官は、最高裁の結論に従うこと、最高裁が出すだろう、政府寄りの結論に従っておけばいいという教育を所内で受けている。勇気を奮い起こさせないようにしているわけです。
樋口さんは、熊本地裁玉名支部の支部長をしていたことがあります。当時の熊本地裁の所長は簑田孝行さん(現弁護士)でした。
井戸さんは裁判官懇話会などに積極的に関わっていましたが、樋口さんは関わっていませんでした。なので、福岡地裁柳川支部長をつとめた山口毅彦さんも知らないそうです。
裁判官にも、かつては青法協の会員が300人ほどいたのですが、今では組織自体がありませんし、交流のための全国懇話会も消滅してしまっています。ほとんど最高裁の思うままの人事統制が効いているといえます。
そのなかで病理現象が生まれています。つまり、上のほうだけを見て、要領よく仕事をやっつける人ばかりが目立つのです。本当に残念です。
たまに自分のコトバで語る裁判官に出会うとホッとします。自分の頭で考えて、自分で把握したことしか判決には書かないというスタイルを貫く裁判官。前はいましたけれど、今はごくごく少ないように弁護士生活50年になる私は思います。
井戸さんは、今は弁護士として、原発や再審に取り組んでいます。
樋口さんは弁護士にならず、年に40~50回の市民向けの講演をして全国をまわっています。たいしたものです。
原発は日本には必要ない。現に関東首都圏には原発の電気は供給されていない。これで日本は十分にまわっているわけです。なので、原発はなくてもいいのです。
台湾も日本と同じく地震の多いところですが、原発全廃を決めています。日本もそうすべきです。
原発の危険性は核兵器と同じ。自国に向けられた核兵器である。原発は、ちょっとした攻撃にも耐えられない。ほとんど無防備。自衛隊も警察も原発を完全に防護することは不可能。原発は、その後始末の莫大な経費を考えたら、「安上がり」どころではない。とんだ金食い虫の典型。
原発の運転の差し止めを言い渡した裁判官は7人。認めなかったのは30人以上。
私は、この7人の裁判官こそが司法の使命を自覚した人たちだと考えています。自己の信ずるままに勇気をもって判決(決定)を書いたのです。
2人の勇気ある元裁判官の対談を読んで、私も元気をもらった気がしてきました。学生のときセツルメント活動をしていたという共通点のある井戸弁護士に贈ってもらいました。ありがとうございます。今後ますますのご健闘を祈念します。
(2025年6月刊。1760円)