弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年5月13日
最高裁判所と憲法
司法
(霧山昴)
著者 泉 徳治 、 出版 岩波書店
とても常識的で、まともな指摘が満載の本です。最高裁判決の間違いをズバリズバリいくつも指摘しています。ホント、そうなんだよな、つくづくそう思いました。
たとえば、弁護士にとって、身近な話である、警察署の面会室で、弁護士がアクリル板ごしに被疑者を撮影したからといって、庁舎内の規律・秩序・安全が脅かされ、逃亡、または罪証隠滅の恐れが生じるというようなことはありえない。著者はこのように断言しています。まったくその通りです。
弁護人が撮影した写真を利用して逃亡や罪証隠滅にあたる行為をする恐れがあると言っているに等しい判決は、憲法で認めている弁護人依頼権、接見交通権それ自体を否定するに等しい議論だ。そのとおりだと私も思います。
面接室内での弁護人による写真撮影禁止の根拠は法務省矯正局長通達があるだけ。法律ならともかく、行政内部の通達で憲法34条前段で保障された写真撮影権を制限することは、法律の留保原則にも反している。そのとおりです。精一杯、拍手します。
また、著者は、憲法34条前段の解釈として、逮捕段階から被疑者の国選弁護人選任請求権が認められるとしたうえで、さらに、捜査機関の被疑者取調べに対する弁護人の立会権も認められると解すべきだとしています。
著者は、このような見解の根拠として国連の自由権規約14条3項には、弁護人立会権も明記されていることをあげています。そして、結論として、社会経済活動におけるグローバル化が進んでいる今日、刑事手続も国際水準に近づけるべきだと強調しています。
そこで、こんなことを言っている著者はいったい何者なのかというと、すごい経歴なのです。最高裁の調査官、民事・行政局長、人事局長、事務総長を歴任したうえで、最高裁の裁判官を6年2ヶ月つとめています。まさしくミスター最高裁とも言える当局サイドの人なのです。
しかし、著者の論理展開はあくまで常識的であり、穏当そのものです。
最高裁判決の誤りとして真っ先にあげられているのは、1978(昭和53)年10月4日のマクリーン判決(大法廷判決)です。この判決では、法務大臣は憲法の拘束を受けずに外国人に対する退去強制関係の処分を行うことが出来るとされているけれども、国の行政は憲法の枠内で執行すべきものなのだから、法務大臣が退去強制関係の処分を行うについても、憲法による拘束を受けるものである。したがってマクリーン判決は明らかに間違っている。まことに論旨明解です。
さらに、入国者収容所長等が入管法に基づき行う身体に対する強制力の行使について、東京地裁は、自由権規約は所長の裁量権を制約しないと判示したが、これはマクリーン判決の誤った判示を、マクリーン判決も触れていない身体に対する強制力の行使にまで及ぼすもので、二重の誤りを犯すものだと厳しく指摘しています。
マクリーン判決の誤りの影響下にある裁判実務を指摘し、それを払拭するには、弁護士も裁判官も、もっと条約のことを勉強する必要があると著者は繰り返し強調するのです。
ところで、日本でもヨーロッパ人権裁判所の判例を積極的に引用した判決がいくつかあるそうです。都議会議員選挙の定数が人口比例原則に応じていないことについての最高裁令和4年10月31日判決についても著者は誤っていると断じています。定数是正は議会にはまかせられない、それを是正するのは裁判所の果たすべき役割だとしています。これまた、まことにもっともだと思います。
著者は神田の古本屋街をよく歩いているようですが、そのなかで司法関係者の随筆を埋もれたなかから掘り出して、本書でコラムとして紹介しているのも興味深いものがあります。
一番驚いたのは三ヶ月章の親友で特攻隊員として戦死した人に捧げた追悼本です。数冊しか製本したうちの1冊を入手したのでした。すごいことです。また、最高裁ウィスキー党物語と題するコラムは、かつての古き良き時代を感じました。私の50年前の司法修習生のころにも、裁判官室の机にウィスキー瓶が入っているという話はよく聞いていました。検察修習のときは、夕方の閉庁時間になる前から修習室で検察教官を含めて酒盛りが始まっていました。今では、もちろん考えられません。
著者からありがたくも贈呈を受けましたので、早速、机の上に置いて読みはじめて、書面作成のあいまに数日かけて読了しました。大変勉強になった刺激的な本です。ありがとうございます。
(2025年4月刊。5800円+税)