弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2023年3月30日

犯罪の証明なき有罪判決


(霧山昴)
著者  吉弘 光男・宗岡 嗣郎 、 出版  九州大学出版舎

 この本のタイトルって変ですよね。有罪判決というのは、犯罪が証明されたから宣告されるもののはずです。なんで犯罪の証明がされないのに有罪判決が出せるんですか、おかしいでしょ。いったい、誰が書いたの、この本は・・・。どうせ、ネットで注目を集めたいというだけの人騒がせな連中でしょう。
 いやいや、ところがところが、予想に反して、実は九大の刑法学の先生たちが集まって問題ある判決を集め、研究して世に送り出した警世の書なんです。
 サブタイトルに「23件の暗黒裁判」とあります。犯罪の証明がないのに有罪判決が出た23件を徹底分析しています。読んでいると、背筋が氷ってきます。寒気がして気分まで悪くなります。
 日本の最高裁判所について、実は「最高」ではなく、「最低裁判所」というほかないと残念ながら私は確信し、断言します。その根拠は、本書でも紹介されている砂川事件判決です。このとき、最高裁は全員一致で、日米安保条約が違憲であると認めて被告人7人を無罪とした一審判決(伊達和雄裁判長)を棄却し、有罪の方向へ引っ張りました。問題は、その論理ではありません。長官の田中耕太郎(軽蔑するしかない男ですので、敬称なんかつけません)は、なんと最高裁の評議内容をアメリカ大使を通じて実質的な裁判の当事者であるアメリカ政府に伝え、しかも、その指示を受けて行動していたのです。私が勝手に言っているのではありません。アメリカ政府の正式文書に記載されていることなのです。最高裁長官が自ら司法権の独立を踏みにじっていたわけです。これが明らかになっているのに、今まで日本の最高裁はコメントすらしていません。同類だというわけです。
 この田中耕太郎は戦後最大のクレームアップ(冤罪事件)と言われる松川事件のとき、「木を見て森を見失しなわないこと」が必要だと言いました。被告人のアリバイを立証する諏訪メモが発見されたので、当然に無罪とすべきなのに、捜査官が作成した大量の「調書」に書かれた事実を「森」として、有罪にしていいと主張するのです。
 捜査官の調書なんて、実のところ作文でしかありません。客観的な裏付けがあって初めて意味があるのです。
 「ことばだけが、どんなに相互に補強しあったところで、それが事実を証明するものだとはいえない」つまり「ことばとことば」ではなく「ことばと事実」の一致だけが「事実の真相を明らかにする」(岡村辰雄弁護士)。まったくそのとおりです。
 事実を直視しないで、どうして事実の認識(事実認定)ができるものかと著者は強調しています。まったく同感です。
 田中耕太郎は、戦前に思想係検事(共産党弾圧の先兵)だった池田克が戦後、公職追放されたのに、最高裁判事に任命しました。これまた、ひどいものです。いえ、ひどすきます。
 戦前の特高警察は、容疑(証拠)があって逮捕するのではなく、逮捕してから容疑をつくった。池田克は典型的な冤罪事件である横浜事件について、自ら「でっち上げ」をしながら、検察官が犯罪を「でっち上げ」ることはないと厚顔にもインタビューを受けて答えたのでした。
裁判官は、検察官に対してあたかも同僚のような信頼感をもち、「判検一体」となった訴訟指揮をすることが多い。そして、被告人に対しては法廷では嘘をついて罪を免れようとしているという偏見をもち、「おれは騙されないぞ」と、捜査官のような予断をもっている。
「裁判官は証拠で認定するのが本来ですが、なかには証拠が薄くても本当に被告人が犯人だと確信してしまえば、多少判決の説明が苦しくても有罪判決する裁判官がいる」(木谷明元判事)。しかし、たとえ裁判官がどれほど強く有罪への確信をもって心証を形成しても、証拠の薄さに由来する「疑わしさ」が残るかぎり、「犯罪の証明があった」とは言えず、有罪判決は書けないはず。有罪の「心証」ではなく、有罪の「証明」が必要なのである。
 ところが、裁判官は有罪の証明ができないときに「事実を創作」してしまう。もちろん、こんなことはあってはならないことですが、ときどき起きているのが現実です。
「そこに・あった・事実」を直視(直観)することなく、内容が現実と一致しない自白であっても、「論理的な可能性」すなわち「思考上の可能性」の観点に立脚したり、事実を抽象化して自白内容と現実との矛盾を解消したり、事実の有無を記憶の問題にすりかえる。
 50年近く弁護士をしていると、ときどき、すばらしい裁判官に出会うことがあり、いやいやまだ日本の裁判官も捨てたもんじゃないなと思い直すことがあります。でも、そんなことはめったになく、ホント、たまに・・・です。残念ながら、それでもルーティンとして流れていくのは、ふだんは、それほどの対決点がない事件が多いからです。
 300頁の本ですが、大変勉強になりました。一生懸命、大事な指摘だと思ったところは赤えんぴつでアンダーラインを引きながら久しぶりに精読しました。一読を強くおすすめします。こんな硬派の本って、いったい、どれくらい売れているのでしょうか。心配にもなりました。

(2023年1月刊。3200円+税)

2023年3月15日

福島第一原発事故中通り訴訟


(霧山昴)
著者 野村 吉太郎 、 出版 作品社

 「中通り訴訟」とは、2011年3月11日の福島第一原発事故のあと、避難せずに福島市等で暮らす市民52人が東電に対して合計1億円の慰謝料を請求した訴訟。代理人は東京の著者一人で、被告は東電のみで国は被告としていない。
 東電は裁判所の和解勧告を蹴り、一審で住民側が勝訴すると控訴し、さらに上告もした。もちろん上告棄却となって高裁判決が確定した。高裁判決は基本的に慰謝料30万円を認め、既払金8万円を差し引き、弁護士費用2万2000円を加算した。
 原告52人のうち、男性は5人のみで、女性が47人と圧倒的に多い。世代としては事故時に60代22人、50代15人と、この二つの世代が多い。
 3.11から3年後の2014年3月に弁護士と原告予定者の第1回目の話し合いがもたれた。その後、弁護士と原告予定者が個別面談を重ねて、陳述書づくりをすすめた。
 2年後の2016年4月に福島地裁に提訴し、8月に第1回口頭弁論。2年後の2018年2月から原告本人尋問がはじまり、7回の本人尋問で、ほぼ原告全員が法廷で陳述した。
 2020年2月に福島地裁で原告側一部勝訴判決。9月に仙台高裁は1回で結審し、2021年1月に判決。2022年3月、最高裁が上告受理申立を認めず確定。
 当初の原告予定者は100人ほどだったが、陳述書がまとまらずに断念した人も多く、結局、原告は52人となった。著者は、それぞれ3200字以上の陳述書を書いて、1人100万円の慰謝料を求めてたたかおうと原告団を励ました。陳述書を完成させるまでに、最低3回、多い人は10回以上も弁護士である著者の指導を受けて書き直した
 著者は原告に「ヌードになれ。せめてセミヌードに」と言い、「自分をさらけ出すこと」を迫った。そして、原告本人尋問の前には2回、そして前日もリハーサルをやった。つまり3回もリハーサルして、原告は本番の法廷にのぞんだ。
 本文470頁の大著である本の中には、52人の原告の陳述書が2段組で紹介されています。その全部に目を通しましたが、本当に大変な状況に追い込まれたことを改めて知りました。
放射線被爆の下で、家族を避難させるのかどうか、家族の分断が生まれ、気まずい状況も生まれます。
子どもたちは福島にいる限り、室内に閉じ込めておくしかありません。東京に出て、子どもたちが地面の上を駆けまわっているのを見て涙が出てきます。そして、甲状腺検査をすると、結果はA2。20ミリ以下ののう胞があることが判明。再検査の必要はないというけれど、本当にそうなのか。
自宅周辺を自ら除染する。行政はすぐには動かないし、業者に頼んだらいつになるか分からないというので、自分たちでやってみる、庭に穴を掘って、汚染土を埋め込む。身体のあちこちにガタが来る。
放射能のせいとは断言できないが、子どもたちが鼻血を出す。大人も病気になる。そうでなくてもストレスから体調不良になる。
小学生の子どもから、「自分の命は40万円なの?」と尋ねられ、何と返事してよいか分からない...。
庭の花、畑の野菜そして柿やシイタケなどの自然の恵みに触れて豊かな老後生活を楽しんでいたのが突然断ち切られ、孫たちとも離ればなれにさせられた。これで慰謝料4万円ですまそうという東電は絶対に許せない。
身につまされる陳述書ばかりでした。いま、岸田政権は12年前の大事故を忘れたかのように原発再稼働をすすめようとしています。信じられません。3.11の原発事故が日本社会にもたらした深刻な打撃の実情をまざまざと認識させられる本です。著者は日弁連で調査室の室長をしていましたので、私も面識があります。大分県竹田市の出身です。
(2022年12月刊。税込4290円)

2023年1月26日

あの日々


(霧山昴)
著者 髙木 國雄 、 出版 作品社

 ベテラン弁護士が活写する迫真の法廷小説。これがオビのフレーズです。なるほど、です。前に『やつらはどこから』(作品社)を読み、このコーナーで紹介しましたが、今回もなかなか読ませます。
 まずは、若き司法修習生が直面した法曹界の実態が描かれています。司法研修所に入って4ヶ月間の前期研修のあと、全国各地に散らばって、実務修習として、裁判所、検察庁そして弁護士のもとで見習いをすることになります(今は違います。この本は50年前の話です)。
 主人公の司法修習生は同じ刑事事件を裁判所と担当弁護士のところで扱うことになりました。裁判官同士の会話は、もちろんフィクションですが、大いにありうる内容です。
 ただ、検事正を「長官」と呼び、慣られるという記述には、とても違和感を覚えました。福岡には福岡高等検察庁があり、また地方検察庁ももちろんありますので、検事正を「長官」と呼ぶことは絶対にありえません。混乱するからです。長野の特殊性なんでしょうね。
 もう一つ違和感があったのは、弁護修習のとき修習先を司法修習生にまかせていることです。もちろん、これはありうることでしょうが、福岡では原則として司法修習委員会が決定します。地元の有力弁護士を希望する人が多く、「左翼」弁護士には希望者がいないというのではまずいからです。
 主人公の修習先の福森啓太弁護士(長野の富森啓児弁護士を思わせます)は超多忙。
 「権力や大企業とことを構えないのが、平穏で賢明な生き方...」
 多くの弁護士が「高みへ逃げて」いるのに反し、福森弁護士は情熱の塊のような若くて有能な弁護士として東奔西走している。一般民・刑事事件のほか、地元の労使対立紛争の労働者側代理人を一手に引き受け、さらに国や地方自治体、税務署など行政相手の折衝、裁判をになっている。そして地方労働委員会の事件が多く、夜7時から10時まで、多いときは週に2日も公聴会に出席。
 いやあ、これはたまりませんね...。でも、そんな弁護士の下で修習できる弁護士は幸せそのものです。
 そして、裁判官。
 「微妙な見方の違いに目をつむれば、地方廻りより中央で活躍できて、早く地裁所長にもなれる。それに満足する人生もある」
 「それはおかしい。出世を望むのなら、行政官僚を目ざせ。司法は、それに距離を置いて、正義や平穏な秩序づくりを目ざすべきだ」
 こんな青臭い議論を私も司法修習生のころ、していました。青法協(青年法律家協会)の憲法擁護活動の一環として、公害現地の見学・視察や学者や事件当事者を招いて勉強会・セミナーを開催するなどです。
 この本に登場する定年間近の裁判官は司法修習生に向かって、法曹として何がもっとも大事な資質なのか...と問いかけ、自らの答えを披瀝します。
 それは豊かな想像力だ。豊かな想像力を生む、その人の豊かな経験に勝るものはない。
 なるほど、たしかに想像力は大切だと思います。でも、これが口で言うほど簡単ではありません。ついありきたりの、「枠」思考にとらわれてしまいがちになります...。
 この本では、刑事事件において裁判官が無罪判決を書くことがいかに勇気のいることなのか、裁判官同士の会話として語られています。
 「この注目されている事件、しかも権力に立ち向かっている運動の中核をなす事件で無罪判決を出したら、その後の裁判官生活が無事ですむ保障はない...」
 いやはや、本当にそこを心配している裁判官が実は少なくない。それが私の実感です。そして、それは口にするレベルではなく、心の奥底に共有されているものなので、それこそ奥深いものになっている。私はそう思います。
 この本には、あと二つ、娘の強姦事件の「処理」、そして離婚事件のドロドロとした話も小説になって紹介されています。今回もまた、大変勉強になる司法小説をありがとうございました。次の作品を期待しています。
 私の『弁護士のしごと』(花伝社)もぜひ、ご一読ください。
(2022年11月刊。税込1980円)

2023年1月13日

付き添うひと


(霧山昴)
著者 岩井 圭也 、 出版 ポプラ社

 弁護士が少年の非行事件の弁護人として行動するときは、付添人(つきそいにん)と呼ばれます。そして、この少年には少女も含んでいます。
 少年非行事件は激減しました。年間50万件あったのが、今ではその1割の5万件ほどしかありません。ところが問題行動を起こす少年が減ったことを手放しでは喜べない、そんな気がしてなりません。いじめなど、非行が陰温化しているのではないか、子どもたちの伸びのびした創意工夫の芽が型にはめられて失われているのではないか、不登校やひき込もりが増えているのではないか...。子どもたちを取り巻く問題状況は、かえって深刻になっているようにも思えます。
 そして、何より、社会に起きていることや政治に関心がなく、無気力になっているのではないでしょうか。若者の投票率の低下は、そのあらわれの一つだと思います。
 親との葛藤のなかで生まれる少年事件では、付添人は親との対話にも大変苦労することがしばしばです。この本では、最後の参考文献に福岡弁護士会子どもの権利委員会による『少年事件付添人マニュアル』(日本評論社)もあげられていて、わがことのように鼻が高いです。
 子どもに関心を持たない親、子育てをあきらめてしまった親がいる。親の無関心は肌でわかる。手を差しのべられていないと感じる子どもが立ち直るのは容易ではない。手を差しのべる人は、親でなくてもいいのです。付添人は、そんな人とつながりをもって、少年の立ち直りを支えるのです。この本は、子どもが親からの虐待に逃げ込む場(シェルター)があることを紹介しています。虐待親の多くは子どもを自分のものと考え、必死に子どもを取り戻そうとします。なので、シェルターの所在は絶対秘密です。
 ところで、主人公のオボロ弁護士もまた親との関係で苦労させられた一人という経歴です。高認(高卒認定試験)を経て、働きながら夜間の大学の法学部で学ぶようになり、29歳のとき、3度目の司法試験に合格した。だから、対象となった子どもたちの気持ちがよく分かる。
 これほど劇的な体験を経て弁護士になったという人は私の身辺にはいませんが、少年付添人を熱心にやっていた(いる)人は何人も知っています。その日夜を分かたぬ熱心な活動に、いつも頭の下がる思いでした。
 少年事件の実際と付添人の弁護士の活動の実情を知ることのできる貴重な小説です。ご一読ください。
(2022年9月刊。税込1870円)

2023年1月 8日

刑期なき殺人犯

(霧山昴)
著者 ミキータ・ブロットマン 、 出版 亜紀書房

 司法精神病院の「塀の中」で、というサブタイトルがついている本です。
 両親を射殺した殺人犯は、責任能力がないとして刑務所ではなく、精神病院に収容される。すると、そこは、刑務所のような明確な刑期というものがない。精神科医の判断と刑務所当局の都合によって、刑期のない、いつ終わるか分からない生活を余儀なくされる。
両親を殺害したブライアンはショットガンと銃弾を購入した。ブライアンは妄想に浸り、眠れないなか、父親の背中をショットガンで撃ち、また、母親の身体を撃った。その瞬間、ブライアンは、これが現実だと分かり、その場から逃げた。やがて、警察署に自首した。
 アメリカでは、年300件以上の親殺しの殺人事件が起きている。統計によると、両親を殺した子どもが再び殺人を犯すことは、ほとんどない。彼らの恐怖や怒りの対象はもう死んだから。親殺しは、子どもが追いつめられ、押しつぶされ、絶望したり、どうしていいか分からなくなったりして限界を超えたときに起こることが多い。とても耐えきれないような状況に対する絶望の末の反応なのだ。
 ブライアンは司法精神病院に収容された。ここでは、患者の平均入院期間は6年以上。犯罪に関して「責任能力がない」とみなされるのは、「無罪」になるのと同じではない。「無罪」は、無実の罪が晴らされたことを意味している。しかし、「責任能力がない」というのは、ほかの意味では犯罪に責任があるとしている。
 女性患者は男性患者よりもトラブルが多い。
武器や自殺の道具に使われる可能性があるものはすべて禁止。ベルト、バスタオルなど・・・。そしてケータイ、パソコン、ハンドバッグ、財布も禁止。カフェインの入ったコーヒーや紅茶も禁止。
 精神病の人の診断は、担当した臨床医の判断による。精神科医には、強大な力がある。違う医師に診察を受けると、診断名がどんどん増えていくことがある。
ブライアンにとって、病院スタッフの大半が自分のことを思ってくれているのではないことは分かっていた。事なかれ主義だ。
病院の食事にも頼れない。スタミナを取り戻すためには、週に一度のテイクアウトの食事を利用し、エクササイズを再開するしかない。ブライアンはそう考えて、実行した。
 大半の患者にとって、一番の助けになったのは、他人と接する環境にいること。
ブライアンは、「チーク」もした。薬を飲んだふりをしてほほの内側に隠し、あとでトイレに吐き出す。コツがあり、一度覚えてしまえば簡単だ。チークすることで、自尊心は少し回復した。
 精神科医の一人が、妄想型統合失調症だということが、かなりたってから判明した。うひゃあ、そういうこともあるんですね・・・。
この病院の患者は、インターネットにアクセスすることができず、法律書もなく、タイプライターもコピー機も使えないので、申立書は全部手書きするしかない。しかも、副本は8本も必要なことがある。
 パーキンスは病院だと思われているが、刑務所よりたちが悪い。精神病院には、刑務所と同じくらい、法律に関して玄人はだしの収容者がいる。精神疾患は必ずしも見えて分かるものではない。外見に騙されないよう、弁護人として注意する必要がある。
 ブライアンは、犯行の時点では重度の精神病だった。これは本人も認めている。27年後、自分の病気は20年前より寛解していて、もはや妄想型統合失調症ではないと信じている。そして、まだ慢性の精神障害ではなく、決して危険でもない。
加害者を措置入院させるのは、本人を治療するためなのか、社会から隔離するためなのか、親族の都合なのか・・・。そもそも精神病院とはどういうものなのか。医師にとっては目に見えるように確かなものなのか。投薬を主としている現在の治療の傾向は正しいのか。身体の病気のように全快することはありうるのか・・・。ブライアンは事件から30年たった今もなお精神病院に入っている。
いろいろ深く考えさせられる本でした。
(2022年8月刊。税込2640円)

2023年1月 7日

家裁調査官 庵原かのん

(霧山昴)
著者  乃南アサ、 出版  新潮社

 福岡家裁北九州支部の少年調査官を主人公とした小説です。実は、実際にあるのは小倉支部であって、北九州支部ではありません。著者は、もちろん知ったうえで、全国版の小説として北九州支部にしたのでしょうね。
 少年とあっても、これには女子も含まれます。少年・少女という男女の使い分けはしません。
 調査官は、まず読み、次に聴き、最後に書く。そのとおりです。少年本人や家族に会って話を聴く前に、関係の書面をまず読まなければいけません。そこで、いわば一定の「予断」を抱くことになりますが、それは手続的に仕方のないことだと思います。
 話を聴くといっても、少年と1対1で話がスムースに進行するとは限りません。親が同席して、介入することは多々あります。逆に、親との対話が難しかったり、本人がなかなか本心を言わないということも多いことでしょう。
 そして、調査官の所見(意見)を書かなくてはいけません。私の経験では、調査官の意見を完全に無視した裁判官に出会ったことはありません。むしろ、調査官の意見に盲従するタイプの裁判官のほうが多かったように思います。
 少年たちの多くが、強烈な人間不信に陥っている。そして、ほめられたり、無条件で愛された経験をもたないため、自尊感情がとても低い。自分には何の価値もないと思っているので自暴自棄になりやすい。自分のしたことの何が悪いのかなど考えもしなかったり、規則を守ることの意味も分からなかったり...。ガマンしたり、自分を律する訓練を受けていない、また自分の気持ちを明確にできないし、他人の思いをくみとることもできない。
 そんな人、いますよね...。ああ、この人は威張りちらすばかりだから、きっとこれまで大切にされたという実感がないんだな...と思うことはよくあります。
 弁護士(私のことです)に向かって威張りちらす人が、多くはありませんが、少なからずいます。弁護士の話の揚げ足とりをする人もいます。親や周囲から愛されたという実感をもたない、淋しい人生をおくってきた人なんだろうなと、いつも実感しています。
 家庭裁判所の補導委託先となっている人は大変だと思います。本当に頭が下がります。少年たちは、初め、大人をさまざまに試す。わざと怒られるようなことをしてみたり、嘘をついたりして、委託先の大人を「やっぱり信じられない」と決めつけようとする。
 なので、委託先の人たちは、少年を叱りつつ、根気強く諭(さと)すことを欠かさず、徹底的に話し相手になる、ほめるところはほめ、ときに共にふざけあったりして、少年が心を開いていくのを辛抱強く待つ。そのためには、少年を指図するだけでなく、率先して汗をかき、働く姿を見せる。
委託先の人たちは、「ガッカリ」させられることを積み重ねる。それが、運命だと割り切る。いやあ大変ですね...。
 外国人家庭の子の場合、日本語ができるのか、親との意思疎通をどうしているのか...。「援助交際」にはまった女の子の場合、家庭に居所がそもそもなかったり、むしろ親から逃げだしたほうがいいケースもあったりします。私も、最近、親との関係で一刻も早く家を出たほうがいいと思われるケースを担当しました。しかし、それでも先立つものが必要になりますので、その加減がむずかしいということは多々あります。
 いろいろ考えさせられるケースが提示されていて、弁護士として身につまされる本でした。
                         (2022年8月刊。1800円+税)

2023年1月 3日

浅井さん、まだマンガ描いてる?

(霧山昴)
著者 浅井俊雄さん追悼集編集委員会 、 出版 左同

 心優しき異彩の弁護士・浅井俊雄氏の追悼集です。2021年7月に亡くなった札幌弁護士会の浅井俊雄弁護士(修習37期)に対する心温まる追文がたくさん寄せられています。なにより浅井弁護士のホンワカタッチのマンガが秀逸です。弁護士会主宰の集会の告知など、たくさんのポスターに、内容ピッタシのマンガが描かれています。国家秘密法の制定に弁護士会が反対したときの「おぢいちゃんと国家秘密法」という4頁ものストーリーマンガは、本当によく出来ていて驚嘆します。
 中央大学で漫画研究会に所属し、浅井さんは研鑚を積んだようです。ところが、小・中・高以来、マンガを描いていたのかと思うと、さにあらず。大学まで一度もマンガを描いたことがないから、必要な道具は分からないし、道具の使い方も知らなかったというのです。ところが、描き方を教わると、なんとなんと、1ヶ月後に50頁ものマンガを描いて持参したというのです。これはすごーい。どうしても描いておきたい物語(ストーリー)があると浅井さんは言ったとのこと。果たして、どんなストーリーだったのでしょうか・・・。
 浅井さんは漫画研究会でマンガを描きつつ、司法試験の勉強にも集中して取り組み、卒業した翌年に、合格しています。そして、さらにすごいのは、合格したあと、「週刊少年チャンピオン」新人まんが賞に応募して、最終選考に残ったというのです。審査員の一人は、かの天才マンガ家の手塚治虫でした。プロのマンガ家になれなかった浅井さんは、その後はおとなしく弁護士の道に入ります。イソ弁もして、独立しますが、じん肺訴訟弁護団に誘われて活動します。弁護団の議論がとても性にあったようです。
 浅井さんと同期の2人とあわせた3人は「奴隷階級」と言われて、全般的にこきつかわれたそうです。でも、楽しげに浅井さんは仕事をこなしました。浅井さん本人が描いた「ある日の弁護団会議」というマンガがあります。浅井さんたち3人の弁護士は、とびきり優秀なので、どんな仕事も安心して任せられたのです。
 浅井さんは、大量で複雑な情報や理屈をとてもシンプルにとらえ、他人(ひと)にわかりやすく伝えるという能力にすぐれていました。それはマンガに如実にあらわれていると思います。実際に起きた長距離トラック運転手の過労死事件をドラマ化して市民集会で上映したとき、浅井さんは脚本と監督を担当しました。すごい、すごい・・・。
 浅井さんは映画も好きで、「僕の好きな映画2本」として、「ローマの休日」と「七人の侍」をあげています。私とまったく同じ好みなのに驚きました。
 最後に、浅井さんは、夕張炭鉱にもぐった経験があり、それを詳しくレポートしています。三池炭鉱が閉山する前に、私も有明海の地底深くに一度だけもぐったことがあります。浅井さんたちは「じん肺訴訟」の検証として裁判官たちと一緒に坑内にもぐったのです。このときの炭鉱の職員とのやりとりはとても興味深いです。
浅井さんは60歳で難病(病名は書かれていません)のために、やむなく弁護士の仕事をやめ、63歳で亡くなりました。私は面識はまったくありませんが、この追悼集を読んで本当に惜しい人を亡くしたと思ったことでした。
 同期(26期)の岩本勝彦弁護士から贈呈してもらいました。いい本を、どうもありがとうございます。
(2022年12月刊。非売品)

2022年12月 7日

平成司法改革の研究


(霧山昴)
著者 須網 隆夫ほか 、 出版 岩波書店

 375頁、5000円という大作なので、いったいどれほどの弁護士が読むのか、いささか疑問があります。しかも、司法改革は失敗したと言いつつ、司法試験合格者を2000人に戻せとか(私は反対しません)、裁判員裁判を被告人の選択制にせよとか(私は疑問です)、民事審判委員会を新設せよとか(これも疑問です)、予備試験を廃止せよとか(私は賛成です)、とかく話題というか議論を呼びそうな提起がいくつもされています。
 この本で指摘されていることで、私自身にもっとも身近なことで言えば、東京・大阪以外の地方、とりわけ地裁しかない単位会では、20年以上前の2000年ころの人数にまで弁護士が減少していること、今後も増える見込みはなく、やがて、その地域での「法の支配」は確実に減少するということ(250頁)。これは、九州各県でも、まさしく現時点で現実化しつつあります。
 弁護士、とくに若手弁護士は窮乏化している、それは合格者を2000人にしたからだ、合格者は1000人以下にしろという主張を声高に言いつのる人は、昔も今もいます(最近では、さすがに少なくなってきました)が、私は現実を直視しない議論だと昔も今も考えています。若手弁護士の窮乏化は合格者2000人が原因ではなく、「弁護士急増」が原因でもないと私は思います。合格者を2000人にしても1500人にしても、また1000人以下にしても、7割以上の人が東京・大阪そして高裁本庁の大都市に登録を希望するのは必至です。だったら、少しでも合格者の多様性を確保すべく2000人にしたほうがいいと思うのです。
 いったい、「若手弁護士の窮乏化」は本当なのか...。この本(138頁以下)は、「弁護士全体のニーズは減っておらず、弁護士市場は飽和している、パイはこれ以上大きくならないという主張には根拠がないとしています(141頁)が、私の実感にもあいます。
 たしかに、以前に比べると私自身の法律事務所の経営状況は楽ではありません。それは事実なのですが、それは以前ほどガムシャラに事件活動をしなくなり、顧客の新規開拓にも意欲的ではないことにもよります(所員の高齢化が主たる原因です)。それにしても、若手弁護士の初任給が600万円、700万円いや1000万円だという話には驚いてしまいます。東京の大手事務所そしてカタカナ事務所の実情はどうなっているのでしょうか。
 弁護士の受任事件の今後を議論するときに欠かせないのは、法テラスをどうみるのか、LAC関係の受任予測はどうか、だと思います。この本では、その点が十分でなく、不足しているように思います。法テラスの報酬は「生き甲斐搾取」でないかと私も思いますが、それでも、かつての低額そのものだった国選弁護報酬とか法律扶助に比べたら相当改善されたことも事実です。
 若手弁護士は法テラスに頼らなくなっているとか、報酬への不満から登録しなかったり、登録を取り消しているという主張を聞きます。本当でしょうか...。
 私の法律事務所では、法テラス関与が弁護士によって4割から8割ほどにもなっていて、貧困・低所得者層が大量に存在する現実を前にして、法テラスに登録しないでやっていける若手弁護士がいたら、それは貧困・低所得層は相手にしないでやっていける(やっている)ということだと私は思います。法テラスに登録せず、国選弁護事件はやらないと公言している若手弁護士がいるのは残念でなりません。
 司法試験制度を考えたとき、予備試験の受験生が急増していることが本書には見あたりません。早道なのは、初めから分かっていたことです。せっかくロースクールを設置するのなら、こんなバイパスはきわめて限定的な例外的なものにすべきだったと思います。今の現実は、まったく例外でもなんでもなく、むしろ「王道」かのように見えてしまいます。なので、ロースクールに一本化することに私は賛成せざるをえません。
 行政訴訟が極端に減っているのは、どうせ裁判しても勝てないというあきらめ感の反映でもあると思います。苦労ばかりさせられたあげく勝訴できないのでは、「絵に描いた餅」の典型です。私も住民訴訟を何回もやりましたが、ついに一回も勝訴判決を得ることはできませんでした。行政のやっていることには問題があるが、違法とまでは言えない。そんな裁判所の姿勢では行政事件を起こそうという気にならないのも当然です。たまには勝たないと、勝訴の可能性が少しでもなければ、重たい行政訴訟をやる気にはなりません。だって、基本的に行政事件は途中での和解というのが考えられず、被告席には5人ほど並んでいますから、プレッシャーは強烈なのです。
 もっともっと議論していいし、議論する一つの材料が提供されている本だと思いました。
(2022年9月刊。税込4950円)

2022年11月11日

人質司法


(霧山昴)
著者 高野 隆 、 出版 角川新書

 カルロス・ゴーンの弁護人として、その保釈をかちとりました。保釈中に被告人が逃亡して裁判が中断してしまったのはご承知のとおりです。
 著者は2人目の弁護人になったとき、必ず保釈をかちとると決意していました。
 保釈をかちとるための秘策を本書で改めて知りました。私の想像を絶します。
 著者はアメリカ留学の経験もあり、英語は堪能です。
 拘置所での初回面会のとき、「あなたを保釈で釈放させることを約束します」と断言しました。すごい自信です。著者には、前に、こんな条件で保釈を裁判所に認めさせた経験があるとのこと。
 2週間で13人の証人尋問を行うという連日公判のとき、被告人と同じホテルの隣室に宿泊することを条件として、公判前に保釈を認めてもらった(百日裁判が適用される公職選挙法違反事件)。
 被告人を法律事務所の事務職員として雇い入れ、弁護人の貸与するパソコンとケータイ以外は使用しないこと。
 いやあ、すごいです。もちろん、どちらも否認事件でした。著者も、これらは「最後の切り札」であり「禁じ手」であるとしています。危険と隣あわせの手法です。カルロス・ゴーンについても、これを使って成功し、107日ぶりに釈放をかちとりました。
 そのときの保釈請求書は、添付資料をあわせて180頁という大部なものです。
 裁判官と何度も交渉し、説明し、ついに保釈保証金10億円で保釈が認められた。いやあ、すごいですね。初回面接のときの約束を果たしたのですから...。
 日本で、こんな厳しい条件を課さなければ保釈が認められないという司法の現状について、著者は鋭く批判しています。しごく当然です。まさしく、これは人質司法のカリカチュア(戯画)でしかありません。
 アメリカの司法だったら、工学の保証金を積んでさっさと身柄は外に出て自由の身となり、弁護人と思うように折合せができているはずなのです。
 著者は、「禁じ手」であることを認めたうえ、「非常手段」として選択したと強調しています。よく分かります。
 カルロス・ゴーンは、その後、再び逮捕されましたが、著者ら弁護人のすすめでほとんど完全黙秘を貫いたようです。
 著者は、黙秘権について「沈黙する権利」ではないと強調しています。ええっ、ど、どういうこと...。黙秘権は、単に「沈黙する権利」ではなく、強制的な専制手続、取調べ受忍義務を課したうえでの尋問を根絶するための制度だというのです。なーるほど、ですね。さすが、です。
 「ミランダの会」以来の実践活動に裏打ちされている指摘ですので、重みが違います。
 著者は人質司法を改善するためには、取調べ受忍義務を即刻廃止すべきだとしています。
 日本では、罪を争う被告人が第1回公判前に釈放(保釈)させる可能性は1割しかない。これに対してアメリカでは、重罪で逮捕された容疑者の62%は公判開始前に釈放される。保釈が拒否されるのは6%にすぎない。
 欧米でされている取調べは、ほとんど1時間以内で、通常は20~30分ほど。これくらいの時間なら、弁護人は取調べに立会して、捜査官が無理な自白を強要することを防止できる。つまり、取調べの弁護人立会を「権利」として確立するためには、取調べ受忍義務を否定する必要がある。
 著者は、むしろ自白した被告人の保釈を認めないようにしたらどうかと提起しています。自白しているから証拠隠滅の動機や危険性がない、という。その論理は、自白していない被告人には罪証隠蔽の動機や危険性があるという発想につながるので、よろしくないと言うのです。また、逃亡した被告人に対する欠席裁判は可能にすべきだと主張しています。
 カルロス・ゴーンの逃亡によって、日本の人質司法の問題は鮮明になったというのです。さすが、さすがです。大変勉強になりました。
(2021年6月刊。税込990円)

2022年11月 4日

労働弁護士50年、高木輝雄のしごと


(霧山昴)
著者 名古屋共同法律事務所 、 出版 かもがわ出版

 名古屋に生まれ、名古屋で育ち、弁護士としても一貫して名古屋で活動してきた高木輝雄弁護士が後輩の弁護士からインタビューされて労働弁護士としての50年を語っていて、とても興味深い内容になっています。150頁ほどの小冊子ですが、内容は、ずっしりという重みを感じさせます。
 著者は戦前(1942年)に名古屋熱田地区に生まれ、名古屋大学法学部では行政法の室井力教授、憲法の長谷川正安教授、民法の森嶌昭夫教授に教えられました。
 司法修習は20期で、青法協の活動に熱心に参加した。横路孝弘とか江田五月も同期。
 弁護士になったころは、公害事件と労働事件、そして大須事件のような刑事弾圧事件で忙しかった。
 私が著者を知ったのは著者が四日市公害訴訟の弁護団員として活躍していたからです。
 四日市公害訴訟は1967(昭和42)年の控訴なので、著者はまだ司法修習生のころ。翌年に弁護士になってすぐ弁護団に加えてもらった。四日市公害訴訟の判決は、コンビナート企業会社の共同不法行為を認めた。この判決の意義を私は司法修習生のとき、青法協活動の一つとして当時、横浜地裁にいた江田五月裁判官にレクチャーしてもらいました。
 そして、著者は名古屋新幹線公害訴訟裁判に取り組んだのでした。新幹線の騒音・振動という公害問題です。著者は弁護団の事務局長でした。この裁判では、一審で、裁判官は3回も屋内で検証したというのです。すごいですね、今では、とても考えられませんよね...。また、沿線の旅館に弁護団で合宿したとき、その振動のあまりのひどさに、内河恵一弁護士が枕を持って逃げ出したとのこと...。実感したのですね。
 受忍限度論が問題になっていました。住宅密集地だけ減速したらいいじゃないか、名古屋7キロ区間のスピードを半分に落としても、せいぜい3分遅れるだけではないかと原告側が主張すると、他の地域でもやらなければいけなくなるという国鉄側は情報的な反論をしたのです。
 そして、実際、国労は裁判所が検証しているとき、減速運転してくれた。懲戒処分を覚悟したうえでの減速だった。すごいですね、今なら考えられませんよね、残念ながら。
 弁護団事務局長として、あまりの激務のために、他の仕事はほとんど出来なかった。
 いやあ、これは大変でしたね...。著者は午前2時まで作業して、2時間ほど寝るだけで、寸暇を惜しんで裁判の維持に全力をあげた。
 そして、著者は名古屋南部大気汚染公害訴訟にも取り組んだのでした。
 著者はながく弁護士として裁判に関わるなかで、司法の限界をいろんな場面で感じた。
 また、著者は労働事件にも取り組んでいます。裁判所や労働委員会は、運動全体のなかでは一つの手段にすぎない。重要ではあるけれど、それで終わりだと、本当の解決につながらないことも多い。裁判も一つの手段だから、ちゃんとした位置づけが必要だ。
 裁判や労働委員会といった法律的な場面だけではなく、社会的な問題に積極的に関与するのが労働弁護士の日常活動だった。ビラも配ったし、署名を集めたり、一緒にデモをしたり、ストライキのしたこともある。
 ところが、労働組合の姿勢がすっかり変わってしまった。連合が発足したあと、労働組合が大きく右傾化してしまって、労働組合が経営側と積極的にたたかうというのが例外的になってしまった...。残念ですね、ぜひ本来果たすべき役割に戻ってほしいと思います。
 労働組合は、もっと力をつけなければいけないし、もっと政治的、社会的な課題に目を向けるべき。労働者の組合加入率が低すぎるのも、本当に残念なことです。
 弁護士は事件の現場で鍛えられる。
 著者は、「ケンカ太郎」とか、「瞬間湯沸かし器」と言われながら、この50年を一貫して、まっすぐに歩んでこられたわけです。すごいことです。読んで勇気づけられる本でした。ご一読をおすすめします。
(2019年1月刊。税込1760円)

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