弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2019年8月23日
「誇示」する教科書
(霧山昴)
著者 佐藤 広美 、 出版 新日本出版社
先日の参議院議員選挙の投票率は全国平均で48.8%、私の住む町は43%でしかありませんでした。かつては強固な労働組合運動があり、革新市長も誕生していた町ですが、労働運動の存在感は薄れ、革新陣営は市長候補も立てられない状況が長く続いています。そして、20代、30代の有権者の投票率は30%ほどでしかないと報道されています。私は、その原因の一つに学校教育があると考えています。
教師は真面目な性格の人が多いけれど、同時に上からの指示に逆らえない人が多数。考える有権者づくりより、親孝行をしましょう、整理整頓しましょうというレベルの道徳教育しかなく、日本史では近現代史をまともに教えない。
そして、大学は学費が高くて、奨学金は学費にみたない。何をやってもダメ、どうで世の中はジタバタしても変わらないという、あきらめムードが蔓延している。なので、若者をはじめ日本の有権者の6割が投票所に足を運ばず、安倍一強政治を与えている気がします。
学校の教科書が今、何を子どもたちに教えているか・・・。知れば知るほど、暗然たる気分になってしまいます。
戦前の教科書は、日本人の国民性は優秀であることを強調していた。それは欧米への敵意と、アジアの人々への蔑視と裏腹の関係にあった。そして、今日の育鵬社版の教科書は、日本人のすぐれた国民性を絶えず強調している。まさしく戦前回帰です。
「新しい歴史教科書」は、朝鮮半島にある植民地を近代化し、アジアを解放したと強調する。本当にそう言えるものでしょうか・・・。
扶桑社の『新しい歴史教科書』では、韓国併合は、「宿命的な矛盾であり、併合以外の道はありえなかった」ことを教えているというのです。韓国の王妃を日本軍が虐殺したことなどに目をつぶって、日本に都合のよいように事実をねじ曲げて子どもたちに教え込もうとしています。
帝国日本のアジア政策にあった植民地主義を消し去り、日本はアジア諸国に近代化をもたらしたという一面だけを強調する。鼻もちならぬ自慢話でしかありません。では、日本人がフィリピンやマレーシアで戦後、近代化をもたらした恩人として評価されていたとでもいうのでしょうか・・・。そんな声は残念ながら聞いたことがありません。日本軍の残虐行為しか聞こえてこないし、それ自体は否定しがたい事実でした。アジアの人々に対して日本(軍)は加害者として君臨していたし、各地で罪なき人々を虐殺していたので、謝罪するしかなかったのです。それも表面上の「お詫び」ではなく、心からの謝罪が必要でした。前の天皇はそのことをよく理解していたのだと思います。
いずれにしても、戦前の日本(軍)がアジアで良いことをしたなんて、そんなことを言っていたら、世界の笑いものになるだけです。日本の子どもに嘘を教えて、日本人としての誇りをもてと押しつけても、海外に出たら、たちまち化けの皮をはがされてしまいます。子どもたちが可哀想です。
教科書って、子どもたちにとって大切な存在なんだと、改めて認識させられました。
(2019年1月刊。1700円+税)
2019年8月22日
9条を活かす日本
(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
最近、鹿児島で著者の話を聞く機会がありました。たくさんの映像をつかって、世界と日本で憲法9条にはどんな意義があるのか、視覚的にもよく分かる熱弁に接し、聞いている私も元気になりました。
著者は今ではフリーの国際ジャーナリストです。なんと9ヶ国語が話せるのだそうです。英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語そしてジプシー語です。あれ、2つ足りませんね。何でしたっけ・・・、忘れました。ジプシー語は自分で手製の辞書までつくったとのこと、すごいです。
著者は大学生のときキューバに渡り、サトウキビ畑で作業をしながらスペイン語を身につけたといいます。耳から入ったコトバは身につくとのこと。うらやましい限りです。
少なくない日本人が憲法9条をありがたく思っていないなかで、世界的には日本の憲法9条こそ今もっとも世界平和のために必要だと考える人が増えているといいます。ありがたいことです。
著者の話のなかで、コスタリカの話は圧巻でした。コスタリカは日本と同じように平和憲法があり、本当に軍隊をもたない国になっています。外国の侵略には警察と国際世論に頼って我が身を守るという覚悟をもっています。
なによりすばらしいのは、軍備予算を全廃して、その分をすべて教育予算にふり向けていることです。日本だってやれないはずはありません。
ところが、「中国の脅威」とか「北朝鮮の脅威」なるものをことさらあおりたてている社会風潮の強い日本では、まるで夢物語になってしまいます。
軍隊がなく、子どもたちが学校で、子どもには愛されて育つ権利があると教えられると、どうなるか・・・。すばらしいことが現実化します。子どもたちが自分の頭で考えて、行動するのです。もちろん、大人になっても投票率は8割をこす。日本のように投票率が半分にも達しないなんて情けない状況ではありません。
そして著者は「15%の法則」なるものを提唱します。社会を変えるには、15%の人が行動に立ち上がればいいのです。「15%の人」が街頭に出たら「すべての人」が立ち上がったと見える。これが社会を動かしている現実の法則なのだと著者は繰り返し強調しました。
あきらめない、あせらない。しかし、着実に行動する。このことを励ましてくれる元気の出る本です。ぜひ、あなたも手にとってお読みください。おすすめします。
(2018年5月刊。1600円+税)
2019年8月16日
東京は遠かった、改めて読む松本清張
(霧山昴)
著者 川本 三郎 、 出版 毎日新聞出版
松本清張の本は、それなりに読みました。読み終えたとき、心の底に黒々としたオリのようなものがたまっているのを感じる本が多かったという印象です。
小倉にいた松本清張は東京(中央)の文壇から認められたいという思いを強くもっていました。東京と地方の格差の問題が松本清張の本に通底しています。
『Dの複合』を読むときには、かたわらに日本地図を置き、しばしばそれを開いて、地名、場所を確認しながら読むことになる。それは主人公たちと一緒に旅することでもある。旅といっても、にぎやかな観光地を訪ねる旅ではなく、旅先は、一般に広くは知られていない、地方の小さな町や村である。
松本清張にとって、東京は遠かった。東京は、いつかそこで作家として成功する約束の地。晴れ舞台であり、同時に地方在住者からみて、強者の威圧的な中央だった。
松本清張は、東京をつねに地方からの視線で描く。弱者が強者を見る目で東京をとらえる。中央の権威、権力によって低く見られている地方の悲しみ、憎しみ、怒り、そして他方での憧れといった感情が複雑に交差しあう。
東京(中央)に出たい。東京の人間に認められたい。それによって地元の人間たちを見返してやりたい。松本清張の作品には、しばしば東京への強い思いをもった人間が登場する。ときに、その思いは、歪んで異様なものになることもある。
男の趣味がカメラと旅行。写真帖を見せてもらうと、東尋坊、永平寺、下呂、蒲郡、城崎、琵琶湖、奈良、串本など・・・、名勝地ばかり。普通、孤独好きで一人旅する人間は、こんな観光地には行かない。これらの旅は、女が連れ添っていたに違いない・・・。なるほど、ですね。
松本清張は、酒をたしまなかった。それでも、文壇バーには通っていたようです。作家仲間との交際は続けていたのでした。
松本清張には、「追いつめられた作家もの」と呼びたい作品がいくつかある。原稿が書けなくなった作家が盗作する。代作を頼む。かつては人気のあった作家が零落して殺人を犯す・・・。
松本清張にしても、
「アイデアが浮かばない」
「書けない」
などの悩みは決して他人事ではなかっただろう。
松本清張は古本屋をよく利用した。歴史小説を書く人間として当然のこと・・・。
松本清張の本をもう一度読んでみたいと思ったことでした。
(2019年3月刊。1800円+税)
2019年8月11日
老人ホーム、リアルな暮らし
(霧山昴)
著者 小嶋 勝利 、 出版 祥伝社新書
現在、老人ホーム業界は、M&A真っ盛り。売りたい老人ホームがたくさんあり、それと同じくらい買いたい老人ホームがある。売りたい老人ホームの経営者は、今なら、まだ価値があるので、今のうちに売りたいと考えている。
買いたい老人ホームの経営者は、とにかく規模を大きくしないと利益が出ないので、お金のある限り買いまくり、規模を大きくしていくことを最優先にしている。
介護職員の不足は深刻な問題になっている。介護職員が足りない根本的な理由は、割にあわない仕事だということ。
老人ホームの朝食時間は、8時ころから9時ころまでに設定されている。それは、早番の職員の勤務シフトにもとづく。
老人ホームの食堂での席は、あらかじめ決められている。老人ホームの職員にとって、食事時間は戦争だ。
15時からはレクレーションの時間となるが、多くの職員はレクレーションが苦手。それは、盛り上がらないから。
夕食は午後6時から、入浴は週2回。お風呂が週2回というのは警察の留置所や拘置所と同じです。そして、共通しているのは、どちらも夜ではなく、昼間ということです。
老人ホームは、「動物園」と同じようなものだと著者は言い切ります。
生活への安全と安心が保証されていて、日々の食事について心配することもない。
ただし、何も考えずに老人ホームのなかで生活していると、「喜怒哀楽」から遠ざかる環境で暮らしていることになるので、認知症になりやすい・・・。
介護施設で働いている職員は、みな「負け組」。
いずれ私もお世話になるかもしれない老人ホームの寒々とした実情に心が震え、おののいてしましました。せめて、当面、介護職員の待遇改善、そして老健施設への手厚い保護が必要だと思ったことでした。
(2019年3月刊。820円+税)
2019年8月10日
地銀衰退の真実
(霧山昴)
著者 浪川 攻 、 出版 PHPビジネス新書
銀行、とりわけ地方銀行や信用金庫の経営はかなり厳しいようですね。
人口も事業所数も減っていますので、地方経済はピンチですし、銀行の伝統的収益と言える利ざや(運用利回りと資金調達利回りの金利格差)は悪化するばかり、だからです。
広島市信用組合は預金残高に貸出金残高が占める比率である預貸率が85%もある。これは、営業現場が徹底的に営業エリアを訪問し続け、取引先企業の相談に乗り、悩みを聞くことをやっているからだ。なるほど、必要なことですよね。
スルガ銀行では、組織ぐるみの不正行為が蔓延していた。ディベロッパーと銀行とが結託し、砂上の楼閣のようなインチキビジネスを繰り広げていた。
同じことは、アパマンローンを活用して建設したアパート・賃貸マンションが当初の想定どおり高い入居率を維持し、事業者に期待どおりの賃料収入が続くと言えるのか・・・。
1989年に全国で454の信用金庫、信組の415組合があった。ところが、30年たった2018年には261の信金と146の信組のみとなった。半分ほどに減ったわけである。それでも危機の噂は止まらない・・・。
地方銀行や信用金庫の実情と、少しだけ明るい展望を見つけたところを対比させて書いてあり、大変面白く、一気に読みました。
(2019年5月刊。870円+税)
2019年8月 8日
なぜ人は騙されるのか
(霧山昴)
著者 岡本 真一郎 、 出版 中公新書
「振り込め詐欺」と、それに類似した詐欺にひっかかる人が後を絶ちません。
人類の情報処理の基本設定(デフォルト)は、自動的処理。つまり、考えることなく、自動的に処理されている。不都合が起きたときだけ、制御的処理のシステムが積極的に介入して認知を修正している。
感謝先行型の表現の貼り紙「いつもご清潔にご使用いただき、ありがとうございます」のほうが、「清潔に使用しましょう」というより、印象が断然いいし、それに従おうという気持ちも強くなる。
話し方の印象がいいと、説得力は高くなる。
このようなことは滅多にないということ自体が疑いを弱めることにつながる。免疫のない出来事は説得されやすい。
特殊詐欺の被害者のなかに、繰り返して被害にあう人もいる。
ものすごくよく出来た台本があり、そこからひっぱり出してくるのです。
学習性無力感というコトバがあるそうです。今の世のなかにぴったりのコトバですよね・・・。
本書の後半では安倍首相のウソと詭弁を見事に論証しています。
先日の参院選でも、堂々と憲法に自衛隊を書き込んでも何も変わらない、なんてとんでもない嘘を繰り返していました。
「私も妻も一切関係がない。私や妻が関係していたことになれば、間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」(2017年2月17日、衆議院)。
ところが、あとになって、この「関わり」というのを「贈収賄に関すること」だと安倍首相は言い換えて、責任のがれを図りました。とんでないごまかし答弁です。安倍首相は直ちに国会議員であるのを恥じて、辞任すべきなのです。
こんな首相が堂々と開き直って居座っている姿は、日本の子どもたちにどうしようもないという無気力感を植えつけていると思います。
それにしても、投票率が5割に達しないというのは日本の民主主義の危機です。あきらめてはけないのですけどね・・・。
(2019年5月刊。820円+税)
2019年8月 7日
日本の異国
(霧山昴)
著者 室橋 裕和 、 出版 晶文社
日本は今や移民大国になっているのですよね。日頃、あまり自覚していませんが・・・。
その現実を、日本全国を歩いてレポートしている本です。
東京の高田馬場にはミャンマー人が多く、インドのIT技術者は西葛西(かさい)にたくさん暮らしている。大和市(神奈川県)には、ベトナム・カンボジア・ラオスの人々が寄り集まっている。西川口(埼玉県)は新しいチャイナタウンとして注目されている。
これをもっと詳しく、現地に足を運んで取材し、写真とともに実情を教えてくれます。
足立区竹ノ塚にはフィリピンパブが集まっている。早朝5時から営業しているパブがある。飲み放題、歌い放題、そして和定食がついて3時間で、2000円。これは、とてつもなく安い。そこに、トラック運転手や年暮らしのおじいちゃんたちが早朝から詰めかける。お客の多くは性的サービスではなく、フィリピーナの大らかさと、ホスピタリティに甘えと癒しを求めてやってきます。すごいですね、朝5時からやってるパブに行く人がいるなんて信じられません。
埼玉県八潮(やしお)市には、パキスタン人の中古車関連業者が集中している。だから、ここは「ヤシオスタン」とも呼ばれる。
代々木上原には、日本最大のイスラム寺院(モスク)がある。
東京メトロ・西葛西駅周辺には4千人をこえるインド人が住んでいる。東京都全体で1万2千人なので、その3分の1が江戸川区に住んでいる。
高田馬場は、「リトル・ヤンゴン」と呼ばれるほどミャンマー人が多く、集中している。
日本に暮らしているモンゴル人は1万人。そのうち3分の1の3500人が留学生。技能実習生は1000人のみ。モンゴル人留学生がコミュニティの中心としているのは、街ではなく、フェイスブック。
いちょう団地(神奈川県大和市)は全体の2割以上が外国人。10ヶ国の人々が住んでいて、もっとも多いのはベトナム人。
いま日本にやって来るインドシナの人々に難民はいない。いまでは技能実習生が中心になっている。彼らは東京の新大久保に集中している。
御殿場市(静岡県)には日本最大のアウトレット・モール「プレミアム・アウトレット」がある。年間売上が900億円をこえる。中国人観光客による爆買いの総本山だ。
多民族共生に向けた地道な取り組みが各地で持たれている。そのことを実感させてくれる本でもありました。
(2019年5月刊。1800円+税)
2019年7月31日
奮闘!クレサラ問題に取り組む
(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 大牟田しらぬひの会
福岡県大牟田市で42年間、弁護士活動していた著者は、そのうち37年間、大牟田しらぬひの会というクレサラ被害者の会と一緒に活動してきました。クレサラ問題は今や完全に下火になっていますが、クレジット・サラ金問題とは何だったのか、被害者運動は何を目ざしたのかを振り返った貴重な労作です。
サラ金三悪というのがありました。超高金利(日歩30銭というのもありました。年10割を越します)、無選別過剰融資(収入のない主婦や学生にまで貸し付けます。申し込み額以上の金額を押し付け貸します)、そして強硬取立(多くの自殺者を生みました)です。
サラ金会社は急成長し、オーナーたちは日本の長者番付けの上位を占めました。そして、自民党や公明党の政治家が莫大な政治献金をもらいながら超高金利を支えました。
被害者運動は全国的に取り組みをすすめました。借りた奴が悪い、借金返済しない奴が取立にあって苦しむのは自業自得だ。こんな借主責任論、自己責任論を打破するのは容易ではありませんでした。
被害者運動のなかに極論が生まれました。借金の原因はすべて生活苦、苦しんでいる多重債務者は一刻も早く免責して救済すべきだ。しかし、しらぬひの会の26年間の相談件数1万4千件を分析すると、借金の原因が生活苦であることもたしかに多いけれど、決してそれだけではない。ギャンブルや買い物しすぎも多い。なんでも免責は、根本的な解決にならないことが少なくない。そのように指摘し、多重債務者が本当に立ち直るためには、励ましの場、支えあう被害者の会が必要だということを大牟田しらぬひの会は主張し、実践してきました。相談活動だけでなく、学習会・勉強会そして花見や望年会、ときには焼肉パーティーという懇親の場をもちました。
そのことを多角的に明らかにした座談会は読みごたえがあります。なかでもギャンブル依存症の体験談、そしてホームレス体験談は心を打つものがあり、考えさせられます。同時に、果たして、クレサラ被害者を被害者と呼ぶことができるのか、という根本的な問いかけに対する回答にもなっています。
全国クレサラ対協内では、なんでも一律・無条件に免責して救済すべきだという意見が主流を占め、それに異を唱える人は排除されたりしました。その典型がクレジットカウンセリング協会に対する誤った見方です。カウンセリングの効用を認めないという考え方から、大阪には、最近まで、カウンセリング協会の相談窓口がありませんでした。
九州では被害者の会が毎年1回集まって交流集会を開いてきました。7月に福岡で第32回の交流集会が開かれたばかりです。
裁判所の破産手続の変遷もたどっています。集団面接という手法もありました。そして、破産・免責手続については、江戸時代にも破産・免責手続があったことが紹介され、興味をひきます。
著者は、クレサラ問題解決の手引書を発刊し続けました。類書が少ないときには、1回の全国集会で30万円以上もの本の売上があったといいます。
歴史に残るべき取り組みとして紹介させていただきました。
(2019年6月刊。2000円(悪税込み))
2019年7月26日
奴隷労働、ベトナム人技能実習生の実態
(霧山昴)
著者 巣内 尚子 、 出版 花伝社
私の身近な人が2人、ベトナム人技能実習生にかかわっています。1人は、土木建設業の社長で、何年も前からベトナム人を10人ほど雇っています。ベトナム人は頭がいいし、よく働くので、とても助かっていると言って、ベタ褒めです。会社の寮に入っていて、月10万円はベトナムの家族に仕送りしているといいます。
もう一人は、ベトナム人技能実習生の受け入れ機構を主宰しています。こちらはまだ始めてから日が浅いようですが、ベトナムに頻繁に通っています。
この本はベトナム語の出来る著者がベトナムと日本で技能実習生に直接あたって話を聞いたことをもとにしています。また、もと技能実習生として働いていたベトナム人が送り出す側で働いているのに取材もしています。
ベトナムから日本へ働きに来る人たちは、平均して100万円以上を負担(借金)している。
技能実習生の資格で日本にいる外国人は28万5千人をこえ、やがて30万人になろうとしている。中国出身者が減った分をベトナム人6万7千人が埋めている。
ベトナムは、「労働力輸出」と呼んで、日本への出稼ぎを奨励している。ベトナムにある労働輸出会社はあくまでも営利目的のビジネスをする会社の組織だ。ところが、技能実習生は3年で本国へ帰国するのが原則。なので、日本人は技術をまともに教えたがらない。
ベトナム人技能実習生が40平方メートルの室内に6人が暮らしていて、1人あたり月2万円を「家賃」として支払わされている。すると、日本に来る前には好印象だったのが、来てみたら悪印象のまま帰国するベトナム人が37%もいる。大変残念な現実です。
ベトナムの経済は海外から送金される巨額のお金が下支えしている。推定で123億米ドル(2015年)だ。
ベトナムで働くと月2万5千円ほどの収入。ところが、日本だと10万円は軽くこえる。しかし、日本側の監理団体があり、技能実習生1人あたり月に3~5万円を徴収している。
日本にいるベトナム人技能実習生が残業すると、時給400円の計算というのが多いとのこと。なんということでしょう。まったく違法です。
そして、職場では上司や同僚から「ベトナムへ帰れ」と怒鳴られたり(パワハラ)、お尻をさわられたり(セクハラ)という被害もあっているのです。
ベトナム人実習生の「逃走」が目立つ。ベトナム人は中国人の1500人に次いで多く、1000人をこえる(2015年)。
海外からの技能実習生を安くこきつかうのが許されている限り、日本人の労働条件が向上するはずもありません。ベトナム人技能実習生の実態を刻明にレポートしていて、大変勉強になりました。
(2019年5月刊。2000円+税)
2019年7月24日
東大闘争と原発事故
(霧山昴)
著者 折原 浩、熊本 一規、三宅 弘ほか 、 出版 緑風出版
著者の一人である折原浩助教授(当時)は東大闘争において全共闘支持を公然と表明した数少ない教官の一人です。私もその授業を受けたようには思うのですが、記憶が定かではありません。城塚登教授だったかもしれませんが、マックス・ウェーバーの『プロテスタントの倫理・・・』の授業を受けて、大学ってこんなに深く物事をつき詰めて考えるところなんだな・・・と衝撃を受けたことは今でもよく覚えています。
でも、東大解体を叫び、民青のインテリゲンチャ論を鼻先でせせら笑っていた全共闘の論理に賛同しながら、東大助教授であることをやめないことには、当時も今も理解できなかったし、できません。
全共闘の活動家とシンパ層の多くは東大解体、自己否定を叫びながらも、東大卒として社会に出て行きました。私の知る限り、ごく一部の人が東大を中退したくらいです。
折原浩は、本書においても「実力行使」という言葉しか使っていませんが、東大全共闘は、暴力を賛美し、バリケード封鎖を狙って行動していました。それは暴力支配でしたし、バリケードの先にいる「敵」は「殺せ」と叫んでいたのです。今でも折原浩はそれを認めていないようなのが、残念です。
そして、1969年3月の「授業再開」闘争を非難しています。このころ、多くの(大半の)学生が授業再開を待ち望んでいました。もう暴力の日々にはうんざりしていたのです。大教室でもいい、ゼミ室でもいい、実験室でもいいから授業を受けたい、議論したい、学問の精髄に触れたいと学生が望んだことのどこが悪いというのでしょうか・・・。
全共闘シンパ層も、再開された授業には、なだれを打つように参加し、すぐに授業は軌道に乗りました。それまでつなぎでやられていた自主ゼミは、たちまち雲散霧消してしまいました。
この本には、「日共・民青系の暴力部隊導入(1968年11月12日夜半)という表現が出てきます。あたかも「日共・民青系」が外部から外人部隊(暴力部隊)を導入したため、東大闘争で全共闘が敗退したかのような表現です。しかし、宮崎学の『突破者』に登場してくる「あかつき戦闘隊」というのはたしかに存在していましたが、実際にはきわめて限られた役割しか果たしていないのを針小棒大に誇大宣伝しているだけのことです。実際には、全共闘の暴力に対して多くの東大生が反対して立ち上がり、身をもって全共闘の反対を乗りこえて東大当局と確認書を締結して、学内を正常化し、授業が再開されたのです。
東大闘争を全面的に語るためには、「暴力」(ゲバルト)の行使をどう考えるのか、という考察を抜きにしてはいけないと最近あらためて私は痛感しています。もちろん、暴力賛美ではなく、暴力否定の立場からの反省と総括が必要だという意味です。
それにしても、3.11原発事故のときに果たした東大の原子力学者たちの哀れさは、見るも無残でした。ところが、問題は、当の本人たちがそのような自覚と反省が今もないということです。私は、この点も本当に残念です。
この本は、情報公開分野で第一人者である三宅弘弁護士から贈呈されたものです。三宅弁護士の日頃の活動には大いに敬意を表しているのですが、単なる一学生として東大闘争にかかわった者として、率直に意見を申し述べました。
(2013年8月刊。2500円+税)