弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
アメリカ
2014年10月 8日
アメリカ自動車産業
著者 篠原 健一 、 出版 中公新書
日本とアメリカでは労働現場の文化がかなり異なっていることを改めて認識させる本でした。
アメリカでは長年続いたビッグ3の経営不振によって、2009年にGMとクライスラーが経営破綻した。ところが、アメリカ政府による500億ドルという巨額の公的資金の投入などによって、アメリカの自動車産業が再び復活しようとしている。
自動車販売台数では、GMは世界トップに返り咲いた。2009年には748万台に落ち込んだが、2011年にトヨタが前年比5.6%減の795万台に落としたのに対して、GMは前年比7.6%増の902万台に達した。
2013年は、トヨタが998万台、GMが971万台となった。フォルクスワーゲンは973万台。
GMには、能力に応じて従業員が昇進を重ねていくという発想がそもそも存在しない。人的資源管理、人材開発・能力開発という考え方は、GMでは非常に希薄である。
2009年、アメリカの就業者数1億1451万人のうち、6.8%の780万人が自動車関連産業による雇用者である。このように依然として、アメリカの雇用面における重要産業になっている。
日本も同じで、日本の就業者6244万人のうちの8.8%、548万人が自動車産業関連に就業している。
GMは、1990年代に入って子会社の販売金融会社GMACを通じて、ローン審査を甘くすることで、低所得者層が高額の自動車を購入できるようにした。しかし、それは信用リスクを高めた。錬金術のような仕組みによって、GMACは、2004年には28億ドルもの利益をあげた。ところが、金融バブルの崩壊によって、GMACは20億ドルもの損失を計上し、2009年のGM経営破綻につながった。
アメリカのビッグ3では、長いあいだ、いかに職場労働から競争を排除するかについて、労使間で交渉されてきた。マニュアルどおりの働きが、必要かつ十分なのである。
同一労働、同一賃金を原則とするから20歳でも50歳でも、同じ職務にある限り、同じ賃金は支払われる。
アメリカの企業では外部採用が重視され、内部昇進は少ない。平等主義、非競争主義で秩序づけられた特徴をもつのが、アメリカのビッグ3工場での仕事だ。
同じ職務に就いているのに、働きぶりによって賃金に格差が出ることについて、現場労働者は公平感に反すると感じる。
アメリカでは能力主義は、もともとあまり用いられていない。労働組合員になると、なおさら能力主義は普及していない。
アメリカには先任権というものがある。レイオフの必要が生じたときには、勤務年数の短いものから順番にクビを切っていく。景気が好転したときには、勤続年数の長いものから再雇用していく。ここには能力基準が介在する余地は一切ない。これがポイントだ。
アメリカの工場の職長は非労働組合員であり、かつ労働者からの内部昇進はきわめて少ない。多くは外部から採用されている。ただし、職長といっても、収入面では必ずしも恵まれた職位とは言えない。
このような日米の労働慣行の相違点をきちんと認識したうえで、日本企業は外国への進出などを決めるべきだと思ったことでした。
(2014年7月刊。780円+税)
2014年10月 7日
暴露
著者 グレーン・グリーンウォルド 、 出版 新潮社
アメリカは世界の憲兵を気取っていますが、誰も頼んでいるわけではありません。自分勝手に他人のプライバシーを暴きたてて、軍事力でおさえつけているにすぎません。
でも、軍事力で押さえつけようとしても、テロリストを根絶できるものではありません。とりわけ、9.11のような自爆攻撃の前には、いかに強大な軍事力をもっていても無力だということが立証されています。やはり、軍事力に頼らないで、まわりくどいようだけど、たとえば貧困や病気をなくす努力といったものが求められていると思います。
この本は、アメリカが勝手気ままに全世界をスパイ(監視)していることを、CIA工作員だった人が内部告発したものです。
アメリカのブッシュ大統領が指揮した違法な通信傍受は明らかに犯罪行為であり、傍受された人々に対して、ブッシュ大統領は説明責任がある。
1970年代の半ば、アメリカのFBIは、50万人ものアメリカ国民について、「潜在的な反乱分子」とみなして、政治的信条だけを理由としてスパイ行為をしていた。このときの対象者には、マルティン・ルーサー・キング・ジュニア、ジョン・レノン、ジョン・バーチ・ソサエティ(反共主義者の団体)などが含まれていた。
市民の通信を傍受できる能力は、傍受する側に計り知れない力を与える。そして、その力は悪用される。
エドワード・スノーデンから最初の連絡があったのは、2012年12月1日のこと。
初めて会うとき、携帯電話をもっていることを知ると、スノーデンは、バッテリーを抜くか、ホテルの部屋に置いてくるように求めた。アメリカ政府は、携帯電話やノートパソコンを遠隔地から起動させて、盗聴器として使うことができる。だから、決して盗聴されないためには、携帯電話については、バッテリーを抜くか、冷蔵庫の中に入れておくこと。ええっ、そんなことも出来るのですか・・・。怖いですね。
スノーデンは、高校を中退したものの、テクノロジーに関しては天与の才能があった。2005年には、CIAの保安要員からテクニカル・エキスパートに格上げされた。大学を出た歳上の同僚より、スノーデンは知識も技能も明らかに優れていた。
2006年、スノーデンは、CIAの請負の立場から、フルタイムのスタッフになった。
スノーデンは、CIAを離れてNSAに戻り、NSAの請負企業である「デル」社の従業員として働き、2009年には日本に派遣された。
スノーデンは、CIAでもNSAの請負企業でも上級サイバー工作員となるための訓練を受けた。他国の軍隊や民間のシステムに侵入し、情報を盗んだり、攻撃準備を整えたりするための工作員だ。日本で集中的に訓練を受けたスノーデンは、他の諜報機関から電子データを守るエキスパートになり、正式に上級サイバー工作員となる。そして、国防情報局(DIA)の合同防諜訓練アカデミーの中国防諜コースでサイバー防諜の講師をつとめた。
2011年、スノーデンは日本での勤務を終えてアメリカに戻り、メリーランド州にあるCIAの施設内で仕事をした。年収は20万ドル。2000万円ということです。すごい高給とりですね。
やがて、NSAの極秘スパイ活動を明るみに出すと同時に、既存のジャーナリズムの腐敗した空気に光をあてたいと考えた。
世界じゅうの大陸に住む10億人以上の人々がフェイスブック、Gメール、スカイプ、ヤフーを利用している。それらの企業がNSAの請負企業と秘密協定を結び、ユーザーの通信データへのアクセスを提供していたのだ。
NSAは、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の軍部直轄組織であり、世界最大の諜報機関の一つである。NSAの職員は3万人。ほかに6万人と業務契約を結んでいる。
NSAは2種類の情報を収集している。コンテンツとメタデータだ。コンテンツとは、文字どおり人々の電話通話を聞くこと。
2010年、アメリカの監視対象国には、フランス、ブラジル、日本、メキシコが含まれている。
日本政府は、それを知っても、アメリカ政府に何の抗議もしていません。まさに、アメリカの属国です。これで、安倍は独立国の首相と言えるのでしょうか・・・。
NSAは、メタデータの収集だけでなく、Eメール、閲覧履歴、検索履歴、チャットの収集にまで手を伸ばしている。
しかしながら、現在のアプローチでは、諜報機関は、大量のデータの海に溺れるだけで、データを効率的に分類することさえ、ままならなくなっている。
NSAの監視プログラムは、過剰な量の情報を提供しているだけでなく、国家をかえって脆弱(ぜいじゃく)にもしている。大量監視は、テロの予見や阻止をかえって困難にしている。
9.11のあと、実はいろいろ予兆があったことが報道されています。通信傍受や盗聴は、それなりの知的レベルの分析官がいないと、宝のもち腐れにしかならないのですね。
それにしても、ネット社会はまったく個人のプライバシーを奪ってしまうのです。恐ろしい世の中です。
(2014年5月刊。1700円+税)
2014年8月27日
史上最大の決断
著者 野中 郁次郎・荻野 進介 、 出版 ダイヤモンド社
ノルマンディー上陸作戦を描いた映画をみたのは、私が高校生のころだったでしょうか。
1944年6月6日、Dデイの当日、ノルマンディー上陸作戦に参加した将兵は300万人。計画から実行まで2年2ヵ月。機甲12個と空挺3個をふくむ39個師団が参加した。13万3000人の将兵と、1万4000台の各種車両、1万4500トンもの補給資機材が、戦艦6隻、戦闘戦艦1070隻に護衛された6000隻もの艦船舟艇によって、波高き海峡を渡って、ノルマンディーの海岸に運び上げられた。さらに、2万機におよぶ戦闘機、爆撃機、輸送機が飛んだ。
この当時、チャーチル65歳、スターリン61歳、ルーズベルト58歳、ヒトラー51歳。そして、アイゼンハワーは53歳。アイゼンハワーは、陸軍参謀総長だったクラス・マッカーサーのスタッフとして、9年間も仕えたことがある。
ノルマンディー上陸作戦について、ドイツを欺くための作戦「ボディーガード計画」が大々的にすすめられた(フォーティチュード作戦)。
6月のノルマンディー上陸作戦は、本番である7月のパ・ド・カレー上陸作戦のための牽制作戦にすぎないとドイツ軍を信じ込ませる作戦が実行された。そのため、架空のイギリス「第4軍」がスコットランドにつくり出され、その司令官として有名なパットン将軍が選ばれた。
ノルマンディー上陸作戦にあたって、イギリスにアメリカ軍が集結した(ボレロ作戦)が、なんと152万人にも達した。これだけのアメリカ兵がいて、ドイツ側にノルマンディー上陸作戦がよく洩れなかったものです。
アイゼンハワーは最高司令官として、将兵たちに直接接触した。26の師団と24の飛行場、5隻の軍艦、そして基地、工場、病院などを訪問した。
アイゼンハワーは、兵士は作戦を指揮する人物に会うのが好きだし、彼らの士気もそれによって高揚する。その士気がなければ、戦場において勝利をおさめることは出来ない、と考えていた。
「総司令官は、重大な作戦用務もさることながら、前線の部隊の『感情』に絶えず触れなくてはならない。総司令官たるものは、作戦の責任を代表し、部下の権限が侵されることのないように努力すべきであるとともに、部下と感情的に溶けあっていなければならない。そうでなければ、広範かつ重大な作戦で必ずや失敗する。この部下との接触のため、絶えず前線を視察する必要がある」
ノルマンディー上陸作戦の決行の前、ド・ゴール将軍には詳しい計画は伝えられていなかった。ド・ゴールは独裁者になる危険があるとして信頼されていなかったことと、使われていた暗号があまりにお粗末だったため、ドイツ軍に筒抜けになることを心配したからだった。
Dデイは、当初は5月1日だった。月齢と潮の干満、そして日の出という3つの条件によって決められた。
連合軍の気象予報組織はドイツ軍に比べて格段に優秀だった。アメリカの陸軍がグリーンランドに設置していた高層気象観測所が役に立った。
ドイツ軍が海中に機雷、そして海岸に地雷付きの障害物を山ほど設置していることが分かっているため、それが海面上に露わになる引き潮のほうが都合よい。引き潮のあと、推進力のある満ち潮に乗って、できるだけ速やかに上陸することだった。時間帯は、夜明けが選ばれた。敵を油断させるためだ。
6月5日午前3時半、台風のような天候の下で、会議が開かれた。悪天候に切れ目ができ今日の午後1時から、今まで予期されていなかった好天が36時間続く可能性があると気象班の責任者が告げた。それを聞いて、アイゼンハワーが決行を決めた。5日の午前4時15分だった。
兵士はアイゼンハワーに「実は恐いです」と正直に答えた。それを聞いて、アイクは言った。
「そうとも、恐くない奴は大馬鹿野郎だ。ただし、コツがある。もし足をとめたら、その瞬間にスキができる。そうなると、やられる。肝心なのは、常に動き続けることだ」
6月6日、Dデイ当日、午前1時半すぎ、真っ先にノルマンディー地区に降下したのは、アメリカ陸軍第101空挺師団だった。6600人のうち、予定された集結地点に集まったのは1100人だけだった。それでも夕方までに2500人となった。
5つの海岸のうち、もっとも激しい戦闘になったのは、オマハ海岸だった。高台から海を一望でき、守りやすく、攻めにくい場所だった。ここに、昼12時半までに1万8千人が上陸した。オマハ海岸で上陸しようとした3万4千人のうち2千人が死傷した。ドイツ側は1200人の死傷だった。
フランスにあるドイツ軍最高司令部はまもなく大陸への侵攻作戦が始まろうとしていることは把握していた。しかし、天候は6月10日まで悪化するばかりという予報だった。ロンメル将軍は、この悪天候を利用して、ドイツに帰国していた。
アイゼンハワーは、Dデイ翌日、6月7日に、駆遂艦に乗って、オバマ海岸から上陸し、ノルマンディーで、司令官と会い、その日のうちにイギリスに戻り、今後の作戦計画を修正した。
ヒトラーは、パ・ド・カレー上陸を信じていたため、ドイツ軍の対応が遅れた。
ノルマンディー上陸作戦を総合的に検討した本として、大変興味深く読み通しました。「
(2014年6月刊。2200円+税)
2014年8月22日
イラク戦争は民主主義をもたらしたのか
著者 トビー・ドッジ 、 出版 みすず書房
アメリカのイラク侵略戦争は、まったくの間違いでした。サダム・フセインの圧制は、たしかにひどかったと思います。かといって、アメリカがイラクに侵攻して戦争を仕掛けてよいはずがありません。まさに、アメリカ帝国主義です。
侵攻の口実となった「大量破壊兵器」(核兵器も生物化学兵器も)なる物は、影も形もありませんでした。そして、イラクを支配してからも間違い続きでした。アメリカ軍が撤退したのも、イラク国民に追い出されたというのが実態でしょう。
そして、何より、アメリカ軍の支配下で内戦が始まり、今や完全に内戦状態です。アメリカのオバマ大統領は無人機などで実態を収拾しようと必死ですが、しょせん武力に頼ってうまくいくはずがありません。
まわりくどいようですが、武力に頼らない方法で取り組むしかないのです。アメリカの愚かさに日本の支配層が引きずられているのが、日本人の一人として本当に心配です。
イラクの人口は3200万人。隣に7200万人のイランがある。イラクには世界第3位の石油埋蔵量があり、1日800万バレルの石油が生産可能。石油輸出国として世界第二位。
1990~1991年の湾岸戦争時代に、殺人を禁じる慣習が大きく変わった。国家による暴力の独占状態が揺らいだ後、犯罪行為が横行し、個人の利益に奉仕することを目的とした私的暴行の行使が広がった。
あらゆるものが武力に従属されるなかで、自己表現と抗議の一形式として暴力を行使するという思考のしみついた世代が3世代にわたって育った。彼らは、いかなる法にも、社会規範にも縛られない。
1990年代のイラクに対する国際的な経済制裁は、高等教育を受けた中産階級、イラクの近代性と進歩の案内役だった中産階級を縮小させた。そして、暴力の文化を助長した。
イラク社会は戦争と国連の制裁によって高度に軍事化された。1989年、イラクの常備軍は兵力100万、火器420万という規模になった。軍事化が進んで、民間人も鉄砲をもち、320万の鉄砲が普通の人々の手に渡った。
2003年、アメリカ軍の前にイラク軍があっけなく崩れ去ると、治安維持機関の管理していた420万の鉄砲が社会の隅々にまで出回った。犯罪の世界だけでなく政治においても、過度の暴力が横行するようになった。
2003年5月、文民行政官ブレーマーがイラク国軍の解体を決定したことにより、訓練を受けた40万人もの元国軍兵が武装した状態で街頭に放り出され、失業の憂き目にあった。
戦争と制裁、占領軍の無能力、それによって生じた略奪の波。それらが重なりあって、イラクは2003年、崩壊国家と化した。国家が突如として機能を停止し、全土に安全保障の真空が生じた。乱れに乗じて略奪をはたらく者がはびこり、暴動に関与する勢力が拡大し、ついにイラクは全面的な内戦的な内戦状態に陥った。
2005年以降、イラク内務省の傘下にある特別警察突撃隊(国家警察)は、暗殺集団と化した。
2007年、アメリカのイラク政策は大きな転換点を迎えた。しかし、政策は軍事作戦が中心で、他の分野は、すべて隅に追いやられた。
2006年6月、アルカイダの指導者ザルカーウィーがアメリカ軍によって殺害されたあと、組織は求心力を失った。組織幹部に対するアメリカ軍の攻撃の精度が高まるにつれ、若くして経験の乏しい、より暴力的な分子が上層部を占めるようになった。
身元の割れた民兵組織幹部のケータイを押せば、人物相関図を埋めていくことができる。こうして得た「高価値目標」の殺害をアメリカ軍の特殊部隊が担った。
2012年3月までに、アメリカ軍とイラク政府がイラク国家の再建のために投じた金額2000億ドルは、さまざまな機関を通じて投下された。しかし、アメリカは復興計画の調整に失敗しただけではない。一貫性のある基本計画が作られたことは一度としてなかった。そして、復興活動がうまくいかなかったのは、治安状況が悪化したことにもよる。
さらに、各省大臣が自分の出身政党の職員を自由に採用することにより、公務員の水準が低下し、人員が大きく膨れあがった。2005年に120万人だった公務員が2008年には230万人になった。汚職の蔓延が行政機関を脆弱にしている。政治家は、ほとんど監視を受けることなく公金を使い、極秘で働いている。その結果、公共下水道を利用できるイラク国民は26%。安全な飲用水を使えるのは、人口の25%、760万人にすぎない。
いま、イラクで内戦が起きているわけですが、これは、アメリカ軍の無謀なイラク侵略戦争がもたらしたものだったのです。民主主義を守るためと称して、イラクから平和と民主主義を奪い去ったわけです。アメリカの戦争責任はまことに重大です。日本は、ここから教訓を引き出すべきです。武力によっては、ほんの一時の「平和」しかありえないということを・・・。
(2014年7月刊。3600円+税)
2014年8月 8日
高齢者が働くということ
著者 ケイトリン・リンチ 、 出版 ダイヤモンド社
アメリカはマサチューセッツ州のボストン郊外に針を製造する小さな会社がある。従業員40人は全員パートタイム。その従業員の2人に1人が74歳以上。従業員は10代から90代まで。30代、40代、50代の従業員もいる。
従業員には医療給付も退職給付も支給されない。時給は9ドルからのスタート。勤務時間は従業員自身が決める。午前3時半から7時間はたらく従業員もいれば、午後3時にやってきて、4時間だけ働く人もいる。
工場は2階にある。階段が19段ある。この階段をのぼること(のぼれること)が、ここで働くための暗黙の前提条件になっている。
ここでは互いに協力しようという意識、力をあわせて働き、共通の目標を目ざそうという意識が広く行きわたっている。
かつて社会的地位の高いホワイトカラーの仕事をしていた従業員たちが、現在の自分の立場を単なる労働者だと認識している。
ただし、大企業で長く働いてきた人は採用しにくい。
この会社は、2008年制作の映画「年年生活者株式会社」で紹介された。
これだけ高齢者が多いのに、作業がちゃんと行われて業績もよい。低賃金にもかかわらず、誰もが社長を慕い、とても熱心に働いている。
そうですよね。定年後も、自分の好きな時間に、思うように働きたいという気持ちは私にもよく理解できます。特殊な針を製造しているという有利な面もあることでしょう。それにしても、99歳の超老婦人が生産現場で働いているなんて、とても信じられません。
働くことの意味、そして、高齢者にとって働くことは人生を意義あるものにすることなんだと思わせる良書でした。
(2014年4月刊。2400円+税)
2014年7月30日
強欲の帝国
著者 チャールズ・ファーガソン 、 出版 早川書房
アメリカやヨーロッパの大手銀行は、金融危機を招いた行動に加えて、エンロンをはじめとする大企業の不正の幇助、麻薬カルテルやイラン軍のための資金洗浄(マネー・ロンダリング)、脱税幇助、腐敗した独裁者の資産の隠匿、談合による価格決定、さまざまな形での金融詐欺を行っていたことが暴き出されている。アメリカの金融部門が、過去30年間で、ならず者産業になり下がった証拠は、今では明白だ。
世界経済を危険にさらす重大な不正を行ったら刑務所に行くこと、そして不正に得た富は没収されることになれば不正は小さくなるだろうが、そのようにはならなかった。
アメリカのホームレスは人口は明らかに急増している。2011年には、アメリカ全土で200万軒以上の住宅が差押えされた。フードスタンプの利用者数は1800万人増加した。70%の増加率だ。
今やアメリカの上意中流階級に確実に入るためには、エリート大学の学士号はもちろん、修士号や博士号も必要となる。しかし、こうしたエリート大学に行ける学生の圧倒的多数は、アメリカの最富裕層の家庭の子どもだ。高等教育機関の学費は大幅に上昇しており、高等教育を受ける機会は著しく不平等になっている。
アメリカの二大政党は、どちらも、現実に存在する経済・社会・教育問題を無視したり、ごまかしたり、利用したりしている。
アメリカの富と企業と政治を支配している上位1%の人々の経済利益は、過去30年のあいだに、他のアメリカ人の経済的利益から完全に分離してしまった。
アメリカの金融サービス産業は、ニュー・エリートたちの非道徳性や破壊性、強欲さがこれほどむき出しにされてきた産業はほかにない。
1980年代のS&L事件では、アメリカの金融部門の数千人の幹部が刑事訴追され、数百人が、刑務所に送られた。
200年代のサブプライム融資の多くは、持ち家率の向上とは、まったく関係のないものだった。ウォール街や貸付機関は、不正によってポンジ・スキームを生み出し、あおり、利用していた。何百万人ものアメリカは、単にだまされただけだった。家を売ろうとしたとき、初めて気がついた。住宅の価値が3分の1も下がっているため、家を売ることが出来ず、長年かけて貯めたおカネを失ってしまったことに気がついた。
サブプライム・ローン貸付業は、バブルのあいだに犯罪の蔓延する産業になっていた。
不法移民は、警察に行くことを恐れていたので、とくにカモにされやすかった。
バブル期には、ウォール街の多くの幹部が自分のまわりに現実から遊離した小世界を築いていた。一般社員の立入を禁止する空間、リムジン・カー、専用エレベーター、ジェット機、ヘリコプター、高級レストランで過ごした。取締役会は、すべて言いなりだった。
ニューヨークの投資銀行家たちは、ナイトクラブやストリップ・クラブで年間10億ドルのお金を使い、会社に対して接待費として会社に請求している。
それでも彼らについて刑事訴追が行われなかったことから、非倫理的で犯罪的な行動を文化的に容認する姿勢が金融部門の奥深くに埋め込まれた。第二に、個人は刑事罰を受けずにすむという感覚が生まれた。犯罪行為をもくろむ銀行家が刑事訴追という脅威によって抑止されることが、もはやなくなった。
大手の金融機関がやってきたこと、やっていることは法の下で加えられるべきだったのです。これは、ちょうど、3.11のあと東京電力の会長・社長以下、誰も刑事責任を問われていないことと同じです。無責任集団が出来あがっています。それでも、それを容認したらまずいです。銀行と証券会社がのさばる社会は、やっぱり異常なのですよね。彼らは、何も富を生産しているわけではないのですから・・・。
大学教授たちは、民事と刑事の双方の金融詐欺訴訟において、大金をもらったうえで、被告らのために証言した。そしてこのとき、1時間の議会証言だけで25万ドルももらう。
大学教授に大金を支払って特定の政策を擁護させるという現状は、経済・法学の分野だけでなく、政治学や外交政策の分野まで広がりはじめている。
学者の腐敗は、今まではきわめて深く根を張っている。学問の独立性が金融産業をはじめとする有力産業によって、徐々に破壊されている。
政治家のウソに対するメディアの監視が弱まっている。この点は、日本でも残念ながら同じですね。最近のマスコミ、とりわけNHKのひどさといったら、目もあてられません・・・。
アメリカの刑務所には、常時200万人もの受刑者がいる。1000万人以上のアメリカ人が重罪の前科をもち、交通事故以外の犯罪で服役したことがある。数百万人が何年間も失業したままである。
アメリカン・ドリームは死にかけている。アメリカの子どもの人生展望は、親の富にますます左右される。
今のアメリカには、三つの教育制度が併存している。その一つは、上位5%の富裕層を対象とするエリート主義で、きわめて質の高い、法外な費用のかかる私立学校制度。二つ目は、しっかりした公立校の学区に住み、子どもを大学にやるゆとりがある中流階級の専門職のためのかなり良質な制度。三つ目は、残りみんなのための、本当にひどい制度である。
アメリカ、とりわけ金融産業のおぞましい実情を厳しく糾弾した本です。日本も一刻も早く他山の石とすべきです。
(2014年4月刊。2700円+税)
2014年7月15日
アフリカ系アメリカ人という困難
著者 大森 一輝 、 出版 彩流社
オバマ大統領が誕生したことは、アメリカにおける黒人差別が解消したことのシンボルだとは、とても言えないようです。
オバマは、「黒人大統領」ではない。逆に、「黒人」であることを封印された大統領である。自分が人種差別主義者であるとは夢にも思わない白人たちによって、オバマの手足は固く縛られている。オバマ大統領の口から「人種」という言葉が出るのを許さないという圧力は強烈だ。
白人国民は、人種主義が見えないが、見えるつもりもない。人種を見ないことにすれば問題は解決するのだという「カラー・ブラインド」論が横行している。
「黒人」というカテゴリーは、異郷で生きることを余儀なくされたアフリカ諸民族に、共通の経験をもたらし、共通の心性を育んだ。「黒人であること」の屈辱と誇りを、苦悩と喜び、絶望と祈りこそが、「アメリカ黒人」を新たな民族に鍛え上げた。
南北戦争後のボストンに住む黒人エリートたちは、能力主義(メリトクラシー)が徹底されたら、人種主義は克服されると信じた。これらの黒人エリートたちは、黒人生活の実態を見ようとしなかった。
1917年にアメリカが第一次世界大戦に参戦すると、黒人は人口比に相当する以上に徴兵に協力したにもかかわらず、軍内部でさまざまな差別を受けた。両人種は厳格に分離されており、黒人兵のほとんどは勇気を疑われ、戦闘部隊ではなく、補給その他の雑役に回された。
そして、戦争が終わって「母国」アメリカに帰った黒人兵士たちを待ち受けていたのは、人種暴動とリンチだった。1919年末までに、30県の暴動が起こり、80人がリンチで殺された。そのうち14人が火あぶりにされたが、うち11人は、征服を着た元兵士だった。
現代アメリカにおいてリーダーたるべき黒人知識人の多くは自縄自縛に陥る。人種差別はたしかにある。しかし、だからといって、黒人への特別な配慮や対策を要求したり、黒人が団結して抵抗してしまえば、本来あってはならない人種という区分を許すどころか強調することになる。今やるべきなのは、人種カテゴリーの解体なのだから、差別は個人の努力と才覚によって乗りこえるほかないのだ・・・。
人種主義から逃げるのではなく、それを直視し、正面から受けとめるべきだという声は同時代の黒人からも上がった。
現実に対して「ブラインド」になる、つまり目をつぶっていては何もできないのだということを、ボストンの黒人は長い時間をかけて学んだ。自分たちの人生を変えるためには、人種による格差に目を向け、人種差別のない未来を創り出していくしかない。
アメリカにおける黒人差別の解消は、今なお容易ならざる課題であることを痛感させられました。
(2014年3月刊。2500円+税)
2014年4月24日
イエロー・バード
著者 ケヴィン・パワーズ 、 出版 早川書房
アメリカの若者がイラクへ派兵された。21歳の3年兵バートルは、18歳の初年兵マーフィーを無事に故郷に連れ帰ると約束していた。しかし、戦場の現実は苛酷だった・・・。
この本を読みながら、どうしてアメリカ人がイラクでこんな苦しみを味わわなければいけないのか、つくづく疑問に思いました。
自分が通ったゲートの空いた席を霊たちが埋めていた。迫撃砲やロケットや弾丸や即製爆弾でやられた兵士たち。救急ヘリに担ぎ込もうとしたときには、皮膚が滑り落ち、四肢は本来の位置に辛うじてくっついているという状態だった。
彼らはまだ若く、故郷には恋人がいて、人生を意味あるものにしてくれる夢を抱いていたのだろう。彼らは進路を間違ったのだ。死んだら、もう夢は見ない。
自分は顔を背けた。打ちのめされて、くらくらした。体内に何も残らなくなるまで吐いた。それでもなお、胆汁が気味悪い黄色のリボンのようになって出てきた。それから、やっと上体を起こし、口のあたりを拭った。
自分らは、ある角で止まった。ネズミの行列が破片の山を縫って、通りを横切っていった。ネズミは数の力で、死体に食らいついていたみすぼらしい犬を追いはらった。見まもるうちに、犬は切りさいなまれた腕をしっかりくわえて路地へ走りこんでいった。
自分らは、沈黙のなかで、彼の人生最後の瞬間を脳裏に浮かべていた。彼が苦悶し、アラーに開放してくれるよう懇願しているのが見えた。だが、助けてもらえないと悟ったときには、のどを切られて首から血を噴いていた。そして、窒息して死んでいったのだ。
その男は、自ら望みもしなかった武器に仕立てられた。敵は彼を捕らえて、殺し、内臓を抜き、腹腔に爆薬を詰め、こちらが彼に気づいたと思った瞬間に爆発させ、そして攻撃してきたのだった。
自分らは、もう自らの凶暴性に気づかなくなっていた。人を殴打したり、犬を蹴飛ばしたり、手荒い捜索をしたり、ゆく先々で発揮する残忍さに。行動の一つひとつが、機械的に実践される練習帳の一頁のようだった。だが、自分は気にもしなかった。
イラクに兵士として派遣されて生活しているうちに、人間らしさをどんどん失い、感覚が鈍磨してく様子が生々しく語られています。恐ろしい現実です。そんな人々(若者です)をアメリカ社会は何十万人とかかえているのですね。まさしく、双方にとって不幸のきわみです。
著者は17歳でアメリカ陸軍に入隊し、2004年から1年間、イラクに派遣され、機関銃士として転戦しました。その体験にもとづく小説ですので、迫力が違います。
アメリカの野蛮さの原因を知ることのできる本でもあります。
安倍首相の集団的自衛権の行使容認というのは、日本の青年をこのような状況に追い込もうということです。絶対にあってはならないことだと私は思います。
(2013年11月刊。2100円+税)
2014年4月 1日
とらわれた二人
著者 ジェニファー・トンプソン、ロナルド・コットンほか 、 出版 岩波書店
レイプ犯として11年も刑務所に入っていた黒人がDNA鑑定と、それにもとづく真犯人の自白によって無罪となった話です。そして、もう一方でレイプ被害にあった白人女性の心の痛み、しかも、間違って無実の犯人と名指ししたことによる罪の呵責(かしゃく)をどう考えるのかという重いテーマもあります。実は、本書はこの二つの視点からスタートします。
そして、この本は、その両者を結びつけ、冤罪の被害者とレイプの被害者とがついに手をとりあって和解したという感動的な実話なのです。
それにしても、目撃証言というのは、本当にあてにならないもの、信用できないものなんですね・・・。
私は単なるレイプ事件の被害者ではなく、記憶力が最低のレイプ被害者で、そのため、ある人が11年間も無駄にしてしまった。どうして、私は、そんな愚かなことをしてしまったのだろう・・・。
ロナルド・コットンが犯人だという思いに捕らわれ、過剰なほどの自信をもってしまった。あの夜の記憶は鮮明で、理屈というよりも直感的で、意のままに再生できるビデオテープのようなものではなかったのか。
ロナルド・コットンの顔を面通しで見て、さらに法廷で見ることは、つまり、次第に彼の顔が私を襲った犯人の元々の像にとって代わっていくことを意味した。法律の専門書で、それは「無意識の転移」と呼ばれる。要するに、私の記憶が歪められたということだ。私は自分を襲った人を30分も見たし、彼の顔は私と数インチしか離れていなかった。それなのに、私は完璧に間違ってしまった。
無実の被告人を弁護した弁護士たちは、まったくの無報酬でがんばっていたのでした。これまた、すごいことです。そして、無罪になったときに言ったのは・・・。
「我々の仕事に対しては、一切、報酬はいらない。ロン、ただ、君の自由を最大限活用してくれたらいい」
「生産的な生き方をしてほしい。それが、我々の求める最良の報酬だ」
すごいですね。アメリカにも、私たちと同じようにがんばる弁護士はいるのですね。うれしくなります。
刑務所で生きのびるためには、鍛えて強い身体を維持しなければならない。走ったり、腹筋運動や腕立て伏せしたり、あらゆる方法で身体を動かした。
刑務所に収監された直後は、とても重要だ。戦いの勝敗が、そこになじめるかどうかを左右する。刑務所では、弱虫に見られないようにするのが大切だ。そうすれば利用されずにすむ。たとえ負けたとしても、やり返すことで、一目置かれるようになる。
刑務所では、多くの者が身を守るために、自分を殺人を犯して服役しているという。そうすれば、たちの悪いやつに見えると思っているのだろう。ここでは、誰を信じていいのか、決して分からない。
アメリカでは、DNA鑑定によって、300人以上の有罪判決がくつがえっているとのことです。これは、すばらしいことであると同時に、実に恐ろしいことです。そして、それは、被告人とされた無実の人だけでなく、被害者にも二重の苦しみを与えることになるわけです。よくぞ、本にしてくれたと思います。感謝します。
(2013年12月刊。2800円+税)
2014年3月26日
ショック・ドリクトン(下)
著者 ナオミ・クライン 、 出版 岩波書店
ロシアに対しては、衝撃は大きすぎ、治療は不十分というのが、ショック療法についての大方の見方だった。西側諸国は、苦痛にみちた「改革」を容赦なくロシアに要求しながらも、その見返りとしてはあまりに貧弱な額の援助しか与えなかった。
世界で共産主義が脅威だったときには、ケインズ主義によって生きのびるのが暗黙のルールだった。しかし、共産主義システムが崩壊すると、ケインズ主義的な折衷政策が一掃され、フリードマンの自由放任主義がやってきた。
フリードマンは、すべてを市場にまかせるべきで、いかなる救済措置にも反対すると述べた。弱者は溺れるがままに放っておけという、金持ち視点の冷酷な見方を公然と述べたのです。いやなやつですね。自分と大金持ちさえよければいいなんて、そんなの学問と呼ぶに値しませんよ。
IMFは、アジアの人々を失望させても、ウォール街を失望させることはなかった。10年たってもアジア危機は収束しなかった。わずか2年間で2400万人が職を失い、新たな絶望が根を張り、どの社会においても問題の収拾に苦労している。絶望は、その土地土地で違う形をとってあらわれる。インドネシアではイスラム過激派が台頭し、タイでは児童売春が激増した。
ブッシュ政権の国防長官に就任したラムズフェルドは、戦争を物理的なものから心理的なものへと、肉体を駆使する戦闘から派手な見世物へ、そして、今までよりはるかにもうかるものへ変えていった。しかし、ペンタゴンの幹部たちは、ラムズフェルドの「軍隊空洞化」構想に強い敵意を抱いた。国防省の人件費をできるだけ削減し、膨大な公的資金を民間企業に直接送り込もうとした。つまり、ラムズフェルドは米軍に「市場理論」を適用しようとした。
ラムズフェルドの子分だったディック・チェイニーも、現役部隊の規模を縮小し、民間委託契約を大幅に増やした。戦争を収益性の高いサービス経済の一部にしてもいいのではないか。にっこり笑って、軍事侵略を、というわけである。
9.11のあと、表向きはテロリズムとの戦いを目標にかかげつつ、その実態は、惨事便乗型資本主義複合体、すなわち国土安全保障と戦争および災害復興事業の民営化を担う、本格的なニューエコノミーの構築にほかならなかった。
ブッシュ政権になってから、国防総省の民間企業への委託契約金は、1370億ドル増の年2700億ドルになった。米諜報機関から情報活動の外注費として民間企業に支払われた金額も、1995年に比べて2倍以上の年間420億ドルになった。
今や、セキュリティー産業とは、抑制のない警察権と抑制のない資本主義が、いわば秘密刑務所とショッピングモールが結び突くように合体した前代未聞の産業なのである。
アメリカが支配したイラクにおいて、経済的ショック療法として、国家を大幅に縮小し、その資産を民営化することが実行された。略奪行為も、その一環となった。
イラクでの「大失敗」は、歯止めのないシカゴ学派のイデオロギーを入念かつ忠実に適用しようとしたことによって起きたもの。これは資本主義が引き起こした惨事であり、戦争によって解き放たれて際限のない強欲の生み出した悪夢にほかならない。
自由放任主義の原則をこれほど大規模な政権事業に適用した結果は、悲惨な失敗だった。アメリカの大手企業は、3年半後にすべて撤退した。何十億ドルというお金が費やされたにもかかわらず、膨大な仕事の大半は手つかずのままだった。イラクの混迷で、最大の利益を得たのは、ハリバートンだった。
政治家や企業人など、エリート層の多くが地球環境の変動に楽観的なのは、自分たちはお金の力で最悪の状況から脱出できると思っているからだ。自分たちだけは、プライベートヘリコプターによって空中に引き上げられ、聖なる安全圏に逃げ込めるというわけだ。
アメリカ初のとんでもない「経済学説」が世界中を荒らしまわっていることがよく分かる本です。そして、日本でも、同じことが起きています。TPPも、その一つですよね。大変な力作です。
(2013年4月刊。2500円+税)