弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年7月24日
幕末女性の生活
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 村上 紀夫 、 出版 創元社
江戸時代の庶民がどんな日常生活を過ごしていたのか、とても興味があります。
日本人は昔からよく日記を書いていて、またよく残っています。残念ながらくずし字なので、私には原文は読めません。それでこうやって活字になったものを読むしかありません。
この本では、4人の女性の日記が紹介されています。1人目は、和歌山城下で質屋を営む九代目六兵衛の妻。寛政3(1791)年と文政8(1825)年の日記2冊が残っている。家族で金魚の飼育に熱中していた。
2人目は、やはり和歌山藩の学習館の校長の妻。天保8(1837)年から明治18(1885)年までの日記が残っていて、東洋文庫で活字化されている。大塩平八郎の乱、ペリー来航、ええじゃないか、なども記録されている。
3人目は、医師の妻で、曲亭馬琴の息子嫁として、その執筆を助けた。安政地震、飼い猫の様子が紹介されている。
4人目は、河内国の種屋を切り盛りしていた。夫との離縁、贈答品のやりとりなどが紹介されている。
嘉永4(1851)年の元日、滝沢家に年始のあいさつにやって来たのは30人にのぼる。
節分の日は、厄落としをする。路上に下着と銭を落として帰ることで厄を落とす。いやはや、聞いたこともありませんが、正岡子規の書いたものにも出てくるそうなので、明治にも続いていた風習。
お盆は、旧暦の7月15日。なので、七夕から間もなくすると、お盆になる。このときのお供(そな)えは、三食だけではなく、おやつに「煮あんころもち」、夜には上酒、みりん、冷や奴が供えられた。つまり、帰ってきた祖霊は、三食に加えて、おやつと晩酌付きでもてなされた。
誕生日には、赤飯を炊いて、近所の人も招いて祝う。江戸時代には誕生日を祝う習慣が存在していた。
夏の夜は、子どもたちと一緒に花火をして楽しんだ。
牛肉も猪肉も食べている。滝沢家では、「かすていら」を食べ、あひるの卵も食べた。
そして、滝沢家では猫を飼って可愛がった。猫には赤い縮(ちぢみ)織りの絹でつくった豪華な首輪を付けた。猫が病気にかかったときには、猫のための薬を買ってきて飲ませている。
江戸時代金魚の飼育が流行した。金魚飼育のマニュアル本(「金魚養玩草」)まで刊行されている。庭を掘って池にして、和金魚やランチュウを飼った。10疋で銀60匁(もんめ)もした。
日用雑貨の貸し借りはひんぱんだった。また、いただき物は、そのまま他に廻されていった。ミカンを持ってきた人は、借金の申し込みをした。それが本命だった。
江戸時代にも商品券があって、贈答品としても用いられた。板(かまぼこ)印紙、酒印紙、饅頭(まんじゅう)印紙、湯葉(ゆば)印紙がある。
大塩平八郎の乱が起きたのは天保8(1837)年2月19日のこと。翌2月20日には和歌山にも伝わっていた。2月21日には、「町与力大塩平八」の仕業(しわざ)という情報が届いた。
ペリー来航のあった嘉永6(1853)年には、甲冑(かっちゅう)の移動販売が始まっている。
慶応3(1867)年、10月、大政奉還になった。そのころ、京都の街では、「ヨイジャナイカ、ヨイジャナイカ」と、はやし立てて踊る集団が各地に出現した。
貴重な本だと思います。
(2025年3月刊。1980円)