弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年5月18日
脱露
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 石村 博子 、 出版 角川書店
日本敗戦後、シベリアに送られた日本人は軍人だけではなかったのですね。
敗戦後はソ連領になった南樺太(カラフト。サハリン)で民間人として生活していた日本人。鉄道員、炭鉱夫、大工、運転手...などさまざまな職業の人たちがソ連軍によって逮捕され、一方的な裁判で囚人としてシベリアのラーゲリ(収容所)に連行される。
ラーゲリで苛酷な労働を強いられたあと、刑期が明けてもどこかに強制移住させられ、ソ連本土に残留させられた。その後も、いろいろな理由で日本へ帰れないまま、数十年にわたって生死不明の状態が続いた(このとき「戦時死亡宣告」とされた人もいる)あと、ソ連の崩壊によって「発見」された。この人たちを「シベリア民間人抑留者」と呼ぶ。
元日本兵がシベリアに抑留されたのは57万5000人、うち5万5000人が死亡した。民間人については、200人ほどしか判明していない。
シベリア民間人抑留者は3つのグループに分けられる。その一は、一般人として暮らす元軍人。その二は、軍隊経験のない正真正銘の民間人。その三は密航者。サハリンから密航して北海道に上陸した人は少なくとも2万5000人いる。
民間人抑留者の集団帰国が実現したのは、日ソ両国赤十字社代表による共同コミュニケが1953年11月に調印されてからのこと。1956年12月まで11回の引き揚げがあった。
しかし、日本に帰らず残留を選択した日本人も少なくなかった。現地の女性と結婚し、子どもをもうけた人たち。285人が判明している。
現地の女性と結婚したといってもロシア人とは限らない。朝鮮人だったり、ドイツ人だったり、いろいろだ。ロシア人は、夫を戦争で亡くした女性がたくさんいた。
この本に登場する日本人は著者が話を聞いたりしていますので、その所在が日本側に判明した人であり、また80歳になっても元気でいる人に限られる。
亡くなった人のお墓には、生前の顔写真が大きくはめこまれているのが、ほとんどです。日本にはない風習ですが、ソ連そしてロシアではよく見かけます。
貴重な記録が掘り起こされています。
(2024年7月刊。2250円+税)