弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年5月 3日
本の江戸文化講義
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 鈴木 俊幸 、 出版 角川書店
大学でゼミの先生から講義を受けている気にさせる本です。
江戸時代が進むなかで、江戸だけではなく、全国的に無学文盲の人がいなくなり、みんなが本を読むようになりました。そして、本は買う本と借りて読む本の2つがありました。借りて読むほうの本はたくさんの人が読むため、本の表紙は厚い紙で出来ている。
なるほど、なるほど、そうなんですね。
そして、本を読むのは黙読ではなく、声を出して読みます。素読と同じです。ほら、「し、のたまわく...」というやつですよ。
戦国時代と江戸時代の大きな違いは、強力で安定的な政権が生まれ、長期にわたって戦争のない時代が誕生したこと、260年あまり一つの政権によって一国が保たれていたのは、世界史上ほかにないこと。
ええっ、そ、そう言い切っていいんでしたっけ...??
この長期にわたる安定の最大の要素は、民衆の幕府への信頼。平和の時代をもたらし、維持していることを民衆は素直にありがたく思っていた。
民衆が平楽を享受していたことは私も間違いないと思いますが、さすがにここまで言い切っていいのか、やや、ためらってしまいます。
江戸時代の人々は、日本が「鎖国」していたとは思っていなかった。「鎖国」というのは近代になって貼られたレッテルにすぎず、実態のない幻想だ。
なるほど、朝鮮通信使は何十年かに一度、大行列を仕立てて国内を巡行しましたし、オランダのカピタンたちも江戸まで出かけていますよね...。
生活の隅々にまで及ぶ厳しい農民統制を示す「慶安の触書」なるものは、今では教科書から一掃されている。これは幕府によって全国的に出されたものではないことが分かったから。
江戸時代、身分は固定されたものではなかった。有力町人は、お金の力で名字帯刀(みょうじたいとう)を許された。検地にしても農民が自由に売買するため、農民のほうから実施するよう願い出ることもあった。
江戸時代の百姓は、かなり自由に、したたかに生きていた。
西洋諸国とは違って、民衆が文字を手に入れ、文章を理解することを江戸時代の為政者は怖れなかった。むしろ、触書を理解し、道徳を身につけるのに有用だと判断して、民衆が文字知を獲得することを阻害しなかった。
寺子屋が全国各地にあった。都市部では「女寺屋」といって女子だけを受け入れるところもあった。千葉県東金(とうがね)の寺習塾の記録によると、文政4年(1821年)に男子59人、女子27人、天保2年(1831年)に男子33人、女子24人。天保9年(1838年)に男子40人、女子33人だった。授業料(束脩。そくしゅう)は半年500文。
江戸時代、本に定価はなかった。売値は、客と交渉して決まった。
日本近世は、パロディの時代。男色を「アブノーマル」として排除しようとするのは明治になってからのこと。江戸時代には、マイノリティでもなんでもなかった。武将に稚児はつきものだったんですよね。
井原西鶴を現代の小説家のように考えてはいけない。江戸時代にそんな職業はない。十返舎一九は初めて原稿料だけで生活できた。たいてい「副業」をもって、それによって生活していた。
「南総里見八犬伝」は発売1年間にせいぜい500部ほどの発行部数でしかなかった。
蔦屋重三郎は、時代の動きを敏感にとらえて、それに対応する天才的な能力のあった希有(けう)な本屋。惜しいことに脚気(かっけ)のため、寛政(1797年)に48歳で亡くなった。ビタミンB1の不足。白米の食べすぎかな...。
江戸時代の本屋と書物そして文化人の動向を詳しく知ることが出来ました。
(2025年1月刊。2200円)