弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年6月 9日

強制収容所のバイオリニスト

ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ヘレナ・ドゥニチ・ニヴィンスカ 、 出版  新日本出版社

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に入れられたポーランド人女性がバイオリニストとして生き延びた体験記です。なにより驚くのは、95歳になって書いた回想記で、100歳になって日本語訳が刊行されることについてメッセージを日本人読者に向けて送ってくれていることです。まさに奇跡としか言いようがありません。
ポーランドはショパンの祖国であり、ショパンの祖国がポーランドである。日本人は、ショパンの音楽を愛していることを知っている。
著者のメッセージには、そのように書かれていますが、まさしくそのとおりですよね。
著者が生まれたのは、1915年7月。ウィーンだった。音楽好きの父親のもとで、著者はバイオリンを学びはじめ、結局、それが身を助けることになります。
著者は強制収容所に入れられ、裸にされ、男性囚人の前に立たされます。そして、囚人生活が始まるのです。
1943年秋、ドイツは東部戦線の戦況悪化により節約を強いられていた。強制収容所で殺害されたユダヤ人の衣類の良い物は列車でドイツ本国へ送られ、ドイツ市民の需要を満たした。
レンガ造りのブロックの建物の最下段で寝る。湿気を含んだレンガが地面にじかに並べられているだけで、寝具は何もない。頭と足の位置を交互にして横たわるのみ。二枚の灰色の毛布は、汚れでべとべとし、シラミがたかっている。とても寒いので夜は衣類を全部身に着けたまま眠った。横になるとすぐに、寝棚の板や毛布に群らがっていた南京虫と衣ジラミがすぐに這い寄ってくる。そのうえ、寝ている身体の上をハツカネズミやドブネズミがはね回る。
ユダヤ人は人間以下の存在と考えたナチスにとって、トイレットペーパーは与えられるものではなかった。
ビルケナウで著者が生きのびられたのは、労働隊そして音楽隊に入ることができたから。女性音楽隊は、1943年春に、親衛隊女性司令官マリア・マンデルが設立した。このとき女性囚人は、1万数千人いた。
マンデルは、男性収容所に音楽隊が存在しているのに対抗して、同じような女性音楽隊をつくった。これには、アウシュヴィツ総司令官アドルフ・ヘスの好意も、うまく重なった。
女性音楽隊の監督(カポ)には、戦前は小学校で音楽教師をしていたゾフィア・チャイコフスカが就任した。チャイコフスカは、さまざまな国籍の、統制のとれない若い音楽家たちをまとめ、秩序ある状態に導いていった。
強制収容所に設置された死体焼却炉から昼夜を問わず、もうもうと上がる炎と黒い煙を背にして、娯楽のためにの音楽を演奏していたのです。
これは、どういうことなのか、考えてみれば、深刻なフラストレーションとなった。それは、そうでしょうね・・・。本来、同じ境遇のはずなのに、私は安全で、あなたは安らかに殺されてこいという音楽を演奏するなんて、耐えられませんよね。
音楽隊は、見かけのうえでは楽なコマンドという印象を与えていたかもしれないが、実際には、非常な骨折りと精神的緊張という対価を支払っていた。恐ろしい悪が凝集する場所で音楽を演奏するという道徳的な苦しみに襲われていた。
理不尽があたりまえという極限状態で楽しい音楽を演奏していたという若い女性集団のなかで生きのびたという貴重な体験記です。心して読みつがれるべきものだと思いました。
(2016年12月刊。2300円+税)
 山田洋次監督の映画「家族はつらいよ」パートⅡをみてきました。
 土曜日午後、博多駅にある映画館は「昔青年」の観客で満足でした。なかなかシリアスな話が笑わせながら進行していきます。さすがは山田監督です。山田監督も85歳だそうですから、もちろん他人事ではないことでしょう。私にしても同じことです。
 「この国は70歳を過ぎても道路で旗振りさせている」というセリフがあります。弁護士の私としては70歳すぎても働けるとのは大変ありがたいことなのですが、一般には年金で悠々自適の生活が保障されるべきですよね。

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